集積型産業発展――中国・温州と重慶の事例

開催日 2006年6月13日
スピーカー 大塚 啓二郎 (国際開発高等教育機構主任研究員)
モデレータ 木村 秀美 (RIETI研究員)
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議事録

なぜ今、産業集積か

北イタリアのミラノがファッションの世界でパリを圧倒しているのは周辺地域に柔軟なアパレルシステムがあり、そこで製品をすぐに生み出せるからだといわれています。中国では中関村や温州のほか、中国の産業発展を支える江蘇省でも急速な勢いで産業集積が形成されています。途上国でもバンガロールやハイデラバードに大きな集積があり、ダッカにはアパレル企業8000社が集積、北ベトナムの各村にも集積が形成されています。このように集積が世界各地で発展する背景にはグローバル化の動きがあります。ボーダレス化が進んだ現在では、競争は一国内の集積間ではなく国と国の間で行われるようになっています。

産業集積についてはいろいろな定義がありますが、ここでは「類似ならびに関連する財を生産する多数の企業が密集している地域(たとえば、部品企業と最終製品製造企業が多数存在している状況)」と定義します。産業集積は城下町型と中小企業型の2つに大別できます。

Alfred Marshallは集積の利益として情報のスピルオーバー(模倣)、企業間分業、熟練労働市場の発達の3つを挙げています。これを逆の視点で捉えると、集積地以外に立地すれば、新しい情報に接しにくく、部品の調達に事欠き、必要な「腕」を持った労働者を見つけにくくなるということです。したがって新企業は積極的に集積に入ろうとします。このようにして集積が拡大するという好循環が生まれます。

アパレル、オートバイ、機械等の産業の集積状況を各国で調査した結果、基本的ファインディングは国や産業に関わらず、産業発展に成功した集積の発展パターンは驚くほど類似しています。そのパターンは産業発展を始発期、量的拡大期、質的向上期の3つの段階で捉えた内生的産業発展モデルで説明できます。

内生的産業発展モデル

始発期には、まず創始者が登場します。製造は簡単だが販売が難しい産業の場合(アパレル、靴等)は商人が、逆に製造は難しいが販売は簡単にできる産業の場合(機械等)は技術者がそれぞれリーダーになる傾向が強いようです。また、ハイテク産業等では科学者がリーダーになるケースが増えます。こうした創始者がものづくりを始めるわけですが、ものづくりの初期段階は大きな苦労を必要とします。途上国の場合は先進国製品の物まねから始め、成功すると追随者が生まれます。つまり追随者は創始者の模倣を行います。

これが量的拡大期で、低級品を作る企業の数が増加し集積が形成されます。量的拡大期でも当初は収益がありますが、追随者の数が増え、さらにそれぞれが低級品を生産するので値崩れが発生します。このようにして利潤の減少を迎えます。

そこで多面的革新が生まれ、質的向上期に突入します。多面的革新に失敗した企業はこの段階で淘汰され、革新に成功した企業は大企業へと成長します。このような大企業が集積内にいくつか残り、質的競争が激化するという仕組みになります。

内生的産業発展で決め手になるのが多面的革新です。製品の質を上げるだけでは生き残れません。いくら製品の質が高くても、消費者の側が高品質と考えない限り売れません。高品質の製品を高価格で売るには企業イメージの改善やブランドイメージの確立が必要で、さらには他の製品と混ざらないように独自の販路を確保することも大切です。

高品質で差別化された製品が作れるようになると、次に特注品の需要が生まれます。特注品には新しいアイデアが含まれていますので、下手に部品屋に見せてしまうと、他企業にそのアイデアが売られる危険性があります。そこで長期的下請け関係の確立が必要となります。ブランドイメージも確立でき、独自の販路も確保でき、長期的下請け関係も確立できるようになると、生産規模を拡大して収益を向上させることができます。革新に失敗した企業の吸収のチャンスも生まれます。

このように企業規模が拡大するとマネージメントの改善が重要となります。多面的革新にはいろいろな側面を総合的に捉える能力が必要ですので、こういった革新では学歴の高い企業家が活躍します。

集積の利益再考

Alfred Marshallは前述の通り、集積の利益として情報のスピルオーバー(模倣)、企業間分業、熟練労働市場の発達の3つを挙げました。我々はこれらに、商人と製造企業の取引費用の節約と、多様な人的資本の集積の2つを追加したいと考えています。

企業が小さな地域に密集した場合、噂が常に飛び交いますので、そういうところでインチキをしてもすぐにばれてしまいます。そして評判の悪い企業のところに商人はやってきません。同様に、企業は評判の悪い商人とは取引しようとはしません。評判が巡り巡って取引費用の節約につながるわけです。

次に多様な人的資本の集積に関して説明します。量的拡大期にはデザイナーや技術者、商人や部品企業等、多種多様な人々が集まり、これにより革新機会が拡大します。シュムペーターはこれを新結合と表現しています。新結合すなわち、既存の資源である多様な人的資本の使い方を変化させることです。具体的には商人を雇って販売代理人にする、あるいは市場で売っていた部品屋を長期下請け企業にするといったようなことです。

これまでの議論では模倣が強調されていましたが、これにはいささか疑問です。模倣だけでは前進できません。集積で模倣が重要であるならば、革新も当然重要であるべきです。人的資本が集積すれば革新機会が増えるというメリットがあるのに、それが見逃されていたのです。換言すれば、産業集積は製品、部品、労働市場の機能を高め、革新と模倣の機会を拡大するといえます。今までは革新の機会に関する議論が抜けていました。

温州モデルの検証

もともとは貧しい寒村であった温州を調査しました。そこでは農家の主婦が内職し、夫が枕カバー等の雑貨を全国に売り歩いていました。こうした人々がイタリアといった海外にわたったり、国内の大都市に移住したりました。国内移住者は商人として各地に「温州市場」を建設し、温州製品を販売しました。

1990年代半ばまでに温州は驚くべき発展を遂げました。アパレル、靴、シャンデリア、ライター、弱電(スイッチ等)、灌漑ポンプ等の労働集約的製品の集積が、下級の市と呼ばれる衛星都市ごとに形成され、技術は国営企業の技術者から週末に学びました。製品は全国に散らばる温州商人にもっぱら販売されました。

中国の1人当たり実質の国内総生産(GDP)指数の変化を、国全体、温州市、そして弱電産業のある楽清市で比較してみると、経済改革の始まった1978年当時、温州のGDPは平均の6割レベルでした。その後1992年頃に平均に追いつき、現在では国全体の指数が596であるのに対し温州市では1300というレベルです。

温州は1980年代、“ガラクタ”の製品で全国に名が知られるようになり、市政府は1980年代前半に市場を建設しました。そこで商人と製造業者の取引がスムーズに行われるようになり、1980年代後半になると製品の価格が低下し始めました。そこで製品の質を改善するために1社が検査機を導入しました。その後多面的革新を実現し1990年代、質的向上に成功しました。この段階で市政府が工業区を建設し、産業集積を促進する上で大きな効果を発揮しました。

今回我々は112社を対象にデータを収集しました。このうちの大半が1980年代から1990年代前半に設立されていることから、この時期が量的拡大期であったといえます。参入が一定期間続いた後に参入数は減少に転じ質的向上期に突入しています。このプロセスで企業の販売人や専属の商人の重要性が高まりました。これは注目すべき点です。

同時に、吸収・合併された企業の数も増加しました。1990~1995年で1企業当たり平均付加価値額は3倍に増加しています。1995~2000年では10倍の増加です。これには子会社は含まれていませんので、子会社を入れると6割増し、つまり5年間で16倍の増加になります。これは多面的革新の成果です。そして技術者の増加がこの成長を支えたともいえます。また、長期的下請けも増加していましたし、販路もそれまでは地元の市場や地元の商人が大半を占めていましたが、2000年には販売員・代理店や直営店が8割近くを占めるようになっています。

次に、企業グループが形成されました。どのタイミングで企業グループを形成したかに応じて、独創的企業、革新的企業、追随的企業、グループに参加しなかった独立型企業、子会社化された企業に分けてデータを観察してみました。その結果、最終的に競争に打ち勝った革新的企業は多くの技術者を雇い入れていることが分かりました。さらに、1990年に一番儲けが少なかったのが革新的企業であったという興味深い点もあります。質の高い製品を製造したものの、高すぎて売れないという状況に陥っていたからです。しかし、その後儲けは大きく上がっています。このことからも、質の向上だけではなく、ブランドイメージの確立や販路の開拓が必要であったということが分かります。

温州モデルでは市政府が市場を建設したことで企業の新規参入が促進されました。これは温州モデルの1つの骨子です。市政府が工業区を建設させたことも集積の拡大を促進しました。これらの点は、産業集積の形成に対する政府の役割の重要性を示唆しています。さらに、産業の大躍進を促進するには多面的革新が必要でした。これも温州モデルの骨子の1つです。

重慶モデルの特徴

重慶も温州と同じように集積依存型で、市政府が工業区を建設しました。温州と異なるのは技術者主導型であるという点です。1980年頃の国営企業と日本企業の合弁によるオートバイ生産が集積誕生の契機となっています。一方で毛沢東による「三線政策」で重慶の重工業は大きく発展していました。このように重工業のベースが既にできあがっていたのは重慶モデルで重要な点です。重慶モデルでは私企業を含む郷鎮企業が国有企業を踏み台にして発展しています。つまり国営企業の技術や経営知識等を根こそぎ吸収したわけです。現在では多面的改革にもかなり成功しています。

独立型企業の中でとりわけ元気の良い企業が3社(「ビッグ3」)あり、今回の調査ではこの企業に特に注目しました。1995年のビッグ3によるオートバイ生産台数は、国有企業の45万1000台に対し、7000台でした。それが2001年には59万5000台にまで伸びています(国有企業の生産台数は26万台に減少)。

オートバイ価格とエンジンの質を企業タイプ別に比較してみました(資料25P)。興味深いのは、国有とビッグ3では平均価格が変わらないという点です。独立系の平均価格はこれら企業より低くなります。一方、エンジンの質ではビッグ3が国有企業を上回っています。国有企業の質は小さな独立系企業にすら劣っています。それにも関わらず製品は高く売る。このような価格と品質の不一致は消費者が品質の向上を理解していないことにより起きます。

そういう中、独立系企業の間で技術者の雇用が進みました。ビッグ3は技術者の多くを国有企業から引き抜きました。研究開発(R&D)支出も増加し、国有企業から経営者を迎える企業の数も増えていきました。

重慶モデルの統計分析では、企業間分業(子会社との下請け関係)が企業成長にプラスの効果があるという点や、国営企業から引き抜いた技術者や経営者も企業成長に貢献したという点が明らかになりました。R&D支出も企業成長の重要な決定要因となっている点も示唆されました。

重慶モデルでは、国営企業がモデルプラントの役割を果たし、私企業の設立と発展を支援したこと等がポイントとなっています。

まとめ

エチオピアの靴やバングラデッシュのアパレルを含め、成功している産業発展のパターンは酷似しています。成功の鍵を握るのは質的向上を達成できるか否かです。そして質的向上の条件としては、経営者能力と海外からの技術の吸収が挙げられます。集積の育成段階で政府が市場や工業区を建設することは効果的です。集積の発展段階でも政府の支援は重要となります。特に模倣が広がることで革新に対して社会的には過少な投資しか行われなくなり、私的利益と社会的利益が乖離します。ここは政府が支援すべき分野です。

我々は、質的向上に移行できない、あるいは十分に移行できていない企業に対してはトレーニングを行ってはどうかと考えています。多面的革新を起こすには技術革新だけでは不十分です。経営知識やマーケティング知識をトレーニングを通して修得する必要があります。トレーニングのタイミングも重要で、量的拡大期の終盤、価格が低迷し始め企業家が新しい知識を渇望している時期に技術と経営の知識を普及することに大きな意味があります。

質疑応答

Q:

中国、特に温州の企業家にはどんどん独立して小さな会社を作るという分散傾向があると思うのですが、そのような傾向は確認できましたか。

A:

明確に確認できました。温州には10程度の下級の市があり、それぞれの市で集積が形成されています。どの集積でもパターンは同じで、創始者は最初に苦労しています。弱電を例に挙げるとすれば、上海の国有企業で不良品が多発し、クレームが発生しました。そこで雑貨を売り歩いていた商人が不良品を修理をすることからこの産業が始まりました。やがて模倣が始まり、周囲に広がり集積が生まれたというわけです。

Q:

質的向上期に移行できない集積にトレーニングを実施し支援することに関連して、誰に対しどのようなトレーニングを実施すべきでしょうか。

A:

既存のトレーニングプログラムでは一般に労働者を対象とした技術的トレーニングが実施されてきました。我々は経営者、さらにはその右腕となる人を対象としたトレーニングを考えています。トレーニングの内容としては、技術的トレーニングだけでなく、多面的革新の重要性を考えるならば販売やマネージメントに関するトレーニングも必要だと思います。
加えて、一度トレーニングを実施した企業の事後調査を行い、精査していくプロセスが必要になると思います。この種のトレーニングは革新的な政府開発援助(ODA)とでも位置付けられますが、現時点で全容が明らかになっているわけではありません。試行錯誤を経て産業発展に寄与する戦略を練っていきたいと考えているところです。

Q:

量的拡大期から質的拡大期への過渡期に政府支援を実施することが重要とのお話でしたが、一般的に途上国政府が市場状態を分析するのは能力的に難しいと思います。そこで、支援を実施するタイミングについて分かりやすい指標があるのかが政策支援のポイントとなると思います。その場合、利潤の減少が1つの指標になると理解できるのでしょうか。
輸入代替工業化から輸出志向工業化への転換と、量的拡大から質的拡大への転換の間に関係性はありますか。

A:

エチオピアの靴の場合、従業員規模で平均8~10人の企業が約1000社ありましたが、エチオピア政府はこれら企業についてまったく把握していませんでした。ケニアの場合も同様です。こういった国では税金逃れのために企業が隠れている場合もあります。ただ、こうした小企業が多く集まりだし、500~1000社の規模になれば、量的拡大期の終盤に突入していると解釈でき、多面的革新に向けた支援のチャンスだと思います。
2つ目の質問に関連して、途上国の工業化というとすぐに海外直接投資(FDI)が持ち出されます。直接投資も確かに重要ですが、あまりにもレベルの高い直接投資を呼び込みすぎていると思います。レベルが高すぎて模倣できないケースが多く見受けられます。中国のレベルはかなり高まっているので、日本企業が進出した場合、部品のあたりから模倣を少しずつ始め、やがてすべてを模倣するという動きが今後出てくると思います。ベトナムではキャノンやトヨタ、ホンダが進出していますが、レベルがあまりにも違うため、飛び地的に合弁企業が生産を行い、地元産業はまったく関与しないという状況が生まれています。ですので、途上国にとっては一般に労働集約的なところにこそチャンスがあると思います。輸入代替の場合はかなりレベルが高いので、まずは金属加工等の下層から伸ばし、支援産業ができたところで先進的産業に移るのが良いと考えます。

Q:

今回の調査と中国での先行研究にはどのような関係がありますか。つまり、中国の研究者との連携はどうなっていますか。また、調査は産業集積に関する一般的命題を導くことを目的にしているのですか。あるいは開発の視点から途上国への貢献を重点にしておられるのですか。

A:

調査には中国人の参加も得て、中国語文献のレビューは行いました。
調査地の選択基準は科学的・客観的というよりは偶発的なものです。ですので、どこまで一般化できるかという問題はありますが、さまざまな場所で調査を行った結果、一定のパターンは確認できました。そのパターンは細分化でき、その違いをもたらすのが多面的革新というわけです。集積では形成された後に分散するという現象が起きます。ですので、集積の形成に関してはどうしても過去のケースを持ち出さざるを得なくなります。地理的側面や衰退過程を考えたより長期の一般的法則があるかは大きなテーマになると思います。

Q:

創始者が登場し、生産方法を確立するには何らかの条件が必要なのでしょうか。模倣はなぜ可能となるのでしょうか。モデル内の各段階では何らかの要件が存在するのでしょうか。
また、世界的に知的財産権の保護を求める動きがあり、模倣に反対する声が挙がっています。そうすると、途上国が模倣をするのが難しくなります。この点、どのようにお考えですか。

A:

経済学でいう経路依存性ということですね。何らかの理由があって登場するわけですが、温州モデルの場合は、中国中を歩いている商人がアイデアをどこからか持ってきた、重慶モデルの場合は重工業が大きく発展していた、というのが集積形成で大きな役割を果たしています。途上国ではなかなか難しいのですが、それでもバックグランドがあまり必要でなく、比較的簡単に始められるアパレルや靴や金属加工から入っていくのがまっとうなやり方になるのだと思います。
ご指摘の通り、中国での革新は我々の目から見れば模倣的革新で、革新的革新ではありません。ここで知的所有権が確立していれば駄目という類のものです。知的所有権の保護を強化すればするほど、途上国は難しい局面に直面することになります。

Q:

今後のバイオやナノテク等の産業集積を考える上で現在の日本に応用できる考え方はありますか。

A:

日本の場合は科学者主導型になると思いますので、大学を活用するのが基本です。集積の目的は情報コストを下げることです。集積とは裏切りと信頼の形成の世界です。いろいろな企業を集積にスカウトして、新結合を生み出す過程では裏切りもあるでしょう。かといって裏切りだけでも成立しないので、企業間での信頼関係も必要となります。大学を中心にあれだけの研究機関が集中する筑波に集積が起きないのはなぜか、このあたりを研究してみないとご質問に対して断定的な答えをすることは難しいです。中国の中関村を見ると日本に焦りを感じてしまいます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。