東大広報見聞録 ~広報戦略なき戦略広報~

開催日 2009年5月12日
スピーカー 石川 淳 ((株) 電通 電通総研 研究企画室 ネットワーキング部 プランニング・ディレクター)
モデレータ 山田 正人 (RIETI総務副ディレクター)
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議事録

東京大学の多様な広報活動

石川 淳写真私は2004年の国立大学法人化に伴い新設された東京大学広報室に出向し、役員、教員(広報委員会)、職員(広報課)間をつなぐ作業を担当してきました。

約3万6000人の教職員学生を抱える東京大学は、制度広報、リスク対応広報、価値創造広報など多様な広報活動を展開しています。ただ、これら多様な広報活動に全学で一貫した戦略性があるとはいえません。広報の目的も、自己主張のための広報、情報開示のための広報、受験対策の広報、外国へのアピールなど、いろいろあり、広報媒体も、ホームページや『学内広報』といった自前媒体、オープンキャンパスといったイベント、記念事業など多種多様です。

広報室では初年度は毎週、2~3年度目はおおよそ2週間に1度のペースで開催されましたが、その中でたびたび、広報戦略を持つことの重要性を討議してきました。しかし、7つの広報活動重点項目はあり、それに沿った活動は展開されてはいたものの、広報戦略が策定されることはありませんでした。

たとえば私は、「世界の東京大学」を目指すのなら、資金も必要であるし(戦略目標「利益を稼ぐ。資金を獲得する」)、研究者や留学生を獲得するためのコミュニケーションも必要である(戦略目標「尊敬される。承認される」)と訴えてきましたが、採用はされませんでした。それならば実施中の7つの活動重点項目を細分化した広報活動を実施してはどうかと提案したのですが、これも採用されませんでした。

大きな組織には広報戦略が必要なはずなのにそれを定めずにいる、不思議な思いで過ごす中、2006年2月に大阪大学の広報担当者と会う機会がありました。そのときに「東京大学では全学広報戦略をどう作っているのか」という質問を受けました。私は「そのようなものは無い」と答えました。ところが大阪大学の広報担当者からは「いや、東京大学は極めて戦略的に広報をしているではないか」という反応が返ってきました。これは私にとっての最大の驚きでした。実際は戦略的に動いていないのに、外からは戦略的にみえたのです。

そこで私は「戦略的」広報ではなく「戦略的にみえる」広報とは何かを考えるようになりました。そうするうちに、東京大学の組織特性が垣間見えるようになりました。そこに、東大らしさや東京大学の本質、独特の性格をみいだすようになりました。

「戦略的にみえる」広報の7つの特徴

特徴1.露出の量が多いこと
新聞・雑誌やテレビへの露出が多いのは非常に重要なことです。たとえば、本日(2009年5月12日)の読売新聞だけでも、5人の東京大学関係者の露出があります。このように極めて多くの露出があること自体が「勝ち」を物語っています。しかしこれらは、それぞれの先生の独自の活動の結果であり、本部の広報がそれぞれの先生に働きかけた結果ではありません。

特徴2.目立つことをやる
東京大学の活動分野には、大きく分けて(1)教育・研究、(2)その他(大学運営、国際活動、社会連携など)があります。その中でいくつかの目立った活動をご紹介します。

(1) 教育・研究
a 東大主催の大学説明会
東京大学の入試広報活動は、2004年度までは極めて後ろ向きで、実質的には実施していないに等しい状況にありました。しかし中期目標で「入学者選抜に関する適切な情報を積極的に提供する」ことが定められてから、状況は一変し、2005年度から東大史上初の試みとして、受験生のためのパンフレットが作られることになりました。大学説明会も現在では全国7カ所で開催されるに至っています。東京大学が高校生や先生方に自分たちの大学の説明会をするということで、多くの新聞・雑誌にも取り上げられました。
b 入学後の柔軟な進学制度
要件に適合すれば、文科I、II、III類、理科I、II、III類から、いずれの学部へも進学できるように制度変更が行われました。これも多くの新聞・雑誌で取り上げられました。
c 学術俯瞰講義
学問の細分化が進む中で広い視野の知見を持たせるべく、教養課程の学生を対象に、各分野で先端をいく先生に講義をしてもらっています。これは小宮山宏前総長が総長就任当初から精力的に進めてきた取り組みです。第1回目の講義はノーベル賞を受賞した小柴昌俊特別栄誉教授が担当しました。学術俯瞰講義はiTunesで公開され、アクセス数トップを獲得したこともあります。
d 東大EMP(東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)
さまざまな分野での最先端の知識を自らのものとし、深い智慧や教養と実際的で柔軟な実行力を併せ持つ、高い総合能力を備えた人材を育成する、社会人向けのプログラムです。キーワードは「深い智慧」と「教養」で、これらはMBAのような実務型能力とは違うというのが東京大学の主張です。東京大学にはMBAコースがないとの指摘が以前からありましたが、それに対する回答がこのEMPです。

(2) その他(大学運営、国際活動、社会連携など)
a コミュニケーション・センターと東大ブランド商品
赤門の横で東大ブランド商品を売るコミュニケーション・センターは、単なる販売店ではなく、広報活動の一貫として設置されました。東京大学の開発した技術や産学連携などを通して、いろいろな商品が開発されていますが、それらの商品を陳列・販売することで、コミュニケーション、PRを図ることが同センターの趣旨です。
b プレジデンツ・カウンシル
世界の卓越した方々(タイの王女、インドのインフォシス名誉会長、英国のエコノミスト誌前編集長など)を多数メンバーに迎えて、東京大学が進むべき方向を話し合う場です。これら著名人の参加を得られる、大変恵まれた立場にあるのが東京大学です。
c 総長室総括委員会
1つひとつの独立した部局では実現できないプロジェクトを担当する、部局横断型の機構です。企業と連携した講座の設立も同機構の取り組みの1つです。
d 産学連携
産学連携本部が進める活動です。たとえば、Proprius21では、学内の知見を企業と連携して開発していく活動が実施されています。
e 個人的活躍
東大関係者は、本部の広報とは関係はなく、政府の委員会として活躍し、あるいは言論活動を展開してマスコミなどに多く露出しています。

特徴3.ぶれない「意思」
組織経営者として小宮山前総長は「知の構造化」や組織運営の考え方である「自律分散協調系」などの方針を持ち、総長就任前からの予告どおり、一貫して主張し続けました。彼は東大最強のPRパーソンとして東大の露出に寄与しました。

特徴4.巧みな危機管理
総務、人事、広報といった危機管理に関係する部署が連携しながら、不祥事などの問題発生時に情報を迅速に収集し、適切な対応をしています。

特徴5.適切、バランスが良い
情報の開示は早すぎてもいけませんし、遅すぎてもいけません。隠してもいけませんし、出しすぎてもいけません。このように、適切に情報を開示するのはとても難しいことです。

特徴6.コストを上手に使う
予算が少なくても露出が多ければ、コストパフォーマンスは高まります。

特徴7.統一感(VI visual identity)
東大マークをはじめ3つのマークを商標登録したほか、ホームページのデザインを2004年度のリニューアルで統一しました。ここまでは通常考えられるVIなのですが、いかにも東大らしい不思議なことがあります。校歌については、「東京大学の歌」はありますが、いわゆる校歌はありませんし、スクールカラーも「淡青」ですが、色みの統一規定はありません。この「あるようでない状態。かっちりとはしていないが、みんなで共有している意識」が非常に重要となります。

「戦略的にみえる」広報

「戦略的にみえる」広報の最も重要な特徴は、1つ目の「露出が多いこと」にあります。露出の量が多いのは、情報を出しているからです。情報が出るのは、出すべき情報を生産しているからです。出すべき情報は、良い活動をしなければ生産できません。

良い活動ができるのは、自律分散協調系である東京大学だからこそのことです。何パーセントの青といった、厳密な統一規定はないけれども、スクールカラーは大体こんな色だと、漠然と共有されている、つまり厳密すぎて自由度が無いのでもなく、かといってきまりはないというのでもない、各自の自覚的な規律意識、価値意識の中に本質が非言語的に共有されているからこそ、良い活動ができ、自律分散的に協調しながらの活動ができるのだと思います。そうした活動の結果、「戦略的にみえる」広報が実現しています。ですので、全学一貫の、いわゆる「戦略」は不要、大切なのは学内での本質の非言語的共有と、良き活動・実践に尽きるという訳です。

さて、「戦略的にみえる」広報が東京大学で可能となるのは、東京大学が高度にフラットな組織だからだと思います。フラットな組織は知的な生産をする組織に向いています。しかし組織が巨大になると、各活動の主体である部局の活発さと、大学全体との協調性の両立が必要となります。東京大学は、部局の独立性が高く、本部はその上位者として君臨するのではなく、部局の間に漂い、調整する機関という性格があります。あたかもアメリカ合衆国における州政府と連邦のような協調系を実現しています。

ピラミッド型組織であれば、上から下へと指揮命令系統にそって指令を流すのが一般ですが、東京大学はフラット組織ですから、一教授として総長へ気軽に相談に行ける東京大学では、上下の垂直距離が短くなっています。あくまでも上から下への指揮命令ではなく、水平に情報が行き来します。

東大の組織図では、総長が右下の端っこに表現されていますが、情報の流れを説明するために変形しますと、総長を中心に、総長室や事務組織、最外縁に部局が取り巻いている同心円の図に描きなおすことも出来ます。そうしますと、あたかも蜘蛛の巣のような経路で、情報の流れを考えることが出来ます。部局の独立性をたもちながら全学をつなぐには、総長を中心に蜘蛛の巣を介してつなぐコミュニケーションの強化が必要となります。

蜘蛛の巣は、強くできていて巣全体を支える縦糸と、粘りがあって獲物を捕る「仕事」をする横糸でできていますが、東京大学は、部局において教育と研究という「仕事」をする横糸が大変強い組織です。逆に、縦糸は弱い。ですので、情報をきちんと流すには縦糸を強化する必要があります。そのためには、「遠心」と「求心」の両方向のコミュニケーションが必要です。

そこで、東京大学では、プロの編集者を呼ぶなどして『学内広報』を充実させたり、ホームページをリニューアルしたりする対策を2004年度から講じています。同時に、コミュニケーションを担当する広報職員も国立大学法人化当初より増やしています。これにより、学内の「遠心」と「求心」の両方向のコミュニケーションを強化しています。

余談ながら、東大は各部局の高い自律性を活かした知的生産を行っていますが、そうしたフラット組織の良さを、ピラミッド型の巨大な企業が子会社を設立する際に参考に出来るのではないかと考えています。すなわち、子会社を親会社の支配下において企業グループとして強い結束を求めるよりも、対等の取引先として位置づけて、ヴァリューチェーンを良好にしていく工夫をしてはどうかと思います。

私の「東京大学の広報」観

130年の歴史を持ち、豊富な広報素材を持つ東京大学は、国内では盤石です。広報戦略も不要です。

一方、世界に目を向けるとどうでしょうか。東京大学の世界ランキングは2004年12位、2008年19位(THES。英国)ですが、特に研究者同士の評価であるピアレビューの項目が高く、上位(2004年7位)を占めています。このことからも分かる通り、東京大学は外国でも尊重されています。

しかしながら、留学生の獲得で東京大学は欧米の大学相手に苦戦しています。課題は国際広報にあります。確かに国内では広報戦略不要の東京大学ですが、国際広報では、戦略は必要です。この点で、今後東京大学がどのような国際広報を展開していくのか、期待と注目をしているところです。

BBLセミナー写真

質疑応答

Q:

本質を非言語的に共有するとは具体的にどういうことでしょうか。

A:

端的な例としては、スクールカラーの淡青があります。通常、コーポレートカラーを作る場合は、「青がX%、赤がY%」といったように色味が確実にぶれないようにします。これは、本質の言語的共有とも理解できます。

『学内広報』をリニューアルしたとき、学内の先生から「これが淡青なのか」という質問をいただきました。この先生にとっては、もう少し緑がかった色が淡青だったからです。ですが、「先生の思い描いておられる色も淡青ですし、『学内広報』の表紙の色も淡青です」と回答すると了解されました。これで了解されるのが東京大学の不思議なところです。通常の企業なら、「そこまでいうのなら、青X%、黄色Y%を決めろ」といわれかねない。ところが東京大学では「それも淡青、これも淡青」が通じてしまいます。スクールカラーは単純な例ですが、「大学、学術はいかにあるべきか」といった理念面でも、東京大学憲章ができた2003年までは、いわば憲法なきままに運営されてきました。それが、東京大学です。

Q:

世界の有名大学の広報戦略と比較して、東京大学の国際広報戦略にはどのような特徴がありますか。また、国際広報活動では何を目指すのでしょうか。

A:

2004年度の時点でハーバード大学やカリフォルニア大学バークレー校のホームページはすばらしく良くできていました。そこで東京大学でもホームページをリニューアルすることにしました。また、法人化に伴い、ヒト・モノ・カネ・情報のリソースが必要となります。米国の大学では、欧州やアジアに代表所を持ち、そこを通して学生・研究者を吸引しています。そこで、東京大学でも北京やソウルなどに代表所を設置し、学生・研究者を刈り取る活動を始めています。また、良き活動を適切に表示する努力も続けています。広報の対象となる実態作りにも取り組んでいます。

私は「世界の東京大学」を実現するには、広報室の戦略目標として、無形価値(「尊敬される。承認される」)と、お金をはじめとする資源(「利益を稼ぐ。資金を獲得する」)を2本柱で追求する必要があると考えます。このうち、広報部門が担うのは主に前者、無形価値の追求ですが、いかに尊敬され、承認されるのかを考える以前に、まずはTodaiを知ってもらうことを目指す必要があります。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。