医療・保健サービスへのアクセス公平性;JSTAR 1st waveデータの解析から

開催日 2009年11月16日
スピーカー 橋本 英樹 (東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻 教授)
モデレータ 森川 正之 (RIETI副所長)

議事録

JSTAR調査の背景――皆保険制度は健康格差解消に役立ったか

橋本 英樹写真日本の平均寿命は1970年代の安定成長期から飛躍的に上昇し、バブル経済崩壊後の1990年代以降も伸び続けています。その背景には、1961年に発足した皆保険制度などの医療サービスの平等と拡充があると考えられます。一方、日本の医療費は今でも年間1兆円のペースで増大しています。高齢化がその主な要因に挙げられていますか、はたして高齢化が本当に医療費の増大に影響しているのか――という議論もあります。

しかし、日本が低医療費の国と見られているのもまた事実です。実際、諸外国と比べて、日本の対GDP医療費割合は低めです。にも関わらず、医療費負担の問題が焦点となる背景には、対GDP債務残高が150%を超えたなどの財政事情があります。

そうした議論を踏まえて、もうすぐ50周年を迎える日本の皆医療・保険制度が健康格差の解消にどの程度貢献しているか、過去50年間で何を達成したのかを再評価したいと思います。

たとえば、都道府県別の平均寿命は、特に女性の場合、1950年時点で最大8年の格差がありましたが、2000年代に入ってほぼすべての都道府県が全国平均の+1/-1の範囲内に入るようになりました。少なくとも平均寿命で見た都道府県格差は著しく改善したといえます。ただ、青森県は一貫して最下位あたりを推移するなど順位の格差は固定しているため、本当に格差が解消されたかは疑問の余地があります。

その構造的な理由を解明する上で最近焦点が当てられているのが経済的格差です。医療へのアクセスなどが人間の健康に影響を与えている可能性が考えられるからです。たしかに、年間所得150万円以下は500万円以上(基準)と比べて「不健康」と答える人の割合が1.6倍高くなっています。

そこでJSTARの研究課題として、1961年以来の皆保険制度・フリーアクセスにもかかわらず、なぜ健康格差が残るのか、所得によるアクセスに差があるのか、の2点を中心に検証することにしました。

「公平」、「平等」とは

公平と平等の定義は研究者により異なりますが、本論ではvan Doorslaer論文に従い、公平(equity)を「ニーズとアクセス」のバランス(均等なサービス利用ではなく、あるニーズに対してどれだけ利用できたか)と捉えて説明したいと思います。平等(equality)に関しても、「最大多数の最大効用」、「最弱者の厚生の向上」、「選択の自由」、「横並び」など緒論ありますが、ここではあえて限定せずに進めたいと思います。

日本の医療は原則上「フリーアクセス」ですが、OECDの統計によると――受け取り方は皆さまのご判断に預けたいのですが――総医療費に占める自己負担費の割合は米国以上となっています。家計支出に占める自己負担費の割合も米国に次ぐ高さです。皆保険制度はフリーアクセスを「機会」として保証していますが、自己負担額が結構なインパクトを持っていることが示唆されます。

所得と医療アクセスの関係

1.所得と負担の逆進性
所得が医療へのアクセスにどう関係するのか――。今回の分析は、厚生労働省の「国民生活基礎調査」ではなく、2007年に始めた「暮らしと健康」の調査をもとにしています。医療サービスに関しては、過去1年間の利用回数を外来、歯科、入院に分けて聞いている点が特徴です。具体的には、外来、入院、歯科のそれぞれについて、過去1年間の受診の有無と受診頻度、さらに定期的に受診しているもしくは入院した場合は1回あたりの負担額を聞いています。ただ、入院に関するサンプル数が少ない関係から、以下は主に外来と歯科に限定して説明します。

JSTARの5地点(滝川市(北海道)、仙台市(宮城県)、足立区(東京都)、金沢市(石川県)、白川町(岐阜))における自己負担額を見ますと、外来の自己負担額は平均年間7~8万円ですが、白川町が5万円程度なのに対し足立区は12万円に上るなどかなりの地域差が見られます。自己負担額の内訳は、5割以上が外来で入院がそれに続きますが、結構大きい部分(20%前後)が歯科となっています。所得別に見ると、低所得者の方が自己負担額が少なめですが、家計に占める自己負担額の割合は、低所得者7%に対して高所得者では1%程度です。高所得者の方が利用が多いのに所得に対するインパクトは少ないことを意味します。このような逆進的な傾向は、特に60代で最も顕著に見られます。

支払能力(所得)と負担の公平性で考えた場合、つまり「負担の公平性」と「負担率の公平性」の2つの見方のうち後者で考えた場合、上の状況は「不平等」ともいえます。

2.健康ニーズに対するアクセス
外来と歯科のいずれに関しても、低所得者は高所得者と変わらない確率・頻度で受診している結果となっています。負担額は高所得者と比べてやや低めです。所得によるアクセスの差は見られず、その意味では平等といえます。

しかし、健康のニーズに対してどれだけアクセスできたかを「公平」の基準として考えた場合はどうでしょうか。具体的には、同等のニーズに対して地域・所得等の属性によらずサービス需要が同等に満たされるhorizontal equityを重視します。

そこで自覚的健康が「良い」以下と答えた(=「悪い」)人の割合と外来受診率を所得別に見ますと、むしろ低所得者の方が外来受診率は高いが、それは健康状態が「悪い」人の割合が多いからということがわかります。それに対し、高所得者は低所得者と比べて外来受診率はそう変わらない一方で健康状態が「悪い」人の割合が明らかに低くなっています。所得が最も低い層と最も高い層で見ると、前者は後者と比べて健康状態が「悪い」と答える率が1.4倍高いにも関わらず、受診率は1.2倍程度しか変わりません。これは健康状態が悪い人が多いわりには外来受診率が高くないことを意味しています。また、そのことから、低所得者が外来受診を控えている可能性が伺えます。この手法は最初にLe Grand(1978年)により考案されましたが、その後の批判も受けて考案されたのが、次の集中度曲線(concentration curve)を使った手法です。

客観的な健康指数と所得の関係を見ますと、外来受診に関してはアクセスの差が見られない一方で、歯科に関しては低所得者ほど咀嚼に問題を抱える傾向があるにも関わらず利用が少ないことから、健康ニーズとの間に乖離があることが伺えます。健康状態から統計的に予測される医療費と実際に使った医療費を比べてみても、外来では実態と予測値がほぼ同じ結果でしたが、歯科ではやはり低所得者層で実際の利用額が予測値を下回る結果となっています。

ただ、今回のJSTAR調査では、「今」の健康状態と「過去1年間の医療費」を調べている関係から、因果関係の逆転が起きている可能性があります。つまり、健康状態が悪いので受診した、医療費を使った結果、改善したという逆の因果関係です。そうした双方向性を加味した追加分析として、自覚的健康状態が受療の有無に影響したかを明示的に入れたthree-staged estimationを試みました。その結果、外来に関しては利用確率の有意差は殆ど認められない一方で、歯科に関しては双方向性を考慮すると高所得層で利用確率が有意に高い結果となりました。さらに、自己負担額で見ると、外来に関しては所得が最も低い層と最も高い層では約10万円の開きがあるという結果が出ました。歯科の方でも有意な差が見られます。

このように、外来診療に関しては、少なくとも集中曲線で見た限り、アクセスの格差は健康状態の違いを加味しても見られませんが、健康状態と医療サービス利用の双方向的影響を加味してみると、自己負担額においては所得レベルによる影響が認められる印象です。一方、歯科診療に関しては、どの分析方法でも所得によるアクセスの差が有意に見られました。以上がJSTAR調査を使った分析の結果です。

今回は5地点を混ぜて分析しましたが、地域の固定効果を入れると先述の違いはかなり薄れます。地域による医療施設へのアクセス格差を含んだ結果となっているため、診療密度などの外生変数を入れて再分析する必要があります。また、本人のアンケートではなく、客観的なレセプトデータで見たアクセス格差の有無に関しても追加分析中です。アクセスが健康に影響しているのか、健康がアクセスに影響しているのか、という因果関係についても、現在収集している2nd waveのデータをもとにより明確に分析していく考えです。

日本の医療保険制度が50周年を迎えるのに当たり、そのパフォーマンスを検証する重要な時期にさしかかっています。日本の医療と国民の生活・健康を支える制度づくりに向けて、包括的なデータ集積と個々の要素の検証を今後とも進めていきます。

質疑応答

Q:

「健康ニーズを考慮した上で自己負担と保険料率のあり方を検討していく必要がある」という政策的インプリケーションに関して、低所得ほどニーズに合った治療を受けていないという結果が明らかになれば、低所得者に対する自己負担割合軽減の議論にもつながるでしょうか。

A:

政策的対応のオプションは直接JSTARの分析結果から示せるものではないので、それとは切り離して私見を申し上げさせていただきます。仮に自己負担が医療受診抑制に作用しているのであれば負担軽減の方向も考えられますが、医療窓口での軽減措置は手続き的に困難な可能性があります。もう1つの作戦としては、窓口の支払い額は同じでも低所得者に対しては何割かを補填するバウチャー方式や年金措置などが考えられます。

諸外国は医療保険を損害保険として設計しているのに対して、日本の医療保険制度は損害保険プラス所得再分配という、広義での社会保障的な役割を担っていて、そのことが設計を難しくしています。個人的には、「損害保険」と「所得再分配」は切り分けた方が良いと考えます。低所得者層のアクセスの問題は医療保険ではなく年金・福祉の分野で設計するという考えです。

Q:

全体として、低所得者ほど病気がちだがアクセスは平等という結果です。そうなると政策的な介入余地は無いのでしょうか。

A:

今回はオール外来でまとめて分析していますが、今後は一般(ジェネラル型)外来と専門医(サブスペシャルティ型)外来を分けて分析したいと考えています。個人的な見解として、一般外来に関しては政策的介入の必要は無いと予想しますが、サブスペシャルティ型に関しては地域や所得による格差が出ている可能性があります。

Q:

歯科診療に関しては所得の影響が明確に見られたとのことですが、「歯科は贅沢」という見方があるのでしょうか。確かに定期健診はあるのに歯の定期診断は制度的に措置されていません。

A:

生活習慣病対策と健康づくりを考える上で非常に重要な問題です。制度上だけでなく、歯科産業の育成・維持のあり方にも関係してきます。

歯科はメインの保険ではなく補助的な保険でカバーされている国が多いことからも、諸外国においても歯科は「贅沢」とされる傾向があるようです。一方、日本では歯科の経営が厳しくなっていますが、その背景には受療者側のコストベネフィット感の問題があると考えます。実は歯科利用は教育も非常に関係していて、高学歴ほど受診頻度も利用額も高いことがわかっています。これはもしかすると、頭脳労働系と肉体労働系などの各層にとって、「歯」が自分の身体においてどういう位置を占めているのか、ヒューマンキャピタルとしてどういう意味を持っているのか――という話にも関係するかもしれません。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。