市場と経済発展:途上国における貧困削減に向けて

開催日 2006年9月12日
スピーカー 澤田 康幸 (RIETIファカルティフェロー/東京大学大学院経済学研究科助教授)
モデレータ 木村秀美 (RIETI研究員)
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議事録

途上国の経済発展には、市場がうまく機能しない「市場の失敗」をいかに補正していくかが重要である。澤田氏は、これまでの国際的な開発援助の思潮には「市場」に関する理解が一貫して不足していたと指摘、セミナーにおいて、東南アジア、アフリカを始めとする途上国の「市場の失敗」事例の分析結果を報告し、市場における共同体と政府の役割、効果的な政策支援のあり方について提言した。

「市場」の正しい理解なくして政策設計はあり得ない

澤田氏によると、市場経済とは、さまざまな取引で成り立っている世の中のことで、途上国では企業や商人、農民などが「取引」を成就するためのさまざまな工夫や努力を積み重ねて慣習化した草の根的な制度が成立しており、それら民間の工夫、努力、制度があるので、政府が頼りなくても市場経済は何とか成り立っている、という。

この構図を見失っては、経済の構造改革を実現することも、ソーシャル・セーフティネットを構築することも覚束ないにも拘わらず、国際機関や途上国問題を分析する専門家の中には、1980年代の構造調整・自由化路線、90年代の市場に頼らないセーフティネット重視路線、2000年の国連の「ミレニアム開発目標」以降の潮流すべてを通じて、「市場」に関する理解が不足している。

澤田氏は、途上国の市場の現実を把握し、なぜ市場が失敗するのか、市場が有効に機能するための制度的な要因は何か、と言ったことに対する正しい理解なくして政策設計はありえない、と述べた。

「市場の失敗」と克服の事例

上記の問題意識に基づいて実施された、12人の開発経済学の研究者によるアジア・アフリカでの周到な現地調査と6人の日本経済史の研究者による戦前の日本の歴史資料の緻密な調査の中から、澤田氏は、「市場の失敗」の典型的なケースとその状況がどのように改善されたかを紹介した。

(1)財市場の失敗
財市場の失敗の事例としては、フィリピンのコメの取引、インドネシアの野菜取引、1880年代の日本の生糸取引、ケニアにおける生乳市場、ガーナのコメ流通システムの事例が紹介された。それぞれのケースは、生産者と集荷人との長期的な取引による安定的な供給と信頼関係の醸成、共同体による製品の品質管理を行う仕組みの形成とそれを補完する公的な品質保証制度(商標)の確立、政府による非効率な流通の権利の独占の廃止、集積を通じた効率的市場取引の形成などにより、市場取引が活性化したとの報告がなされた。

(2)労働市場の失敗
労働市場については、フィリピンにおける労働供給と需要のマッチングの問題が紹介され、小規模企業では、親族や友人などの強いパーソナルネットワークを通じて良い人材が確保できるという意味で共同体メカニズムの利点があるが、一方大企業ではコネに頼る人材の確保には限界があり、職業紹介機関などを通じて求人情報の偏在を解決するための政策的措置が重要となると澤田氏は指摘した。

(3)資金市場の失敗
資金市場については、ケニアの小企業の資金調達とインドの廃品回収業の事例が紹介された。ケニアの中小金融機関は、借り手に対し、十分な営業経験年数や担保等を求めるため、借り入れ制約が新規企業の成長の障害となるが、一方でROSCA(回転型貯蓄信用講)という一種の頼母子講の活用や親戚などからの融資が小企業の資金調達源となっており、共同体的な人間関係の活用で、資金市場での失敗を克服している。インドの事例においても、最貧困層が社会の階梯を昇っていく際に、共同体メカニズムを利用したROSCAが重要な役割を果たすという。

(4)保険市場の欠落
澤田氏は、保険市場については、戦前期の日本の岩手県の天候リスクに対応して小作契約の形態が変わっていた事例を取り上げ、共同体メカニズムや暗黙の契約が保険市場の欠落を補完したケースとして紹介した。

(5)複合的な市場の失敗
これらの「市場の失敗」が複合的になった事例として、澤田氏は、インドネシアにおける養殖事業のケースを取り上げた。複合的な市場の失敗は、1)技術知識や経営ノウハウといった外部性を内部化するメカニズムの欠如、2)不確実性やリスクに対する保険機構の不在、3)資金市場の未発達性、4)財・労働にかかわる需給のサーチ費用、などが絡み合って発展が制約されるというものである。

市場を補完する「共同体」の役割と政策設計

以上の事例からもわかるように、「市場の失敗」を補完するものは、農村共同体であれ、都市の疑似共同体であれ、「共同体的メカニズム」である。とはいえ、共同体を主軸にした「コミュニティ参加型援助」の設計には慎重を要する、と澤田氏はいう。コミュニティにおける既存の権力構造を一層固定化し、権力者によるレント追及や独占的特権による深刻な非効率性を生む恐れがあるからである。従って、コミュニティ参加型援助を有効に行うためには、対象地域の「市場の失敗」を正しく把握し、政治・経済・社会状況も踏まえた上で、人々の市場取引をサポートするような個別の支援策が不可欠となる。

政府がなすべき効果的な政策支援方法としては、農民、商人や企業の活動を支援する公共財の提供――輸送・通信インフラへの投資や公共の情報サービス、品質保証制度の確立、保険市場の創設――をはじめ、農業や商業向け融資プログラム、集積支援、従業員の技能訓練や経営者研修などの知的支援プログラム等があげられる。同時に、今後は、開発プログラムの計量的評価に共同体の役割という視点を取り入れること、また、以上の視点から実務と研究の有機的な対話を心掛けて行くことも重要である、と澤田氏は語った。

セミナー後の質疑では、途上国社会で共同体の因習などが障害になって、市場確立の制約になっている面もあるのではないか、という質問があった。澤田氏は、因習などが障害になっている点を認めながらも「その意味で、個別の市場の失敗を精査し、共同体の構造を変えていくための政府のサポートや対策が求められる」と指摘した。

(2006年9月12日開催)

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。