企業福祉の制度改革─多様な働き方へ向けて

開催日 2003年9月11日
スピーカー 橘木 俊詔 (RIETIファカルティフェロー/京都大学大学院経済学研究科教授)
モデレータ 児玉 俊洋 (RIETI上席研究員)

議事録

モデレータ:
今日はRIETIの政策分析シリーズとして出版されたばかりの『企業福祉の制度改革』のご紹介と、橘木さん御自身のご研究の成果について、あるいはご主張についてお話いただくことになっております。
多少経緯をご紹介しますと、1昨年の9月にセーフティ・ネットのシンポジウムを開催しました。これは社会保障と医療と雇用と3つのパーツを横断的にセーフティ・ネットとして議論するというシンポジウムでありました。そのパーツの社会保障に相当するところについて橘木さんと金子さんが中心に研究会を積み重ねて、昨年11月に企業福祉のシンポジウムを開きまして、そこで中間的な成果を発表されたうえで、今回その成果としてまとめられたというそういう位置付けであります。

スピーカー:
今日は『企業福祉の制度改革』という本の紹介を兼ねてお話させていただきたいと思います。時間が限られておりますので、前半部分ではこの本の内容を簡単にご紹介し、後半部分は私が企業福祉に対してどういう主張をしているかという、私の個人的な意見をお話させていただきまして、みなさまのご質問、ご批判に期待したいというつもりです。

法定福利厚生と非法定福利厚生

ではまず、この本の内容の紹介をさせていただきたいと思います。

日本の企業というのは、いろんな形で福祉を提供してまいりました。大きくわけて法定福利厚生、非法定福利厚生というのがあるのは、みなさんよくご存じのことだと思います。法定福利厚生というのは年金、医療、介護とかいう法律で決まっている分野の福祉を企業が提供するということです。具体的にいえば、社会保険料の事業主負担という部分です。企業が国家に提供して、厚生労働省なりが年金や医療や介護の給付をやるという、いわゆる法律で決まった福祉が第1番目です。

第2番目の福祉は、非法定福利厚生といわれる分野で、これは何も法律で決まっておりませんで、企業が勝手に労使と共に自分達の企業で働いている従業員に役立つような福祉を提供するものです。具体的にどんな制度があるかというと、社宅を用意する、保養所を用意する、あるいはスポーツ施設をつくる、文化施設をつくるなどです。あるいは最も大きな制度は、退職金制度や企業年金制度であるとか、企業独自でいろいろな福祉を提供するというのが非法定福利厚生です。

この2つの法定福利厚生と非法定福利厚生の過去を振り返り、そして今後はどうなったら良いかを検討したのがこの本です。

まず、非法定福利厚生費に関していえば、企業によってはやれるところは当然続けておりますが、たとえば社宅をやめる、退職金をやめる、退職金を賃金で払うなどいろんなかたちで非法定福利厚生費の見直しが盛んに行われているのはご存じだと思います。

これは労使の合議でやることですから、非法定福利厚生という何も法律で決まってないことに見直しをやめろというかたちにはいかない。しかしながら非法定福利厚生をいままで何故企業がやってきたかということを考えると、見直しは正統性があると思われます。非法定福利厚生費を用意するというのは、そこの企業で長い間働いて欲しいという希望が企業にはあったためでした。ロイヤリティも求めるという意味でそういう非法定福利厚生費を提供すると、労働者はその企業を辞めずにずっと長い間いるだろうという期待です。労働者、企業にとっても、いわゆる年功序列あるいは終身雇用制度のもとでそういうものが役立つという信念のもと、非法定福利厚生をやってきたわけです。しかし、この年功序列制度ないしは終身雇用制度というのは見直しの気運にあるのは事実ですので、非法定福利厚生費の見直しがあってもいいといえると思います。

そしてもう1つ大事な点は、公的部門の提供する福利厚生は、日本の社会においては非常に規模が小さかった。欧米の福祉にくらべると、年金、医療、介護、あるいは住宅にしろ何にしろ、少なくとも社会保障給付費がGDPに占める割合というのが日本は非常に低いという特色を持っておりました。私に言わせますとアメリカと日本が非福祉国家の典型でございました。非福祉国家の典型である日本ですが、それを代替していたのが、実は、家族と企業であったということをここで強調したいと思います。

家族が、福祉の提供者として、日本では非常に重要な役割を演じていました。企業もいろんなかたちで従業員に福祉を提供していましたので、公的部門が提供する貧困な社会保障を代替していたのが日本においては家族と企業でした。特に大企業は支払い能力がありましたので、国にかわって福祉を提供していたという事実があります。

しかしながら家族と企業が、大きな変遷や変化の過程にあるのも事実です。

家族がどういう福祉をやっていたか? 20、30年前は年老いた親を経済的にサポートするのは成人した子供の役割でした。それから年老いた親と同居するのも、介護するのも子供の義務でした。しかし、家族のサポートという体制が非常に大きな変化を遂げているのも日本の現状です。どうするかというのは大変な課題でして、介護保険が導入されたのは、まさに家族に押し付けるのは無理だから、社会全員でその介護をやろうという気運が日本に強くなってきたからでもあります。そのような点からも、社会保障というものが大きな転換点にあるということも分かって頂けると思います。

企業は当然のことながら支払い能力が低下しておりますので、先程申しました福祉の分野から撤退したいという希望が強くあります。どうしたらといいかというのが今回のプロジェクトの目的です。

福利厚生の現状

企業が福祉に関与してきたというのは、基本的に男子、正社員を対象にした福祉であるということに気付いてもらいたいと思います。あえていいますと、企業福祉、非法定福利厚生に限定すれば、それはもう大企業のみができることであって、中小企業はとてもそういうことができないのが日本の現状であります。

それと男子正社員というのは長期雇用にコミットするし、年功序列にいましたから、福祉の対象としては非常に便宜を受ける層でしたが、今の日本の労働市場というのは男子の正規社員ばかりではない、むしろ女性あるいはパートタイマー、派遣社員、あまり言葉が良くないようですがいわゆる非正規社員という人のウエイトがものすごく高まっております。むしろ大企業に勤める男子正規社員の数というのは日本においてはマイノリティといえます。そういうマイノリティの人たちのための福祉制度というのが今後続けられないというのは当然でして、中小企業で働いている人、あるいは女性の労働者、あるいはパートタイマーなどの人たちの福祉を考えるというのは、日本の今後の労使関係、あるいは企業社会を考えるのに非常に重要な課題であるというのが、我々の問題意識です。

この本の中で、ではどうしたらいいかということを取り上げている次第です。

具体的な話に参りますが、非法定福利厚生費といいますのは、社宅、企業年金、退職金などです。最近のこの分野において非常に重要な課題と申しますのは、女性の労働者をどう処遇するか、たとえば女性が一生働く場合に企業に勤めて結婚して子供をもうけたときにこの人たちは一体どういう行動を取るかと考えますと、育児休業制度というものが今用意されているわけなのですが、そういう問題も企業福祉と直接に関係がありますので、この本では3つの章を設けてその育児休業制度の話を取り上げております。

この本の第2部「女性労働者を支援する制度設定とは」には4つの章がありまして、ここで新しい形の企業福祉の問題を取り上げております。今、日本の社会で女性の労働者の数は4割前後までになっております。既婚女性の働いている数も非常に多いです。

女性が働いていて結婚して出産した時に、どういう行動をとるかと申しますと、3つの行動があります。1番目は働き続けるという選択、2番目はパート労働者に転換するという選択、3番目は辞める選択、この3つがあります。

第2部の著者は4人おりまして、前3章は女性の著者でございます。女性がこの問題をどのように見ているかということを我々男性は真摯に受け止めなくてはならないということで、女性の方々がどのようなことを言っているかを紹介したいと思います。

まず、第3章を執筆した横山由紀子さんはどのようなことを言っているかというと「絶対辞めるな」と女性に主張しております。何故か。今、日本の社会には離婚が増えております。勤めていて結婚して、辞めて、家に入って離婚した女性は物凄く悲惨な状況にあり、もう1回働こうと思っても良い仕事がない。従いまして「働き続けろ、何があっても働き続けろ」というのが横山さんの主張です。これは、我々男性は真摯に受け止めなくてはならない主張だと思います。

では、働き続けるということを選択した場合に、結婚、出産というときに、どうゆう手立てが必要かというと、育児休業制度という制度があります。育児休業制度があることによって、女性がどのような労働パターンをしているのかを第4章と第5章で森田陽子さんと周燕飛さんという女性の方が書かれています。しかしこの制度は、いろいろな問題を抱えているのも事実ですが、育児休業制度を取ることによって復職の可能性は高く、復職して正規の社員として雇われる可能性も高くなっているので、育児休業制度というのはうまく機能しているというのが彼女たちの評価です。この周さんや森田さんのされた研究によると、いろいろ困難はあっても育児休業制度を取って、そして復職して勤務を続けなさいということになるわけなのです。

企業から見たらどういうことかといいますと、企業は育休制度をやや負担に感じつつあります。これは我々の研究の新しい発見でして、育休を取る人が増えてきますと企業側から見たら、代替要員を準備しなくてはいけないとか、あるいはその人たちのキャリアを今後どうするかなど、いろいろなかたちで負担を感じつつあるということです。そしてもっと困ることに、女性の採用を控えようというような動きすら、ところどころに出ております。これは放っておけないという事実が我々の前に突き出されているのです。

育休とかフレキシブルタイムだとかいろいろなかたちの支援策を一生懸命やっている企業をファミリーフレンドリー企業というふうに呼んでいますが、そのファミリーフレンドリー企業をやり続けるとコスト負担があるということがわかってきますと、これは企業にとっても非常に深刻なことですから、放っておけないということです。

我々としては、企業だけにそのような負担を迫るのは酷であり、社会全体でその負担を分かち合う制度、つまり財政負担、税制、社会保障の面から側からサポートする体制が必要であるというようなことをいっております。

日本の年金制度

次に厚生年金基金の問題をあげます。国民年金はもう相当空洞化が進んでおりますが、厚生年金も皆さんもご存じのように空洞化が進んでいます。

今、厚生労働省が何を考えているかといいますと、今は制度的にはフルタイムの4分の3の労働時間をやっている人たちに厚生年金に入るようなことを要求しておりますが、それを2分の1の労働時間、ほぼ20時間前後でしょうか、そのパートタイマーの人たちも厚生年金に入ってもらうような政策を考えております。これは、厚生年金の保険料の収入をあげたりとか、無年金になる人をなくしたりとか、いろいろな良い面はあるわけなのですが、これに対して企業側は相当強い反発をしているのは皆さんご存じだと思います。たとえば外食産業、小企業、派遣企業はそういうようなパートタイマーも厚生年金に入らないといけないとなると、自分達の社会保険料の事業主負担分が増えるので、相当強力な反対運動をやっております。ではこれをどうするかという話は、これは私の持論がございますので、後でご紹介したいと思います。

企業が今までの非法定福利厚生費、或いはファミリーフレンドリー企業をやるときに、いろいろな問題を抱えているということをここでご紹介して、いろいろな対策をやっているということです。

その次の問題が企業年金の話でありまして、この本の中では第3部で企業年金の話をしております。企業年金というのはアメリカのいわゆる401kの制度に触発されて、日本でも確定給付(DD)から確定拠出(DC)への変更が認められて、もう制度として入っております。DCを導入した企業は多いわけなのですが、一般に労働者側からみたらDDのほうが有利であるというのは確かで、DDは企業の負担が増えて困っているというのは現状ですが、この論文では宮里尚三さんが、DCに変更しても労働者にとっては不利ではないというシミュレーションを出しております。これは非常に重要な研究成果であると思います。しかし、それは労働者がDCの場合に良い資産運用をやらないといけないという前提でして、幸か不幸か、日本の労働者や国民全体は資産運用がまだ不得意ですので、その現状を踏まえますとやはり国民がDCに変わった時に良い資産運用をやってもらう必要があるというのが条件となって参ります。

その次がコーポレート・ガバナンスの話でして、それが第3部の第8章と第9章の話です。これは企業年金にもっと関係があります。アメリカのカルパースに代表されますように、企業年金基金というのは、コーポレート・ガバナンスのいわゆるモニター、要するに企業がどういう経営をやってどういう実績をあげるかというのを非常にうまく監視していて発言もしているという事実がございます。日本でも企業年金基金のモニター活動、コーポレート・ガバナンスをうまく機能させるために、アメリカ型のシステムを導入すればいいといいう議論が強いのですが、中村浩一郎氏、赤石浩一氏ご両人の結論は、アメリカ型はいわれている程うまくいってないというものです。日本では、アメリカ型ではなくどんなコーポレート・ガバンナスが合うかということをこの2つの章で書いております。

最後は、社会保険代行機関といわれるものでして、これは保険者機能を代行している厚生年金基金、健康保険組合がありまして、これがうまく機能しているのかというのが第2章で駒村康平氏のされている内容です。この2つのいわゆる代行機関が今までやってきたことは相当うまくいってきたけれど、今やあまりうまく機能していない、メリットが小さくなっているというのが駒村氏の結論です。何故かといえば、代行制度は、厚生年金基金や健康保険組合があることによって代行があるので結構規制がきつくて、規制に従わざるを得ないという事情あって、むしろマイナス面が出ているのではないだろうかということです。

以上が、この本のおおまかな要約です。

企業、福祉からの撤退あってよい

次に、この本の第1章で書きました「企業、福祉からの撤退あってよい」という章を述べさせていただきたいと思います。私の第1章の論文は私個人の名前で書いておりまして、ここに連ねている著者の人たちとの合意ではありませんので、これから申し上げる話は、私の持論です。必ずしもこの本の全体を統一する主張ではありませんということを、あらかじめ申し上げたいと思います。

冒頭に申しましたように、日本の福祉を担当していたのは家族と企業、特に大企業でありました。公共部門の役割は非常に小さかったのです。しかし公共部門の役割は、皆さんご存じのように、厚生年金、医療保険、介護保険など進展しておりますので徐々に高まってはおりますが、基本的には家族と企業、特に大企業がその主たる担当者であったわけです。私は、企業は福祉から撤退してもよい、あるいは撤退があってもよいという主張をこれから皆さんの前で申し上げて、ご批判を受けたいと思います。

私は法定福利厚生費と非法定福利厚生費、どっちも撤退があってもいいというやや極論の持主でして、日本の社会では多分受け入れられないくらいの反論が出てくると思うのですが、何故そういうことを言うかという理由を何個か挙げさせていただきたいと思います。

まず、第1点。福祉のベネフィットを受けるのは個人です。個人というか、労働者です。企業が福祉を提供することによってベネフィットを受けていたのは、非法定福利厚生により、労使関係がうまくいき、そして労働者が非常に高いロイヤリティをもってくれて一生懸命働いてくれるというのが、企業側のメリットです。したがって企業、特に大企業は進んで非法定福利厚生費を支払っていたという事情があります。法定福利厚生費を含めて、その他の福祉のべネフィットは、年金、医療などがあります。ここで年金は企業から引退してからの話で、それから介護とは70歳、80歳になってからの福祉の話ですから、そのような福祉の提供というのは、これはあくまでも個人が受けるベネフィットでして、企業が受けるベネフィットではない。では、何故、企業が法定福利厚生費の半分を負担してきたか、ということに私は非常に感心がありました。ヨーロッパの歴史、アメリカの歴史を辿りましても法定福利厚生費は半々の負担ですから、それを歴史的な点から、私の第1章ではドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、日本の例をあげまして、何故、企業が法定福利厚生費の半分を負担してきたかその事情を調べました。その負担をする必要性というのは徐々に薄れているなあというのが私の第1点です。それは何故かというと福祉のベネフィットを受けるのはあくまでも個人であると。企業というのは、好むと好まざるとに関わらず財政負担をしてきた。そういう意味で、企業は福祉を受ける側ではないと。

であるなら、福祉のベネフィットを受ける個人が、全部を負担するのは道理にかなっているのではないかというのが、私の第1番目の論点です。

2番目の論点は、企業が福祉に関与することによって、ややこしい問題がいっぱい起きてくるということです。たとえば、企業年金制度をとりますと、企業労働者が企業を移るとポータビリティを持たせないといけないとか、倒産した時にどのような手立てにするかなど、いろいろな問題を含むため複雑な制度を準備しなければいけないというのがあります。企業が福祉に介在することによって業務の内容が医療、介護、年金、その他諸々の分野でいろいろな業務をやらなければならないし、管理費用も高くなるという現状がございます。そのため、企業があえて取り組むベネフィットというのが小さくなっているのではないかというのが私の第2番目の論点です。何故そういうことを言うかといいますと、大企業は長い間存続しますが、中小企業が何年企業として存続しているかという平均をとりますと、ほんの数年です。倒産する企業はいっぱいありますし、倒産した企業に働いていた人たちをどうやって、企業福祉でやるかというのは、大きな課題を背負うことになります。福祉のあり方についていえば公共部門と個人が契約する福祉の関係が一番シンプルで良い方法だと思っています。

3番目は、企業が福祉から撤退してあってもよいという根拠は、企業の最大の社会的貢献は何かというと、企業の福祉で悩むよりも、ビジネスの繁栄と雇用の確保であると思うのです。たとえば、社会保険料を取られることによって企業倒産があるということは、私はあってはならないと思います。むしろビジネスに最大限の努力をして、そこで働いている人たちの雇用を確保することが達成できれば我々はそれで十分であり、福祉に悩む必要はないというのが、3番目の理由です。

4番目の理由は、今、年金にしろ、医療にしろ、介護にしろ、労使折半の社会保険料で徴集しているわけなのですが、社会保険料方式をやめて税方式というのが私の持論です。税方式というのはどういうことかというと、年金制度を例に挙げれば、私は基礎年金を全額税方式でやれというのが主張でして、17万円というのを国民全員に基礎年金として給付し、その財源は消費税で賄う。私の計算によりますと消費税の税率は15%ぐらいになるのはやむをえないというのが私の主張です。

何故、税方式がいいかというのを申しますと、1つには社会保険料方式だと支払いの拒否をする企業が増え、国民年金、厚生年金の空洞化が起きています。これを税方式でやると、保険料よりも徴集能力が高いというのが第1の根拠。

第2の根拠は、これもっと大事な理由ですが、社会保険料方式というのは、直接に労働者から保険料として徴収しますので、労働供給だとか貯蓄率だとか、そういうような効果にネガティブな影響力があると考えられます。私は累進消費税という言葉を使っておりますが、その累進消費税で、社会保障給付の財源を賄いますと、そのような効果はなくなりまして、資源配分上、ポジティブな効果があると。どういうことかというと、消費税という間接税方式というのが、経済成長率を高めるためには直接税や社会保険料よりもベターであるというのが第2番目の根拠です。

何故、累進消費税かと申しますと、累進という言葉が重要でして、これは食料品だとか医療費とか教育費には課税の率をゼロにして、他の贅沢品などに高い税率をかけるというのが私の言う累進消費税です。

税方式にもし合意があるのであれば、これは社会保険料方式をやめるということですから、当然、国民が社会保険料を払うとか、あるいは企業には社会保険料の事業主負担がなくなるという意味で、福祉の財源を税に変換することによって、私の言う「企業、福祉からの撤退あってよい」というのが、一連の流れとして、ここで完結する話であります。

質疑応答

Q:

厚生労働省が考えているニ号保険者の拡大について若干コメント致します。女性の社会進出、高齢者の社会参加によるパートのやり方ですとか、いろいろな雇用形態がある中で、こういうパートの方たちのニ号保険者の拡大というのはかなり大きな変化です。パート労働者を増やしていくことによる企業の半額負担の回避という逃げ道もなくなるとなったときに、その企業の雇用行動、個人の就労行動に対する行動について、今の厚生労働省案がそのまま通った場合に、どんな影響があるのでしょうか。

A:

2分の1以上の労働時間をやっている人を厚生年金に入れなさいといっているわけですが、そういう人たちを抱えている企業は社会保険料の事業主負担分が増えるから大反対を起こしているわけなのです。私はできれば国民全員がなんらかの意味で社会保障制度に入るのが、理想だと考えております。女性がパートタイマーとして働いていて厚生年金に入っていなかったときに、離婚したらもう年金はもらえないし、年をとったときに大変な悲惨ことになるから働き続けなさいというまさにそこにあるわけです。そういう意味で私は厚生労働省の考えは、正しい政策だと思っております。そこで問題になってくるのが、負担をいやがる企業をどう説得するかということです。そこで私の持論がここに出てまいりますが、社会保険料方式をやめて、税方式にするのであれば、国民全員が負担する制度ですので、年齢がいっても全員が年金をもらえる制度になります。ですから社会保険料の負担分をどうするかという問題はなくなるというメリットがあるのではないでしょうか。しかし、そんなことをここ数年でできるわけがないというのも事実ですので、私は今の時点だけに短期的にいえば、なんとか企業にも分かってもらえるような政策をとる、社会保険料の事業主負担というのは法律で決まった義務ですから払ってもらわないと困ると。しかし苦しいのであれば猶予の時期を設けるとか、保険料の一時削減をやるとか、そのような配慮は企業のためにやらなければいけないだろうというふうな認識はしております。

Q:

1点目は、保険料の企業負担分、法定福利厚生なのですが、保険料は総額が変わらなければ、企業が払っても、その分だけ給与に移転して労働者が100%払っても、それは企業が払うものとしたら一緒じゃないかなというふうに思いました。もう1点は、税方式の問題なのですが、本当に誰でも払うような消費税を財源に年金を受け取るということがはたしてフェアかどうかというような問題があるのではなかろうかと思います。

A:

今のご質問は、まさに日本の社会保障を社会保険料方式でいくべきか税方式でいくべきかの社会保険料支持側からの税方式論者への批判、ご質問だというふうに理解しております。まず第1番目の労働者が負担しているのか、労働者が負担しているのであれば、本来ならば賃金でもらうべきところを、賃金を低くして、低くした分を企業が社会保険料事業主負担分として払っているのではないかという話と、いやそうじゃないと帰着はないという両極端があります。日本の企業に関しまして帰着の実態を計量分析やりますと、実績で誰が負担しているのかといいますと企業でした。決して労働者の賃金削減分ではないというのが出ておりますので、もし私のやった研究が正しければ、その企業の負担分というのはほかの企業の内部投資だとか、いろいろなほかの事業に使ってもいいということはいえるのです。また帰着の問題というのは、これは非常に複雑でして、経済学でも大論争の分野でして、我々の研究成果だけで実績には企業が負担していますよと強力に主張する勇気はまだありませんので、一生懸命分析を重ねて、誰が負担しているのということを明らかになってから、もう一度、考えてみたいと思っております。

Q:

質問と申しますか、法定外福利厚生に関して反論を申し上げたいのですが、先生が4点まとめられ不要論が法定外に関しての不要論と同じだという仮定でご意見申し上げます。
まず、企業がベネフィットを受けていないということに関しましては、これは人的資源に対する投資行動ですからそれを上手にやっている、やっていないはありますが、従業員の貢献意欲を高めるような法定外福利厚生制度をうまく適用すれば、企業は十分にベネフィットを受けていると思われます。
2番目は、複雑でややこしい福祉制度に関与するというのはどうなのかというお話ですが、むしろ人的資源管理論から見ますと、特徴的なベネフィットのシステムを作ること自体が、ある種のその企業の競争力の一部を支える、あるいは貢献するものであるという理解をしておりますので、複雑だから法定外をやるべきではないというのは、少し乱暴なような気がします。
3番目は企業がビジネスに特化して、たとえば雇用を創出するということに集中したほうがよいのではないかというお話ですが、働きやすい環境をつくる、その地域の優秀なパート労働者を採用など魅力をつくるということで戦略的に展開するということがビジネスの成功へも繋がるという意味では、4点のうち3点が法定外には少なくとも当てはまらないのではないかというふうに考えます。さらに企業の少しの負担を伴いながら効率的なその需要力をするために企業の中に企業福祉、拠出のあるものをつくっていくことというのは、むしろ必要性が高まっているのではないかという理解をしておりますけれども、そのあたりも含めて不要論なのでしょうか。

A:

4つの理由を申しましたけど、これは非法定福利厚生にも役立つ議論です。非法定福利厚生費は実をいいますと企業規模間格差が非常に大きい。やれるのが大企業だけであると。中小企業はほとんどやれない。そのような格差を私は認める立場ではありません。国民が育休制度を望むのであれば、全ての望む人にそういうようなサービスができる制度を構築するのが、私は福祉国家のあるべき姿だと思っています。非法定福利厚生費は、格差拡大に貢献しますので私としては、それは受け入れませんというのが、私の最大の反論です。

Q:

1つ目は、企業が福祉から出たがっているのではないかという4点の1つのうち、特に最後の税方式のほうが経済厚生上いいのではないかという点については、私は判断できないのでわかりませんけれども、仮にそういうご主張であるとすると、福祉からの撤退があってもよいではなくて、撤退すべきというご主張であるはずであって、これは過激であるとおっしゃるけれども、えらく微温的、穏健な書きぶりになっていると思いました。だから今日のお話によると、あってよいというご主張ではなくて、すべきであると。それが経済的に正しい選択であるというご主張であるべきなんじゃないかなあというふうに感じました。 2点目は社会保険料か、税かという議論は、私は判断を留保しますけれど、その議論を伺っていると社会保険料方式を取った場合に、行政コストを削減するためには、個人を対象にするよりはどこかで企業を関与させないと行政コストが削減できないので、どうしても企業を関与させるような制度設計になったのではないかなと推測が働きましたので、もしもその当否がわかれば教えて下さい。

A:

企業が福祉に何故関与していたかとの質問は、私の本の第1章を読んで頂ければわかるのですが、これはマルクス主義と関係があります。19世紀後半、あるいは20世紀初頭、労働運動が非常に高まって、労働組合が結成されて、資本家に対して非常な抵抗運動を示し、労働側から福祉に対して企業も負担せよというような要求がありました。ドイツのビスマルクがそれに気付きまして、労働者をアメと鞭で働かせるためには労働者と企業が折半で保険料負担した方がいいというのがビスマルクの政策でした。その思想をイギリスのベヴァリッジ報告も取りいれ、企業と労働者が折半で負担するのが理想であるとなりました。ビスマルクとベヴァリッジの思想が先進資本主義に普及していったという歴史的な経緯があります。そういうことがありまして、企業が入っているというように理解していただいていいと思います。
しかしながら、税方式をやっている国もあります。代表はデンマークです。デンマークというのは、社会保険はほとんど社会保険料じゃなくて税を社会保険の財源に使っている国です。カナダもそうですし、マイナーにはイギリスもそうです。イギリスはベヴァリッジの国でありながら、医療保険はナショナルヘルスサービスというのは全額、税方式でございます。ただデンマークというのは福祉国家の最たるもので、6割とか7割を税で取られても文句を言わない。日本人はそこまではいかないでしょうが、カナダぐらいの税負担によって日本の社会保障の財源を税にすれば、納得できるかところかなという判断をしております。従いまして、社会保険料方式というのは大国がそうだからすべての国がやっているように映りますが、必ずしもそうではない。北欧の一部の国は税方式でございますし、カナダ、イギリスもそうですということを補足として付け加えたいと思います。

Q:

『企業福祉の制度改革』を読みはじめていたのですが、企業福祉、非常に多様な中身だったわけなのですが、2章と3章で企業年金とやはり育児支援の関係のみで、これ以外に企業福祉はもっと幅広くあるわけなのですが、これ以外の企業福祉について今後研究をまとめられる予定あるのでしょうか?

A:

我々がここでどういうプロジェクトをやっているかというご紹介をしてお答えにしたいと思います。女性に特化しまして、女性が働きやすいためのその制度的なバックアップ。税制、社会保障、あるいは育休制度も含めて教育の問題とか全て、女性をいかに活用していく政策を我々がやり得るかという問題をやっておりますので、第2弾はもうしばらく待っていただければまとまるかと思います。

Q:

夫婦2人で17万円の基礎年金を与えるということですが、その場合に今の厚生年金の報酬比例部分についてはどういうふうに変えていくのが望ましいのか。あるいは、その法定外福利厚生のところの企業年金の在り方については、どうしていくのか。つまり基礎的な年金が得られるとした中での上乗せ部分については、どういうかたちで、あるいはどのくらいの水準みたいなものを想定されているのでしょうか。

A:

私のいう17万円は高齢者の生活実態をみて17万円あれば最低限生きていけるだろうという数字で出した数字です。で、二階部分に関しては、私は中期的にはもう廃止し、国の関与する公的年金というのは基礎年金だけでいいと思います。しかし、今まで二階部分、つまり報酬比例部分を信じて払ってきた人たちにそれを無くならせたらそれは酷なので、それは厚生年金の積立金の切り崩しをやって、もういま引退している人たちの二階部分は大きく支給額が減らない程度は支給するという制度を、私は考えております。

Q:

企業年金はどうですか?

A:

企業年金はもう公的年金じゃないですから、自由に労使でやりたいところはやってもいいというのが結論になりますが、企業年金も、企業が福祉に介在することによる複雑さ、手間のコストと考えると、やっていけるのは多分アメリカでもそうですが、大企業だけだろうと思います。中小企業はやっていけないだろうという感じがします。まあやれるところは私はやってもいいと。それまで私がどうこう主張する気はありませんが、むしろ企業が関与するよりも、個人個人の責任において、いろいろなかたちで貯蓄をやるなり個人年金に入るなり、やっていったほうが私はベターじゃないかなという感じがしております。企業が介在することによっていろんな問題が起きてくるのであれば、もう国の関与するのは17万円だけで、それ以上は個人の責任でやりなさいというのを国民に理解してもらうのを私は考えたいと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。