イラク情勢をめぐって

開催日 2003年3月20日
スピーカー 酒井 啓子 (JETROアジア経済研究所主任研究員)
モデレータ 佐伯 英隆 (RIETI副所長・上席研究員)

議事録

酒井です。この講演にあたって、微妙な時期でもあるので、テーマはどうとでもとれる、漠然としたものにしてください、とお願いしていたら、まさに開戦という日(3月20日)になってしまいました。現在は、最初の限定的な空爆は行われたが、まだ本格的な戦闘は行われていないという状況です。フセイン大統領とその息子たちの亡命要求のタイムリミットが切れ、アメリカが本気であることを示すためにとりあえず軍事行動をしたものと受け取ることもできます。

湾岸戦争当時と異なるのは、すでに北緯33度以南、36度以北には飛行禁止区域が設定されており、その地域での大きな軍事拠点はすでに破壊されているので、今回はバグダッドを中心とする中央地域の空爆を行い、その後地上戦に入るものと思われます。

アメリカのイラク攻撃の目的

本日の空爆について、報道によれば、フセインの所在を確認し、それに向けてのものだということです。だとすれば、この空爆はフセインとその周辺の政権上層部の排除という、この戦争の目的を明確にしたものといえます。

ただ、アメリカがイラクから危険な指導者を排除しようと主張し続けているにもかかわらず、このイラク政権の実像については、これまで明らかにされることがなかったといえます。アメリカはフセイン大統領とその2人の息子の亡命だけを求めていますが、イラク政権は10数人といわれるフセインの親族だけで成り立っているわけではなく、与党バース党や国家テクノクラート、さらに共和国防衛隊を含む軍の幹部などが政権を構成しているわけで、そのどの部分を政権の中枢とみなして追放するかが明確でなければ、かえってイラクの混乱と不安定を招きかねません。イラク国民にとっても、政権の転覆が自分にも被害が及ぶことになるのかどうかがわからなければ、はっきりとした態度がとれないことになります。

そういう中で、フセイン大統領と5、6人の幹部が集まったとされる場所をアメリカが攻撃したことは、1つのメッセージと解釈することができます。

アメリカの方針への疑問

本日の空爆についてはCIAがフセイン大統領の居所を察知し、この情報に基づいて空爆したとされています。しかし、私としては、その情報の確実さについて大きな疑問符をつけざるをえません。1つにはフセイン大統領が非常に慎重に自らの身を隠すことを習慣化してきたことがあります。複数の影武者がいる、常に居所を変え、一定の場所で寝ることはない、ということなどです。私もバグダッドに3年間いましたが、フセイン大統領の行動について、イラク国民に伝わることは一切ありません。テレビには頻繁に登場しても、その場所や日時は明示されることはありませんし、移動の際には10~20台の同一の車種、色、ナンバーの車を用意し、どれにフセイン大統領が乗っているかはわからないようにしてあります。

つまり、工作員が簡単に潜入して、居場所を突き止められるような人物ではありません。

また、CIAがどれだけイラクの内部情報を把握しているかについても疑問があります。アメリカはイラクとは1984年に国交を回復し、湾岸戦争開始前の1988年までのわずか5年間だけ、工作員が自由に歩き回って、いわゆる土地勘を養いながらの情報収集活動が可能でした。湾岸戦争直後には活発な情報収集が可能でしたが、基本的にはイラクは外国人が工作活動ができるほど、開放的な国ではないため、亡命イラク人や近隣諸国の人間、とりわけクルド人がその任にあたってきましたが、その組織も現在は崩壊しています。つまり、アメリカが湾岸戦争直後よりも精度の高い諜報活動ができているとは思えないのです。フセイン大統領をはじめ政権の幹部5、6人が集まっている場所を察知し、ピンポイントで攻撃したといっても、それが成功する確率は非常に低いと思われます。もし、これがうまくいかなければやっかいなことになります。

フセイン大統領はこの四半世紀にわたって、イラク国内に巧妙な政治体制を築いてきました。フセイン大統領が生きている限り、それを支持しなければならない、という意識が一般国民にはあります。もし、フセインの生死が不明なまま新政権を立ち上げたとしてもスムーズに事が進むとは思えません。

フセイン政権は軍事政権ではない

メディアなどでは、イラクの軍隊を解体し、フセイン大統領を丸裸にしてしまえば政権は崩壊してしまうだろうという観測が多いのですが、私はそうは思いません。フセイン大統領は軍出身者ではありません。現在は軍を懐柔してそれに守られているように見えますが、本来、フセイン大統領が政権の基盤としてきたのは治安組織なのです。軍はむしろフセイン大統領にとって政治的なライバルでした。フセイン大統領はこれまでも多くの軍幹部を追放し、クーデターを警戒して政権を維持してきたのであり、軍への警戒心はかなり強いのです。

イラク問題では生物・化学兵器といった大量破壊兵器の存在が常に問題となります。なぜ、フセイン政権はこれだけの非難を浴び、そのために窮地に追い込まれても大量破壊兵器にこだわり、これを破棄しないのでしょうか。イラク問題についてもっとも権威とされるイスラエルのある学者は、大量破壊兵器を保持しているのは、軍本体ではなく特殊治安部隊であり、むしろ軍の反乱を抑え込むことがその目的である、と分析しています。少なくともフセイン大統領は軍よりも治安部隊を守ろうとしていることは間違いないだろうと思います。

米英軍の進攻によって相次いで投降していると伝えられるように、一般のイラク国軍の士気は非常に低いといえます。もし彼らの投降を阻んでいるものがあるとすれば、それは米英軍への恐怖ではなく、背後で見張っている治安組織の存在なのです。実は共和国防衛隊を含む軍組織の幹部は、職業軍人出身者ではなく、多くが治安組織または軍を監視するバース党の党軍事局の出身者なのです。フセイン大統領にとって問題なのは軍がいかに米英軍に抗戦してくれるかではなく、彼らがこの機に乗じて反乱を起こさないようにすることなのです。とりわけクウェート戦線に配置されている部隊は捨て駒といってもいいもので、これが投降しようがしまいが、フセイン大統領自身はあまり問題にしていないでしょう。

フセイン大統領が一番心配しているのは、特殊治安部隊や国民の情報をコントロールする諜報機関が瓦解し、米英の宣伝能力がまさり、自分の威令が国民に届かなくなることなのです。空爆直後にフセインがテレビに登場しましたが、フセイン大統領は常にその存在を国民に誇示し続けることが必要なのです。

イラクの政権構造

フセイン政権の構造を別に図示しました。

中央にいるのはフセイン大統領とその一族で、10数人しかいません。これをもっとも支えているのはフセイン大統領の出身地ティクリートと呼ばれる町の出身者です。この町はかつてのイラクの英雄サラディンの出身地でもあり、フセイン大統領は自らをこれになぞらえてもいます。ただ、このティクリートは小さな町で成人男性すべてを合わせても数千人規模でしかないので、その周囲を北部のモスル出身者、西部のユーフラテス川上流出身者、またティクリートと隣接する地域の出身者が支えています。これらは、日本でいえば「薩長閥」に対比できるような存在で、いわば有力部族の連合体といえます。

これらの部族が軍の中枢を握る主流閥を形成しています。これらの部族はイスラム教のスンニ派に属していますが、スンニ派がすべて有力部族に含まれるわけではなく、関係のない部族や都市で生活して、そのような部族関係とは縁のない人々もかなりいます。フセイン政権はスンニ派政権といわれますが、その人口は25~30%程度で、他方、シーア派と呼ばれる人たちが50~55%を占めています。

では、人口では多数を占めるシーア派が政権から排除されているかというと必ずしもそうではなく、与党バース党にはそれなりにシーア派の人たちも含まれています。また正規軍もスンニ派・シーア派にまたがっています。ただ共和国防衛隊は、フセイン政権を支える3部族の出身者で占められています。ただ、この共和国防衛隊のフセインへ大統領の忠誠心も必ずしも絶対的ではなく、しばしばクーデターなどの動きをすることもあるというのが実情です。

それでは何が問題かというと、この図のどの部分が、今回のイラク攻撃の結果として排除されるのかです。もし、中心の一族、特殊治安部隊の部分だけをうまく取り除くことができれば、軍もバース党も残した形で現在の国家体制が大きく変化することなく、新政権に移行できることになります。ただ、現政権をバース党政権ととらえて、それをすべて排除する形で新政権を作ろうとすれば膨大な時間と手間と困難が予想されます。アメリカはこの点について、方針が定まってはいないようです。

たとえば、ネオコン(新保守主義)の代表的存在であるウォルフォビッツ国防副長官は、イラクは民主化されるべきとし、社会主義を標榜するバース党による政権、軍主導による政権も排除すべきと主張しています。そうなると、これまでの政権の枠組みはすべて排除されてしまうわけで、これに代わる受け皿として期待しているのは、アメリカ、イギリスなどに亡命している反政府グループ、とりわけ先進国に留学したり、ビジネスをしていたような知識人たちです。

一方、国務省やCIAを中心とするグループは、フセイン大統領を中心とする中枢部分だけを取り除いて、バース党、軍などの現在の政権の枠組みを残すべきだと主張しています。

また、共和国防衛隊の将校の中から反フセインの旗をあげて、クーデターを起こす者が登場し、軍事政権ながらも親米の政権ができることも期待されているようです。昨年からアメリカは海外にいる反政府グループを取りまとめてはいますが、昨年12月からの動きを見ていると、彼らを政権の中核に据える意思はないようです。そうではなく、現在の中枢を取り除いた後は、その周辺の党や軍の構成メンバーで補充して、とりあえず安定を維持するという方針のようです。ただ、周囲からそれだけの強い存在が登場してこなければ、最終的にはアメリカが直接統治するということも考えられているようです。

もっとも、現在、事態は流動的で、空爆でフセイン大統領が死亡するか、あるいは市街戦に突入していくか、などによって変化していくものと思われます。

質疑応答

Q:

イラクの行政機構、官僚は政権構造にどのように関わっていますか?

A:

バース党とかなりの部分で重なるといえます。バース党はアラブナショナリズムを標榜する社会主義政党ですが、イデオロギー色がそれほど強いわけではなく、生活政党的な側面があり、たとえば、官僚が出世を早くするために入党しておこう、というケースがかなりあります。したがって、官僚でありバース党員というケースが多いのです。ただ、バース党幹部については、部族的な問題とは関係なく登用されていて、フセイン政権は部族連合という側面だけではない支配構造を持っていることを示しています。バース党や官僚の幹部については、都市エリートということができ、部族連合を支える地方エリートとバランスをとって支配してきたといえます。

Q:

イラクはフセイン大統領らの政権中枢部を取り除くだけで、本当に変わることができるのでしょうか? フセイン大統領に誰かが取って代わるだけで、体質は変わらないということがあるのではないでしょうか。

A:

それは多分にありえます。もし、軍事政権ができれば、フセイン大統領のやり方を熟知している軍幹部が同様の支配をする可能性があります。もしアメリカにバース党を受け入れる度量があり、軍を排除して、バース党と官僚主体による政権ができれば、かなり変わると考えられます。しかし、アメリカは軍のほうに政権の安定を期待しているようです。

Q:

今のお話しに出てきた軍というのは正規軍と共和国防衛隊のいずれでしょうか。共和国防衛隊の場合には部族的な影響が残り、正規軍ならば部族や宗派とは関係ないのかな、という気がしますが。

A:

正規軍はシーア派、スンニ派いずれにもまたがってはいますが、軍の幹部は王制の時代からスンニ派で占められています。確かに共和国防衛隊には治安将校出身者などもいますから、正規軍のほうが安全ですが、シーア派はスンニ派の軍閥に対抗するだけのまとまったグループを形成しておらず、シーア派から指導者が出てくるということになると軍自体がまとまらないだろうと思われます。アメリカが期待しているのは、正規軍の中のスンニ派出身で、力のある軍閥をバックに持つ人間が登場してくることのようです。

Q:

日本はアメリカの方針を支持したわけですが、いかにサポートすべきだと思われますか?

A:

日本が果たすべき役割は2つあると思います。今回の戦争で、イラクの近隣諸国も大きな被害を受けるはずです。特にイランとシリアはかなりの悪影響を受けるにもかかわらず、アメリカから「次は君たちの番だ」と名指しされているようなものですから、支援は得られないでしょう。そうして両国が追いつめられると、中東全体にアメリカへの不信感や反発が募る可能性があります。日本はイラン、シリアに協力することで、中東の安定に役割を果たすべきだろうと思います。また、アメリカが明らかにバランスを欠いた対応をするだろうと思われるのがパレスチナ問題です。ブレア英首相は、パレスチナ問題についての討議を提案していますが、ブッシュ政権はまったく無視する構えです。日本はブレア首相とともに、パレスチナ問題を忘れないようなメッセージを発していくべきでしょう。

Q:

フセイン政権とテロリストとの関係は?

A:

9.11の同時多発テロ以降、テロとフセイン大統領との関係がアメリカでも大きく取りざたされましたが、ブッシュ大統領はむしろそれを否定してきました。現在、イラクとテロリストとの関係をいいたてているのは、やはり国連決議が思うようにならなかったからかな、と思います。フセイン政権の体質からしてもテロリストとの直接の関係は考えにくいでしょう。CIAもイラクが先制攻撃、あるいは9.11テロのような形で生物・化学兵器を使うことはないだろうと述べています。またイラクの諜報機関は国内の諜報活動、あるいは外国に出たイラク人の後追いや監視には長けているが、外国の攻撃のための情報活動能力は劣っているといわれていて、国際テロリズムにはなじまないと思われます。

Q:

特殊治安部隊の規模や能力はどのようなレベルでしょうか?

A:

特殊治安部隊については、よくはわかりません。人数も1万から2万というところでしょう。ただ、フセイン大統領を特殊治安部隊が守っているといっても、それは軍事的な意味ばかりとはいえません。むしろ、情報操作によって守っているという側面が強いのです。治安組織はいくつにも分かれており、それぞれが横の連絡なく、独自に動いていて、統制するのはフセイン大統領ないし息子のクサイ氏だけという状況です。こうして治安の網は幾重にも張り巡らされ、相互の監視が行われている状況で、しかも誰が治安組織の人間かわからないようにちりばめられています。したがって、誰かがフセイン大統領に反抗しようとしても、きわめて慎重にならざるをえないのです。これが治安組織の役割といえます。

Q:

新政権下ではクルド人の処遇はどうなりますか?

A:

クルド人については、いかなる新政権が誕生しても現在より恵まれることにはならないだろうと予測されています。実は現在、クルド人は、自治区にいて半分独立状態にあり、イラクが石油で稼ぐお金の30%が国連のお墨付きで、クルド人につぎ込まれていて、独立するよりもむしろ豊かな状態にあります。ただ、新政権下での事実上の独立を認めるとなると、トルコが黙っていません。アメリカもからんで三つ巴の状況になるのではないでしょうか。

Q:

イラク政権に利権を有していて、今回の武力行使に反対したフランス、ロシアは新政権下で、どのような影響力を持つでしょうか?

A:

フランスやロシアが持っている利権については解決済みで、新政権に引き継がれることはないでしょう。その点は解決済みと解釈しています。ただ、新政権との関係ではフランスは残っても、ロシアははずされるのではないかと思います。イラクがロシアと付き合っていたのは政治的な理由からなので、政治性のないテクノクラートの官僚は、ロシアの製品は使わないでしょう。

Q:

イラク市民はアメリカにどのような感情を持っているでしょうか、また市街戦も予想されますが、一般市民は武器を所有していますか?

A:

イラク人は本来、アメリカに悪感情を抱いているわけではありません。パレスチナ問題でもイラク人はアメリカを憎んでいるわけではなく、湾岸戦争で被害を受けたからという部分はありますが、悪感情がイラク全体に蔓延しているというほどではありません。ただ、フセイン政権を倒すといい続けながら、実行できずに、経済制裁などで自分たちの生活を苦しくしただけだったので、反米感情というより不信感はあります。もし、戦後にアメリカが直接統治するようなことになった場合、フセイン政権のときより生活が少しでも向上すれば、アメリカを受け入れるでしょうが、もし、生活が向上しなければその不信感が高まって、統治はやりにくいことになるだろうと思います。また、何らかの理由で市街戦中に市民のアメリカへの不信感が高まるようなことになれば、市街戦はやっかいなことになるでしょう。
イラク市民はまちがいなくほぼ全員が銃を持っています。それは愛国心からというわけではなく、イラン・イラク戦争のころから、自分や家族は自分で守らなければ、という気持ちが生まれたからです。ただ、これがアメリカへの不信感と結びつくと市街戦に使われることもありえるでしょう。

Q:

結局、イラクはどうなるのがいいと思われますか?

A:

現在のイラクは軍の比重が大きくなりすぎているといえます。官僚やバース党の中堅クラスには、軍を快く思わない人が数多くいます。本来、フセイン大統領も軍よりもそれらの層の支持を受ける開明的な指導者だったのです。フランスやドイツが平和的解決に固執するのも、フセイン大統領が本来のバランスを取り戻せば、それほど悪い政権ではないと考えているからでしょう。もちろん、フセイン大統領が方針転換をしたからといって、この戦争が解決するとは思えませんので、フセイン大統領を排除するまで戦争は続くかと思いますが、イラクの新政権は軍の影響力を極力排除しながら、都市エリート層である官僚やバース党幹部が担うのが望ましいと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。