プロセス産業における生産革新の取り組み

開催日 2007年6月8日
スピーカー 小河 義美 (ダイセル化学工業(株)執行役員/特機・MSDカンパニー播磨工場長)
モデレータ 山根 啓 (経済産業省製造産業局化学課長)

議事録

プロセス産業が直面する課題

プロセス産業で生産革新の取り組みが始まった背景には世代交代の問題があります。多くの熟練者が定年退職していく中でいかにして熟練技術を維持するのか、対策を講じる必要性が高まりました。そこで各社共にものづくり革新のための手法を導入し、コスト削減や生産性向上に取り組んできましたが、取り組みが進むにつれ、そうした手法の大半が実は組み立て加工から出たもので、必ずしもプロセス産業に効果的に適用できるものではないということが明らかになり、プロセス産業に合った革新手法を求める声が業界内で強くなりました。(これまで約400社の方が網干工場を見学されましたが、)我々の知的生産支援コンサルティングはそういった声に応えるものです。

プロセス産業の特徴

製品・原材料の加工状態が目に見えないのがプロセス産業の特徴で、視認性が高くライン側で即座に問題対処ができる組み立て加工業とは対照的です。目に見えないので、温度、圧力、液面レベルといったセンサーの情報に基づき、配管内や工程でどういった反応が起きているのかを類推しながら機械設備の運転や生産管理を行ないます。また、1つのプラントでいろいろな製品を生産するのもプロセス産業の特徴です。需要と生産を直結させにくいという特徴もあります。見込み生産にならざるをえない中でどういったビジネスモデルを組んでいくのかが1つのポイントになります。

オペレーターの意思決定フロー

プロセス産業のプラントにおいて、オペレーターは膨大な情報を監視し、管理ポイントごとに頭の中で各工程で何が起きているのかを想像、類推しています。このボード作業には非常に高度なスキルが求められます。

1つのコンピュータ画面には数百枚から数千枚のページが映し出され、そこにさらに数千から数万のセンサーデータが示されます。オペレーターはこのデータを監視し、そこから仮説を立て、現在どういった反応が起きているかを判断します。それだけではなく、数多くの計器に取り付けられたアラームへの対処もあります。このアラームに対しオペレーターがどういった意思決定をし、アクションをとっているかを分析した結果、あるプラントにおいてオペレーターは数千の計器に対し数万項目の原因を想定していることが明らかになりました。1つのアラームに対して数個~十数個の原因を想定して、対処法を練っている計算です。さらに想定可能なアクションの数は十数万項目にも上ります。これらすべてが顕在化したとして、それをどう覚えるのか。しかも、アラームの中には数年に1度、場合によっては1度も発報していないものもあります。それでも、アラームが出たならば、その瞬間での適切な対応が求められます。現在の熟練オペレーターは、昭和30年代、プラントがまだ小規模であった時代からさまざまな失敗体験を繰り返すことでこうした高度な技を身に付けてきました。世代交代の時期にあってこうした熟練技術を新人オペレーターにどう引き継いでいくのかは難しい問題です。

もともと自動化が進んでいた素材型産業は設備が故障・劣化しない限り、人が設備を触る必要はない構造になっています。それにも関わらず、なぜオペレーターが必要となるのでしょうか。それは、設備やプロセスに不具合が生じるからです。あるいは原材料の品質が想定していたものとは異なり、従来のスペックでは判断しきれないということが起きるからです。こうした問題は熟練オペレーターの日常的な介入操作により対処されており、そうした介入により安定運転・安定供給が可能となってきました。そこでわれわれは、オペレーターがどういった状況でどういった介入をしているのかを解析すればさらなる技術改善や現場の安定化につながるのではないかと考え、オペレーターの意思決定のプロセスを顕在化し標準化する手法を開発する必要に迫られました。

このオペレーターの意思決定フローを標準化することはプロセス産業の生産革新を成功させる上で非常に重要となっています。標準化された膨大な知見を情報技術(IT)を効果的に活用することで適切に加工し、意思決定のバックアップとして、必要な情報を必要なときにすぐに手に入れられるようにする試みも進められています。

プロダクトイノベーションとプロセスイノベーション(プロセス革新と生産革新)

新商品開発(プロダクトイノベーション)による収益と、増産・製法転換(プロセス革新)および生産の仕組み・システム改革(生産革新)による収益を比較すると、前者が後者を上回ります。プロダクトイノベーションとプロセス革新、生産革新に対する投資額もこれに比例する形となっています。同時に、リスクもプロダクトイノベーションの方が大きくなります。これら収益、投資、リスクを掛け合わせると、投資回収という意味での改善ポテンシャルは、プロダクトイノベーションでもプロセス革新でも、生産革新でもほぼ同等になっています。これまで多くの企業では現場改善のネタは枯渇したと考えられてきましたが、国内製造拠点の競争力強化のために生産現場でできることはまだ多く残されていることがわかります。

ダイセル化学工業の取り組み

ダイセル化学工業の生産革新では「究極の生産性」、「構造改革」、「世代交代」、「設備寿命(キャッシュフローの改善)」を課題に、「ゆとりの捻出」、「ワークスタイルの変革」、「全体最適な仕組みづくり」に取り組み、「人・組織の革新」、「生産システムの革新」、「情報システムの革新」の3つの革新を目指してきました。

人や組織の意識改革や役割分担の見直しは、仕組みづくりを行なうにあたり非常に重要な要素になります。そこで、「人・組織の革新」に向けた取り組みとして、各部署の役割分担や使命を業務総点検手法で見直し、組織体系を製品別組織から機能別組織へと変革しました。工場の中心地に統合生産センターをつくり、情報系・制御系LANを再構築し、複数プラントの統合運転を実施しています。この統合生産センターにより、80万平方メートルの工場を1班20人で成る4班3交代体制で稼動させることが可能となり、現技術における究極の生産性を実現することができました。コントロールルーム内にはシフトリーダーである班長と、設備のコンピュータ制御を担当するボードマンがいます。ボードマンはコンピュータ画面上でプラントの監視・判断・操作を行い、品質・コスト・生産量・安全を管理します。シフトリーダーは工場全体のバランスを見ながら、たとえばあるプラントで変調が起きた場合に運転を続行するか停止するかを判断したりします。

ボードマンが使用するコンピュータ画面には、各工程を抽象化した箱を並べ、プラントを模式的に示す画面が用意されており、これにより複数のプラントを1つの画面で監視しています。この箱は、各工程で4つの管理項目(品質・コスト・生産量・安全)がどういった状況にあるかが色別に示されます。異常や変調があった場合には、この箱の枠が色変わりするとともに隣接するボタンが白く点灯します。これをクリックするとその工程で発生する変調のキーワードが一覧表示され、重要度に応じてそのキーワードが色別で表示されます。それをさらにクリックすると現在起きている現象、とるべきアクション、想定される原因が示されます。これら一連の操作が、1つのコンピュータの画面上で可能としています。

我々が開発した知的生産支援システムはオペレーターの意思決定を論理立てて制御系モデルに組み込むという仕組み理論ですが、オペレーターの判断基準の中にはファジーなものもあります。そういったファジーな情報は制御系モデルに組み込むことができないため、情報系サーバーにその情報を保存しておきます。そうすると別のマシンが必要となり、オペレーターは数々のマシンを操作しなくてはいけなくなりますが、ボードマン用のコンピュータを情報系サーバーに接続し、過去のトラブル事例を変調のキーワードで自動検索できるようにしました。こうした機能は、非常に多くのポイントを監視しなければならないオペレーターの物理的・精神的負担軽減につながり、操作の的確性を高めます。これらの情報は、設置された大型スクリーンを通じてボードマンとシフトリーダーの間で共有され、二次アクション、三次アクションへとつなげていきます。

従来、事務系も合わせると750人を必要とした工場も、こうしたシステムの導入により、300人弱の人員で稼動できるようになり、1人当たりの生産性は大きく向上させることができました。また、情報統合により最適なエネルギーバランスによる運転が可能となり、二酸化炭素排出量の数パーセント削減にもつながっています。

質疑応答

Q:

新人オペレーターの養成についてお聞かせください。

A:

オペレーターが使用するコンピュータ画面にはいろいろな局面でガイダンスが出てきます。われわれはこれを標準書(マニュアル)のオンライン化とよんでいます。ダイセル化学工業では標準書をOff-JT(オフザジョブ・トレーニング)で読ませるという通常の初期教育に加え、OJT(オンザジョブ・トレーニング)でもガイダンスという形でオペレーターがマニュアルに絶えず触れる環境を整えています。こうした環境により習熟年数は半分以下に抑えることができると見込んでいます。

ただし、新人教育はOJTだけでは不十分です。習熟度の高いオペレーターと低いオペレーターの違いを少し考えてみましょう。トラブル発生時に発報するアラームの数は多いときで十数個に上ります。習熟度の低い新人オペレーターは目にした直前の画面、つまり短期記憶に基づきアクションをとるので、最初に発報したアラームに気をとられ、その後発報する重要なアラームを見落としがちになりますが、過去の経験から学習しているベテランオペレーターはファーストアタックに動揺せず、長期記憶に基づき1つひとつのアラームに適切に処理します。習熟度の高いオペレーターのこうした長期記憶はうっかりミスやオペミスを防ぐ上でも有効です。従って、習熟度の低いオペレーターにはパターン学習を通して長期記憶の疑似体験をさせることが効果的です。コンピュータ画面に繰り返し出てくるガイダンスにはそういった学習効果が発揮されることへの狙いもあります。

それ以外にも入社時、1年後といったように小刻みな間隔でトレーニングシュミレーターやOff-JTで変調を疑似体験させ長期記憶への定着を図る取り組みも実施しています。教育訓練センターでの2泊3日の合宿では、異なる部門出身の5人で模擬交代班を組ませ、その中でどういった「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」をするのかを観察しながら行動訓練を実施しています。

Q:

同業他社との競争と知的生産支援コンサルティングの兼ね合いはどのようにとられますか。海外企業との競争についてもお聞かせください。

A:

手法というものは5~10年で普及し陳腐化すると考えています。重要なのは手法で培ったノウハウが競争力となるという点です。ですので、ダイセルも手法に磨きをかけ競争力を強化させていきます。また、コンサルタント業務はわれわれにとっても非常に貴重な勉強の機会となり、自社の手法を改善する機会となっています。

ノウハウを顕在化させる過程は、ベテランオペレーターの意思決定を丹念に聞き出すという非常に日本的なもので、日本だからこそ出てくるというノウハウも多くあります。われわれが目指すのは日本の国内製造業の強化です。知的生産支援コンサルティングの提供先はわれわれの顧客であり、同時にサプライヤーでもあります。こうした取り組みにより日本の製造業全体として海外の競争相手に対し優位な立場を築くことが可能になってきました。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。