オリンピック仲裁に見る国際スポーツ界の現状

開催日 2006年4月21日
スピーカー 小寺 彰 (RIETIファカルティフェロー/東京大学大学院総合文化研究科教授)
モデレータ 田辺 靖雄 (RIETI副所長)
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議事録

ドーピング問題や選手選考など、スポーツの運営をめぐるトラブルで、早期の決着をするスポーツ仲裁が国際スポーツの世界に浸透してきている。本年2月に開催された冬季トリノオリンピックでは臨時仲裁廷が設置され、8件の仲裁がなされた。国際法の第一人者で2003年の日本スポーツ仲裁機構(JSAA)設立にも関与、今回仲裁人としてアジアから1人参加した小寺彰氏が、トリノ五輪での活動とスポーツ界での法の支配、法律家から見たスポーツ界の今後のあり方を報告した。

スポーツ仲裁のこれまでの実績

スポーツの運営をめぐって選手と競技団体との間等で紛争が生じることが多いが、その紛争をルールに基づいて解決するのがスポーツ仲裁。国際的には1984年に国際オリンピック委員会(IOC)が、スポーツ仲裁裁判所(CAS:Court of Arbitration for Sport 本部ローザンヌ)を設立し、その後中立性確保のために1994年にIOCから独立した組織となった。日本でのスポーツ仲裁は、冬季長野オリンピックから始まった。小寺氏は、「この時6人のメンバーで日本人は私1人だった。スポーツ仲裁が一躍注目を集めたのは、千葉すずさんのオリンピック出場をめぐるCASへの提訴だった」と説明。日本でのスポーツ仲裁はこれまで6件の裁定がなされている。

CASの活動は、年間案件は今では200件もある。意見を求められる案件は71件に上り、2004年は仲裁申請が271件に達した。これは、FIFA(国際サッカー連盟)がCASを受け入れたことが大きな要因で、「サッカー関連の紛争がどっと増えた」ため。本年は臨時仲裁廷がトリノ五輪の他に3月の英連邦大会、6月のドイツ・ワールドカップにも設けられる。

トリノ五輪では紛争8件

小寺氏は、トリノ五輪の期間中トリノに滞在し紛争案件を裁いた。トリノでは8件が付託された。「9人の仲裁メンバーがポケベルを保有し競技会場にいて、事件があればホテルに呼び戻され、24時間以内の裁断が求められる。ただヒアリングし理由まで付け判断するには時間が少なく、決定理由は48時間内で当事者へ渡した」。内訳は、ドーピング関連が3件と選手選考、競技の判定がおもなものだった。「ドーピング関連では、今年1月の大会で米国のスケルトンの選手が、毛ハエ薬が今年からドーピングの禁止薬物になったことを知らずに服用して黒と判断されたが、気の毒だとして米国アンチドーピング機構が当該競技会だけ失格としたのを、WEDA(世界アンチドーピング機構)が2年間の出場停止を主張して提訴し、仲裁廷はWEDA規程に基づいて1年の出場停止が妥当と判断してオリンピック出場を認めなかった」との判断を紹介した。

小寺氏自ら判断を下したのはイタリアのスノーボード選手4人の選考。シーズン当初の選考基準では、スキー連盟は5回のW杯(ワールドカップ)の総点数で決まるとしたのを、最後のW杯直前に、「ベストtwoルール」、つまり5大会中一番良い2つの成績で代表選手を決めると変更したのはおかしいとの選手の訴えで、「スノボーのケガは不可抗力といえず、選考は5回の点数で決めるべしと判断、訴えた選手の出場権を認めた。その結果、翌々日の競技を前に練習していた1人の選手が落とされ、また競技では訴えた選手がイタリア選手4人中トップだったが、選手団の雰囲気は最悪だったと地元紙が報道、複雑な気持ちだった」という内容だった。

日本でのスポーツ仲裁の現実

トリノでの仲裁を踏まえ、日本でのスポーツ仲裁の現状を小寺氏は、「日本ではトップアスリートを経験したこともないあなたがなんで口を出すのかという雰囲気がある。オリンピックではルール、法の原則に従って仲裁する。スポーツ競技は公共的なもので、選手は出場の権利があるとの考え方で対応している。オリンピック仲裁では仲裁界の有名仲裁人が無報酬で行っている」と語り、欧州を中心とした国際スポーツ仲裁で選手の権利が尊重されていることを示した。日本ではJSAAに訴えることに抵抗感が強いとも。「ある国内連盟を訴えた選手が村八分にされ、競技生活を断念したという例もある。法的審査に服するのはスポーツが公共的色彩があるから、また選手に権利があるから。ルールに基づき、高い能力をもった選手が出場し、正当に技を競うことに公共性があるという認識がスポーツ界に必要」とスポーツ法学の学問的裏付けの必要性を指摘した。

日本の不利な面克服は難題

また日本の国際スポーツでの不利な面がトリノ等オリンピックで出ているとの会場の意見に対し、小寺氏は、「日本人では今、国際スポーツ連盟関連のトップがおらず会長、副会長は欧州か米、中南米の出身者である。国際スキー連盟のホドラー会長(当時)が長野で連盟が訴えられた時、自ら出てきて正しいことを法的観点から諄々と主張した。こういう、ルールに精通し、縦横に駆使できる人材が日本のスポーツ界にどれだけいるのか。オリンピックは、特に冬季は欧州の世界が中心だと感じる。日本人が英語でルールメイキングを試みたときにサポートするアジアの人がいるのか。雰囲気で躊躇してしまう」とルールメイキングの世界で日本がリードすることが難しい現状の打破は簡単でないことを示した。

(2006年4月21日開催)

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。