中国の通貨政策とアジア通貨バスケット

開催日 2007年11月16日
スピーカー 伊藤 隆敏 (RIETIファカルティフェロー/東京大学大学院経済学研究科(兼)東京大学公共政策大学院教授)
モデレータ 尾崎 雅彦 (RIETI研究コーディネーター)

議事録

アジア通貨の展望

中国の人民元改革が実施される前の2004年1月から改革が実施された2005年7月までの1年半の期間、アジア通貨が対米国ドルでどう動いたかをみてみると、韓国ウォンが2004年秋から2005年7月にかけて20%程度大幅に増価しています(2004年1月=100)。インドネシアルピアはインフレや政局不安の影響で15%程度減価しています。シンガポールドル、フィリピンペソ、タイバーツには概ね大きな変動はありませんでした。

改革後の各国通貨の動きを2007年10月3日までみてみると、タイバーツの価値が最も大きく上がっています。タイバーツの次に大きく増価したのがフィピリンペソで、韓国ウォン、シンガポールドルがこれに続く格好です。一方、増価率が最も低いのが中国人民元とインドネシアルピアで(中国人民元は対アジア通貨ではむしろ減価)、中国人民元は年率5%程度のゆるやかな上昇となっていることからもクローリングペグ制に近いものになっているとの印象が持たれます。

中国人民元が増価すればアジア通貨も増価するとの新聞論調もありますが、実際は、極端にいえば、アジア通貨が対米国ドルで増価する中で中国人民元は一番低いフロアを決めていたと解釈することもできます。あるいはこの2年の間では、中国人民元がアジア通貨の足を引っ張っているとみることもできます。

中国人民元改革の影響やいかに

中国は2005年7月21日、人民元をオーバーナイトで2%増価し、当日の終値を翌日のセントラルレートとして、1日の上下幅を0.3%とすると発表しました。いわゆる中国人民元の改革です。上限0.3%で張り付いていくと、10日で3%の増価となる訳で、当初はこれは大改革だとの見方が広がりましたが、実際は許された幅を遙かに下回る範囲でしか動けず、1年かけて5%上がるのが現実となりました。

また、中国は通貨バスケットを参照しながら人民元の柔軟性を高めると宣言しています。しかしバスケットがどういった構成になっているのかも、「参照しながら」や「柔軟性」が何を意味するのかも、定義されていません。シンガポールが採用するような真の通貨バスケット制とは程遠いのが現状のようです。

計量経済学的検証

Frankel and Wei型の回帰分析で、中国人民元の通貨バスケットにおける米国ドル、日本円、ユーロのウェートを推計してみました。推計期間は以下の通りです。

ALL=全期間(2004年1月2日~2007年10月3日)
PRE=改革前(2004年7月1日~2005年6月30日)
POST-1=改革を含む月からの1年間(2005年7月1日~2006年6月30日)
POST-2=改革後2年目の1年間(2006年7月3日~2007年6月29日)

POST-1では米国ドルのウェートが94%、日本円のウェートが6%弱になっています。ユーロは統計的に有意ではありませんでした。POST-2では、日本円のウェートが小さくなり、統計的に有意でなくなるので、中国人民元は実質的にドルペグ制に戻ったと解釈できます。

このような結果からも、中国人民元は改革されたとはいえ、日々の変動をみる限り、実質的にはドルペッグとなっていることがわかります。

通貨バスケットの仕組み

ではバスケット通貨とは実際にはどういうものなのでしょうか。中国人民元の通貨バスケットにおける各通貨のウェートを推計したのと同じ式でシンガポールドルの通貨バスケットをみてみると、2004~2006年は、大雑把に、米国ドルのウェートが6割弱、日本円が2~3割程度、ユーロが2~3割となっています。2006~2007年では円のウェートが大きく下がり、ユーロが上がっています。同じような式でタイバーツ、フィリピンペソ、マレーシアリンギット、韓国ウォン、インドネシアルピアを推計した結果、アジア通貨では概ね米国ドルのウェートが高く、8~9割であることが明らかになりました。

シンガポールドル、タイバーツ、韓国ウォン、それから最近のマレーシアリンギット、インドネシアルピア等はバスケット通貨、中国人民元、フィリピンペソ、2006年までのマレーシアリンギットやインドネシアルピアはどちらかといえばドルペッグ通貨に近いようです。

コーディネーションフェイリアを克服するには

米国ドル、日本円、ユーロの加重平均にアジア通貨がついていくバスケットではなく、円も中に入れた通貨バスケットこそがアジアで望ましいバスケットだというのが、われわれの考えです(『東アジア通貨バスケットの経済分析』(東洋経済出版社、2007年))。そこでは、アジア地域が今後、欧州地域のようになるとの前提に立っています。

アジア通貨危機の1つの原因はドルペッグにあったというのが学界での定説になっています。貿易でみた米国経済の重みは3割程度であるにも関わらず、米国ドルが下がればアジア通貨も下がり、対ユーロ等、非ドル圏の通貨に対する競争力が下がるという問題もあります。こうした問題を背景に、われわれは、貿易ウェート(インフレ調整済)の加重平均である通貨価値――いわゆる実質・実効為替レート――が安定的に動くように経済運営すれば、少なくとも貿易面での安定につながると考え、アジアでのバスケット通貨(AMU=Asian Monetary Unit)を提案するにいたった訳です。通貨危機の再来を回避する意味でも為替レートレジームにはなるべく柔軟性を持たせ、かつ、指針を持たせるのだとすれば、バスケット価値を指針として運営すべきというのが、われわれの従来の主張です。

AMUはアジア域内での各国競争力の変化をみるのに適したインデックスです。アジアでの貿易の5割が域内貿易である状況では、アジア全体で一緒に上がったり下がったりしている限り、域内の他の国の動きから影響は受けない筈です。そこで、政策も対米国ドルではなく対アジア通貨で考え、自国通貨がAMUからどれくらい乖離しているのかを把握すれば良いのではないかというのが、われわれの具体的提案です。

アジア通貨に対する中国人民元の影響が強くなっているとの見方がありますが、はたしてそれは本当でしょうか。答えは現時点ではまだわかりません。中国人民元か米国ドルにほぼ追随して動く状況では、アジア通貨への影響が米国ドルによるものなのか、中国人民元によるものなのか、統計的に白黒はっきりさせることができないからです。

ただ、米国は中国に対し人民元の増価を強く求めているので、今後、中国人民元の柔軟性は高まり、増価のペースも速まると予想されます。そうなれば、アジア通貨も中国人民元と共に増価していくことが見込まれます。逆に考えれば、中国にとってもアジア通貨が共に増価するのであれば、人民元の増価に踏み込みやすい筈です。あるいは中国が増価していくのであれば、自国通貨が増価してもそれほど自国産業に打撃は生まれないとの判断も生まれます。

中国人民元が今後柔軟性を高め、増価していくときに、アジア通貨がバスケットを参照しながら、同じような動きをすれば、互いの競争力は均衡に保ちつつ、米国ドルに対しては増価を許容する体制ができると、われわれは考えています。

整理すると結論は以下のようになります。

  • 中国の人民元改革には実質的効果が無く、中国人民元ではドルペッグが続いている。
  • アジア通貨への影響が中国人民元によるものなのか、米国ドルによるものなのかは、データ・統計上の制約があるため明確でない。
  • ただし、中国人民元が今後大きく増価していけばバスケットの価値が高まる。バスケットを参照しながら協調的に通貨体制を組んでいくことが非常に重要となる。

質疑応答

Q:

東アジアの通貨バスケットを米国はどのようにみているのでしょうか。

A:

米国はアジアで何らかのまとまりができることに警戒的であるとの通説はもはや過去のものになっていると思います。実際、アジアの域内貿易比率が5割に達する中では、経済圏形成の動きは止めようがない、という認識が米国では出始めています。むしろ米国はエンゲージメント(関与)を求めます。現在はエンゲージの仕方を模索している段階だといえるでしょう。

ただ、アジアでのまとまり形成を止めることができないにしても、そのまとまりの運営のリーダーシップは米国と経済体制が似た友好国にとってもらいたいと考えているようです。

Q:

本日ご説明のあったような提案に中国当局はどのように反応するとお考えですか。また、バスケットのウェートを購買力平価(PPP)でつけることの妥当性はどのように説明できるでしょうか。

A:

中国当局の反応は、当局内でもさまざまだと思います。金融分野に精通した人々からは大きな反対意見は挙がらないと思います。通貨バスケットについて国家として何らかの意思決定をしているとは思いません。

PPP為替レートを利用することの意義については、マーケットレートとPPP為替レートでどちらが良いと主張するつもりはなく、マーケットレートでも良いとも思います。ただ、中国人民元が今後増価すれば物価も上がるので、PPP為替レートだとウェートは長期的には大きく変動しないと思います。他方、マーケットレートの比率は中国人民元の増価(名目)に伴い高くなるので、ウェートの大幅な改定が頻繁に必要になります。

Q:

ASEAN+3の間でAMUについて前向きな議論はどの程度進んでいるのでしょうか。

A:

域内の経済監視(サーベイランス)が重要というのは、日本やシンガポールがかねてより主張していることです。特に、緊急時に大量の外貨を融通するスワップ協定(チェンマイイニシアティブ)のネットワークが効果的になるのは互いが互いの経済を理解している場合で、そうした理解が無ければ域内の助け合いはできません。そこで、相手国がどれくらい増価・減価しているのかを示す指標が必要となる訳です。そうした指標としてのAMUへの理解はだいぶ深まってきているようですし、サーベイランスにバスケット通貨価値のようなものを活用することへの理解は、少なくとも財務大臣プロセスでは得られているようです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。