パブリックディプロマシーのすすめ:外務報道官の経験を振り返る

開催日 2005年11月1日
スピーカー 高島 肇久 (外務省参与)
モデレータ 田辺 靖雄 (RIETI副所長)

議事録

外務報道官の経験を振り返る

内閣府は日本の外交についての世論調査を毎年行っています。その中で、毎年ほとんど数字が変わらない幾つかの質問があります。1つが「外務省のイメージ」というもので、「閉鎖的」という回答をされる方が大体70%です。それから「外交問題に対する対応を評価するかしないか」という質問に対して、ネガティブな答えをなさる方が66%で、北朝鮮の問題があって以来、多少高めになっているというのが実情です。さらに「それでは外務省は説明責任を果たしているか」という質問に対して、何と驚いたことに82.6%の人が「そうは思わない」「どちらかといえばそうは思わない」という答えをしておられます。つまり外務省は、国民の目から見ると閉鎖的であって、やっている仕事も評価できないし、何にもまともな説明をしていないではないかと、こういうことになってしまうわけです。

私は外部から初めて、霞が関で広報を担当する報道官に任命され、3年務めました。当時の川口順子外務大臣、竹内次官は、長年積み上げられたこうした外務省のイメージを何とか立て直そうと、民間から人を呼んできたわけです。

大平内閣のときの加藤紘一さんに付けられたあだ名で「ブリキのパンツ」という言葉がありますが、「絶対におれのところから情報は出ない。だから、ブリキのパンツをはいているみたいなものだ」という話で、これを「ブリパン」と呼んでいました。外務省きってのブリパンは、今まで次官をやっていた竹内行夫さんです。その竹内さんが、私のような外の人間を外務省に連れてきて報道官にならせて、そして、情報をどんどん出すようにと言ったわけです。また、彼が次官をやっているときの外務省の重点項目の1つに「発信する外務省」という、その「発信」という言葉をあえて使うようになりました。これも大変な進歩だなと思いますし、私自身も中にいて、この3年間で随分良くなったなと思うところも幾つかありました。

しかし、外から見るとイメージというのはなかなか変わらない。最近、鈴木宗男さんが復活なさいまして、週刊新潮で外務省たたきをまたお始めになった。これでまた外務省のイメージは、「何をやっているところなんだろうね」ということになってしまうのではないかなと、いささか心配です。川口さんのあとをうけて9月まで外務大臣をされた町村信孝さんはそのあたりをとても心配されて、もっときちんと広報をせよ、特に報道関係に対する情報の提供、それから一般の国民の方々に対するさまざまな形での情報の提供、たとえばインターネットを通じた外務省広報というのはもっとしっかりやれ、と随分ハッパを掛けられました。

町村さんがなさった大きな仕事の1つに外務省にIT広報室というのをつくり、日本IBMのシステムエンジニアの方に来ていただき、室長に就任していただいたことがあります。この新しい組織の設立と、担当者の努力の結果、外務省のホームページは実に使いやすくなっており、見やすくなってまいりました。これも外務省自身が変わろうとしている努力の1つの現れということで、皆さまにも是非ご利用いただきたいし、またご意見をお伝えいただきたいと思います。

パブリックディプロマシーのすすめ

NASAのシャトルの計画部長をやっていましたロン・ディテモアという人がおります。2003年2月1日にコロンビアが事故を起こした6時間後に、NASAから広報担当の責任者になれということで、それから2週間、連日、ヒューストンで記者団に相対して、事故の状況を説明した人です。

NASAには実は大変に痛い、苦い思い出があります。1986年にシャトルが最初の事故を起こしたときに、NASAは情報をほとんど外に漏らしませんでした。たとえば、事故の大きな原因になった燃料タンクの横から炎が上がっているという映像を、事故発生から5日間、表に出さないという状態が続いて、NASAは秘密主義だということで批判を浴びるという例がございました。その経験もあって、今回の事故のときには、NASAは実際にシャトル計画を一番よく知っているロンを説明の最高責任者に就けました。

彼は、自分のところに入ってきた情報は、まだ確度がどのくらいしっかりしたものなのかが分からない状態でもどんどん外に出すという方針を採ったそうです。彼によりますと、アメリカ中に、このスペースシャトルの事故の原因をいろいろと考えている学者や技術者や専門家がいる、その人たちに一刻も早く新しい情報を伝えるのにはマスコミを利用するのが一番早いのだということでした。また、実際に何が起きたのかということをはっきりとさせ、原因究明に広大な努力がされた、その努力を一刻も早く達成させるためにも情報をどんどん出した方がいいというようなことで、彼はさまざまな情報を表に出していきました。

その結果、時にはさまざまな情報があまりにも出過ぎたため、問題がなかったわけではないけれども、総じてNASAは今回は秘密主義とは全く違う方向の広報戦略を採り、データをきちんと正直に出している。ロンは記者団からの質問にまさに真正面から取り組んで、毎日1時間以上、ブリーフィングを続けたというのですが、そうした真摯な態度も記者団から高く評価されました。これは、まさにNASAが1つの教訓を学んで広報体制をがらりと変えて、その結果、NASAの信頼度が高まったという良い例ではないかなと思います。

これに対して、残念ながらわが国の場合、果たしてどこまで情報を外に出していくということの重要性、またその意義が理解されているのか、あまりはっきりしないところがあるというのが、私の過去3年間の偽らざる思い出という感じです。

たとえば北朝鮮との日本の接触ですが、アジア局長として北朝鮮との秘密折衝を担当した田中均前外務審議官が、外務省を去られて国際交流センターのシニアフェローになられて以来、彼の感じたことを語ってくれるようになっています。この中で彼が最近になってようやく言い始めたことは、きちんと小泉総理大臣と綿密な打ち合わせをし、指示を受けながら北朝鮮と接触をし、たとえば提案を出す際はいつでも撤回可能な形での提案をやっていたとか、拉致被害者の問題についても、平壌宣言の中に「拉致」という言葉を書き込むことよりも、拉致被害者のうち少なくとも生きている方を日本に戻す、それから北朝鮮側が謝罪することの方がもっと大事だと思って、そういう方向で話をまとめたのだとか、幾つかの裏話をきちんとしゃべるようになっています。

しかし、こうした点は、実は2002年の9月、小泉総理が初めて平壌に行かれて、拉致の問題をめぐり、あれだけたくさんの被害者が実は死亡していたのだという一片の紙が北朝鮮側から渡され、それに対する国民の怒りが沸騰点に達するぐらい高まった、あの当時は、一切表に出てこない状態で北朝鮮との折衝が続いていったわけです。この結果、残念ながら外務省に対する不信感はますます高まり、拉致被害者の家族の方々は「外務省は敵だ」という表現で外務省を非難し、といったようなことが続いてしまいました。果たしてどこまで秘密交渉の内容を、また北朝鮮というあれほど不可解な国との折衝の内容を表に出すことができるか。これは大変に判断が難しいところではあると思いますが、できる限り情報を出していくということが、国民の対北朝鮮外交に対する支持を得ることにもなるでしょうし、また、日本が何をやっているかが少しでも外に出ることが、諸外国、特に中国やアメリカなど半ば関係している国々の対日理解を深め、そして日本の立場に対する支持を得るという点からも、必ずやプラスに作用するのではないかと、私は考えておりました。

当時、この北朝鮮問題を担当しているマスコミ各社の記者たち、特に外務省を担当している記者たちの一番の悩みは、田中さんの家の周りで夜な夜な立っていて話を聞こうと思うのだけれども、全然しゃべってくれないことでした。昼間は外務省のアジア局の前に立っているのだけれども、話をしてくれず、情報がないままに、たとえば次の交渉は一体いつあるのだろうかとか、どこで誰が何をするのだろうかといった、人の動きを追いかけるのだけでも大変な苦労が続くという、情報過疎の状態に対する不満が記者団の間に高まった時期がございました。

この状態を少しでも解消する方法はないかといろいろと考えて、私自身が外務省に入って始めたことの1つに、夕方になると私の部屋に軽い飲み物などを用意して、記者団の皆さんに自由に出入りしてもらい、そこに課長さんや首席の方、交渉を担当している大使の方などに時々来ていただいて、1時間ほどバックグラウンドベースでお話をしていただくという催しがあります。これを「オープンルーム」といいましたが、ここに、北朝鮮に関係する人をできるだけ呼んできて、記者団に話をしてもらうということをやってみました。

一番面白かったのは、平壌宣言の草案を最後にまとめ上げる段階で秘密交渉に加わった条約畑の専門家が、かなり詳しくそのやりとりを説明してくれた時です。やはりちゃんと秘密交渉はやっていたのだし、最後の段階では、あの平壌宣言というものが外交文書としてきちんとした体裁を持つようにお互い詰めをしたのだとか、また、その交渉というのは何日ぐらい続いて、どんな部屋で、相手はどんな人が出てきてなどという話をバックグラウンドとして聞くと、日朝間の交渉の輪郭や雰囲気がおぼろげながら伝わってきます。これが実際問題としては、記者団がその後北朝鮮との交渉を取材する上でとても役に立つ、そんなことにつながっていったと思います。

これはほんの少しの例ですけれども、しかし、1人でも多くの当事者が記者団に対して、バックグラウンドとオン・ザ・レコードのけじめをつけながら、しかし、内容についてできるだけ詳しく説明をするという努力を積み重ねることが、理解を深めてもらう大きな働き、そんな効果を生むのだなということを感じた次第です。

これは単にその情報を交換する、それから知り合いになるということだけではなくて、実はもう1つ大きな効果があったのかなということを最近になって思うようになりました。たとえば今、外務省を担当している各社の記者は、全部合わせますと大体60人ぐらいになると思います。そのぐらいたくさんの記者が外務省で活動をしていますが、現実問題としてその1人1人の記者に1日10分ずつでも、差しで話をすることはほとんど不可能だと思います。課長や首席の人たちは仕事に追われておりますし、記者団と相対している暇などはない。また1社の記者と付き合うことはできませんから、みんなと会うか誰とも会わないかというようなことで、どんどん記者団との接触は限られたものになってしまいます。結果としては推測記事が飛び交ったり、事実と違う情報が紙面をにぎわせたりする。それがまた過当競争を生むというようなことになりますので、やはりじっくりと1時間ぐらいは記者団と話をすることがとても大切だと思います。これを皆さんにお話をして、協力をしてもらい、私が辞めた後もそのオープンルームの制度は続いているし、ほかの省にもだんだん広まりつつあるという噂を聞いて、大変うれしく思っています。

それでも、まだまだ不十分です。たとえば今度の米軍再編の問題にしても、外務省と防衛庁、アメリカとで情報の出方が随分違いました。話が生煮えの状態で広まっていきながら、しかし確たる方向性が示されないで、ついに先日の2プラス2を迎えてしまった。おかげで、もうすでに聞いていたはずのことが確認されただけということもあるかもしれませんし、7000人の海兵隊が引き揚げるという大ニュースのはずのものも何か色あせたり、実戦部隊はそこの中には入っていないなどという、随分値引きした受け止め方をされたりといったようなことで、結果はあまりうまくいっていません。この情報の混乱ぶりを考えるとまだまだ改善の余地はあります。パブリックディプロマシーというと「相手国の」という、そういった言葉のニュアンスで使われますけれども、やはりまず自国で自分のやっている外交政策に対する支持を得るということが、パブリックディプロマシーの基本であろうと思います。

実は、アメリカではもうすでに何年もの間、このパブリックディプロマシーをテーマにした大統領諮問委員会があって、時々大変に深い洞察に基づく提言をしたりしております。アメリカ国務省、アメリカ政府は、9.11のテロ以来、特にイスラム社会に対する働き掛けを重点にパブリックディプロマシーを進めておりまして、特に、このパブリックディプロマシーを担当する国務次官というポジションを大変に重視しているようです。最初はニューヨークの広告の専門家を雇ってましたが、これが全然うまくいかず、今、カレン・ヒューズという、ブッシュ大統領と大変近い、テキサスの女性をこの責任者に据えて、パブリックディプロマシーの立て直しを図っております。

このカレン・ヒューズさんいわく、今一番大事なのは、アメリカという国のイメージを高め、良くすることだそうです。そのためにはやることはいっぱいあり、一番肝心なのはアメリカのシンパをつくることだということをしきりに言っているようです。彼女は、たとえばフルブライトの留学制度とか、AFSの留学制度、さらに英語の授業、特に途上国、第三世界における、それからアラブ世界における英語の教育、さらにCNNをはじめとする放送を使ったアメリカのイメージアップ、情報の提供、こうしたものを頑張らなければいけないということを言っています。

一方、イギリスでもやはり同じようなパブリックディプロマシーが、特にブレア政権のもとで盛んでして、対外発信ということに関してはブレア首相もものすごく気を使っているような感じです。そのブレア首相のブレーンの1人にマーク・レナードという人がいます。彼がそのパブリックディプロマシーを詳しく説明した文章の中で、狙いとしては、イギリスに対する親しみを持ってもらうよう外交を展開すること。また、そういう努力をすることをもってパブリックディプロマシーというのだ。また親しみを持ってもらうだけではなくて、イギリスのやっていることについて肯定的な認識を持ってもらうように努力する。さらに肯定的な認識を持ってもらった後は、たとえば観光でイギリスに行ってみようとか、留学をしてみようとか、イギリス製品を買ってみようといったような関与のところまで進めていって、最後には、たとえばイギリスへの投資を増やそう、またはイギリスの進めている政策を支持するところまでいってもらおう。ファミリアリティーを進め、アプリシエーションをつくり、エンゲージメントを生み、そして最後はインフルエンスを積極的に働かすようにしようということがパブリックディプロマシーなのだということを言っております。

パブリックディプロマシーを1つの概念としてとらえて、外交政策の中心に据えている国が今どんどん増えているということを考えますと、日本も単に「発信する外交」だとか「主張する外交」という、実はこれが外務省の重点項目に掲げられてはいるのですが、それにとどまらずにもう1つ、こういう積極的な概念構成と、それに基づく発信というのをするべき時に来ているのかなとつくづく思っております。よく、コミュニケーションというのは、意思や情報を伝達していくことだといいますが、そればかりではなくて、狙いとしてはやはり理解し合うこと、そして結果として価値観を共有すること、そこまでを含めてコミュニケーションの大事さということを述べる方が多いようです。それが結果として出てくるのが、まさにパブリックディプロマシーなのだろうと思います。

私たちは今まで外務省の中でそういうことを考えておりましたけれども、実は日本の外交は外務省だけがやっているのではありません。たとえば経産省のFTAやEPAをめぐる大きな役割、それから資源エネルギー庁は、日中のガス田の問題やシベリアのパイプラインの問題で、外務省とがっちり手を組んで外交を行っております。農業問題のパートナーは農水省です。本当に幅の広い、まさに政府が一体となった外交というのが必要です。

さらに、最近の外交のプレーヤーは、実は政府だけではなくて、NGOであったり国際機関であるとともに、民間企業の皆さまのなさることというのが大変大きな役割を果たしているように思います。1つの例を申し上げますと、住友化学の殺虫剤を染み込ませた繊維を使った蚊帳が、マラリアの防止にすごく役に立つというので、今アフリカに大量に運び込まれています。住友化学もその技術をどんどん公開して、安い蚊帳がどんどん提供されるようになっています。日本政府も1000万張を買い上げてアフリカに送るという計画を進めているところです。この住友化学がなさっている努力は、実は日本のイメージアップにはものすごく役に立っているのです。

こうした企業が自分たちの活動として諸外国でやっていることが、日本のイメージアップにつながり、日本という国とその国、その地域との友好関係を深め、そして、日本が国際社会の中でやろうとしている仕事に対する支持をしてくれるようになります。こうした広がりが、まさにパブリックディプロマシーの神髄だと思いますので、ぜひそれぞれのお立場でパブリックディプロマシーをエンドースし、またご自身で実行していただけたらと思います。

質疑応答

Q:

アメリカを見ると大統領直属の報道官がいて、結構活躍しています。中国は孔泉(こうせん)という人が盛んに出ています。日本は、外務省にこういうものを置いたらいいのか、あるいは内閣の報道官をもっと強くした方がいいのか、どうお考えでしょうか。

A:

報道官ないしはスポークスマンをどういうふうに使うかは、それぞれの国によって大きく違いがあります。日本の場合、報道官というものの役割が実はまだはっきりしていません。首相官邸は官房長官の会見が日に2回ありますし、小泉総理は毎日カメラの前で話をしています。国家のリーダーとそのリーダーの補佐役で閣僚が、毎日記者団と相対して説明をするという日本の政府広報体制は、もしかすると世界で一番開かれているといっても過言ではないくらい珍しい状態です。しかし、これが果たして本当にいいのでしょうか。つまり、官房長官なり総理なりが発言をするということと、報道官というフィルターを通して説明をすることのどちらがいいのかは価値観の相違であり、また判断の分かれるところかと思います。
逆に外務省の場合は報道官がいるのですが、週に1度、外務報道官会見というのがあるだけで、あとは大臣がしたり次官がしたりという様に、記者団との関係で長年培われた伝統的なやり方があるものですから、ワンボイスで日本の外交政策を外に発信していくということからすると、かなり乱れがあるという問題はあります。
私自身の経験からすると、アメリカ国務省や中国外務省のように、報道官が連日毎日ブリーフィングを行って個々の外交政策について説明をする、大臣なり次官なりは必要に応じて記者団と会って会見をするというやり方の方が、多分いろいろな意味で情報発信としてはうまくいくのではないかなと思っております。ただ、これは、外務省を取材拠点にしている記者たちの集まりである霞クラブと外務省との長年の付き合いの中で出来上がっていることですので、これを変えるのは至難の業だろうと思います。

Q:

パブリックディプロマシーの中で、やはり外国のプレスとの関係というのも、大変重要だと思います。オープンルームにはそういう方々がどれくらいいらしていたのでしょうか。

A:

東京に今400人ぐらい外国の特派員もしくは日本人のスタッフの方々が活動をしています。そのうち主な方々とはできるだけ会って、それこそ飯を食いながら飲みニケーション・食べニケーションをやるよう努力をしてまいりました。今までの外務省なり日本のお役所の外国プレスとの付き合いは、何かを書いてもらうということ以上に、何か事実に反するような報道があったときに、いかに訂正を求めるか、抗議をするかということが中心だったような気がします。そこは、別に何か事があったから会って話をするというのではなくて、いつも意見交換をすることによって、相手側が日本について何を考えているのかを事前に知っておくことがすごく役に立つだろうと思いますので、できる限りやってほしいと後任の方々にもお願いしてあります。

Q:

高島さんが難しい時期に係わられて、あの外務省を具体的にどこまで変えられたのか、本当にこれはやったぞというのは何か、その辺をお聞きしたいと思います。

A:

今までは外務省の中で、「説明責任」というような言葉を実際に自分の仕事として意識していた人というのはあまりいないのではないかなと思います。ところが、やはり説明をしなければ分かってもらえない、結果として自分の交渉での立場が決して強くならないという意識は少しずつ広まってきたような感じがしております。
それともう1つ、たとえば経産省にしても農水省にしても、利害の対立する団体が必ず周辺にあって、その監視の目が大変に厳しいし、またアカウンタビリティーをすごく問われる仕事だと思います。ところが外務省の場合には、あまりそういう外からの監視の目は届かないし、自分たちがやっていることがどのくらいアカウンタブルであるべきなのかということに関しても、国益を守っているのは自分たちだから、自分たちだけが分かっていればいいのだ、変に説明をすると雑音になったり相手に筒抜けになったりして国益を害するのだみたいな、そういう感覚を持っている人たちが随分多かったような気がします。これを、あなたたちのやっていることは周りからは必ず見られているし、批判をされているのだということをどうやって伝えていくかが大事で、その意味で、私は外務省を担当している記者の皆さんに、「批判的な精神で役所の仕事を見るという仕事を一番やらなければいけないのはあなたたちなのだよ」と申し上げました。つまり外務省に、マスコミが果たしてくれる役割というのはものすごく大きいのだということを痛感いたし、いろいろな意味で各メディアの皆さんに頑張ってほしいというエールを送ったつもりです。これが実はとても大事なのではないかなと思っています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。