がんのひみつ -がんで死なないためには?-

開催日 2009年7月10日
スピーカー 中川 恵一 (東京大学医学部付属病院放射線科准教授/緩和ケア診療部長)
モデレータ 佐藤 樹一郎 (RIETI副所長)
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議事録

がん大国――日本

中川 恵一写真日本は世界一がんが多い国で、日本人の3人に1人(65歳以上の2人に1人)ががんで命を落としています。

1995年の段階では日米で大きな差のなかったがん死亡数は、以降、米国では減少、日本では増加するようになり、その開きは年々大きくなっています。主要国首脳会議(G8サミット)参加国の中でがん死亡数が増えているのは日本だけです。

日本の国内総生産(GDP)に占める国民医療費の割合は、先進7カ国(米仏独加伊英日)中最下位の8%です。一方、GDPに占める一般政府総固定資本形成の割合では日本はフランス、スウェーデン、米国、英国、ドイツを抜いてのトップとなっています。どこにお金をかけるのかの議論をもう少しする必要があるといえます。

進行がんの場合、1回の入院の平均在院日数は大凡1カ月となっています。自己負担額は約100万円です。正確な統計がある訳ではありませんが、進行がんであることが判明し死亡するまでの期間はおそらく約2年です。その間も、医療費は毎月発生しています。進行がんに経済的デメリットがあるのは明らかです。

ただし進行がんでなければ、こうした問題は起こりません。早期がんだと手術や放射線治療をすればそれで終わります。簡単にいえば、最初に10万円を自己負担すれば、それで終わらせることができるのです。

進まないがん治療

GDPに占める国民医療費の割合が17%と世界一の米国は、1兆5000億円という巨額のお金をがん対策に投じ(日本では500~600億円)、がん治療の分野でも世界一といわれています。その米国ですら、『フォーチュン誌』で「なぜわれわれはがん戦争で負けているのか(Why We're Losing the War on Cancer)」という記事が組まれるなど、がんとの戦いでは負けているのが現実です。実際、米国における心臓病による死亡率(年齢調整済)は過去50年間で約3分の1に減少しているのに対し、がんによる死亡率はほぼ横ばいとなっています。

日本では、がんに関する科学的データを集めるための、がん登録制度が十分整備されていません。そうした状況ではありますが、大阪府のデータによると、男性の肺がんの罹患率は女性のそれを上回っています。これはタバコによるものです。また、治療法が進歩しているのなら、罹患率と死亡率の差は大きくなる筈ですが、大阪府の同じデータでは肺がんの罹患率と死亡率は過去40年にわたり同じように増加しています。

肺がんに関わらず、がんの治療は総じて進歩していません。ではがんで死なないためにはどうしたらいいのでしょうか。

がんで死なないためには?

第1に、がんにならないようにすることです。しかし、がんは多くの生活習慣病と違い、誰しもがかかり得ます。ですので、第2に、早期発見・早期治療が重要となります。早期発見・早期治療というのは陳腐に聞こえるかもしれませんが、依然非常に大切なことです。実際、早期がんの治癒率は9割以上です。早期胃がんなら手術で100%完治します。

がんにならないようにする上で最も大切なのは、タバコを吸わないことです。タバコがなくなれば、男性のがんの3分の1がなくなります。タバコには、間接喫煙でも十分にがんになるという問題もあります。むしろ、発がん性は間接喫煙の方が高くなります。実際、喫煙者の夫を持つ非喫煙者の妻が脳腫瘍になる場合、その原因の69.5%は夫の喫煙によるものとなっています。酒については、男性の場合、毎日4合飲むと大腸がんになる危険は3倍高まります。

がんの原因が10あったとすれば、男性の場合、3つはタバコ、3つは生活習慣、残りの4つは運です。この残り4の部分がコントロールできない、そこが、がんの難しいところです。

早期発見ではがん検診が重要な役割を果たします。がん検診とは、症状が出てから病院に行くことではありません。症状がないうちに行くのががん検診です。

乳がんの場合、がん細胞1センチ以下は発見が難しいため、診断できる早期がんは1~2センチとなります。がん細胞が1センチから2センチになるには1年半かかります。つまり、早期がんの状態で発見できるのは、乳がんの20年という一生の中でわずか1年半しかありません。ですので、1年半に1度、あるいは百歩譲っても2年に1度は検査をしておかないと、早期がんの状態で乳がんを発見することはできません。

肺がんや胃がんとなると、2センチのがんでは症状は現れません。早期発見するには、やはり定期的に検査するしか方法はありません。

がん検診が最も有効なのは子宮頸がんで、2番目が大腸がん、3番目が乳がんです。少なくともこの3つのがんについては「やらなければ損」といえる程、がん検診は有効です。米国では85%が子宮頸がんのがん検診を受診しています。日本はわずか21%です。乳がんについても、米国でのがん検診受診率は75%であるのに対し、日本では20%というのが現状です。結果として、日本では、米国と比べ進行がんの数が多くなります。冒頭で紹介した、がん死亡数の日米格差の原因はここにあります。

政府もようやくこの問題に気付き、今回の補正予算では、子宮頸がん・乳がんに関する無料クーポン券を配布するための予算が取り分けられ、今年の7月9日には「がん検診50%推進本部」が厚生労働省に設置されるようになりました。

社会のあり方と共に変化するがん

1960年、日本人男性のがん死亡の半数を占めたのは胃がんでした。ところが、現在、胃がんの数は男女共に減少しています。カギを握るのは冷蔵庫です。冷蔵庫が普及する以前の日本の食品衛生状態は劣悪で、細菌、特にピロリ菌が付いた食べ物を食べることで慢性胃炎になり、胃がんにかかりやすい状況が生まれていたのです。

子宮頸がんについては、オーストラリアでは、がんの原因の1つとされるヒトパピローマウイルスに対するワクチンを国民全員に打っています。このワクチンで子宮頸がんはかなりの程度防ぐことができ、がん検診を組み合わせれば、子宮頸がんはほぼ撲滅できます。ところが、日本では、このワクチンは薬事未承認で、検診受診率も2割の状況です。そんな中でも日本で子宮頸がんによる死亡者の数が減少しているのは、お風呂が普及するようになったからです。米国では性病に指定されている子宮頸がんは、性交渉前にシャワーを浴びて清潔にすれば防ぐことができるのです。

現在の日本で増えているのは、男性では前立腺がん、女性では乳がんです。その背景にあるのが、肉です。実際、日本人の栄養素で増えているのは肉だけで、野菜の消費量は、1995年、米国に抜かれています。肉を食べればコレステロールが上がります。コレステロールが上がれば、男性ホルモン、女性ホルモンが上がり、結果として前立腺がんや乳がんが増えるという仕組みです。

このように、社会のあり方とがんはリンクしています。

がんについてよく知ろう

内戦やテロ、貧困や感染症、徴兵で命を落とすことのない平和な国、日本では、がんのみが死のイメージを持つようになっています。そうした中、核家族化が進み、子どもたちが日常生活で老いや死をみる機会が減り、死ぬというのがどういうことなのかがわからなくなれば、がんのこともわからなくなります。

ではどうすれば良いのでしょうか。今から大家族制に戻すことはできないとなれば、学校で教育するのが筋だと思います。しかし、日本では「保健」と「体育」が1つの教科として分類され、保健学を専攻していない体育の教師が保健を教えるというのが現状で、がん教育を学校で実施するのには困難が伴っています。

日本ではがん治療法として手術の人気が圧倒的に高く、放射線治療を受けるがん患者の割合は25%と非常に少なくなっています。この数字は米国だと66%、英国やドイツでも6割です。放射線治療といえば大変な治療と思われがちですが、実際は1回1分間横になるだけです。放射線で「焼く」といっても、患部の温度は2000分の1度上がるだけなので、熱さを感じることはまったくありません。

子宮頸がんでも、前立腺がんでも、多くのがんでは手術でも放射線治療でも治癒率は変わりません。放射線治療では入院の必要もありませんし(米国では放射線治療を受ける人の9割が外来)、費用も手術の半分から3分の1です。このように治癒率に変わりがなく、費用も抑えられるのなら、放射線治療を選択する人の方が多くなる筈です。しかし、たとえばII期の子宮頸がんに対して、日本では8割近くが手術を選択しています。欧米では8割が放射線治療を選択しています。こうした状況が日本で生まれるのは、患者ががん治療についてよく知らないからです。消費者である患者に知識がなければ、売り手(医師)のいうことに従うしかありません。今後は、消費者であるわれわれが、がんについて十分に知ることが重要となります。

痛みの問題

日本では、進行がんであることが判明し死亡するまでの時間は痛みと格闘する時間となっています。なぜでしょうか。痛みを取っていないからです。がんの痛みを取る方法はあります。医療用の麻薬です。日本の医療用麻薬の使用量は先進7カ国(米加独豪仏英日)の中で圧倒的に少なく、米国の20分の1です。日本人が極端に医療用麻薬を嫌う背景にはいろいろな誤解がありますが、1つに、命が短くなる、体に悪いと考えられていることがあります。しかし実際は、末期のすい臓がんの患者に対し、痛み止めと塩水をランダムに与え、どちらがより長生きしたのかをみたところ、痛み止めを使用した方がより長く生きています。痛みが抑えられた結果、寝たり食べたりすることができるようになったからです。これはある意味当然のことですが、この当然の考えがなかなか受け入れられずにいます。

そんな中、がん対策基本法に放射線治療や緩和ケアを重視する考えが盛り込まれたのは評価できる点だといえます。

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質疑応答

Q:

子宮頸がんのワクチンが日本で認可されないのは何故ですか。今後認可された場合、大人がワクチン接種して効き目はあるのでしょうか。

A:

子宮頸がんのワクチンは2009年9月に認可される予定です。これまで認可されなかったのは、簡単にいえば、日本という国が命に関心を持っていなかったからです。公共投資には多くの予算を割いても、医師の数や医療費は経済協力開発機構(OECD)諸国の中でも依然として極めて低い水準です。そもそものお金のかけ方が間違っているのです。

ワクチンの効き目に関しては、一般論としていえば、性交渉を持った後はウイルスに感染している可能性があり、感染してからワクチンを打っても意味はありません。やはり、現在の時勢からすれば、ワクチンを打つのに適した年齢は中学1~2年生だと思います。ただその場合、学校で生徒に対して、なぜワクチンを打つのかを説明する必要があります。ところが、日本の中学校の性教育では性交渉は扱っていません。これは大きな矛盾です。がんを学校で教える必要はないと考えるような日本の文化において、欧米の商品だけを取り入れるときに摩擦が生じるのは当然のことです。

Q:

日本でがん治療を進めるために、政策面、医療面で必要なことは何でしょうか。

A:

日本には、がん治療装置の開発に手出しができないようなムードがあります。原因はいろいろ考えられますが、一因としては、患者さんたちの間に「本来死ぬ筈でない自分が、がんで死ぬことが許せない」といったムードがあることが考えられます。命にかかわる治療装置であればある程、開発リスクが高まる問題です。人命を軽視するつもりはありませんが、命は限りあるものです。医療ミスはあってはならないものですが、同時に、完璧な医療など存在しません。こうした点を認めようとしない日本人の死生観が、この国で治験や新規の薬が少ないことに影響しているのではないでしょうか。そしてその根本にあるのが、社会のあり様であり、現代の社会においては、学校教育なのです。今の日本の学校では身体のこと、医療のことに関する教育が不十分です。ですので、学校教育を見直す必要があります。私自身、がんと死に関する副読本を中学校3年生全員に無償配布できないか考えているところです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。