産業再生機構の経験-市場規律と経営統治の再構築

開催日 2006年2月21日
スピーカー 冨山 和彦 (産業再生機構代表取締役専務)
モデレータ 胥 鵬 (RIETIファカルティフェロー/法政大学経済学部教授)
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議事録

「失われた10年」の総括

事業再生そのものは結構いろいろと話はされていますが、日本の諸問題が、不良債権問題や事業再生にかかわる問題と一緒かというと、もう少しその先へ来ています。したがって本日は、この10数年間は結局何だったのだろうか、もし未来へ向かって何かレッスンを残せるとしたら何なのだろうか、というところを考えていきたいと思います。

資料2Pは、「失われた10年」の間に、不良債権がこんなに増えて、いろいろなことがありましたという歴史を振り返った数字です。折れ線は間接的な指標としてM&Aの件数がその間どの様に推移してきたかということです。実はその失われた10年間で、M&Aは増えています。特に最終局面の4~5年ですが、少なくともM&Aが増えるということが、不良債権を減らす上でマイナスには働いていないことは確かで、むしろM&Aが増えていく中で不良債権処理も進んでいくという、間接的な相関が見て取れるかと思います。

では、その中で、私たちは何をやってきたかということです(資料3P)。典型的には土地の値段や株が急激に下がってしまったところから、バブル崩壊が始まっているのですが、そこで、当然銀行のバランスシートの左側に不良債権が増えたわけです。ただ、これは企業側から見るとバランスシートの表裏の関係に立ちますから、過剰債務になります。この左側の実質的な企業価値というのは、その会社がどういう営業キャッシュフローを生み出す力を将来に向かって持っているかということですが、実は過剰債務というのは、本質的にはこれがバランスしていない問題なのです。要は、会社の生み出すキャッシュフローで借金を返そうと思ったら100年、200年かかりますという状況を、本質的な意味での過剰債務というわけです。こういう状況がいろいろな会社で生まれてしまいました。

それが起きた直後に、すぐ産業再生機構のような組織をつくって、銀行側と企業側のバランスシート調整をやれば比較的話は単純です。典型的には通貨危機のときに、韓国でうちと似たようなKAMCO(Korea Asset Management Corporation)というのをつくっています。それから、S&L(貯蓄貸付組合)の崩壊のときにアメリカではRTC(米国整理回収銀行)をつくっています。日本でもこれをやっていれば、恐らく社会的コストは一番小さい形でバブル後のいろいろなピンチを乗り越えられたのですが、日本はそれをやらなかった結果、この状態でずっと引っ張ってしまいました。

引っ張ると何が起きるかというと、借り手の側の状況はインバランスがあるわけで、最初はバランスシートがおかしくなります。それから次に必ずPLに移っていきます。要は本業の収益力が傷んでいきます。こうなっている会社には誰も金は貸しませんし増資にも応じませんので、人もお金もフレッシュなものが入らなくなります。そうすると、こういう状況の会社は戦略的選択肢は1つで、とにかくコストを減らし、投資も減らし、人も採らず、じっと冬ごもりをするのです。いつか春が来るかもしれない、春が来たらそこで挽回すればいいではないかということなのです。ところが、この10数年間、結局春は来なかったわけです。そうなると、当該事業の競争力はどんどん下がり続けます。そういうことを日本の産業界における多くの会社が繰り返してきたというのが、この過去10数年間の1つの総括だと思います。

資料6Pの典型的失敗パターンですが、企業価値に対して債務がすごく大きく、これを調整しないと前向きのことはできません。債務調整をやろうとすると、銀行側の引き当てがどれだけできるかという銀行側の都合があります。それも1行だったらまだいいのですけれども、たとえばカネボウだと100行の銀行がお金を貸しています。任意整理でやろうと思うと、全員が賛成しないとまとまらないわけです。100行もいると、1つぐらい貧乏な銀行がいます。その銀行がどう逆立ちしても20%のカットしか応じられませんと言うと、ほかもそれに合わせざるを得ないのです。結局20%の中途半端なカットをやるとか、バックアップしている資産のないDES(デット・エクイティ・スワップ)をかけて、要はお茶を濁すわけです。これでは、実体としては相変わらずバランスしていません。いくら債務が資本に置き換わってもインバランスしていることは一緒ですから、この状態の会社に一般の市場のプレーヤーで資金を入れる会社はありません。そうするとますます縮んでいってしまうということを繰り返していました。

それでは法的整理に入れればいいのだという話が出ますが、法的整理に入れると、ビジネスによっては企業価値がさらに小さくなります。商社などは法的整理に入れた瞬間にアウトです。理由は簡単で、商社のようなビジネスは信用で成り立っていますから、法的整理に入るということは支払いを止めるということで、その日から誰も商売をしてくれなくなります。したがって、多くのビジネスにおいて、日本の法的整理の仕組みというのは、ある程度の企業価値の棄損は避けられません。そうすると、どうやって企業価値を棄損させないで再生モードに転換していくかということが問われます。できれば私的整理でやりたいということになるのですが、これは全員一致ですからいろいろ問題があるという、そういうジレンマの中にあると思ってください。

資料14Pの企業のリサイクルのところですが、まず理解しておいていただきたいのは、赤字になって債務超過になったからといって会社は倒れないということです。経営者や従業員はその会社を倒すインセンティブがありませんし、株主も倒すインセンティブがありません。倒したら株主の価値がゼロになるからです。ですから、株主主権、株主統治が働けば働くほど、会社はゾンビ企業になります。株主による資本規律が働けば、どんどん会社がつぶれていって市場から退出するだろうと思っている経済学者はいっぱいいるのですけれども、そうなりません。会社が倒れるのはキャッシュがショートしたときです。ところが、ビジネスによってはなかなかキャッシュはショートしません。ですから、よくある企業淘汰論というのは、われわれからするとおままごとも甚だしいのです。

では、その淘汰のメカニズムをどういうふうに働かせるかというのがリアルな話で、これをリアルに働かせようと思うと、このサイクルをちゃんと回させることなのです。要は過剰債務になった会社、あるいは赤字構造でどうしようもなくなった会社があったときに、その中からどうやって有用な事業や人的資源を外に引っ張り出すかなのです。そのために会社更生や私的整理というプロセスがあるのです。この仕組みを回すことに関しては、債権者はインセンティブが働きます。なぜならば、この仕組みを回してリスタートのモードに切り替えないと、債権の中身は悪化していくからです。それから、この中にある事業を買いたい人たちにもインセンティブが働きます。整理手続きを踏むことによって過剰債務を修正すれば、会社としても買える、あるいは事業としても買うことができるのです。これは基本的には市場経済のシステムの問題ですから、これを回すようなインセンティブが働く社会制度や、あるいは回すためのコストを小さくするということをやらないと回っていきません。要するにこれをうまく回さないと、うまく淘汰は進まないのです。

会社間の競争が起きれば、当然会社側の優勝劣敗が起きます。会社間の優勝劣敗を踏まえて、事業資源をどういうふうに産業界の中でスムーズに再配置するかということに関するインフラが、この日本の社会では極めて脆弱だったということです。ですから、再生機構は、これが回りにくい仕組みをどうやったらスムーズに回せるのか、本来市場が果たすべき機能をどういうふうに補完していくかというのが、役割だと考えています。

産業再生機構の経験から見えてきたもの

私どもが抱えた案件は41件ありますが、大企業から中小企業、また地方の名門企業など、いろいろな類型の会社を非常に幅広くやらせていただくことができました。実はこの41案件だけではなく、恐らくこの3倍の数をデューデリしました。デューデリとは、会社の中身を調べて処方箋を書くことです。処方箋を書くと、財務リストラだけでは済まず、後は経営をしなくてはいけないので、ほぼ99.99%の経営陣が総交代です。これは当然の原理原則であって、地方の企業であろうが中小企業であろうが全部一緒です。そういう処方箋を書くと、大体経営者は嫌だというのです。「銀行から再生機構は駆け込み寺だと聞いていたので、行ったら救ってくれるのかと思ったら、私はクビですか」ということです。中小企業の場合は連帯保証しているので、われわれは自己破産までは求めないのですが、やはり豪邸に住んでいるのはまずいでしょう、この高い絵は売ってもらいましょうとなるのです。すると、その話は違うではないかと言って取り下げられたケースが圧倒的に多かったです。その会社がどうなっているかというと、典型的には2~3カ月すると新聞の片隅で民事再生法申請になっています。ひどい場合は破産です。それが現実の世界です。

この仕事をやってみてよく分かったことは、日本の今の経営者のクオリティは歴史上空前にレベルが低いということです。それは能力もモラルも両方です。要は自分のこと、自分の家族のことだけを考え、500人、1000人といる従業員を道連れにして3カ月後に破産しているのです。

デューデリを始めて中を調べていくと、日本の会社というのは大体が変なことをやっています。地方の中堅企業などは典型的で、やたらいっぱい小さな関連会社があり、妙な取引を仕入れでやっています。また、経営感覚でいうと、特に地方のオーナー会社にものすごく典型的にあるのですけれども、経営者と従業員の関係が封建時代の殿様と家臣みたいな関係なのです。はっきりいって奉公人で、全然人事評価などはやっていません。圧倒的にそういう会社の方が多かったです。

なぜそうなってきたかというと、企業にいる人たちがだらしなく、すごく不勉強だったかというと、実は違うと思っています。人材は環境の産物で、この20年間ぐらいは、日本の企業や日本の経営者をめぐる、あるいは経営者を育てていく環境、鍛えていく環境というのが、すごく緩んでいたのではなかろうかと思います。そしてそれは、結局は市場規律、外部的な規律の問題だと思っています。かつて日本は銀行にしかお金がなく、銀行ははるかに力を持っていました。したがってメーンバンクは非常に力もあったし、ある意味ではデット・ガバナンスを強烈に効かしていました。また、人材については人手不足で、労働組合は今よりはるかに戦闘的でした。しかし、ここ20年ぐらいは、資本市場は金余りで、証券会社は増資しろといい、銀行は金を借りてくれと向こうから来てくれます。人材市場は人余りという状況です。

ではその中で何が起きているのでしょうか。日本の社会というのは本質的に非常にゲマインシャフト的です。日本の会社の強さも、多くはゲマインシャフト的な特性から生み出されている場合が多いのです。ただ、この手の共同体は、外部からの規律や圧力が働かなくなると、すぐ内向きになります。ですから、どうやって経営者を選んでいくか、誰を偉くしていくかという一番大事なポイントは「お人柄」になります。お人柄円満な人が偉くなっていきます。お人柄円満な人は調整能力が高く、ある意味ではEQはすごく高いですから、みんなが思っていることをおもんぱかる能力もすごくあります。ところが、経営危機に陥ったときに一番役に立たないのは、そういうタイプの人です。そういうタイプの人は危機になると、一生懸命周りに意見を聞き始めるのです。つまり、すぐ他人の頭で考えてしまい、自分の頭で考える能力はないのです。これはゲマインシャフトの典型的な腐敗のパターンです。今の日本の大企業に関しては、多かれ少なかれそういう傾向がかなり強くあります。

それから、今の話と少し反対のことをいうようですが、何でもかんでも資本の論理でディシプリンを働かせれば日本の会社は良くなるかというと、それもまた違います。21世紀の知識集約の時代で企業体が収益を挙げる源泉というのは、モノではありませんし、生産設備でもありません。生産設備の上で働いている人間の知恵とチームワークの結晶です。それがどれだけ付加価値サイドで生きれるような仕事ができているかが勝敗を決めていきます。これはカネボウ化粧品でよく分かったのですが、カネボウ化粧品は9000人の社員がいて、7000人が美容部員、即ち営業職員です。この人たちはチーム報酬はありますけれども、基本的には固定給です。業界内でベンチマーキングをすると、労働コスト当たりの売上効率は最高レベルです。それも、成果主義をやっている外資系よりもはるかに高いのです。それはなぜかというと、これは完全にゲマインシャフト的な団結主義なのです。要するに集団に対する忠誠心、仲間意識、人間関係、これで彼女たちはドライブされるのです。これが崩壊するのではなかろうかということがデューデリにおいては一番心配でした。しかし、ゲマインシャフトというのはなかなか壊れないのです。むしろああいうことが起きると、ゲマインシャフトは団結が高まります。ですから、実はゲマインシャフトというのは強いのです。

真の企業価値というのは、別に時価総額と負債の合計値ではありません。その見かけの数は真の企業価値をマーケットという鏡で映していたときの評価なのです。マーケットは時々ゆがんだり曇ったりするので、とんでもない企業価値になってしまったりします。真の企業価値とは、持続性のある収益力のことをいいます。これを決めているものは、圧倒的にオペレーションであり、そこでやっている人間です。ですから、市場規律がゲゼルシャフト的な利害損得の合理で規律されているのだから、経営者もそれで規律すればちゃんとやるはずだというエージェンシーセオリーでやってしまいますと、大体企業は競争力がなくなっていきます。実はここに、これから日本が考えていかなければいけない経営規律の問題の本質的な課題があると思います。

マネジメントの本質

そういったことを踏まえてマネジメントとは何ですかということを考えてみましょう。実は、ゲマインシャフト的な事業体というものと、資本あるいは債権者や金融機関などのゲゼルシャフト的な規律、この結節点のところに経営者はいるのです。日本の優秀な経営者というのは、マネジメントの結ぶジョイントにいるのです。ですから、それをうまく正反合一できる経営者というのが一番上等です。多分かなり下等なのが、ゲゼルシャフトで一気通貫でやってしまうタイプの人です。それから一番下等なのは、ゲマインシャフトの腐敗に自分が巻き込まれてしまうタイプです。

そう考えると、日本の企業の経営者というのは、世界で最も難しい仕事をしなければいけなくなります。アメリカの経営者の方がマシーンでいいのです。極端なことをいえば全部ゲゼルシャフトですから、本当はビジョンなんて語らなくていいのです。ところが、日本人の集団、人材集団の力を引き出そうと考えたときには、経営者自身がゲマインシャフト的な強さを持った集団とゲゼルシャフト的な外部規律の間に立って、それを正反合一できるかどうかが勝負になるわけで、それは簡単ではありません。ゲマインシャフトは情緒の論理、即ち情理で動きます。ゲゼルシャフトは経済合理の論理で動きます。このぶつかり合いを、結局経営者が全部吸収しろということです。

売上からコストを引いたら利益で、それは「≧0」です。これはもう冷徹な経済合理で、これに反したことをやったら会社はつぶれます。他方、人間というのは意思と感情を持った不器用な生き物です。したがって、この合理と情理の正反合一をして初めて「道理」になるわけです。言い換えれば、カネの論理(財務)とヒトの論理(事業)の正反合一ができるかどうかです。21世紀は、間違いなく20世紀以上にこの2つの相克が激しくなります。ですから、この正反合一ができないような会社は持続的には絶対うまくいきません。かの渋沢栄一氏は「片手にそろばん、片手に論語」とおっしゃっておられますが、ここは本質的には変わっていないのです。恐らくこれが、日本の経営なり、日本の企業投資家たちが、今から考えなければいけない一番大事な問題だと思っています。

こうなると、経営者をどうするかというのが大事で、日本的経営とか米国的経営というような、くだらない議論はもうやめた方がいいです。そんなことを議論している暇があったら、日本は「経営者」の議論をした方がいいです。本当に事業価値を上げられる経営者というのはどういうスキルであって、何を求められるのか。あるいはどういうふうにやっていかなければいけないのか。そこを真剣に問うべきです。それをうまくできない限りは、ゲマインシャフトになるべきかゲゼルシャフトになるべきかというような、くだらない議論を永久にしなくてはいけないようになってしまいます。それは基本的に弁証法的にいかないと答えは出ません。しかし、それをやっていくのは、やり続けるのは経営者です。

要はどうやって経営者をつくるかということなのですが、結論からいうと特にいい方法はありません。ポイントは、たとえばエリートに関していうと、大企業で漫然とサラリーマンをやっていて社長になってもろくなものにはならないということです。私は自分たちでつくった会社をつぶしかかったことがあって、金策に走ったり、80人いた社員を半分に減らしたりもしました。結局どこで一番学習できたかというと、それは自分自身の失敗とつらい状況なのです。やはり修羅場で死ぬ思いをしないと駄目です。先ほどいった正反合一などできません。ですから、ぜひともエリートの方ほど会社幕藩体制から脱藩して、修羅場をくぐってください。5年も10年もやると相当立派になります。人間もだいぶ出来てくるし、大抵のことは大体どこかでこういうことがあったなというデジャビュになって、プリペアできると思っています。

質疑応答

モデレータ:

産業再生機構は、なぜ企業再生ができたのでしょうか。

A:

1つは、会社との関係でいうと、われわれはやはり外部の人間だということです。外部規律を基本的にベースにしているということと、会社のガバナンスを握っていることです。ほとんど全ての株式と債権を持っていますから、最終的な主権はこちらが握っています。逆にいうと、国民の金を預かってその主権を握っているわけですから、それを回収しなければいけないという責任も負っています。ですから、それを前提としてガバナンスを行使しており、ガバナンスが1本になっているというのは1つの大きな要素です。もう1つは、うちは政府系機関ですけれども、中の人間がほとんど民間人で、民間の話がそれなりにできている部分というのが1つの勝因だと思います。それからもう1つは、法律の枠組みと運営のやり方に関して、市場規律・市場原理以外の要素が政策的に入ってこないような仕組みをつくっていただいたおかげで、市場規律ベースでやれたということが非常にうまく働いたのかなという感じです。そういうものがほぼ完全に遮断されているというのは、多分日本の政策体系上珍しい話だと思います。

Q:

企業のガバナンス機能は資本市場やM&Aといったものにだんだん変わりつつあるのかなと思っているのですが、経営者自身の規律といったところも重要であるというお話だったと思います。そうすると、最終的には資本市場のガバナンス機能も重要ではあるけれども、それ以外に、市場競争とか、きちんと経営者層を育てて、その中で規律のある経営をすることが一番大事であるということになるのでしょうか。ガバナンス機能の将来像についてお教えいただければと思います。

A:

会社法の構造というのは、企業統治の一義的な責任者は一応株主ということになっています。権限と責任は株主にあるということは疑いの余地はないのですが、問題は株主統治というストラクチャに決定的な欠陥があるということです。会社の組織というのは、基本的な発想は国の統治機構をベースにしている部分がありますから、株主総会はいわば選挙や国会という感じで、そこで選ばれた取締役会が執行している行政府の長を選任するという議院内閣制的なストラクチャになっています。監査役というのは、司法権に準じる第三権力として、それをチェックするとなっています。これを単純に国の統治と比較したときに、1つの矛盾点があります。たとえば、次の選挙で次の内閣が増税をいうとしますと、増税に対して私たちは短期的には損をするのだけれども、子供たちのことを考えたら賛成の投票を入れるかもしれません。それは10年後も20年後もその結果を私たちが享受するからです。ところが、株主は株主総会の翌日に株を売れます。もっというと、ステークホルダーとして株主が滞留する平均的な時間軸と、中の従業員あるいは経営者、取引先の時間軸は構造的に合わないのです。実際のビジネスというのは、たとえば1つの生産ラインを順調に立ち上げるのには5年から10年かかります。そうすると、すごくショートターミズムで株主の要求に応えていくと何が起きるかというと、ちょっと業績が悪くなるとリストラして従業員を3割減らし、ちょっと調子が良くなるとまた雇い戻すという、それを繰り返しやるのです。それではいい物など作れません。実はそこに問題があります。
そこで、もうメーンバンク制の復活は難しいので、今度、エクイティ・ガバナンスに行ったときに大事なことは、長期コミットを前提とするエクイティ・ガバナンスがこの国に育つかどうかです。それが育たないと、逆にゲゼルシャフトがゲマインシャフトを壊していきます。そうすると、この国の国民経済効率は間違いなく下がります。ですから、単純にアメリカ型のエクイティ・ガバナンスの仕組み、キャピタルディシプリンを導入すれば、この国のGDPが増えるわけではありません。そうすると、次に大事になるのはプレーヤーの問題です。今の日本の資本市場は、恐らくアメリカ以上にアクティブなインベスターはショートです。また、外国人はいろいろなリスクを背負っていますから、当然長く居ようがありません。ですから、キャピタルの回転するスピードがビジネスのスピードに合っていないのです。株主統治というものが、企業の生み出す営業キャッシュフローの持続的安定的拡大に寄与するためには、本来はキャピタルの回るスピードとビジネスのスピードが合ってこなければ駄目なのです。ここの速度差が合わないと、基本的にその対象になっている産業界の競争力は低下していきます。この問題を誰がどう解決するかというのは大事だと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。