観光学部の設置とその概要

開催日 2009年4月28日
スピーカー 小田 章 (国立大学法人和歌山大学学長)
モデレータ 岸本 吉生 (経済産業省中小企業庁経営支援課長)
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議事録

観光学部ができるまで

小田 章写真和歌山大学の観光学部設置がスタートしたのは平成16年5月末。もともとは、平成14年8月に自分が学長に就任した折に議員の方々へ挨拶に回ったところ、衆議院議員の二階先生や参議院議員の鶴保先生等が開口一番「和歌山大学に観光学部を作らないか」と提案されたのが事の始まりです。それから1年後、法人化を間近に控えた平成15年に、運営費交付金が大幅に減らされるとの話もあって、観光学部構想が再燃しました。和歌山大学は教育学部と経済学部とシステム工学部の3学部からなる複合大学ですが、国立大学の統廃合が予想される中、学部を新たに作って生き残りのための基盤強化を図る考えでいました。ちょうどその時に「観光学部」の話が持ち上がったのです。

話は少しそれますが、学長になってからの新たな試みとして、1~2カ月に1回のペースで定例記者会見を開催し、大学の情報をすべてマスコミに開示するようにしています。その結果、和歌山大学に関して毎年500件程度の新聞記事が出るようになりました。和歌山大学だけでなく、和歌山県にとっても大きなプラスとなっていると確信しています。和歌山大学の存在が全国に知られることは、「和歌山」という地名を多くの人に知ってもらうことにつながるからです。

さて観光学部の設置には学内の反対も予想されましたので、一計を案じ平成16年に、定例記者会見の場を利用して、観光学部設置の案を「私見」として発信しました。その翌日、各メディアが「和歌山大学学長、観光学部構想を語る――」という内容の記事を出したところ、外部から大きな賛同を得ました。平成16年7月2日に紀伊山地の霊場と参詣道が国内13番目の世界文化遺産に登録されましたが、ちょうどその直前だったことも背景にあります。当時の和歌山県知事が「観光立県」を政策に掲げていたこともあり、行政・経済界をあげて構想に賛成していただきました。

そうして、7月20日に文部科学省との交渉が始まり、その4年後に学部創設に至りました。

まず、平成19年に経済学部の下に観光学科(定員80名、教員16名)を作り、その後平成20年に観光学部(定員110名、教員26名)として独立させました。

学部新設の裏にある「法人化」と「地域再生」

観光学部を作ろうとした背景には、先述のように、大学の基盤強化を図る考えがありました。和歌山大学は教育学部が1872年、経済学部が1922年にその礎をもつように、非常に伝統のある大学であり、そういう歴史を守っていかねばという意識がありました。和歌山県に高等教育機関が非常に少ないことも学部新設を後押ししました。実をいえばもっと早くから学部の増設を考えるべきでしたが、学部間の綱引きもあって、そうした動きが停滞していました。平成7年にシステム工学部ができ、平成20年に観光学部ができたことで和歌山大学もそれなりに発展できたと考えています。

さらには、地域再生という目的意識もありました。都市部と地方の格差拡大が言われていますが、特に和歌山県では人口減少と同時に高齢化が全国一のペースで進行しています。しかし、私自身は高齢化の進展をそれ程悲観視する必要は無いと考えます。むしろ、高齢化社会を上手く活かす逆転の発想、プラス思考が必要ではないかと。元気な高齢者の経験や知恵を活かすことが、活気ある高齢化社会の実現につながると常々考えています。

地域インターンシップ計画(RIP)の試み

以上の観点から、観光学部の創設に合わせて「地域インターンシップ計画(=RIP:Regional Internship Plan)」を導入することを考えました。RIPは学生が地域に入り込んで地元の人々と話し合い、地域資源の開発を促しながら、地域再生のビジネスモデルを構築することを目指しています。

観光資源の開発には、「今あるものをどうするか」だけでなく、「日常を非日常に変えていく」、つまり日常のものから商品となるものを掘り起こす作業が必要となります。また、高齢者は多くの経験や知恵を持っておられます。昔の和歌山にはどのようなものがあったか、個々の家庭で何を食べ、着ていたか、どのような生活様式が根付いていたか、周辺にはどのような風景が広がっていたかなどをすべて思い出していただくと、100年ぐらい前の地域の生の姿が浮かび上がってきます。それを地域の観光資源にしていく考えです。今では和歌山もかなり都会化していますので、大阪と殆ど区別が付かないとなると誰もわざわざ和歌山には来たいとは思わないでしょう。したがって、大阪や京都や東京には無いものを高齢者の知恵を借りながら探りださなければいけない。RIPを通じて、そうした作業を学生と一緒にやっていく考えです。

和歌山に限らず、地方には多くの資源が眠っています。和歌山は何といっても農林水産など第一次産業が中心の県です。それを大事にして、そこにある資源を掘り起こしていくことが最も重要と考えています。その1つとして発掘しているのが、和歌山の民謡です。「花街の母」で知られる作詞家で、本学観光学部の客員教授をして頂いているもず唱平さんが和歌山県串本町に泊まり込まれ、「串本節」などの地元の民謡に関する実態調査をされたところ、今年初めから現時点までで既に700点近くの民謡があることが判明しています。これは立派な観光資源となります。逆に、このような掘り起こしをしていかなくては、観光立県は掛け声倒れに終わります。

Visit Japanを成功させるには?

一方、日本の国土交通省は、外国からの観光客を誘致する「Visit Japan」構想を推進しています。そこで問題となるのが「日本の何を売り出すか」ですが、実は米国人、欧州人そしてアジア人とでは要求や嗜好が違う印象です。たとえば、欧州からの観光客は、歴史ある町並みや建造物、自然の景観を特に喜びます。そうした嗜好の違いも理解しないと、外国から観光客を誘致することは至難の業と思います。

自然は和歌山にも豊富にあり、特に高野山には多くのフランス人をはじめヨーロッパの人が来ています。参詣道やそこにある宗教性、神秘性に惹かれると彼らは言います。「Visit Japan」を推進する上でも、こうした要素を考慮していく視点が必要となります。

日本は戦後、右肩上がりの経済成長で豊かさを実現しました。しかし、その過程において、戦前の「残す文化」、「守る文化」に代わって、「消費は美徳である」という思想に基づく「捨てる文化」、「壊す文化」が浸透するようになりました。その結果、我々は非常に豊かになりましたが、ここにきて「守る文化」、「残す文化」に再転換する必要が出てきたと認識しています。その試みの1つが、地方に多く残っている古民家を再生すること。国土交通省の観光大使を務めるアレックス・カー氏は、徳島の祖谷地方と京都の北山の古民家を購入、再生して、外国人の宿泊先として提供していますが、外国からの観光客で年中一杯と聞きます。外国の人は日本的なものに非常に郷愁ないし憧れを持っているわけです。特に地方では、古民家を宿泊施設として再生する試みを官民が一緒になってする必要があると考えます。また、欧州では多くの古城がホテルとして使われていますが、日本でお城がホテルになっている例は聞いたことがありません。規制があるからだと思いますが、お城をホテルにする案も有効だと思います。新しいものを追い求めながら、古いものを活かす発想をしていく。これが外国人を取り込む鍵だと思います。

このようなことを、RIPを通じて学生に挑戦してもらおうとしています。そうして学んだことを地元に持ち帰って、それぞれの地域の活性化・再生の担い手になっていただきたい。これが観光学部・地域再生学科の目指す「地域プランナー」人材の育成です。

日本を世界に「発信」する

観光学部のもう1つの取り組みが、グローバル化を見据えた語学力強化です。特に英語に関しては、「エクステンション講座」を設けて学部の正課の授業でカバーしきれないコミュニケーションや資格取得の勉強をさせています。現在の3年生80人のうち1割、8~10人は特別研修無しに海外の大学に留学できるレベルに達しています。観光を促進するには、日本を「宣伝」する必要がありますが、それも外国のさまざまな場で行うことが重要です。そこで日本の姿をきちんと説明できるよう、「伝える力」の手段として英語教育に力を入れています。

また、海外に日本を伝える上では、英語を習得すると同時に、日本の文化を十分に理解する必要があります。そのため、観光学部では、着物文化論、華道論、茶道論、日本伝統芸能論、日本語作法論に関する7つの講座がすべて必修となっています。観光学部を卒業した後は、国内の大手鉄道・旅行会社などに勤めるのも良いですが、私はむしろ世界に目を向けてほしいと考えています。たとえば、日本の大学で日本の文化、伝統、歴史を習得した人材が国連やユネスコなど国際機関に入ることで日本文化の伝道者になることが、国の掲げる「Visit Japan」構想を成功させる1つの道と考えています。

諸外国からの日本への訪問者を増やすために、日本を正しく伝える「口コミ」宣伝を実現し、日本の姿をきちんと伝えることができる人材を育成する観点から、観光学部の下で英語教育の強化や文化プログラムの履修をすすめています。

「観光」を新たな学問領域に

観光学部ではもちろん観光理論も勉強します。しかし、日本の観光学は世界と比べて20~30年遅れています。我が国の観光学が世界で相手にされない理由の1つに英語の論文が無いことが挙げられますが、そうした状況を改善するため、観光学部では論文をすべて英語で書いて世界に発信するようにしています。

そうした地道なプロセスの中で、世界に伍するような日本型観光学たるものを創造していく必要があります。かつて「情報」や「環境」が情報学、環境学という学問が確立したことで明確に認識され市民権を得たように、「観光」も学問の対象となり、「観光学」として確立しない限り、本当の意味での観光の現象が多くの人たちに理解されることはないと考えています。和歌山大学としては、日本型観光学を構築しながら、今後10年間で米国など観光先進国の大学と対等に議論できる学部とすることで、観光を情報、環境、福祉、健康に次ぐ新たな学問領域にしていきたいと考えています。

BBLセミナー写真

質疑応答

Q:

長い歴史がある経済学や経営学と違い、観光学部・学科では専門の教員が非常に少ないことが最大の課題となっています。今後の教員育成についてはどうお考えでしょうか。

A:

日本は観光学に関して後進国ですので、本当の意味で観光学を勉強した教員は少ないと思います。本学でも、観光学を若い時から本格的に勉強したのは26人の教員のうち1~2名程度です。学生に教える前に教員からして欧米の研究を勉強する必要がありますが、そうして教員と学生が共に学ぶことで、10年後には観光のプロフェッショナルが1人でも2人でも多くなればと考えています。

Q:

茶道などの「道」に体現される「おもてなし」と「ホスピタリティ」との違いは何でしょうか。

A:

一言でいうと、これは文化の違いです。日本でもホスピタリティが盛んに言われるようになりましたが、それはあくまでも米国から輸入された概念です。一方、「おもてなし」は日本で昔から当たり前のように行われていますので、その言葉を用いた方が日本型観光学の姿が上手く伝わると思います。米国など諸外国と共通するところは共通化しても良いのですが、日本独自のものは、その普遍的な部分をきちんと踏まえた上で、1つの学問体系を創出していく必要があると考えています。そういう意味で、「おもてなし」の精神は観光と基本的なところでつながっていますし、また、米国の「ホスピタリティ」との差別化を図れる点であると考えています。

ただ、「ホスピタリティ論」の講義はありますが、「おもてなし論」の講義はありません。その代わり、文化教養特別プログラム(着物文化、茶道、華道など)の中で、学生に「おもてなし」の精神を植え付ける試みをしています。とはいえ、「おもてなし」の精神は、いわば文化的DNAとして、どの日本人にも多かれ少なかれ備わっていると思います。

それに少し関連しますが、本学では週1日、学部生全員に着物で当校させる案がありました。仮に実現していれば、メディアの注目を浴びることで地域活性化にもなりますし、着物を中心とした産業の発展や誘客にもつながります。また、そのついでに「和歌山ラーメン」の屋台を30店程作ることを提案しました。和歌山には美味しいものが豊富にありますが、その口コミの呼び水として「着物学生」を動員しようと考えたのです。未だに実現していませんが、そのように「いかに県外の人に来てもらうか」を考えることが地域再生の鍵であり、観光学部ないしRIPの主旨となっています。

Q:

地域再生を実現する上では、お年寄りの知恵と若者のアイデアをマッチングさせる必要がありますが、その点についてはいかがでしょうか。

A:

今年8、9月からRIPがスタートします。今でも観光学部や経済学部の学生が地域にもぐりこんでいますが、和歌山県の一地域だけでなく、県下30の自治体すべてを対象にすることを最終目標としています。そこで若い学生が高齢者と交流する中で、観光資源を探るだけでなく、家族のあり方を含めた人間の生き方を学ぶ一方で、高齢者も若者から元気を得るといった相乗効果が出てくれば、RIP大作戦は成功といえます。観光がメインではありますが、観光学部において社会を活性化する人材を育てることができればと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。