アメリカ2008年農業法-議会の立場と政権の立場-

開催日 2009年5月8日
スピーカー 服部 信司 ((財) 日本農業研究所客員研究員)
コメンテータ・モデレータ 川瀬 剛志 (RIETIファカルティフェロー/上智大学法学部教授)
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議事録

米国農政の基本的考え方

服部 信司写真米国で昨年6月に成立した2008年農業法(以下、2008年法)は、これまでの基本的政策を維持した上で、高騰した穀物価格を収入保障に結びつけようとした点が特徴となっています。また、当時のブッシュ大統領が拒否権を発動した後に3分の2以上の議会支持を得て成立した経緯から、議会とその背後にある農業団体と政権との間に基本的な立場の違いがあったことが伺われます。

2008年法を策定するに当たって、米政府は国内農政を世界貿易機関(WTO)協定に整合する内容に変える必要があるとの立場でした。それに対して議会・農業団体はWTO協定との整合性について非常に冷淡で、むしろ現状維持を重視する立場でした。つまり、2002年農業法の骨格をなす「固定支払い」、「不足払い(CCP)」、「融資不足払い」を維持すべきとしていました。元々は目標価格分の収入を生産者に保証する「不足払い」が基本となっていましたが、1996年農業法によって「固定支払い」が導入され、さらに生産者の販売価格を目標価格の3分の2くらいの水準(融資単価)で維持するために政府が買い支える仕組みができていました。仮に、市場価格が融資単価を下回るようなことがあると、その分を「融資不足払い」で補填する構造となっています。この3つの補填支払いが米国農政の「三本柱」といわれています。

WTO裁定と米国の補助金制度

米政府がWTO協定との整合性を重視する立場をとった背景には、2005年3月の綿花補助金についてのWTO裁定があります。米国の綿花補助金がWTO協定に違反しているとしてブラジルが提訴したところ、WTOパネルはその提訴をほぼ全面的に認める裁定を下しました。

米国産綿花は国際価格に比べて7~8割高いのですが、米政府は内外価格差分を補填する補助金(綿花ステップ2支払い)を通じて、輸出競争力を高めて綿花輸出を拡大し、同時に国内加工業者の国産綿花使用を促してきました。これが「禁止された補助金」だと判断されたのです。

さらに輸出穀作につけられている輸出信用保証があります。米国の穀作物輸出業者は、資金力の乏しい発展途上国に対して数年後の支払いを条件とする「信用売り」をし、信用売りした価額を担保に銀行から融資を受けますが、そのローンに対して農務省が保証をしています。この輸出信用保証を得るための手数料が農業法によって1%以内と非常に低い水準に抑えられています(通常のレートは2~3%)。この手数料の差が輸出補助金に当たるとして、これも「禁止された補助金」であるとの裁定が下されました。

以上の2つの補助金制度は、2005年7月1日までに廃止すべきとの裁定が下されました。

また、固定支払いも問題とされ、「緑の生産」から保護削減対象の「黄の政策」とされました。ウルグアイ・ラウンドにおいて、農業の国内政策が「緑の政策」、「青の政策」、「黄色の政策」の3つに分類されました。そのうち、WTOが推奨する「緑の政策」に伴う補助金は削減不要とされていますが、これは価格や生産量、生産タイプに関係しないことが条件となっています。ところが、米国は1996年農業法によって生産調整を廃止し作付けを自由化しましたが、穀物・綿花の作付面積に野菜や果樹を植えてはならないという制約が残っています。そのような生産タイプを前提とした固定支払いが米国では「緑の政策」として導入されていますが、WTOはこれを「緑の政策」の要件に合っていないから「黄色の政策」とし、財政支出などを削減すべきという裁定を下しました。

さらに、先述の「不足払い」、「価格支持」、「融資不足払い」については、いずれも価格に依存した補助金政策であるため、そのマイナス効果(国際綿花価格の押し下げなど)を除去するか補助金を廃止すべきだとの裁定が下されました。仮に提訴が同様の政策がとられている小麦・トウモロコシ・大豆などにおよべば大変なことになる、そうした事態を避けるために米国農政をWTO協定と整合的なものにする必要がある――これが、ブッシュ政権の考え方でした。

WTO協定に整合的にするとは何を意味するのか。1つは、「黄色の政策」といわれる価格に依存する補助金政策(不足払い、価格支持、融資不足払い)を廃止して固定支払いなどの「緑の政策」に切り替えるか、あるいは「黄色の政策」への支出水準を減らす代わりに「緑の政策」への支出水準を引き上げるかのいずれかをとることです。

2008年農業法を策定するにあたって、米政府は後者を提案しましたが、議会はそれをまったく考慮せず、従来の農政三本柱を維持した上で、小麦・大豆の目標価格と融資単価の水準を引き上げる政策を導入しました。その上で、なおかつ、高騰する穀物価格を基準にする収入保障を新たに導入したのです。

2008年農業法の特徴

新たな収入保障政策である「平均作物収入・選択支払い(ACRE)」は、先述の「不足払い」に代わるオプションとして導入されました。その一番の問題は、高騰した価格を収入基準に設定した点です。2005年と比べますと、ピーク時だった2008年8月時点でトウモロコシは2.6倍、小麦は3倍、大豆は2倍に高騰しています。金融危機でいくらか下がりましたが、今なお上昇前の2倍に近い相当な高水準で推移しています。ACREは、2年間の全国平均価格の90%の数値が基準となりますが、2008年の価格と2009年の推定価格をもとに試算すると従来の目標価格の1.5倍になることがわかります。つまり、旧来の5割増の価格で収入を保障する政策を導入したことを意味します。

政策によって収入・所得を維持する考え方は、2002年農業法を境に前面に出てくるようになりました。2008年農業法も同じ基本的考え方によって策定されています。しかも、2008年法は生産費を基準とした所得維持だけでなく、生産費をはるかに超える水準で収入を保障する政策を導入した点が特徴となっています。

議会と政府との間で大きな対立があったもう1つの点が「直接支払い」の受給資格です。固定払いや不足払いなどの直接支払いの受給資格者は、それまで課税所得250万ドル以下の者に限定されていましたが、250万ドル以上(1ドル100円のレートで2億5000万円)の課税所得を得る穀作物農家は全国で十数人程度と見られ、実際はあってないような制限となっていました。政府は受給資格を課税所得20万ドル以下に厳格化することを提案しましたが、議会が反対した結果、最終的には固定支払いを農業課税所得75万ドル以下、すべての直接支払いを農外課税所得50万ドル以下の農家に制限することになりました。仮に20万ドル案が実現していればかなり意味のある制限になったと思われますが、議会が決定した農業課税所得75万ドル・農外課税所得50万ドルはごく一部の農家にしか相当せず、受給資格の厳格化は名目に終わった印象です。

ただ、環境保全政策の拡充に関しては、議会と政府の間に対立はなく、今後5年間で77億ドルの予算増が決定しました。その中心をなすのが、「保全保障計画(CSP)」(2008年法以降は「保全励行計画」と呼ばれる)に基づく、環境に資する農法を行っている農地に対する支払いです。その対象となる農地面積が毎年1300万エーカー(530万ヘクタール)ずつ拡大していきます。

WTO綿花パネル裁定を受けた対応

先述のWTO綿花パネルの裁定を受けて、米農務省は2005年6月30日、長期(3年以上)の信用保証を廃止し、短中期(6カ月以上3年未満)の信用保証についてもカントリーリスクを考慮した手数料にすることを表明しました。さらに、2006年8月には、国産綿花を用いる加工業者と国産綿花の輸出業者に対する内外価格差分の補助金を廃止しました。

2008年農業法において、輸出信用保証の手数料に関する「1%未満規定」が正式に撤廃されました。さらに6カ月以上の中期信用保証も廃止されたことから、輸出信用保証に関するWTO裁定に対しては、2008年農業法は全面的な整合性を図ったといえます。

また、野菜・果樹についての作付制約が、固定支払を「緑の政策」とする要件に反するとの裁定を受け、米政府は野菜・果樹を含む作付の全面自由化を提案しましたが、議会(08年農業法)は7.5万エーカーに限って全面自由化するパイロット計画を認めるだけに留まり、作付全面自由化は見送られることとなりました。

このように議会がWTO裁定に応える措置をあえてとらなかった背景には、綿花案件が「遵守パネル」において紛争中だったことがあります。「綿花ステップ2」支払いや長期輸出信用保証の廃止といった政策変更のほか、国際綿花価格の上昇など、ブラジルが提訴した2003年と比べて大きな変化があったことを踏まえ、米国は同件に関する「遵守パネル」の設置を要求し、そこで2003年以降の米国農政がWTO協定に整合していると主張しました。そのように綿花案件が係争中であることを踏まえ、簡単にはパネルの裁定に従わないという米議会としての意志表示をしたものと考えられます。

しかし、係争中だった「遵守パネル」でも、2008年6月にブラジルの訴えを全面的に認める最終裁定が下され、「2003年以降の綿花政策も世界市場の価格を抑制し続けている」と認定されました。その結果、価格に依存する補助政策のマイナス効果を除去、あるいは制度自体を撤廃する必要があると、改めて勧告されました。ブラジルはこれをもとに、40億ドルの補償を求める仲裁パネルを要請しています。

以上のように、2008年法は本来の課題であった「米国農政をWTO裁定に整合する内容に変える」という基本課題を先送りする内容となっていますが、「遵守パネル」の裁定によってそれに対する風向きが一層厳しくなっています。

オバマ政権下の農政とWTO対策

そうした中で発足したオバマ政権の農政には、主に2つの要素があります。

その1つがエタノール政策です。オバマ政権は、「グリーン・ニューディール」の一環として、ブッシュ大統領のエタノール政策を継続する立場でいます。エタノ-ル政策の中で、「再生燃料使用基準量」(義務量)として、相当量のエタノール使用が義務化されていますが、これを維持するとしています。しかしこれがトウモロコシ価格を下支えする形となっています。エタノール生産に用いられたトウモロコシは、2008年で9400万トン、米国の全生産量の31%に上ります。これが2015年には1億6000万トン、全生産量の半分近くに跳ね上がる見通しです。これが穀物価格高止まりの要因となっています。

もう1つの要素が、今年3月に政府予算案として提出された、年販売額50万ドル以上の農場に対する固定支払いの段階的廃止です。相当な影響が見込まれる故に原案での成立は困難と思われますが、何らかの形で農業予算の削減につながると思われます。

また、昨年から停滞しているWTO交渉に関しても、何らかの条件付きで進める政策決定がなされると見ています。

コメント

川瀬 剛志写真コメンテータ:
WTOの綿花紛争に関しては、「譲許停止」つまり対抗措置の額を決める仲裁プロセスが今年4月に始まっています。それに対して、全米綿花評議会(NCC)は「遵守パネル」の再度設置要請を主張しています。このように、違反とされた側が履行確認判決を求めるやり方は、WTOの訴訟手続き的にいうと非常にイレギュラーですが、先例ではその可能性は否定されていません。現時点では、オバマ政権はこの件に関してまだ立場を明確にしていません。

他の穀物への影響も既に現実化しています。米国のトウモロコシと小麦をターゲットに、カナダとブラジルが別パネルの設置を要求し、認められています(WTOの紛争解決番号DS357とDS365)。パネル設置から既に1年半が経過していますが、パネリストの顔ぶれは未定です。このことは、申立国が綿花裁定を受けた米国の対応を見極めているように思われます。また、多くの国が利害関係のある第三国として訴訟参加をしていることも、これらの国が潜在的に米国を訴える可能性があるという意味で、米政府には圧力になるでしょう。

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質疑応答

Q:

価格支持制度の背景には、1929年の世界恐慌が農家の没落によってさらに悪化したという歴史的事実があるように見受けます。一方、米国の農家だけが利益を享受するような政策も世界経済危機に拍車をかけると思われます。そうした観点から、2008年農業法と今回の経済危機との関係、それから今後の見通しについてはどうお考えでしょうか。

A:

今回、農作物に関しては、価格の下落幅が原油など比べてはるかに小さく、今なお価格上昇前の倍近い水準で推移しています。そのため、農産物価格が7割近く暴落した1929年恐慌とは状況がまったく違うと思われます。今回の特異点として、バイオ燃料政策の存在が挙げられます。むしろ今回の経済危機においては、農業が最も影響が少ない分野となっています。

生産費を基準とした所得保証には妥当性がありますが、今回の2008年農業法では保証の仕方(高騰した価格を基準としていること)が問題だと思います。実際にWTOも一定の保護政策は認めています。ただ、方法として、価格を支える方式から直接支払いによって生産費と市場価格の差額を補填する方式への転換を推奨してきましたし、さらに、生産量や価格に関係しない直接支払を「緑の政策」として推奨しています。

Q:

米国のバイオ燃料生産が拡大する中、年間1600万トンのトウモロコシを輸入する日本は、今後いかにして安定した輸入量が確保できるでしょうか。

A:

その点については非常に危惧しています。トウモロコシ価格が相当に上昇している現在の状況が今後も続くと予想されますが、仮にそれが不作と重なると食料危機の再来も懸念されます。できれば、再生燃料使用基準量を2009年ないし2010年時点の水準に凍結するのがベストです。そうした議論は米国内にもありますが、グリーン・ニューディールを前提とするオバマ政権がそれを容易に認めるとは思われません。しかし、仮に価格がさらに上昇する局面となれば、見直しを検討すべきです。これは日本だけでなく、世界全体、そして米国自体にとっても非常に重要です。原油価格との関係で、いわば市場メカニズムによってエタノール使用量が拡大するのは妥当ですが、一定量の使用を義務付けるやり方は問題があると考えます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。