生産性競争の時代 -日本は再びキャッチアップできるのか

開催日 2007年4月17日
スピーカー 深尾 京司 (RIETIファカルティフェロー/一橋大学経済研究所教授)/ 宮川 努 (RIETIファカルティフェロー/学習院大学経済学部教授)
モデレータ 森川 正之 (経済産業省経済産業政策局産業構造課長)
ダウンロード/関連リンク

議事録

EU KLEMSに基づく国際比較

深尾氏:

全要素生産性(TFP)とは、資本、中間財、エネルギー等の個別の生産要素投入の寄与分を除いた生産の効率性や技術水準を測定する考え方です。日本のTFP上昇率や、情報通信技術(ICT/IT、以下IT)革命の影響を海外と比較した研究は、信頼できる国際比較統計が十分に得られなかったため、これまで十分には行なわれてきませんでした。

一方、欧州連合(EU)を中心に「EU KLEMS」プロジェクトが立ち上げられました。同プロジェクトでは、K=資本、L=労働、E=エネルギー、M=中間財の投入、S=サービスの各分野でのアウトプットとインプットに関する情報に基づきTFPを測定する各国共通のデータベースが作成され、TFP上昇や成長要因の分析が行なわれています。プロジェクトには日本、米国、カナダ等も参加し、日本は日本産業生産性(JIP)データベースのデータをEU KLEMS用に改定して提供しています。

EU KLEMSは成長会計や生産性を国際比較する上での世界標準となります。また、データの大半はインターネットで自由にダウンロードできるオープンなデータソースです。今後、経済開発協力機構(OECD)や国際通貨基金(IMF)が生産性を議論する際には、無視できない資料となるでしょう。

経済成長率と生産性上昇率の日欧米比較

EU KLEMSに基づいて日本と欧米諸国を比較してみましょう。1973~1995年の日本の経済成長率は3.3%で、主要国(米国、ドイツ、フランス、英国、イタリア)のいずれも凌ぐ水準でしたが、1995~2004年には1%と、主要国で最低の水準にまで落ち込みました。また、市場経済の成長会計の日本の成長率は1980~1995年でトップでしたが、1995~2004年で最低となっています。経済成長減速の原因としては設備投資や労働投入の低迷、TFP上昇率の下落等が考えられます。1995年前後の欧州諸国の成長率は横ばいですが、米国のパフォーマンスはTFP上昇の加速に支えられる形で抜きんでて良くなっています。欧州諸国と日本のTFP上昇は1995年以降減速しています。

1995年以降、経済成長が加速したフランス、英国、イタリアと、経済成長が減速した日本との間には、資本投入や労働投入の拡大速度に顕著な違いがあります。日本では高齢化や労働時間短縮等により労働投入量が下落したのに対し、労働市場問題を一部解決し、雇用を大きく創出した上記欧州3カ国では労働投入量が増加したのです。

1995年までの日本では、IT資本以外の資本増加が経済成長に寄与していましたが、1995年以降この資本投入が低迷し、経済成長減速の大きな原因となりました。さらに日本のIT資本蓄積の伸びは過去も現在もイタリアに次いで低調で、資本全体の蓄積は過去10年で主要6カ国中最低となっています。他の国々でもIT資本以外の資本増加は加速していませんが、IT資本の増加についてはイタリア以外皆一様に加速しており、日本とは対照的な推移を示しています。

産業別TFP上昇率をみると、電気機器、郵便、通信産業といったIT生産産業の上昇率は過去も現在も日本がトップです。しかしこれらセクターが国内総生産(GDP)に占める割合はどの主要国でも低く、日本でも1995~2004年のデータでは全労働投入に占めるシェアは4.1%にすぎません。したがってこれらセクターのパフォーマンスが改善しても、TFPの上昇にはあまり寄与しません。日本の1995年以降のTFP上昇の減速は、主に商業・運輸業、電気機器以外の製造業で起きており、これら2つのグループの労働シェアはそれぞれ23.4%、16.8%と高いため、産業全体のTFP上昇の足を引っ張る結果となっています。

TFP水準の国際比較結果はEU KLEMSではまだ発表されていないので、今回は日本経済研究センターの研究報告書で発表された労働生産性(購買力平価で換算した実質付加価値をマンアワーで割った値)を基に国際比較をしてみます。欧州の市場サービス産業の労働生産性は1997年までは米国とほぼ同水準でしたが、1997年以降労働生産性の上昇は大幅に減速しています。欧州はイノベーションや新技術の導入で米国に遅れを取ったため、といのが欧州で指摘されている考えです。

日本はどうでしょうか。産業別労働生産性を日米比較してみると、輸送機械や一次金属等の製造業では日本が米国を上回っていますが、ITを使用する非製造業や農林水産業で日本は非常に低くなっています。産業別労働生産性の欧米比較では、ドイツとフランスは非製造業も含め米国と同等の水準で、英国は若干低い水準となっています(2002年データ)。

IT投資の役割

宮川氏:

IT投資は1990年代後半の米国の経済成長を加速させた最大の要因とみなされています。欧州主要国や日本もIT投資を増やす政策を積極的に展開してきました。とりわけアイルランド、スウェーデン、フィンランドといった欧州諸国は非常に力強いIT投資の伸びを示し、高い成長率を達成しています。

IT投資の定義は研究により異なりますが、EU KLEMSデータベースでは、電子計算機、通信機器、ソフトウェアをIT資産と定義し、IT投資の分析ではこういった資産への投資に着目しています。経済全体に占めるIT資本の生産への寄与分を見てみると、日本は6カ国(米国、英国、ドイツ、フランス、日本、イタリア)中5番目です。1995~2004年のIT投資の伸び率では、トップの米国と英国が4倍、第2グループのドイツとフランスが2.8倍であるのに対し、最下位グループの日本とイタリアは2倍にも達していません。

日本でも1980年代までは大量のIT投資が行なわれ、高い伸びを示していましたが、バブル崩壊後の1990年代になって上記のように他国に引き離されています。IT革命によるネット化、ダウンサイジング化の波に日本が乗り遅れたことは統計からも明らかです。とりわけ運輸業と流通業での伸び率が低く、米国や英国の水準が1995~2004年で4倍に増加したのに対し、日本の伸び率は1.5倍にも達していません。ホテル業といった対個人や社会サービスの分野では、米国や英国では1995~2004年で投資水準が5倍に膨れ上がったのに対し、日本では2倍未満です。サービス部門でのIT化のこうした遅れが日本のIT投資の伸びを抑制しているようです。

IT投資が生産性向上にもたらす効果の1つに資本深化があります。資本を増やせば労働生産性は上がります。たとえば、かつて駅の改札には大勢の駅員がいましたが、自動券売機や自動改札機への資本投資、あるいは電子化が進んだ現在では駅員の数は数名にまで減っています。乗降客数は変わらないので、駅員1人当たりの売上高は非常に高くなる訳です。同様の生産性向上効果はIT投資でも期待できます。

IT投資には企業の組織効率性を改善させるという効果もあります。IT投資が増加すれば電子取引が活発化したり決定権限が分散化したりし、企業の決断もより迅速かつ効率的に行なわれるようになるので、TFPの上昇を間接的に促すことになります。IT投資とTFPの間に強い相関関係があることはEU KLEMSのデータベースでも明らかとなっています。ただしIT投資の上昇率が同水準に高い米国と英国でも、TFPの上昇率は米国で1.5%、英国で0.5%程度と英国が米国に追い付かない状況にあり、IT投資増が必ずしもTFP上昇の間接的効果につながるとは限りません。なぜでしょうか。

IT設備を補完する無形資産

欧米の経済学者の間では、IT設備をより有効に利用するための補完的な生産要素が存在するとの仮説が広がり、米国とその他の国の違いは無形資産の蓄積の仕方の違いで説明できるのではないかと、研究が進められています。ここでいう無形資産は会計学での無形資産よりも広い概念で、ソフトウェア、人的資本(学校教育、職業訓練、経験等)、知識資本(研究開発、特許、ライセンス、ブランド、著作権、その他技術的イノベーション)、組織資本(組織デザイン、データベース、研究開発に対する報酬制度、マーケティング、顧客資本等)、社会資本(企業文化等)、新金融商品を含みます。

上記分類に従ってJIPデータベースで無形資産投資を試算した結果、日本の投資は40兆円程度、米国は1兆ドル、英国は1000億ポンド程度であることがわかりました。GDPに占める比率は、日本が7.8%であるのに対し、米国では11.7%、英国では10.9%と、日本は投資が少ないようです。また、有形資産投資に対する無形資産投資の割合は米国で1.2倍であるのに対し、日本は0.3倍にすぎません。こうした数字からも日本の無形資産投資が非常に低いことが理解できます。

日本の無形資産投資はなぜ低いのでしょうか。日本ではソフトウェア投資のGDP比率は高いですが、企業特殊的人的資本への投資や組織改革に伴う投資が活発に行なわれていないため、というのが1つの仮説です。また、日本の金融システムが物的担保を必要とする間接金融を中心としており、企業の投資が有形資産に偏っていることも不活発な無形資産投資の背景として考えられます。

日本の生産性を向上させるには労働投入シェアが60%以上を占めるサービス産業で生産性を上昇させることが急務です。この分野でIT投資を蓄積し、さらには人的資本や組織改革といった無形資産の蓄積を促す必要もあります。このような蓄積を円滑にする金融システムの整備も重要です。

質疑応答

Q:

ITの設備投資が進んでも生産性が上昇しない「ITパラドックス」を米国はどのように克服したとお考えですか。また、TFPの国際比較でサービスの質は評価に組み入れていますか。最後に、無形資産について、組織改革はどのように計測できますか。

A:

深尾氏:
2番目の質問にお答えします。JIPデータベースやEU KLEMSデータベースでは、購買力変化という概念で財・サービスのアウトプットを国際比較していますが、サービスの質の違いは検討対象には含めていません。商業サービスでは物量だけでなく、店頭販売員の洗練性、供給材の多様性、売場の環境等の質も包括的に計測すべきだという意見はありますが、実際に計測するにはいたっていません。今後検討を進められる点でしょう。

宮川氏:
1番目と3番目の質問にお答えします。米国の「ITパラドックス」は1990年代後半からの生産性上昇で解消しています。一方、英国のようにIT投資の増加が経済成長に寄与するも生産性上昇にまではいたっていない例もあり、IT投資が生産性上昇につながるまでには蓄積期間が必要なのかもしれません。

組織改革に伴う資産をどう計測するか。現在は経営側の報酬を組織改革責任者の対価として、その一部割合を計算しています。今後は、経営企画部の人員数や経営コンサルタント費用等も計測する必要があると考えています。

Q:

政策的インプリケーションについてもう少しお話しください。

A:

深尾氏:
生産性の国際比較は主に学術分野で行なわれてきましたが、EUではこうした研究を政府が引き継ぐ動きが強まっています。EU各国が利用できる共通基準が必要であるとの認識がEU KLEMSプロジェクトへとつながり、各国統計担当当局間の協力を生み出したのです。日本はこの分野で遅れているので、JIPデータベースの整備を政府が引き継ぐことも検討して欲しいと考えています。

宮川氏:
産業別にみると、日本の場合はサービス産業でIT投資と、それを補完する無形資産を蓄積する必要があります。特に人的資本の蓄積と組織改革が重要です。日本では現場の仕事になるべく変化を与えないようなIT投資をする傾向が強いため、汎用ソフトウェアよりもカスタムソフトウェアの導入がより多くみられます。一方、欧米では人や組織がソフトウェアに適応する形で人的資本が蓄積されたり、あるいは、コンサルティングで組織のIT化が進められたりしています。日本でもIT投資は仕事の形態を変える方向で蓄積されていくべきです。そういった意味でも、無形資産経営のための政策的対応あるいはガイドラインが必要となるのではないでしょうか。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。