イノベーションに関する『死の谷』問題を巡る議論について

開催日 2005年2月1日
スピーカー 児玉 文雄 (RIETIファカルティフェロー/芝浦工業大学専門職大学院工学マネジメント研究科長・教授/東京大学名誉教授)
モデレータ 児玉 俊洋 (RIETI上席研究員)
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議事録

「死の谷」とはなにか

「死の谷」(Valley of Death)問題について、私はかつて液晶技術開発での事例研究を行っていますが、本日は武田薬品工業などの新しい事例を挙げて、話をしていきたいと思います。

「死の谷」という言葉は、もとはアメリカの下院科学委員会副議長だったVernon Ehlers議員が用いたものです。連邦政府の資金供給の対象である基礎研究と民間企業が行う応用研究開発の間のギャップが拡大していくという現象を表現しています。このギャップは、資金の問題もあるし、技術、政策の問題も含みます。しかし「死の谷」のイメージは「砂漠のように不毛なところ」というもので、その解決策としては「橋を架ける」または「跳び越える」ということしかでてこないので、マネジメントの観点としては物足りないと思います。

ハーバード大学のブランスコム名誉教授(L. Branscomb)は2001年のNIST(National Institute of Science and Technology)の創立100周年記念式典で、「死の谷」を「ギャップの存在とそれを超える際の危険性」を示すものとして紹介していますが、「砂漠は、危険性を強調する点を除いては、このギャップの比喩としては貧弱である」と述べています。彼がそれにかわる比喩として提唱しているのは「互いに競争している新しい生物で満ち溢れた海」という意味の「ダーウィンの海」(Darwinian Sea)です。すなわち、発明からイノベーションへの移行過程は、1つの岸から対岸の岸への単一の経路をたどるようなものではないということです。いろいろな荒波があって、アイデア、起業、各種の共同ベンチャーが生まれ、かつ死んでいくことは、生物における進化とおなじように、経済の進化においても本質的なものなのです。その荒波をうまく乗り切って対岸につきましょう、ということです。

ところが、この「死の谷」と「ダーウィンの海」という対立概念を直列に考えた向きがあって、「死の谷」「ダーウィンの海」の両方を越えないといけないという議論もありますが、もとの比喩からは少し離れてしまっていると思います。もっとも大切なのは、発明をいかにギャップに陥ることなくマネージしてイノベーションに移行させるか、その方法を考えることではないかと思います。

技術と科学研究との関係

「死の谷」論で最近いわれているのは、技術と科学研究との間は直接的な結びつきが強いということです。それだと技術から技術の関係より、ギャップがおきる可能性が高い。バイオ技術に関してはそういう面は確かにありますが、はたしてほかの分野でもそうなのだろうかと思いました。

それで特許を対象とした分析を行いました。分野としては、科学技術基本計画で重要とされている、バイオ技術、ナノテク技術、情報技術、環境関連技術の4分野で、特許が平均してどれくらい学術論文を引用しているかを調査しました(配布資料1 p6 表1参照)。その結果、無作為抽出の特許での論文引用は1件あたり0.6であるのに、バイオ技術は1件あたり11件の論文を引用ということで、ほかの3分野に比べても突出していました。ナノテク技術でも論文の引用は2件です。ナノテクは科学と技術、両方と関係が深いということでしょう。情報技術にいたっては、科学はほとんど関係ないですね。ビジネスモデルをいかにつくるかということでしょう。環境関連では、世界環境へのシミュレーションなどは科学が関係しますが、特許をとるときにはあまり関係しません。つまり確かにバイオは科学との関係は強いが、それは特殊なのであって、一般化してはいけないということです。

「ギャップ」を乗り越えた事例

ここでケーススタディとして、武田薬品工業が技術基盤をいかに「有機化学」から「遺伝子・蛋白質工学」へ転換していったかということを見てみたいと思います。

前社長森田氏の著作『新薬はこうして生まれる』に、その戦略を見ることができます。武田薬品は「ビタミンと抗生物質のタケダ」といわれていたのですが、1974年に遺伝子組み換え技術がでてきて、状況は一変しました。アメリカではそのギャップをベンチャー企業がつなぎましたが、日本ではそういう風にはなりませんでした。日本の伝統ある大企業武田薬品はそのときどうしたかというと、森田氏は中央研究所の中に新しく遺伝子に関する研究所をつくるのではなく、もう1つ別の研究所をつくりました。それは研究所の組織が巨大化すると権威の温床になってしまって、新しい発想が生まれにくいし、研究所がもう1つあったほうが競争の原理が働くからというものでした。

それで筑波研究所が1988年につくられ、藤野雅彦博士を所長に迎え、研究者47人で出発しました。

この戦略で「遺伝子・蛋白質工学」を取り込むことができたかどうかを調査しました。(配布資料2 p12、13参照)コーエン・ボイヤーの基本特許の出願が1974年であることを考慮して、1970年以降に武田薬品が出願した特許の時系列データを駆使して分析しました。「有機化学」と「遺伝子・蛋白質工学」の2つのカテゴリーにまたがる国際特許分類(International Patent Classification:IPC)に注目し、このような特許のうち、どちらのカテゴリーを「主」(筆頭)とし、「従」としているかを分析しました。これによると「遺伝子・蛋白質工学」が1995年以降平均して50%を超えるようになり、取り込みがうまくいったことがわかります。

そして取り込んだだけではなく、いままでもっていた技術と融合させています。「有機化学」と「遺伝子・蛋白質工学」の武田薬品の特許出願数を見ますと、1995年の「遺伝子・蛋白質工学」は36、うち筑波研究所からが31、「有機化学」は30、うち筑波研究所からは5、これだと筑波研究所は「遺伝子・蛋白質工学」、中央研究所は「有機化学」と分かれてしまっていますが、2000年になると「遺伝子・蛋白質工学」29のうち、筑波研究所は21、しかし「有機化学」も筑波研究所から17出ているので、両方がうまく融合できたことがわかります。

最後に、政策によって左右される「死の谷」問題もあると思います。
アメリカではDNAチップが「死の谷」に落ちそうになった時に、政府のプロジェクトが資金を出し、市場拡大を後押ししたので、危機を乗り切ることができました。
よい戦略をもつことは重要だと思います。

質疑応答

Q:

バイオ以外の分野では科学研究との関係はあまりないのでしょうか?

A:

アメリカではだんだん特許の科学研究との関係が強くなっているという傾向が見られますが、日本はそうでもありません。それは特許の構成比が違っていて、アメリカはより科学に近いところでとっていて、日本は技術的なところでとっているということがあると思います。ほかの分野は全く関係ないというのではなく、バイオが圧倒的に関係しているということです。ナノテクも科学研究との関係は強いでしょう。情報もたとえば暗号に関してだとほとんど数学ですけれど、ほかはそう関係しません。環境は特許に関してはリサイクルに関するものがほとんどでしょう。つまり情報と環境については「死の谷」問題は技術とビジネスモデル開発の間にあるのです。ですから分野別に政策もいくつかあっていいと思うのです。

Q:

MOT(技術経営)に期待される役割はいろいろあると思いますが、真のMOTの要素とはなんだと思われますか?

A:

実務と理論の融合化だと思います。私のところでは、いま文部科学省から予算をいただいて教材開発も行っています。2年後にはウェブに内容を公開したいと思っていますので、そうすればそれをもとにMOTも大学ごとに建設的な競争ができるようになるのではないでしょうか。MOTはアメリカでも新しい分野に属します。このへんは議論が分かれるところでしょうが、私は日本は製造業中心にやっていくしかないと思うのです。アメリカはITなどに力をいれて復活したのですが、決して製造業が復活したわけではないのです。ですから日本ではMOTも製造業中心に考えて、日本独自のものをつくっていくといいと思います。アメリカではこうだという話がすぐでてきますが、産業が違うのですから、日本のMOTを考えるうえではあまり役に立たないのではないでしょうか。
また「選択と集中」とはよくいわれることですが、のちのことを考えれば「集中と分散」をするべきです。バラエティがあったほうがいい。「選択と差別化」が重要で、なんのために集中するかという議論が非常に欠けていると思います。「選択と集中」というとリストラすればいいということになりますが、技術論的にはそれをやったら大変です。いまは1つの製品はたくさんの技術によって生まれているのですから。もちろん選択的にはやらないといけないのですけれども、世の中の動きは複雑多様ですから、一時点をとってこう、というのは非常に危険だと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。