昭和恐慌期の財政政策と金融政策はどちらが重要だったか?

開催日 2007年8月30日
スピーカー 佐藤 綾野 (新潟産業大学経済学部専任講師)/ 原田 泰 ((株)大和総研チーフエコノミスト)
モデレータ 小林 慶一郎 (RIETI上席研究員)
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議事録

財政政策か金融政策かの分析

佐藤氏:

本日最初に紹介する論文の主な結論は以下のようになります。

(1) 財政政策は生産に影響を与えない。
(2) 金融政策は物価と生産を上昇させる。
(3) 物価上昇は生産を拡大させる。

分析の対象期間は、実質政府歳出については1926年1月~1936年12月、実質政府債務については1926年4月~1936年12月です。変数はM2、東京小売物価指数、生産指数、実質輸出、政府債務または政府支出(実質一般会計歳出)の5つを使用し、X-12ARIMAで季節調整を行ないました。ダミーは昭和金融恐慌時ダミーとして1927年の4月と5月、金本位離脱ダミーとして1931年12月と1932年1月、226事件ダミーとして1936年2月と3月の計6つを入れました。

FテストタイプのGranger因果性テストを行ないました。結果、有意水準は実質政府支出については、実質政府支出から実質輸出に10%、生産指数から実質輸出に10%、物価と鉱工業生産指数(IIP)は双方向で10%、物価からM2へは5%となりました。ただ、これだけで順番付けるのは難しいので、Granger因果性については今後さらにテストを重ねるべきだと考えています。同様に、実質政府債務については実質政府債務から実質輸出に5%、実質輸出から物価に10%、物価から政府債務に1%、実質政府債務からM2に5%、物価からM2に5%の有意水準が確認されました。

次にインパルス反応関数を用いて財政政策や金融政策の生産や物価に与える影響を見ます。本稿では実質財政支出、M2、実質輸出、物価、IIPの順番付けとしています。

ここで注目するのはM2と実質財政支出の生産に対するショックです。M2は生産に対して5%前後の有意水準で正の関係でのショックを与えています。しかし実質財政支出は影響を与えていません。M2から物価でも5%の有意水準で正の関係がみられます。輸出は有意には出ていません。

実質財政債務についてもIIPには影響は与えていません。M2は5%の有意水準でIIPに正の影響を与えています。物価に対しても同じです。名目財政支出に置き換えた場合ではM2の生産に対する反応は有意ではなくなりますが、物価には5%有意で影響を与えています。

インパルスの応答関数を数量効果としてみたところ、M2の1%上昇に対し物価が0.687%反応するのが有意に出ています。IIPはM2の1%に対し0.37%上昇しています(ただし有意ではない)。

実質財政支出にのみに絞っての分散分解で各変数の生産の変動に与える影響は、10期後で物価が14%、M2が4%、実質財政支出が1%、実質輸出が2%となっています。

為替レートが物価に大きな影響を与えるとの前提に立ち、為替レートをインパルス応答関数の変数に加えました。結果は、為替レートは物価にも生産にも有意ではなく、M2はあまり変わらないというものでした。しかしそこから金本位離脱ダミーを除くと、為替レートは物価に有意に反応するようになります。このように金本位離脱ダミーを抜くことで為替レートから物価の影響が有意になるのは、為替レートが効いているというよりは金本位制離脱ダミーが効いていることと理解できます。

まとめると以下のようになります。

(1)M2と物価は生産に有意に正の影響を与えている。
(2)M2から物価へ有意に正の影響を与えている。
(3)財政変数の生産に対する影響は殆ど観察されない。
(4)為替レートが物価に影響を与えているというよりも、金本位離脱が物価に影響に与え、それがデフレからの脱却の有力な要因になっている。

原田氏:

マネーサプライの方が有意で、財政政策は殆ど効いていないという結果がインパルス応答から得られます。物価は常に有意に生産に影響を与えています。ですから、デフレからの脱却が昭和恐慌からの脱却において非常に重要であったのではないかと考えられます。

為替レートを通じて効いたのではないかという議論がありますが、為替レートを追加してみても、為替レートは物価に対しても生産に対しても効いていません。ただ、金本位離脱ダミーを除くと為替レートが物価には効くようになります。これは金本位離脱ダミーと為替レートが殆ど同じ動きをしているからです。ということは、金本位体制からの離脱が決定的で、為替レート自体は決定的ではなかったということになります。

金本位制からの離脱が決定的であったとはどういう意味でしょうか。金本位制である以上、金融政策は自由に動かせません。他の国がデフレであれば日本も同様にデフレになるという仕組みです。そこから外れるということは、デフレ政策を停止しても良いことを意味します。このデフレ脱却の期待感が実態経済を回復させたと解釈できます。

信用乗数の分析

佐藤氏:

次に紹介する論文ではマネーサプライのコントロール可能性と、コントロール可能な場合は何が信用乗数の変動要因となるのかという点に焦点を当てて、昭和恐慌前後の金融政策を分析しています。結論は次のようになります。

(1)昭和恐慌前後の信用乗数は安定的であった。
(2)ベースマネーによりマネーサプライはコントロール可能であった。

信用乗数の変動要因に関しては先行研究から、金利上昇が信用乗数上昇につながるとするBailey-Friedman仮説、景気上昇が信用乗数低下につながるとするMitchell-Hawtrey仮説、デフレ期待が信用乗数低下につながるとするデフレ期待仮説、の3つの仮説が挙げられます。

これら3つの仮説を部分調整モデルで検証しました。推計期間は1926年1月~1939年12月です。ここでも先の論文と同じ6つのダミーを使用しました。結果、完全予見タイプの期待インフレ率ではBailey-Friedman仮説とデフレ期待仮説の符合条件が一致しました。ARタイプの期待インフレ率ではBailey-Friedman仮説の符合条件が一致しました。しかし統計的有意性はありませんでした。

信用乗数の推計値と実績値をプロットすると非常にうまく変動を追えています。決定係数も0.9程度あります。ずれが大きいのは1929年5~10月と1931年1~7月です。前者については、1929年7月に金解禁を公約に掲げた濱口雄幸内閣が発足しており、その前の5月あたりから実質的なデフレ政策が推測されていたこと、後者については、昭和恐慌からの回復期であったことが、ずれの原因として考えられます。いずれにしても、信用乗数は非常に安定的であったというのがここでの結論です。

次にマネーサプライがベースマネーで制御可能なのかを誘導系のVARで推計しました。推計期間は1926年1月~1939年12月で、ベースマネー、M2、コールレートの3変数のVARとなります。今回はベースマネー、コールレート、M2の順での推計となります。

マネーサプライの制御可能性をGranger因果性テストで見てみると、ベースマネーからコールレートが10%、ベースマネーとM2が双方向で1%の有意水準で因果性が確認されます。

インパルス応答では、ベースマネーはM2に有意に反応していますが、金利にはあまり効いていません。

M2の分散分解については、M2の100%の反応中、35%がベースマネーの影響、コールレートは3%のみとなっています。

M2を被説明変数、コールレートとベースマネーを説明変数としたCUSUMテストからも、推計期間にわたって安定的な関係が確認できました。CUSUMSQでも推計期間全体でマネーサプライは安定的であったといえます。

まとめると以下のようになります。

(1)昭和恐慌期では信用乗数の変動要因を説明する有意な変数は無い。
(2)信用乗数はその形状からみて安定的。
(3)ベースマネーの上昇はM2の上昇をもたらす。
(4)M2の変動の35%はベースマネーの影響。

原田氏:
ベースマネーでM2を動かせるのかどうかを考えたのがこの論文です。M2とベースマネーの関係では信用乗数を考えるので、信用乗数の分析をしたところ、通常考えられる変数は有意ではないとの結果になりました。ただ、グラフをみる限り季節変動を除くとかなり安定しているといえます。そこで、ベースマネーでM2を説明するモデルを作ってみると、ベースマネーでM2の変動をかなりの程度説明できました。このことから、ベースマネーまたは金利を動かしM2を動かすことは可能であったのではないかと考えます。金融政策によって昭和恐慌のショックを和らげることは十分可能であったというのが私たちの見解です。

質疑応答

Q:

中央銀行が金融政策でベースマネーをコントロールするという前提には疑問です。中央銀行といえどもベースマネーはコントロールできないのではないでしょうか。

A:

原田氏:
ベースマネーを能動的に動かせると考える経済学者、エコノミストは少数派です。確かに流通現金の需要量は金利と景気情勢で決まってきます。しかし、景気が加熱していれば金利を引き上げることでベースマネーは減ります。これはベースマネーのコントロールが可能ということを示します。

私は量的緩和政策に効果はあったと考えています。経済成長率が2%台に回復したのも量的緩和を実施し、デフレから脱却したからだと考えています。非常に単純なvarモデルでもその効果は確認できます。また、ベースマネーとリアル変数の間には通常はGranger因果性は存在しません。ベースマネーが動いてからリアルが動くまでに時間差が無いとGranger因果性は出てこないからです。この2つの変数は普通は同時にしか動きません。というのは、金利が上がり、ベースマネーが低下すると同時に実質変数が縮小するという動きをするからです。しかし量的緩和ではベースマネーを増やした後に景気が回復しているので、Granger因果性は確認できます。

Q:

物価上昇率が変数に影響するのであれば、2002年から現代までの傾向、つまりデフレ脱却に先だってアウトプットが大きくなっている点はどのように説明できますか。また、今後デフレから脱却するにはどういう政策を展開すべきなのでしょうか。

A:

原田氏:
景気が最悪の時期の消費者物価指数は-1%でした。それが現在ではゼロに近づいています。景気はこの過程で回復しています。このように消費者物価指数はプラスの方向に動いているので矛盾しているとはいえません。

物価から金利の順で考えるのがフィッシャー効果です。金利を上げれば物価が上がるというのは、ある時点での統計的事実としては観察されることがあるのかもしれませんが、因果関係としては観察されない筈です。通常の状態で金利を能動的に上げれば景気は悪化します。景気が悪化すればGDPは実質か名目、普通は両方が下がり、金利はさらに下がります。日銀の金融政策と長期金利の関係では、金融緩和をすると金利が上がり、金融を引き締めると金利が下がる例が多く観察されます。

Q:

金解禁は間違った政策であったとの認識が主流になっていますが、一方、当時の財界からの要望は強く、旧レートでの借換は政治の大命題になっていたようです。そういう中でどういう選択肢があったのでしょうか。また、満州事変は経済的には明らかな間違いだったのでしょうか。

A:

原田氏:
当時の国民は金解禁がデフレ政策であったことを十分理解していなかったのではないでしょうか。井上準之介蔵相(1929年7月~1931年12月)は昭和金融恐慌時(1927年)、日銀総裁として破綻直前の銀行を救済していました。その人物が急に方針転換をしてデフレ政策をしたというのは良くないと思います。また、私は新平価で解禁すべきだったと思います。

満州事変は金本位制から離脱したことで景気が良くなったのと時をほぼ同じくして起きました。そこで、景気は満州事変で回復したとの間違った認識が広がってしまいました。しかし実際には、満州では、中国農民の土地を安く買い叩こうとして反乱が起こり、結局、市場価格で農地を購入しなければならなかったりして、日本に大きな利益があった訳ではありません。むしろ日本から多くのカネが満州に流れる結果となっています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。