日本の産学連携と大学改革の進展

開催日 2004年3月16日
スピーカー 磯谷 桂介 (文部科学省研究開発局地震・防災研究課長)/ 原山 優子 (RIETIファカルティフェロー/東北大学教授)
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議事録

はじめに

1. 問題意識
現在、「産学連携」が脚光を浴び、政府、産業界の提言、報告書などで頻繁に取り上げられています。その多くの場合において、「産学連携」と「大学改革」が同じ土俵で論じられているように思います。たとえば、3年前から内閣府を中心に産学官連携サミットが開かれていますが、そこでも「産学官連携を進めるためには大学改革が必要である」とか「国立大学を非公務員化すると産学官連携もうまくいくのではないか」というような議論がずっとされてきました。そのようになった背景および「産学連携」が「大学改革」に及ぼした影響、また今後の方向性について、私の見解をお話しします。

2. 仮説
1990年代(特に90年代半ば以降)の日本の「産学連携」の進展が、政府による国立大学の改革(ここでは「大学改革」と言いますが)の推進力となり、2001年以降、政策において「産学連携」と「大学改革」が合流したと考えます。

3. 対象範囲
今日の話題提供では、「産学連携」については連携の当事者としての企業と大学、それに影響を及ぼす政府や仲介組織を取り上げます。「大学改革」については「政府」による主として「国立大学」の「制度」や「規制」の改革と捉えています。データに基づいた予算、財政の分析や大学・企業のミクロの分析は次の課題としています。

産学連携とは何か

1. 曖昧な、しかし、シンボリックな用語としての「産学連携」
日本で使われる「産学連携」という用語は非常に曖昧で、また、シンボリックな言葉です。使う人によって意味合いがずいぶん異なっています。たとえば、産学官連携サミットではスローガン的な用語として使われますし、地方公共団体と中央政府でも用法が少し違います。歴史的には、日本では1960年代は「産学協同」という用語が使われ、主に研究面を対象としていました。90年代になってから、政府の報告書などで「産学連携」という言葉が使われるようになりました。

2. 産学連携の定義
私は、「産学連携」を「産業界と学界という異なるドメインに所属する組織または人材が、ドメインを越えて、知識や技術に関して、ある一定の期間に意図的に協力する、インターラクティブなプロセス、またはこれを促進する仕組み」と定義します。

知識社会における産学連携

1. 知識社会の到来
知識社会の到来により、世界的な傾向として、各ドメインの「産学連携」への参加・関与の動機が高まってきています。ここでいう知識社会とは、「知」が経済的な競争力の源泉とみなされ、生涯にわたり学習する知的な労働者が支える社会です。私は、あえて「知識社会」の中に「学習社会」を含めて捉えています。

2. 産業構造・企業経営の変化
「知識集約型産業」の登場にみられるような、産業における「知」の価値向上や経営における「アライアンス戦略」の台頭などによって、産業界において、「知」の創造と活用のための有力なツールとしての「産学連携」へのモチベーションが高まりつつある、あるいはその可能性が出てきた、といえるのではないでしょうか。

3. 大学の変化-学術研究、高等教育の進展
大学の研究面に関しては、研究スタイルとしての「産学連携」を積極的に受け入れる理論やモデルが提唱されています。たとえば、「モード2」モデル(社会での応用を目的に異分野・組織の研究者が連携)、「社会のための科学」観、産学連携がいわば「必須」となる「第2種基礎科学」論などです。

また、教育面では、多くの学生の就職先であり、また知的な労働者を抱える産業界から大学教育へ期待に応えて、大学が技術革新に対応できる人材の育成に取り組み始めています。日本でも大学でのMOTプログラムやMBAの開設が盛んになっています。
大学のあり方に関しては、「知識社会」における大学(知を創造し、知的な人材を養成する組織)は、組織としての「社会貢献」を以前より重視するとともに、教育・研究のプロセスからアウトプットまでの全ての局面での社会(特に産業界あるいは職業)との接点が強くなってきています。

4. 政府の政策の変化
中央政府は、知識社会での国際競争力確保のために「ナショナルイノベーションシステムの構築」に腐心しています。多くの国で、産学連携による「科学・技術駆動型のイノベーション」の推進、「知的財産権」保護強化・活用促進などが課題となっています。地方政府もテクノリージョン、インダストリアルクラスター等の形成によって地域経済の活性化を図ろうとしています。ここでは、便宜上、中央政府と地方政府とに分けましたが、これらは独立因子ではなく、相互に影響します。なお、日本では、「NIS」や「クラスター」などのアメリカモデルの直輸入で終わるのではなく、特に、分野別のSTI分析などをきっちり行い、政策として対応していく必要があるでしょう。

1990年代前半までの日本の産学連携と大学改革

1. 戦前の大学改革と産学連携
明治期に、政府主導の「大学」整備が行われました。産学連携に関しては、東北帝国大学のように大学の研究成果が産業化に結びつく例もしばしば見られました。

2. 戦後の大学改革の変遷(1980年代まで)
戦後の大学改革をごく簡単に概観すると、終戦直後、占領軍の統治下という特殊な事情の中で、高等教育の一元化政策によりほとんどの高等教育機関が「大学」になりました。1970年代くらいまでは学生紛争や中央教育審議会(中教審)に対するアレルギーなどさまざまな政治諸要因があり、中教審路線でいろいろな提言が出ましたが、大きな改革には結びつきませんでした。1980年代の臨時教育審議会(臨教審)以降、大学審議会が設置され、大学の問題が専門的に議論され、その結果を踏まえて文部省が大学改革を進めていくというスタイルができ、少しずつ改革が実行されていきました。

また、大学の学術研究は文部省の管轄でした。大学以外の科学技術行政の調整や一部実施は、1959年に設置された科学技術庁が行っていましたが、実質的には事業団や国立研究所を通じて大学の研究にも資金が流れていました。1974年以降は、文部省内部でも大学教育行政と学術行政が別々の局へと分かれました。

3. 戦後の産学連携の変遷(1970年代まで)
戦後の産業界では、大学等の学校教育に関しては、平均的に質の高い労働力の獲得が一番の関心事でした。経済復興あるいは企業の成長を目的とし、これを技術・生産工程の改良によって達成していきました。研究面でも、大学との組織的な連携への期待はあまりなく、優れた研究室との付き合いがあればいい、という考えが中心でした。

4. 産学連携関係施策の萌芽期から産学連携の展開期(1980年代から1990年代前半)
1980年代に、政府は、通商産業省、文部省を中心に産学連携に関する政策を打ち出し始めました。たとえば、テクノポリス構想の実施や国立大学共同研究制度、共同研究センターの整備などです。これらにより、民間からの資金を元に大学と企業が共同で研究するという仕掛けができました。当時は、箱モノ整備が中心であったという批判もありますが、確実にいえるのは、人材は育つということです。たとえば地域共同研究センターに所属している専任教授やコーディネーター同士の横のネットワークがこの時期に形成されていきました。ただ、地方の国立大学で行われていた産学連携は、地域の既存の中小企業との交流が中心でした。大企業は、基礎研究から開発までを、自ら、あるいは系列内で手がける「自前主義」であったといわれています。

さらに、90年代前半には伝統的な学生人口としての18歳人口が減り、またいわゆるバブル経済も崩壊し、大学を取り巻く環境が厳しくなります。それに伴い、私立大学も含めて、各地域で産学連携の実践が広がりました。

産学連携関連施策の急速な拡大と「大学改革」への接近・合流

1. 「産学連携と大学改革の合流」への胎動
政策における、のちの「産学連携」と「大学改革」の接近・合流のきっかけになったのは、1995年の科学技術基本法あるいは96年の科学技術基本計画だと思います。これにより、各省庁、特に通産省が産学連携関連施策を打ち出し始めました。そういった施策が文部省の大学政策や大学改革自体に接近するきっかけになりました。

2. 通産省の産業政策と大学
具体的に見ていきますと、95年に通産省は大学等連携推進室を設置し、産学連携に本腰をいれ始めました。98年には通産省と文部省の提案によるTLO法が制定され、国公私立大学を通じた技術移転の観点でのスキームが成立します。また、通産省は、ファンド面では、産学連携をキーワードにした地域コンソーシアム事業などを打ち出しました。これらの施策の方針やヒントは第1期の基本計画にあらかじめ盛り込まれており、計画は着実に実行されていきました。

3. 科学技術庁の地域科学技術政策と大学
同じ時期に、科学技術庁は、96年RSP事業、97年地域結集型事業を開始し、地域をターゲットにした科学技術振興策を本格化します。

4. 文部省の産学連携施策と大学
文部省も、通産省と共同してのTLO制度、私立大学のハイテクリサーチ整備など、産学連携に関連する施策を打ち出していきました。このような産学連携関連施策が進みますと、特に国立大学に関しては、教員兼業、研究契約、知的財産権の取り扱い、などの制度的問題に必ずぶつかります。そこで「大学(の制度)改革」が必須となります。

5. 加速し始めた「大学改革」-より開かれたシステムへ
一方、1980年代の大学審議会路線が進展し、さらに1995年以降、「開かれた大学システム」への流れが顕著となり、教員任期制、外部評価(第3者評価システム)等が導入されました。いわゆる「護送船団方式」(旧帝大をトップとする国立大学全体への目配り)からの脱却や国公私立大学を通じた「競争的環境」への移行、がいわれ始めました。

6. 「産学連携」の「大学改革」への接近・合流とその背景
先に述べたように、「産学連携」の「大学改革」への接近・合流の引き金になったのは、95年以降の「基本法・基本計画」スキームだと考えますが、その理由を挙げたいと思います。まず、基本計画によって、「科学技術」を「産学連携」というツールによって、究極には「経済の発展」につなげる、という土俵ができました。また、関係省庁が「基本計画」という同じ土俵に参入して産学連携施策を競い、その結果、産学連携施策を拡大しました。さらに、「科学技術」の多くは、実際には「大学」が担っていますが、「産学連携」による「経済の発展」という観点から基本計画の実施プロセスに巻き込まれ、その過程で産学連携施策が大学改革へ接近しました。以上の傾向は、01年以降の第2期科学技術基本計画でより明確になり、総合科学技術会議体制により強化され、流れが加速しました。

具体的には、第1期科学技術基本計画では、

  • 活力ある豊かな国民生活の実現のため、経済フロンティアの拡大等に貢献する独創的・革新的な技術の創製に資する科学技術の研究開発を推進
  • 研究開発機関(大学も含まれる)、国、地方公共団体、民間等セクター間の連携の必性 が指摘されています。

第2期科学技術基本計画では、

  • 「目指すべき(3つの)国の姿」→国際競争力があり、持続的発展ができる国の実現→産業競争力の強化
  • 産業技術力の強化のために、特に産学官連携の仕組みの改革が不可欠
  • 大学改革の必要性と方向性
  • 総合科学技術会議の設置

が盛り込まれています。
総合科学技術会議とその専属の事務局の設置により、あるテーマのもとに関係省庁の担当官が呼ばれ、専門委員会等で有識者の前で各自の施策を話すことになります。そこでは、アイデアの出し合いやシーソーゲームが見られました。一方で、科学技術に関して、各省庁間の壁はかなり取り払われたように思います。

7. 政府部内での「産学連携」と「大学改革」のシーソーゲーム
2001年以降は、平沼プラン(大学発ベンチャー3年間1000社計画)や遠山プラン(大学の構造改革と大学を起点とした経済活性化プラン)のようにトップからの政策も盛んに打ち出されました。また、文部科学省の委員会が2003年3月にまとめた国立大学法人化に関する報告書の中では参考として、別の委員会でまとめられた「国立大学法人化後の産学連携の在り方」が添付されています。政策提言の中でこれほど「産学連携」と「大学改革」が関連づけて取り扱われることは今までありませんでした。

8. 1990年代後半から、なぜ「産学連携」と「大学改革」が接近したか
1990年代後半から「産学連携」と「大学改革」が接近し、合流した背景としては、以下の3点が挙げられます。

(1)日本の政治・行政状況の変化
政策策定において、競争と透明性(情報公開)を原理とし、「変化」を前提とするようになり、トップダウン式の迅速な政策決定がしばしば見られるようになりました。
(2)日本の産業構造の変化
いわゆるバブル経済の崩壊によって、企業が、年功序列制賃金・終身雇用に支えられてきた人材育成や・研究開発の「自前主義」からの脱却を余儀なくされました。
(3)大学への外圧
若年人口減、卒業生就職難、国家財政の悪化によって、大学にサバイバル競争とアカウンタビリティが求められるようになりました。

日本の地域の変化と産学連携

以上見てきた、国レベルでの動きの一方で、1990年代前後から、地域でも明らかに変化が見られ、産学連携を受け入れる土壌が形成されてきました。たとえば、地域の産業政策において、従来の企業誘致中心ではなく、自らの地域で産業を育てることの重要性が認識されるようになりました。地方公共団体の政策において、たて割り組織や分野を超えたコーディネーター型の活動が重視されるようになり、また理工系公立大学の整備が行われました。同時に、住民から新しい「公共」への期待がなされるようになり、NPOの活動も広がってきています。「産学公民連携」のようなフレーズも頻繁に使われています。

知識社会が示唆する今後の産学連携の発展

1. 分水嶺としての1995年
1995年を境に、政策面で日本の産学連携が急速に進展し、ルールや契約に基づく産学連携が浸透してきました。産業界全体で見ると、日本の産業界から国内大学への資金提供の点などでまだまだ本格的な動きとはいえませんが、日本の企業は徐々に産学連携に積極的な姿勢になってきています。

2. 日本の「産学連携(論)」の罠
近年、「産学連携」が政府や産業界を中心に唱えられてきて、それはそれで一定の役割を果たしたのではないかと思います。ただし、経済活性化の観点のみから、研究面の産学連携への過大な期待となっているのではないか、あるいは「大学改革」の正当性のための「産学連携」となっているのではないか、など今後注意すべき点があります。

3. 今後の日本の産学連携と大学改革の方向性
今後とも知識社会は続くでしょうが、その中で、産学連携は、以下の5つの方向へ向かっていくと考えられます。
1)経済活性化のための産学連携
2)企業の技術提携戦略のための産学連携
3)(広い意味での)知的財産(あるいは「知」)の創造、活用、蓄積・継承のための産学連携
4)社会的存在としての「大学」における教育・研究の発展のための産学連携
5)知識社会の基盤・文化を形成するための産学連携
このような流れは、相互に関連しながら発展していくと思います。また、こうした動きに「大学(改革)」は影響されていくでしょう。以下、1つずつ考察していきます。

4. 経済活性化・企業の技術提携戦略と産学連携
「産学連携→「知」の創造と活用に貢献→イノベーションの実現→経済成長」という命題に基づく各ドメインでの動きが当面は続くでしょう。ただし、海外モデルの表面的な採用にならないよう注意しなければなりません。同時に、産学連携を進める上で、分野別の研究特性を考慮することが必要です。また、個々の企業が、ネットワーク型経営や、アライアンス戦略を進める上で、産学連携は、引き続き重要なツールとなるでしょう。

5. 知的財産と産学連携
知識社会の中では「知」が価値、財産になるということであれば、知的財産あるいは「知」を生み出す個人や組織の創造的活動とその「知的財産」の活用を進めるために、産学連携は今後一層重要性を増すでしょう。ただし、大学における学術的知財と産業的知財は重なる部分もあるし、そうでない部分もあることに留意すべきです。また、法人化をきっかけとし、各大学は、いわゆる知的財産の組織帰属の方針を採択しようと現在努力していますが、スムーズにいくかどうかは現場でやってみないとわかりません。また、知的財産ポリシーもうまく機能するかどうかわかりません。しかし、トライする価値があると思います。今後も試行錯誤は続くと思われます。

6. 大学経営と産学連携
大学の自律性を確保し、教育・研究を発展させるための「産学連携」という考え方も重要です。そのために産学連携ポリシー(知的財産ポリシー・利益相反ポリシーを含む)の確立、産学連携組織の整備、関連人材育成・確保も必要です。大学が、「産学連携」をどのようにポジショニングするかによって、その大学の社会での位置づけも外からよく見えるようになり、自ずと大学の多様化、種別化が進行する可能性があります。

7. 知のプラットフォームと産学連携
日本の伝統的コミュニティは既に衰退・崩壊しているといわれて久しいですが、何らかのコミュニティがないと、日本は、知識社会で真価を発揮できないと思います。知識社会の「暴走」を抑制する役割も含めて、大学が、知識社会における文化的基盤を形成するための「プラットフォーム」作りに参加するということは、(中立的、先導的な存在としての)大学のメリットではないでしょうか。

「産学連携多元モデル」の構築を目指して

1. 「大学」の特性への配慮と日本における「産学連携多元モデル」の形成
知識社会で大学に期待される役割としては、人材育成・学術研究を通じた長期的観点からの社会貢献と日常的な産学連携への参加による短・中期的な観点からの社会貢献があります。各大学がどのようなバランスを考えるかが大切です。
産学連携の本質は、あくまで「異質・多様性」を許容する「場」におけるインターラクティブ・プロセスです。以下の5つの方向性を包含した「産学連携多元モデル」が今後目指すべきモデルです。経済的観点と文化的観点が両立するようなイメージであり、経済活性化だけを通して知識社会における国家社会の発展を目指すというのではなく、各ドメインのアクターが、それぞれどこに重点を置くかを意識しながら進めていくことが必要です。
(1)広義の知的財産の創造、活用、継承・蓄積への貢献
(2)企業の技術提携戦略への貢献
(3)経済活性化への貢献
(4)優れた教育・研究を支える「大学経営」の確立への貢献
(5)文化的基盤形成への貢献

2. 今後の日本の産学連携と大学改革
現在の日本は、産学連携と大学改革に関して、「課題の共有」・「課題の個別検討」の段階を過ぎて、「試行錯誤、点検」から「新しいモデル形成」の段階(もはやスローガン的施策は適さない)にあります。これまでの日本の産学連携の展開は、「経済活性化」→「企業戦略」→「知的財産」→「大学経営」→「文化的基盤形成」の順(トップダウン型)の傾向(「経済活性化目的」に傾きすぎ)でありました。

3. 政策としての「産学連携」・「大学改革」への示唆として残された研究課題
本日は、触れませんでしたが、今後の研究課題として、政府主導の「産学連携」と「大学改革」が個々の大学組織管理レベルでどのように反映されているか、また本当の意味での「大学主導の大学改革」のトリガーになるのか、があげられます。

まとめ

「明治維新(黒船:国際化へ)」、「戦後(連合軍:民主主義と経済大国へ)」に続く、「21世紀(IT革命・グローバリゼーション:知識社会へ)」の構造的変化の局面にどう日本の社会や大学が対応するかが問われています。上からの改革としての「大学法人化」ではありますが、大学が自ら組織や方針をデザインでき、自己改革できるチャンスでもあります。現実はそんなに生易しいものではない、というご意見もあるでしょう。しかし改革の可能性はあります。日本の「セレンディピティ」を発揮し、日本の強みを活かした「産学連携多元モデル」の展開が可能であると思います。

産学連携から国立大学法人化へ

○仮説-産学連携推進が国立大学法人化のトリガーとなった
○国立大学法人化とは?
国立大学法人化は政府主導のものです。
・新たな大学の設置者→国立大学法人
・国立大学法人法ができ、その中でかなり詳しく、細かく国立大学の運営体制が決められています。
・運営に必要な費用は、運営費交付金→国立大学の基盤的な財源となっています。
文部科学省は、新たな大学システムのグランドデザインの模索は大学の役割としています。しかし、やはり国のお金を使うからには、国もコミットしなければいけないと思います。文部科学省と大学とが一緒に模索する必要があります。

○国立大学を取りまく環境の変化
・経済・社会環境:知識経済の到来、経済活動の停滞、財政問題、国際競争、地域間の競争、少子化
・社会的なプレッシャー:Accountability、透明性、社会貢献・地域貢献
・ゲームのルール化:国立大学法人化
・国立大学の反応は?
-Reactive:変わった枠組みに対して、受け身的に必要最小限のところで対応する。
-Proactive:これを良い機会として、これまでの問題点を解決しながら新しい方向性へ持っていこうとする。
この2つのアプローチがありますが、どちらのアプローチを採用していくかは、各国立大学のこれからのチャレンジです。悲観的に見ますと、どちらかといえばReactiveな大学が多いというのが現状であると思います。
・「国立大学」における意志決定?:意志決定は、ドラスティックにルールとして変わってきます。
-法人化前(現在)
  大学執行部vs部局→部局の方が力を持っている。
  部局執行部vs専攻・学科→専攻・学科が力を持っている。
  部局執行部vs教授会→教授会が力を持っている。
  教授vs助教授・助手→教授が力を持っている。
このあたりのパワーバランスは非常にデリケートな問題ですが、これまで長年にわたって培かわれてきたものです。それが法人化後は以下のような組織になります。
-法人化後
  役員会(学長+理事)→日常的なことを判断
  経営協議会→外部も協議に参加
  教育研究評議会
  部局長

親心と子心

文部科学省から「『独立』させ、職員を非公務員とする」というメッセージが含む要素は、「自由度」をもった大学、「個性豊か」な大学、「魅力ある」大学、そして学長の強いリーダーシップのもとでの運営ということです。
それに対して、大学は、大学諸規定・内部組織・運営体制・人事・財務の見直し、中期目標・計画の作成、評価システムの構築といった体制・ルール基盤作りに一生懸命になっています。お気付きのように、文部科学省からのメッセージと具体的に現場でやっていることの間にはかなりのギャップがあります。

ギャップを埋めるには?

このギャップを埋めるためには、プリンシパル-エージェントの問題をどう解決するか、がかぎとなります。また、中期計画・目標+評価システムは文部科学省が抱いたような大学法人を実現するためのインセンティブ・メカニズムとして機能するか疑問に思っています。また、オルタナティブな手法は存在しないのか、という疑問もあります。国立大学がProactiveになるためにはどのようにしたら良いかをみなさんと考えていきたいと思っています。

国立大学の現場から(1)

○中期目標・中期計画に対して
本来、中期目標・中期計画に基づいた運営をするというのは、目標管理手法(Management by Objective)を応用した話だと思います。
・機関が自ら目標を定め、その目標を達成するための計画を作成し、具体的に活動を行う。
・形成的評価:計画の進捗状況のチェックリスト→チェック→問題があった場合は軌道修正→目標達成 この手法が果たして現在セットされている評価システムとマッチしているかという点が疑問です。国立大学法人化の評価システムは以下のようになっています。
・教育・研究
大学評価・学位授与機構がチェックリストを作成→チェック→評価結果を発表→国立大学法人評価委員会が評価判定(Appreciation)→次期の交付金配分に反映
これは、国立大学法人の目的達成とどの程度相関関係を持つものか疑問です。
・管理・運営(中期計画に盛り込まれた部分)
国立大学法人評価委員会がチェックリスト→チェック(89法人)→評価結果を次期の交付金配分に反映 具体的にどのような形でチェックするかがあまり明白ではありません。また、ここで問題なのは、機関評価は1対1でもかなり大変な作業であるにもかかわらず、国立大学法人評価委員会という1つの機関が89法人を評価するということです。現実性がどこまであるかが疑問です。
・「あめ」ぬきの「むち」だけで目標達成を促す?
このやり方は、あめ抜きのむちだけで目標達成を促すやり方だと思います。大学は中期計画・中期目標を書くときに、本来こうあるべきだという「所信表明」ではなく、実際に達成できそうな目標を書いた方が作戦としては理にかなった話となります。文部科学省に提出されているすべての国立大学の中期目標が本来の「目標」であるのか疑問が残ります。

国立大学の現場から(2)

○学内組織:What's New?
-経営協議会:外部委員
-教育研究評議会:現行の評議会との違い→審議事項を教育研究に限定
-学長選考会議:≠学内選挙、推薦した学長のチェック機能
-部局長会議?:代替する組織を導入?→個々の大学が決めるところ
これらの新しい組織と現行の組織(教授会など)のパワーバランスがどのようになっていくか見えてきません。また、学長のリーダーシップは、紙の上には書かれていますが、現実の体制として発揮できるかは疑問です。大学の運営についても、評価対象にはなっていないので、現実的に運営に何か問題があった場合に誰がチェックし、問題解決のサポートするかはっきりしていません。

内生的大学改革へ?

私が疑問に思っているのは、この流れの中で本当に内生的大学改革に行き着くことができるのか、ということです。現実的に、今、国立大学が考えていることは、
・短期目標:2004年4月1日を無事乗り切る…これが一番の課題
・次の目標:過渡期(1~2年)を無事乗り切る
・中期的目標:中期計画の中間評価を乗り切る
この中で、以下の点が完全に抜けています。
-大学のあるべき姿とは?
-社会にどのような貢献ができる?
-構成員の大学に対するコミットメントをどう引き出す?
-学生・研究者にとって魅力ある大学とは?
これが現場からの声です。

質疑応答

Q:

民間と大学では、組織原理が相当異なり、それが大学改革を進めるうえでネックになるのではないでしょうか。大学には経営管理面に携わる部局と研究教育に携わる学部・教授会と2層に分かれており、相互交流がほとんどありません。学長にも社長のような強権はありませんので、経営サイドがいくら産学連携を進めようと思っても、学部・教授会が動かなければ少しも進行しません。また、民間では儲けないと倒産するので危機感を持っていますが、大学、特に国立大学には危機感がないように思います。現状維持のほうが楽ですから、危機感がないとなかなか改革は進まないのではないか、と思いますが、どのように考えられますか。

A 磯谷氏:

民間と大学では組織原理が違うというのは、そのとおりだと思います。ただ、大学のコミュニティが民間と違う組織原理であること自体はけっして悪いことであるとは思いません。そもそも大学のコミュニティと社会の接点をどのようにしていくかというポイントがあります。もう1つは組織内部の問題ですが、経営サイドと教育・研究サイドの違いというのは、おそらく企業の内部にもあり、その間をどのようにマネジメントしていくかが重要です。これらをまとめていうと、いかに大学の良さを活かしながら、Proactiveな大学を目指すかが大切です。もし、今回の国立大学法人化でそれが達成できないというのであれば、それはおそらく文部科学省の仕掛けの失敗ということになるでしょう。

A 原山氏:

組織的な面と内部の面の話があると思います。今、磯谷氏がいったように、大学コミュニティというものが存在します。それはかなり分散型の組織であって、個々の教官が自分の良いと思った研究・教育をすることによって、大学全体の良さが高まるというのがその前提にあります。今後は法人化により、これまでと違って大学は1つのentityとして存在することになります。したがって、これからどのような方向性で運営管理していくかを決めなくてはいけません。それは中央がやるべきことですが、そこでは学長のリーダーシップを1つの柱にしています。しかし、具体的に内部でこれから意志決定しなくてはならない役員にあたる人というのは、ほとんどの場合がもともと教授であった人ですので、マネジメント経験はあまりありません。そのような人が役員会を形成し、そのトップに立つ学長が、これだけ大所帯の組織の運営や外部に対する交渉、内部のマネジメントということを同時にやり、なおかつ研究および教育の長を務める、というのは難しいことです。よって、民間的な手法は取り入れるべきところには取り入れるべきですが、それが全て大学のミッションに合ったものであるかどうかを考慮した上で、取り入れるかどうかを考えていく必要があります。

Q:

原点に戻ると、大学の存立目的の1つは真理の探求です。もう1つは人材の育成や研究を通じて社会に貢献することです。そういったビジョンについてのコンセンサスが学内で得られているのでしょうか。国立大学の法人化は、規程の修正など形にとらわれてしまっていて、「仏作って魂入れず」、という状態になるのではないかと危惧しています。

A 磯谷氏:

国立大学であった時代は個々の教員・研究者が自分の学部・研究室などを単位として何をやるかを決定し、それが制度的にも守られてきました。今回、完全に自律するかどうか議論はありますが、いずれにせよ初めて法人格を持ち、組織としてのビジョンが求められるようになります。国立大学が法人化した瞬間にビジョナリーな共同体になり、構成員の同意を容易に得ることができれば、それは非常にすばらしいことですが、実際は、ビジョンが先かあるいは制度改革が先か、という話になります。そこで制度改革を先にやろうというのが国の決断でしたので、合意を得られるようなビジョン形成のプロセスはこれから本格化すると思います。かつての国立大学の場合でも、新設の大学であれば、大学創設時からビジョンを明確にしているケースもあります。ほとんどの大学でビジョンの合意形成は今後とも容易ではないかもしれません。しかし、法人化はビジョン形成のチャンスであると思います。

A 原山氏:

新設大学の場合には、今のプロセスでビジョンの合意形成はできると思いますが、国立大学はすでに既存の大学であり、しかも歴史を持っています。そこであらたな方向を見いだしていくのはなかなか難しいことです。上から押しつけるのではなく、ボトムアップで個々の教官が自分自身に問いただし、自分が社会に対して何ができるのかを問わなくてはいけません。しかし、実際にはやらない、またやる方向にないというのが問題であると思います。これは、今後取り組まなくてはならない事柄の1つであると思いますが、大学執行部のプライオリティとして下位に位置づけているように思います。

Q:

1995年当時は産学連携に関わっている教員は全体の1割だったのが、現在は3割になったと、ある国立大学の産学協同センターに長年携わっている人から聞きました。ただ、人によって付き合いの深さは違いますので、3割でもまだまだ、という意見もありますが、1割が3割になったというのは相当な進歩だと思います。95年以降の大学に対する世の中の期待の変化や社会からの大学に対する評価基準の変化ということが個人の教員に対する評価基準にも大きな変化を及ぼし、それが教員のモチベーションやインセンティブに関わってきているように思いますが、大学制度の変化が研究者個人へのモチベーションにどのような影響を与えているとお考えですか。

A 磯谷氏:

実は私もそれが知りたいのですが、90年代以降の大学教員の意識変化を比較できるような調査研究があまりありませんのでデータを基にしたお答えができません。ちなみに、1990年代前半に私が大学現場にいた頃の実感ですが、たとえば地域の自治体や企業が大学の先生方に研究を依頼すると彼らは、自分の研究分野に関連するテーマであれば快く協力していました。そしてそれをインターネットなどで公表することで社会貢献していることが外部からも見えるようになってきました。さまざまなところで、社会的に高く評価される大学のGood practice やBest practiceが見えてきたのと同時に、長く積み重ねて続けて行くと効果があるということが、関係者間にじわじわと浸透してきていたように思います。

A 原山氏:

米国の事例では、社会貢献ということだけでなく、社会・企業のニーズや問題意識を知り、教育・研究の糧とするために、コンサルティングをするよう大学本体が奨励しています。一方的に社会に貢献するということではなく、大学の本来のミッションに何かしらの形で活かすことが大切です。日本では、大学と社会との接点が無いため、大学人は自分たちのことしか考えていないという批判をよく受けます。産学連携は、どちらかというと技術的な工学系、農学系の先生方が自分の知識を外に出してそれを産業化することである、と捉えられがちですが、さまざまな人たちがさまざまな形で社会と接点を持つことが産学連携です。また、大学の教官への評価が今後厳しくなっていくと予想されますが、結果である指標を求めるために自分たちの行動を決定していくように今後なるのではないか、と危惧しています。したがって、大学の教官の人事評価・機関評価に関しても、その点を評価委員会などの評価機構が配慮していないと、間違ったタイプのシグナルを与えてしまい、本来あるべき姿からかけ離れていくのではないか、と私は危惧します。

Q:

大学を卒業して数十年経ちますが、これからの大学には行きたくない、という気分にさせられてしまいます。評価は本当にどこまで的確にできるのでしょうか。残念ながら、要領のいい人が評価され、上手に振舞えない優秀な先生はあまり評価されないというような状況になりかねません。産学連携に関わる教官は現在15%と聞きましたが、ちょうど良いのではないでしょうか。全員が産学連携に向かってしまったら、それこそ危うい状況になりかねないと思います。企業の原理と大学の原理が違うのは当然であり、違うところは違うところとしながら、あわてずにゆっくりやればいいのではないでしょうか。

A 原山氏:

「私はもう大学に行ってみたくない」というのが非常にポイントでありまして、私は今、東北大学にいますが、やはり人が来たい、学生が来たい、研究者が来たいという大学にしたいと思っています。それがなかったら面白くありません。

A 磯谷氏:

ご質問方の趣旨に99%賛成です。私もそういう考え方で、政策の立場にいました。大学は、多様な場でなければなりません。ただし、原山先生が指摘されたように「大学に行きたくない」といわれるのが一番つらいことです。また、最近の日本の大学はつまらないから、外国の大学へ行けばいい、という方もいますが、やはり日本の大学も輝いていてほしいと思います。

Q:

米国では一般教養科目を中心にいわゆる学部生を専門にする大学と、UCバークレーやハーバード大学のように研究を主にする大学とに分かれています。この産学連携というのは後者のハーバード型を目指しているように思いますが、それでは、どこが一般教養科目を担うようになるのでしょうか。

A 原山氏:

米国の大学は、多様な大学が存在し、多種多様な社会のニーズに応えるシステムになっています。日本の大学システムは、本来そうあるべきとして文部科学省が構築しました。しかし、日本の大学システムの歴史を振り返ってみますと、どちらかというと単一化の方向に向かってきたといえます。また、東京大学モデルという理論もあります。産学連携に関しても、地域との連携の話となりますと、たとえば東北大学は仙台にありますが、地域との連携は非常に弱かったとわけです。これからは地域との関係を強化しなくてはいけない、ということで努力はしています。しかし、本来Research Universityとしての位置づけであり、地域との連携には向いていませんでした。では、なぜ向いていないのにしなくてはいけないのか、ということですが、であるならば、地域にあるいろいろな大学をもっと活用していけば良いのではないか、という話になります。そういう意味では、多様性ということを許容する日本の社会をこれから構築しなければならないように思います。

A 磯谷氏:

アメリカモデルのように日本のモデルが割り切れない状況にあるというのは、今、原山先生がいわれたとおりです。つまり、私の話題提供では、MITやスタンフォード大学のように産学連携もやるし、Research Universityとしても優れているということだけをターゲットにしているわけではありません。産学連携は多様なチャンネルから成り立つと私は捉えていて、その大学がどこに重点を置くか、そのチョイスを明確にし、各大学のミッションをはっきりとさせていけば自ずと大学の多様性がどんどん加速される可能性はあります。一般教養科目的な意味での大学と社会、地域との接点というのも当然あるわけです。ある1つのタイプのResearch Universityだけを念頭に置いているのではなく、もう少し幅広い文化的基盤や人文社会科学的な意味での社会との接点を含めて考えています。

A 原山氏:

1つ付け加えますと、米国の場合でも、スタンフォード大学とUCバークレーではタイプが違います。スタンフォード大学の場合には個人ベースで教官が社会で起業するなどしており、そこで稼いだお金は大学に寄付して還元するというのがやり方です。UCバークレーの場合は、教官みんなでどんな社会貢献ができるかを考えるというやり方です。同じResearch Universityの中でもまた、大学によって方針もやり方も違います。その多様性を日本はあまり踏まえずに、1つのものとして産学連携を推進しているといえます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。