日本人のこれからの資産形成

開催日 2006年12月4日
スピーカー 松本 大 (マネックス証券株式会社代表取締役社長CEO)
モデレータ 川本 明 (RIETI研究調整ディレクター)

議事録

※講師のご意向により、掲載されている内容の引用・転載を禁じます

個人の投資対象の移り変わり

日本の国内総生産(GDP)は約20年前に300兆円を超え、その後平均400兆円で推移し、現在は500兆円程度となっています。同時に円高も進行しているので、国際通貨バスケットでみると日本のGDPはかなりの規模になっています。そうした国で経済活動をする平均的日本人は、戦後60年間、世界標準に照らして大きく成長しました。かつては旅行といってもせいぜい熱海が精一杯であった時代から、普通の人々がハワイ、さらには欧米にまで旅行できる時代になりました。これは個々人の特別な努力によるものというよりは、日本人として日本円で給料をもらっている結果、達成できたものです。

円建ての預貯金は過去15年間、ベストパフォーマーとなってきました。日本の家計部門・個人の集合体はバブル崩壊時に不動産を売り越しました。国の資産がバブルを起こすという現象は各国で観察されていますが、多くの場合、最終的には家計部門がピーク時に買い越しをして損を被っています。ところが日本の家計部門は全体で売り越しをしていて、勝ち逃げをした形となっています。こうして手にした資金は株でもなく、外貨でもなく、円預金に回っています。その後10年で株は下落し続け、円は強くなり続け、金利は下がり続けました。これは日本の個人が賢い投資家であることの証左です。円建て預貯金はベストパフォーマーであったので、日本人は日本で働き、円で預貯金をしていれば、自動的に資産は世界標準に照らして増大し、世界市民として贅沢ができるようになった訳です。

ところが、昨年、日本の人口は戦後初めて減少し始めました。現在見直しが進められている年金制度は市場で一度も証明されたことの無い仕組みであり、右肩上がりの人口増と経済拡大を前提としているので、崩壊のリスクを孕んでいます。退職金優遇税制も同様に、右肩上がりの経済を前提としているので、人口増が止まれば維持できなくなります。あるいは維持する意味がなくなります。

少子高齢化が進めば経済は長期的に縮小していきます。こうした国で金利が高くなるとは考えにくいですし、通貨が強くなるとも想定できません。加えて、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)やアジア諸国の台頭を背景に日本のGDPは国際的文脈で沈下していくと見ています。為替のディバリュエーションも想定できるので、国際通貨バスケットで見た日本のGDPはいずれ中国やインドに抜かれ、相対的に低下し続けるだろうと考えています。

それでは日本人は個人として何をすべきなのでしょうか。これまでは、なるべく大きな企業になるべく長く勤務して、円預金をして、退職金、年金をもらうのが理想的な老後のための安全保障となっていました。しかし今後、円安が進み、現在の年金制度や退職金制度が維持できなくなる中、従来の考えのままでは親の世代が享受したような豊かな老後生活を得ることは難しくなってきます。ではどうすれば良いか。成長する国に投資(外貨投資)するか、リスクをとって株式型のものに投資せざるをえないのではないかと思われます。

これまでオンライン証券において顧客の大部分を占めた、自分の判断で個別株を選んで投資する層は今後は大きくは拡大せず、投資信託やセパレート・マネージド・アカウント等の資産運用サービスが活発化すると思います。個人金融資産に占める株式型資産の割合を日米比較すると、日本では投資信託を含めて約15%、米国では出資金等を含めて約50%となっています。一方、個人による株式市場への直接参加率(市場での売買金額に占める個人の直接売買金額の割合)は、日本では昨年30%を超え、現在でも20~30%ですが、米国ではこれよりも小さい。つまり、米国では金融資産に占める株式型の割合は日本の3倍あるにも関わらず、個人による市場への直接参加比率は日本よりも低いということです。このように米国(そして英国も)ですら、個人金融資産に占める株式等のエクスポージャーが増えていく過程では自己運用よりも委託運用が増えていますので、日本でも同じ現象が今後観察されるようになるだろうと考えています。

個人の投資対象の変化が政策にもたらす意味

戦後、高度成長期を支えたリスク資本が個人から供給されたのは明らかです。政府は当初、預貯金を奨励するプロパガンダを展開し、個人に対する金融投資教育や宣伝に関する公的機関として貯蓄推進委員会や貯蓄広報委員会を立ち上げました。こうした委員会は現在、金融広報中央委員会(旧貯蓄広報中央委員会)として日銀の外局に位置付けられています。

敗戦後、リスクキャピタルをすべて失った政府部門は、日本を再構築する手段として、貯蓄は美徳であるという考えを国民の間に浸透させ、郵便局や銀行への預貯金を推奨しました。そして製鉄業等の戦略的産業に、貯金を原資とした財政投融資を集中投下しました。この集中資本投下・傾斜生産方式が当たり、戦後経済の建て直しに貢献した訳です。こうした大掛かりなものを除いたとしても、リターンの要求が極めて低い資金を銀行が預金として集め、各産業に貸し出したり、投資したりすることで日本の産業は成長してきました。個人の資金はこのように、日本経済を過去数十年支えてきた最も重要なリスク資本となってきました。

したがって、成長をこれまで支えてきた個人のリスク資本が外に流れるというのは、国の観点からすると、円安等を惹起するという意味でも忌々しき問題です。個人のリスクマネーが国の生産性向上に活用されるよう国策を定めるのが望ましいでしょう。

ベンチャーは社会的に重要なプロセスです。米国は現在、医療、科学、宇宙、インターネット、スポーツ等、多くの分野で世界をリードしていますが、一体米国で何が起きたのでしょうか。米国は人種の坩堝ともいわれるように、そこでは多様な価値観が容認され、いろいろな研究が実施されてきました。研究の大半はガラクタのようなものだったのかもしれません。しかしその中から世界をリードする新しい発見が起き、それが米国という社会を次のステージへと押し上げていったのではないでしょうか。

ベンチャーとは業界や社会全体を非連続に進化させていく上で基礎になるプロセスです。たとえばオンライン証券は証券界に大きな変化をもたらし、金融界のキャタリスト(触媒)となったのですが、今後の日本ではこうしたキャタリストがますます必要になってくると思います。

ベンチャー企業の圧倒的多数は失敗するので、国全体でベンチャー支援を政策として推進すべきです。そうしないと縮小均衡が生じます。ベンチャーを発展させるには、たとえば、ベンチャー出資に対する税制上の優遇措置等の戦略的配慮が求められます。

ベンチャー企業にとっての最大の負担は会計・監査、税務、法令遵守等のアドミニストレーション業務です。新しい価値を創出したいという情熱や実際に価値を創出する能力と、会計規則や法令等を遵守する能力とは別物です。これら双方の能力を同時に要求すれば、一方の能力が損なわれます。ベンチャー企業がアドミニストレーション業務もしっかりとこなしながら、ベンチャービジネスにも集中できるようにするには、アドミニストレーション業務に長けている公的機関が支援する方法があるでしょう。

ただし、ベンチャー支援を目的に国としてベンチャーファンドを設置して投資することには反対です。公務員等基本的にリスクに近くない人、あるいはリスク感覚の無い人にリスクマネーを任せることは間違っています。よりグリーディ(どん欲)なお金の方が正しい道案内ができるので、民間資金を導入するのが正しいと思います。ただしアドミニストレーション業務ではリスクに関する問題が生じないので、国はこうした部分のインフラを整備すべきでしょう。

ベンチャー企業経営者のモラルが問題となっています。取引所も放置しておくと大変な状況になります。日本の大企業は資金需要がほとんどなく、直接金融市場での資金調達はほとんど行なっていません。そこに、日本版企業改革法(JSOX法)が導入されると大変な対応となり、上場しているメリットを少なく感じる企業も増えるでしょう。そうすると非上場化する企業もでてきます。一方、取引所で上場したベンチャー企業の経営者が現金を手にし、くだらないことにお金を使ってしまうということが起こりかねません。こうなると取引所の質は低下します。米国の場合は不文律等があり、ベンチャー企業がNASDAQ等に上場するときには経営者に自社株の売買を制限するロックアップがありますが、日本ではベンチャー企業経営者のモラルに対する牽制の工夫がありません。最近の日本では成功モデルの数が極めて限られているのも問題です。

起業家がリスペクト(尊敬)されない日本の風土、出る杭は打ち、出過ぎた杭は打たなくなるマスコミにも問題があります。また、国の将来を考えて叩くべきものは叩き、育てるものは育てるという考えは役所にも欠けています。

起業家に対するリスペクトの問題、モラルに対する牽制、成功モデルの出現といったことに関するグランドデザインが必要だと思います。

資本市場の意義

現代の経済は、少数の政策担当者による決め打ちによる傾斜生産方式で済まされた戦後経済とは異なります。資本市場を活用し、個人投資家等に資本の再配分を任せないと、今後の経済に対応できなくなるでしょう。そのためには資金を供給する個人の意識改革が必要であり、政策として投資教育等を展開する必要があると、3年前に金融審議会が取りまとめた報告書「市場機能を中核とする金融システムに向けて」では謳われています。しかし残念ながら意識改革のための政策は殆ど行なわれていません。投資教育は中学校や高校での履修科目に含められたものの、教えることができる教員がいないということで、文部科学省はカリキュラム化を進めておらず、そこから前進していないと聞いています。ここでも誰かが旗振りをして、グランドデザインを示し、遂行する必要があります。

次の5~10年間の日本経済で重要な役割を果たす企業が明らかとなるような時代には、長期的コミットメントでまとまった額を投下できる集中型間接金融が適していますが、何が日本のリーディング産業になるかが読めない現代では集中型間接金融はリソースの最適配分に適しません。また、少数の人間に多額の資金の運用を任せると、使い方がわからなくなり、最も有効な資源配分ができなくなります。米国では少なくとも資産運用に関してはサイズを限定することが重要とされ、一定以上のサイズになると適切な運用ができなくなるので、配当で出してしまうのが常識になっています。ところが1つの銀行の資産が国のGDPの30%を占め、なおかつ、銀行のほとんどの投融資活動が国内で行なわれる日本の金融は、こういった点で大きな問題を抱えています。ここまで資産が膨れ上がると無理な投資や融資が行なわれるようになり、効率性が落ち、消化不良が起きてしまいます。

資本市場とはより早く、より民主的に資源の再配分を行なう仕組みです。ところが日本の資本市場はあまりぱっとしません。現在、世界同時株高が進む中で唯一、株が下がっているのは日本、ドバイ、ジャマイカだけです。これは日本の経済力を見ても、企業の収益・利益力を見ても、到底考えられないことです。それにも関わらず、株安になるのは日本で資本市場に対する配慮が欠けていることに一因があるのではないでしょうか。何か株式市場に影響を与えることを決定する時は、米国では、公聴会等の機会が設けられ、事前に投資家等利害関係者の意見を収集し、予測可能性を高めるプロセスを踏むといった配慮があります。ところが日本では官庁と政治家との間の政治的アジェンダ中心に決められ、資本市場に対する配慮が十分ではありません。

日本の内閣では、憲法改正や安全保障、教育といった日本の長期的成長にとって重要なアジェンダを扱っています。しかしそうしたアジェンダは経済や資本市場がついてこなければ遂行できません。ところが、たとえば、譲渡益に対する減税措置の打ち切り、グレーゾン金利の制度変更などについて、資本市場への説明が不足していると思われます。こうなると海外投資家は突然の制度変更があることを想定して、その分のリスクプレミアムを割り引いて買わざるを得なくなります。これは大問題です。

日本が世界同時株高についていけない背景にはこうした状況があります。よって、日本のマスコミ、行政、政界の金融・投資・資本市場に関するリテラシーを向上させることは、日本の資本市場が世界で認められるようになる上で、急務であると思います。

日本の企業は買いたいが、株は買いたくないとする海外機関投資家は多く存在します。三角合併が解禁となると、市場で株を購入するのではなく、直接企業買収に動く人々も多く出てくるでしょう。こうした状況に対する認識が弱いのが日本の最大の問題です。

質疑応答

Q:

現在の状況を改善するには何をどういう順番で行なうべきだと考えますか。

A:

理解が無いところでは正しい施策は打ち出せません。行政は現状、市場との対話を遮断しています。官庁ではジェネラリスト育成の要請や特定の業界との癒着を回避するため、人事のローテーションがあり、専門家が生まれにくい環境となっています。米国ではウォールストリート出身者が財務長官になるといったような人事交流がありますが、日本でもこうした交流が必要だと思います。ただし、米国の場合は金融機関のトップがそのビジネスに最も詳しい人となっていますが、日本では必ずしもそうではなく、金融機関のトップを政府機関にもってきてもあまり役に立たないかもしれないという可能性があります。そうなると、官庁が何らかのルールに沿って民間と情報交換できる仕組みを再構築するのが実現可能性の高い方法になると思います。

Q:

運用先が不透明なファンドに対する銀行の投融資についての規制を強化する案についてどうお考えですか。また、株取引をしている人の中には、投資信託のパフォーマンスはよくないという人もいるのですがどう思われますか。

A:

ファンドに対する銀行の投融資についての規制強化は喫緊の問題への対処なのかもしれませんが、グランドデザインの枠で考える必要があると思います。たとえばタイヤに数カ所の穴が空いた場合、1つの穴を塞ぐだけでは修理になりません。同様に、流動性が極めて高い金融の場合も、一箇所でも穴があればすべてがそこに向かいます。つまり、金融システムや法律全般をパッチワークする際には、全体像を俯瞰しながら、すべての穴を同時に塞がないと意味がありません。今回の規制強化についても、全体像を把握していないので直接的な回答はできませんが、どこかに穴がある可能性はあると思います。
後半の質問に関しては、現在、株取引をしている人と、日本が今後必要とする個人投資家とは必ずしも合致しないと思います。日本が今後必要とする個人投資家は、現在預貯金だけをしている人々です。かつて、日本の投資信託の成績は必ずしもいいものではありませんでした。昔から株式投資をしている人は、そうした投資信託の悪いパフォーマンスを記憶しているので、投資信託のパフォーマンスは良くないというのではないでしょうか。ただし、日本の投資信託のパフォーマンスが世界水準と比較して見劣りするのは事実です。それは次のような構造に起因しているのかもしれません――投資信託のファンドマネージャーは自社のアナリストの意見を聞いて買わなければならない。アナリストはアナリスト受けする応答をする企業を好む。そうすると、その企業の買われ過ぎが起きパフォーマンスが落ちる、という構造です。また、パフォーマンスの低下を引き起こす根本的な問題は給与体系にもあります。日本の投資信託の多くのファンドマネージャーの給与は運用成績に連動していません。それでは優れたパフォーマンスは期待できないでしょう。とりわけ、成績の悪いファンドマネージャーをクビにできない文化を変えていかなければパフォーマンスの向上は難しいでしょう。

Q:

金融業にとって障害となる法規制は残っていますか。また、どのようなルールを積極的に設けるべきとお考えですか。

A:

障害となる法規制はほとんどありません。
証券取引法等の執行力はさらに強めるべきだと思います。財務関連情報の漏洩やセレクティブディスクロージャーはしっかりと取り締まるべきです。そうしなければ、海外機関投資家に見放されるでしょう。日本では優れた法規制が整備されているので、今後はその執行力強化が課題となります。そのためにも、マスコミや行政機関のリテラシーを高めることが最も重要です。

Q:

政治家のリテラシーを高めるには、業界団体の陳情以外でどのような方法があるとお考えですか。

A:

政治家は有権者の支持につながるトレンドには非常に敏感で、支持獲得のための努力は惜しみません。一方、世論はマスコミが中心となって形成されます。したがって、マスコミが金融や投資に関する知識を深め、もう少しまともな評論をするようになれば、サイレントマジョリティが声を発するようになり、政治家もそうした世論を追いかけるようになります。マスコミはこの点で大きな役割を果たします。

Q:

自分は団塊の世代の1人だが、1つの世代で共有されるカルチャーや考え方は、多様な方が新しい芽につながるとお感じになりますか。

A:

日本人の単純平均年齢は約40歳です。今の40歳世代が今の団塊世代の年に達したとき、おそらく40歳世代は団塊世代と同じようなことを考えると思います。ですから、世代のカルチャーや考え方より重要なのは、どの世代に権力を持たせるかです。社会の中心にいる世代に力を与えていかないと社会はうまく機能しなくなると思います。もちろん40歳世代だけで社会が機能する訳ではなく、上の世代の知恵や経験も必要となります。しかし日本の文化では、かつての部下に仕えるといったことは起きにくくなっています。こうした文化を調整し、必ずしもキャリアを上り詰めていかなくても組織に居続けることのできる仕組み、キャリアを下げたり、キャリアと折り合いをつけたりしながらも組織に貢献し続けられる仕組みを導入する必要があると思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。