PEと企業再生を貫く共通課題--日本再生の10年に向けて

開催日 2003年2月26日
スピーカー 越 純一郎 (シグマソリューションズ社長/ベンチャーキャピタリスト)
モデレータ 安藤 晴彦 (RIETIコンサルティングフェロー/内閣府企画官(経済財政運営総括))
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議事録

本題に入る前に、前提としてお話ししておきたいことが2つあります。

第1に、企業経営に携わる人間は、高い志、倫理観を持つべきであるということです。これは、別に私のような者が言わなくても、幾多の熟達した経営者たちが強調し、書き残しています。実は、これさえわかって頂ければ、本日お話しすることなどオマケみたいなものです。

第2に、企業再建といっても、再建に値しない企業もあるということです。暴力団などの闇社会と結びついた企業も少なからずあります。このような企業には退場してもらうべきです。私と同様の仕事をしている人々の共通したネガティブリストは、概ね(1)暴力団がらみ、(2)政治家がらみ、(3)宗教がらみ、(4)融通手形を行なっている企業、(5)街金などの高利の融資を利用している企業、などです。この最後の「高利金融」というのは得てして暴力団金融ですが、そうしたカネにまで手を出したら早晩その事業は破綻します。まず破綻してもらって、話はそれからです。逆にいえば、「高利金融に手を出すときは事業をたたむ時」であって、そうした企業を救ってはなりません。

PE、TA、VCを貫く共通課題

本日は、結論から申し上げ、そのあとで背景や理由を申し上げるという順番で御話申し上げることに致します。

本日の結論は、プライベート・エクイティ(PE)でも、ターンアラウンド(TA)でも、ベンチャーキャピタル(VC)でも、最も重要な要諦は「経営力」だということです。経営力なくして、PE、TA、VCの成功はおぼつきません。ところが、企業を救済する、再建する、大きく育てるという場合に、何かというと「支援策」(支援になっていないのに)として出てくる話は資金面の手当ばかりです。しかし、経営力のない企業に資金だけ注ぎ込んでも、無意味です。駄目な会社はどうせ駄目なのです。ザルで水をすくうようなものです。

資金援助だけで企業が救えるとか、資金援助でベンチャー企業が育つということはありません。そんな現象は、地球上でめったには生じたことがありません。「資金さえ提供すればベンチャー企業が育つ」などという絵空事を言っている先進国は、日本だけです。過去3回のベンチャーブームで、「資金があっても経営者がヘボではダメだ」という経験をしてきているのに、企業再建の時代を迎えた現在、「再建策としては、まず資金面だ」という馬鹿げた認識がまだ見られます。世界の普遍的な現実に目覚めなくてはいけません。

会社を再建したり、大きく伸ばすのに必要なのは「経営力」なのです。資金力ではありません。これを是非、頭にたたきこんでおいて下さい。

ところが、日本にそれだけの経営力を持った人材が多くいるかというと、これが決定的に不足しています。日本再生の10年に向けた最大の課題は、経営力のある経営者を如何に調達するかなのです。それを述べる前に、TA、PE、VCの中における経営力の登場の仕方に触れます。

TA投資、PE投資、VC投資とは

TA投資、PE投資、VC投資の構図は共通です。まず初めに、(1) 投資対象の企業を買収する又は出資する。次に、(2) 投資対象企業を成長・発展させる=付加価値を上昇させる。そのあとで、(3) 投資対象企業を売却して投下資金の回収を行ないます。つまり、全体の流れは、「企業を(1) 買って、(2) 育てて、(3) 売る」という3段階でできています。このうち、(1) と(3) は、極端に言えば手続きだけの問題で、弁護士や証券会社に依頼すれば、問題なく遂行してくれることさえあります。しかし、本当にTA、PE、VCが成功するか否かは、言うまでもなく(2)にかかっています。そして、それを成功させるには「経営力」が必要です。ところが、これらの投資に関わる金融関係者の関心は、(1)にばかり向きがちです。それは、未熟なことによる、大間違いです。

この(2)というのは、企業を上昇させるプロセスです。ここの部分に関して、「カネは出すが手も口も出さない」では駄目です。いったん投資を行なったら(=カネを出したら)、株主になるわけですから、株主としての地位も利用して、経営に関与することができます。それがグローバルにスタンダードなビジネスモデルです。つまり、「カネも出すが、口も手も人も出して」企業を成長させてこそ、投下資金の回収という果実が得られるのであります。すなわち、TA、PE、VC投資とは、「経営に参画し」、自分の手で「企業を育成し」、それによって「付加価値を創造する」投資活動なのです。

しかし、これらの投資に関わる人々には、自分で実際に経営実務を学び、経営に積極的に参画しようという人はあまりいません。それでは駄目です。「経営力」こそが、投資を成功させるのですから。

「経営力」といっても、それは多方面にわたります。しかし、その中でも最も重要なのは、セールス&マーケティングに関する能力です。苦境に立った企業にとって、「資金さえあれば、あとは何も問題ない」とか「人材さえあれば、その他の心配は無い」などというケースはあまりありません。そうではなくて、「あと売上が3割伸びれば道が開けるのだ」という企業が圧倒的に多いのです。再建に立ち向かう経営者にとって、最も重要なのは売上を伸ばすことなのです。著名な経営コンサルタントの一倉定氏は「売上なくして経営なし」という名言を残したことでも知られていますが、セールス&マーケティングの能力こそ経営者に求められる最重要の能力なのです。

日本でなぜプロの経営者が育たないか

経営力の調達が、日本再生の10年に向けた最大の重要事であることは疑う余地がありません。その問題に深入りする前に、経営力そのものについて皆さんに手触り感のある御理解を頂けるようにするため、いくつもの話題を御話ししたいと思います。

経済学者P.F.ドラッガーは「第二次大戦後のアメリカで最も発達した技術は宇宙工学でも原子力工学でもなく、会社を経営する技術である。」と述べています。アメリカの経済的繁栄の源泉は「経営力」にあったということです。しかし、日本もそうだったといえるでしょうか。例えば、英語力の問題を抜きにしても、アメリカのビジネススクールで経営実務を教えることができる人材が、日本に何人いるでしょうか。あるいは、アメリカの企業を経営していけるだけのスキルを持つ日本人経営者がどれだけいるでしょうか。ある外資系のヘッドハンターが「日本には業種を超えて能力を発揮できる本当のゼネラルマネージャーが存在しない。」とぼやいていましたが、日本の経営者にはグローバルに通用する経営能力を持った人材があまりにも少ないのです。

日本でプロの経営者が育たないのは、1つには日本企業の終身雇用制が大きな障害となっているからです。終身雇用制では「Company Specific」、つまり、自分の会社でしか通用しない、社内の「ローカル・ルール(例えば稟議を通すにはどこに根回ししたらよいか)」に長けた人材が出世することになります。それでは、他社では通用しない。まして、国際舞台では通用しません。だから、日本の国際競争力が弱ってきたのです。終身雇用制の後退を論じると、「社員に不安を与える」、「選挙で票を失う」、「社会的魔女狩りにあう」などの理由で、目立った発言をしているのは堺屋太一氏ら一部の開明的論客だけです。しかし、経営者や識者の間では「終身雇用制の後退なくして日本経済の再活性化はない」という認識が実はサイレント・マジョリティになってきています。ある経団連関係者は「経団連加盟2000社のうち、半数は終身雇用制を壊そうとし、残る半数は守ろうとしている。概ね前者は勝ち組で、後者は負け組である。」と断言しているほどです。

終身雇用制とも関係しますが、日本社会に巣くっている「お気楽人生共同体」は間違いなく諸悪の根源です。競争をせず、ぬるま湯の中でみんな一緒に平和に生きていこうという考え方が日本には蔓延しています。これこそが、我が国を蝕む諸悪の根源です。

例えば、郵政族や道路族と呼ばれる政治家たちが守ろうとしているのは「個別利益共同体」です。それぞれが、個別の「お気楽人生共同体」となっています。それらの個別利益共同体が自己の利益を守ろうとすれば、全体の利益と衝突し、国益を損ね、公共の福祉、社会正義に反することが生じてきます。そのような税金を食い物にされることには多くの人が怒りを感じるでしょうが、実は日本人の多くがこれと五十歩百歩なのです。日本人の多くは、本音では「競争原則の徹底」や「グローバルスタンダードに従った監査や情報開示」を「辛い、しんどい」と考えています。現在のままのほうが気楽でいいのです。

昨年5月のニューズウィーク誌に、「日本はアジアのスイスになる」という特集が掲載されました。日本が「豊かで気楽な引退国家」への道を進んでいるという意味です。不景気とそれが生み出した閉塞感が、現状改変を望まない、あるいは改変に痛みを感じるようにしているというのです。

スポーツでも芸術でもビジネスでも、「質を高める」のに最も有効なのは「競争」です。お気楽人生共同体では、現状を改変し、企業を活性化しようという経営者は育ちません。このままでは、経済活力は失われてしまいます。

「経営力」とは、つまるところ「経営者の実力」ということです。ですから、経営力を高めたいのならば、優秀な経営者がいなくては始まらないのです。経営の浮き沈みは経営者しだいです。企業の命運は、ほとんど経営者で決まるのです。

例えば、アメリカでも日本でも大手銀行が融資先を審査したクレジット・レポートの最初の項目は経営者です。大事なのは技術でも特許でも、販売実績の数字でもなく、「誰が経営しているか」なのだということです。私が信頼する大手PEファンドの創業者はいくつも企業再建に関わっていますが、その方の持論はかねがね「会社が伸びるかどうかの80%は経営者で決まる」でした。ところが、最近は「80%では生ぬるい。90%か、それ以上だ。」と語っています。会社はすべて経営者次第なのです。

「経営力」に関する2つの認識不足

日本では、「経営力」について正しく認識されていません。第1に、既に申し上げたように企業の再建や成長は経営者でほとんど決まります。このような、あたりまえの事実が認識されていない。第2に、経営者の養成は容易ではありません。これも十分には認識されていません。

ウォール街には「M&Aは脳外科手術のようなもの」という言葉があります。失敗すれば取り返しがつかず命にかかわる、高度で幅広いスキルを必要とする、実行した後に元には戻せない、プロ中のプロの世界だ、という意味です。医師の世界でも、脳外科医には、最も高度な知識、技術が要求されます。普通の医師が何人集まっても脳外科手術はできません。

経営もそれと同じです。経理や総務に関することなら、その道のプロにアウトソーシングできるでしょう。営業や技術でも外部人材を活用して補うことはできます。しかし、「経営力」については、それは無理です。凡庸な人間がいくら集まっても経営はできないのです。何匹群れても雑魚は雑魚です。

かといって、経営コンサルタントなどの外部のプロに頼ることで解決できる問題は多くありませんです。実際には役にたたない「能書きコンサルタント」が多いのです。また、残念ながら日本には経営者を養成する良い学校がないことも問題です。ただ、優秀なビジネススクールで学んだからといって、優秀な経営者になるとはいえません。

経営にはどんな技術を持っていても補えないことがあります。それは「覚悟」です。経営者には法務や資本政策や管理などの技術面だけではなく、人格が重要なのです。覚悟だけは教えられません。「経営には覚悟が必要なのだ」ということは教えられます。しかし、覚悟そのものを教えることはできないのです。また、経験そのものを、教えて伝えることはできません。例えば「勝ち戦の経験」が重要だとしても、私の経験を後輩たちに、臓器移植のように移すことはできません。

つまり、経営は座学だけでは学べないのです。実践経験が不可欠です。

経営者とはいかにあるべきか

例えば、ソニーやトヨタのような大企業があるとします。「大企業がコーポレート・ベンチャーや新事業を行う際には一流の経営者が、一流のスタッフを使い、一流の経営判断が必要である」といわれれば、それは正しいでしょう。では「小さな企業、あるいは若い企業、苦境に立っている企業ならば、経営者は三流でもいい」といえるでしょうか。そんなことはありません。むしろ、そういう企業こそ優れた経営者が必要なのです。

では、企業再生においては、優れた経営者とはどういう存在でしょうか。清水直氏という企業再建41年のプロの弁護士がいます。その著書「あきらめるな!会社再建」に、「企業再建にはこうした経営者が欲しい」として、次のように書かれています。「家族を守るように、会社を守るために寝食を忘れて必死に働くことができる」、「強烈なリーダーシップで全体を引っ張ることができる」、「希望と勇気を社員に与えることができる」、「経営の実務ができる」、そして最後が「天の声を聞き、それに従うことができる」ということです。

私は、偶然に見つけたこの本のこの部分を見て、涙が止まりませんでした。本当にそうだと思いました。

経営者はスーパーマンでなくてはならない

経営者に必要な「必須科目」を列挙してみましょう。もっとも重要なものとして、いの一番におかねばならないのは、「覚悟」です。継いで、経営理念、リーダーシップ、人心掌握も、人の上に立つ人間として絶対不可欠です。それ以外にも、企画、資本政策、M&A、セールス&マーケティング、代理店政策、ブランディング、市場調査、フランチャイズ展開、管理会計、技術開発戦略、設備投資計画、海外提携、法務、経理、税務、原価計算、採用、人事管理、労務、総務、広報とIR(投資家対応)、リスク管理、上場戦略、特許戦略、ストックオプション等々、多岐にわたる知識と能力が求められます。経営者の「必修科目は、極めて多岐にわたる」のです。

さて、ここからが問題なのです。「それが全部できるなんて無理だろう」といわれるかもしれません。しかし、現実はそれを要求しているのです。現実は、経営者になる者に「スーパーマン」であること求めます。神様は、「スーパーマンなんてどこにもいないから、経営や再建の現場は、スーパーマンでなくても十分にできるものにしておいてあげよう。」などとはいっていないのです。

「お気楽人生共同体」で育ってきたサラリーマンに、こうした能力を求めるのは難しいことです。覚悟と能力がなければ出来ないのですから。

お金で経営者は買えるか

企業を再建しようとする場合、外部から経営者を招聘する、つまり社長を金で買うことが必要になる場合があります。その際、報酬については、多少の妥協は可能だと思います。しかし、その経営能力について妥協することはできません。経理が分からない、販売も弱いが、他に人材もいないからこの人にしよう、という訳にはいきません。経営者の選定に失敗すれば、すべての失敗につながりかねないからです。

しかし、経営者を選定しようというときに、経営経験のないファンド・マネージャーが、それをできるでしょうか。経営の経験がないのに、社長の能力や適性を見抜くことができるでしょうか。例えば代理店契約をしようとするとき、大事なのは相手の経営者どうしとして、互いの人格を分かり合い、相互の理解と信頼を構築できるか否かです。その際に重要なのも、「経営経験」「経営能力」です。ただでさえ能力にあふれた経営人材は希少であるのに、未経験者が砂浜の中からダイヤを見出せるでしょうか。 再建計画の策定も同じことでしょう。何の経験もなければ、どんなに頭の良いファンド・マネージャーでも、「頭の体操」以上の再建計画を立てることは難しいでしょう。

千秋薬品・シグマシステムズの場合

さて、いよいよ私が再建を手がけてきた秋田の会社について、ケーススタディとしてお話ししましょう。千秋薬品は中堅クラスの医薬品卸会社です。シグマシステムズはその子会社で、医療機関向けソフトウェアの開発と販売の会社であり、ゴルフ場も併営していました。いずれも、経営者は私の旧友でした。ワンマン経営で放漫経営、とりわけバブル時に120億円以上をかけて建設したゴルフ場が決定的な重荷となり、再建に乗り出した2000年6月には170億円の外部負債を抱え、倒産寸前状態でした。

企業再建には、(1)出血を止める「外科的手術」と、(2)その後の回復とリハビリのための「内科治療が」必要とされます。本件でも、この両方が必要でした。

まず外科的手術として、本業である医薬品卸部門を60億円の負債とともに40億円で売却し、これで100億円の負債圧縮ができました。これの返済に関する分配では、もと日本の大手銀行で外資に買収されていた銀行が、ゴネ得を決め込んで、自分だけ回収して逃げて行きました。外資に対する憎しみと不信が、結局は外資の日本での成功を阻むだろうと感じました。一方、他の日系の銀行は協力的でした。

次にゴルフ場ですが、まず収支の改善を行いました。キャッシュフローで赤字のものは、タダでも誰も買わないからです。しかし、ある会社が経営すると赤字でも、別の会社が経営すると黒字ということがあります。当社の場合、ごく小さな企業なのに、余りにも多くの事業に手を出しすぎて、経営の目がまったく届いていませんでした。そこで、ゴルフ場を専門経営に移すことで、行き届いた経営のもとで再建できるようにしようと考えたわけです。

具体的には、地元財界・自治体の協力を得て受皿会社を設立し、これに譲渡しました。その際に、預託金返還債務約40億円を付けて譲渡することで、更に債務を圧縮しました。

そのあとは、残る31億円以上の負債を背負った上で、2001年の4月から社名も「シグマソリューションズ」とし、私自身が社長に就任し、以後は内科治療、つまり販売を強化することによる再建プロセスがスタートしました。

それからの1年間で、主要製品の売上は5割アップし、全体の売上と利益も30%以上向上しました。別に商品が変わった訳でも、人数を増やした訳でもありません。販売の基本をきちんと教える研修を、各営業所で繰り返し行いました。ランチェスター理論研修、リーダーシップ研修なども行いました。これによって、「同じ社員が同じ人数で、同じ市場の同じお客様に、同じ商品を」売っていただけだったにもかかわらず、前年同期比で売上、利益とも大幅に伸ばしました。

次に、自社開発品の全国展開のために、代理店網を構築しました。当社は、北海道から東京までの東日本にしか営業所がなく、それ以外には販路がありませんでした。そこで10カ月間で、日本中に代理店網を構築したのです。実は、どのような業界のどのような商品でも、全国販売ネットワークを構築するのは「3年仕事」です。これが、9ヶ月でできたことは、非常に大きな意味があります。日本では、「代理店政策」、つまりディーラー・マネジメントという経営上の最大課題の1つである重要事項をろくに教えておらず、一流大手の商社やメーカーでも、きちんとした専門的訓練がなされていません。

先ほども述べましたように、会社が再生するには、まず売上を伸ばすことが必須です。「日経ベンチャー」という雑誌に誌上商談のコーナーがありますが、これを見ただけでもそれを痛感させられます。ここに出てくる企業たちの声は、「販路求む」「利用者求む」「代理店求む」「フランチャイジー求む」の4種類で99%以上です。つまり、日本の企業が求めているのは、商品などではなく「販路」なのです。その解決こそが経営にとって大事です。

私の政策提言

日本再生のために行政に期待したい政策について、3つの提言をしたいと思います。

第1に、「個人保証」の禁止です。企業金融の中に個人保証が組み込まれているのは、先進国では日本だけです。OECD加盟30カ国で、日本以外では、実定法又は確定判例で「個人保証」は禁止されています。理由は、人格権の侵害です。個人保証というのは、野蛮な(uncivilized)行為であるということです。日本では、追い詰められた経営者の自殺が増えています。かつて日本の年間自殺者は2万人程度でしたが、98年に一気に8000人も増えて、以後これまで毎年3万人以上です。

個人保証の禁止に向けて、まず各国の実情・制度の調査を行っていただきたいと思います。調査方法は極めて簡単です。なぜならば、法制と判例の調査ですから、各国の弁護士のネットワークを利用すれば、あっというまにできます。日本の渉外弁護士事務所に頼めば、すぐにできてしまいます。

第2に、手形制度の廃止です。手形というのは日本独特の制度なので英語で説明することが難しいものです。オーストラリアに似たものがあるのを除けば、手形は日本にしかない特殊な制度です。この10年で手形の流通量は半減し、歴史的な役割は終えたといえます。現在、手形の役割は、(1)融通手形などの不正金融、(2)暴力団が庶民を追い込むための手段、(3)下請いじめのための手段、という3つぐらいです。すでに手形制度の存在自体が社会悪となっています。このことも、多くの開明的な識者が指摘していることです。

第3に、取引の透明性を確保しなくては経済の発展が望めない、何としても監査の信頼性が必要だということです。粉飾天国という、先進国として恥ずべき実情を改めることが、経済の再活性化にも必要なのです。

私は22年間興銀にいましたが、その間、決算を粉飾していないと自分の手で確認できたのは、2社だけでした。上場、非上場にかかわらず、99%の日本企業は粉飾しているといって良いと私は感じています。どのような企業でも、「ウチの会社には粉飾的要素は無いよ」といったら、私は150%疑います。その話をすると、どのような日本の経営者もニヤッとしながら同意します。

日本の会社が4つ程度の帳簿、つまり本当の帳簿、株主用の帳簿、銀行向けの帳簿、税務署向けの帳簿を持っているのはよくあることです。5重帳簿の例も、清水弁護士の著書に紹介されています。会計士はよく「粉飾なんて普通はないですよ」といいます。本当に、よくいいます。しかし、立場上、粉飾があるなどといえないだけのことです。

このような信頼性のない監査制度のもとでは、企業の決算書を信用できません。だから、それを基に経営を分析して融資することもできません。だから、融資する金融機関の方では、「いい加減な決算書を出してもらっても無意味だかから、そんなものより担保と個人保証を出してくれ」ということになるのです。

そのため日本の金融は、個人保証を当然と考え、また担保主義に傾斜してバブルの後遺症も大きかったのです。ですから、さきほど申し上げた「個人保証の禁止」は、「監査制度の信頼性」「取引の透明性」と表裏一体の問題なのです。

失敗から学ぼう

最後に結論としてお話ししておきたいのは、「失敗から学ぶ」、それによって「人材に育ってほしい」ということです。

アメリカでも戦後、VCが構想され始めた頃は失敗の連続でした。篤志家が資金提供するようなやり方を近代的な形にしようとして、戦後まもなくの頃、ボストン連銀の総裁やハーバードの教授がVCのモデルを構想しましたが、初期には失敗ばかりだったのです。しかし、そこから人材が育ったのです。彼らがやがて独立して、VCやPEを築いて行きました。特に、金融系のVCからは人材が育っていきました。

しかし、現在の日本はどうでしょう。ITバブルが崩壊しましたが、その失敗から人材が育ったでしょうか。企業再建が流行語になるくらいに経営上の失敗が累々と重なってきた訳ですが、そういう失敗から人材が育っているでしょうか。

日本のやり方は、まるで「ひ弱な未熟者が、1発しか弾丸が入っていない拳銃で勝負している」ようなところがあります。「バキューン。あっ、外れた。もうおしまい。」未熟なので命中率はきわめて低く(=経営力が脆弱なので、成功率が低い)、ひ弱なので自力再生もできません。ITバブルの頃に、クレイフィッシュという会社で26歳の若者が一時大成功し、「日本も良い時代になった」と思いました。その後、彼は失敗しましたが、彼がそこから何かを学んで、30代、40代になって復活できる人材に育つだろうか、と考えると心配になります。

現状から見ると、日本はこれからも失敗を重ねることは避けられないでしょう。なぜならば、現在、企業再生ファンドが数多く出来上がっていますが、ほとんど関係者は、企業再建どころか通常の企業経営すら一度もやった経験がないのです。間接的に、経営コンサルタントとして経営に関与した人すらほとんどいません。先日、「企業再生実務家協会」という団体の設立の準備会に顔を出したところ、金融マンや弁護士、ファンドなどの方はたくさんいるのですが、現役のターンアラウンド・マネージャーとして経営の現場に立っているのは、なんと私一人だけでした。

こうした実情では、失敗案件が多数出てきても仕方ないでしょう。しかし、そこから人材に育って欲しいのです。、そこから学び、人材を育てていくことが大切です。

日本再生のキーは「経営力」であり、それを担う人材の養成が重要と述べてきました。そのために、私自身が数年中にもやりたいと思っていることがあります。それは、「1億円のファンド」です。それで何をやるのかといえば、私を含めて5人の人間でファンドを立ち上げます。

5人にそれぞれ年収1000万円を保証するとして、2年間で1億円です。その5人は再建を必要とする会社に経営者として、あるいは営業本部長として入り、血の滲む努力をして会社を再建します。そうなれば、その会社から給料も貰ってそれをファンドに返すことでファンドの元本を回収できるでしょう。一方、ストックオプションか何かもらっておいて、経営が再建できれば利益を上げてファンドに還元することもできるでしょう。「資金の投下」ではなく、「人材の投下」を行なうファンドです。そして、実践を通して人材を養成するファンドでもあります。それをやりたいという若者はいます。そのために、私自身も何ができるかを考えています。

質疑応答

Q:

現在、経営者養成については、日本でも企業内大学のような形やビジネススクールで行われていますが、企業内大学では、真にグローバルな人材は育たないし、ビジネススクールでも経営の基本スキルを学べるだけで、真の人材養成はアメリカに頼らなければならないのかと私は悲観的に考えています。そのあたりはどのようにお考えですか。

A:

経営者の養成については簡単な方法はないだろうと思います。今のところ、特定の人材を特殊な状況で育てるしかないのかな、と考えています。私なり、再建に長けた弁護士などとともに、一緒に再建する企業に入り、実務から学んでもらうのが、最も現実的だろうと思っています。

Q:

再建に値する企業、値しない企業というお話しがありましたが、越さん御自身の基準のようなものはありますか。

A:

状況によっても違いますが、反社会的な企業は問題外でしょう。また、早く無くなってくれた方が社会のためと判断できる場合もあるでしょう。競争力の劣る企業が生き残るのは、経済の不効率を温存し、消費者が「悪いものを高く買わされる」ということです。ダメな企業は、存在をなくすべきです。ただ、地方都市だと、現在は仕事をシェアしても雇用を確保しなければならないという大命題がありますから、そのような限られた状況でどうしても企業再建をしなければならないケースもあるでしょう。私が手がけた秋田の会社の場合ですが、私は顧客、従業員、株主、債権者の4つの関係者のうち、株主価値はゼロでしたから眼中から外し、まず顧客、従業員のことを優先しました。それで余裕があれば債権者に返すという考え方をしました。

Q:

本日は企業再建のお話しでしたが、公的機関の再建も問題になっています。公務員は終身雇用制ですが、そのような中でも人材は育成できるとお考えですか。

A:

それは無理ではないかと思います。お気楽人生共同体では、競争力のある人材は育ちません。

Q:

経営者のあり方について「天の声を聞く、それに従う」というお話を紹介されましたが、もう少し詳しく解説していただけますか。

A:

私がその言葉を解説するというのはちょっと僭越かとも思いますので、私が師事している方のお話しを紹介したいと思います。その方は61歳で、現役のセールスマンであり、中小企業経営者であり、経営コンサルタントでもあります。その方は50歳にして、「これからは人のためにだけ生きていく」という決心をしたとのことです。すると、世界中の幸運がすべて舞い込んできたように、何もかもが上手くいくようになったそうです。どんなに困っても誰かが「今度は俺が助ける番だ」と助けてくれる。ついには、「この決心を変えたら、この幸運を失ってしまう」と考えると恐ろしくなって、決心を変えられなくなったそうです。
私はそこまでの境地には、なかなか至りませんが、少林寺の教えに「半ば人のため、半ば自分のため」という言葉があるそうで、それくらいならできるかなと思います。雑魚はいらない、本当のリーダーになれ。しかし、自分の力を自分のためだけに使うな、半分は人のために使え。半ばは自分のために、半ばは人のために、ということです。
ところで、この話を社員や後輩にするときに、相手が優秀な人間である場合には、更にこういいます。「半分は他人のために自分の力を使え。しかし、お前は優秀だから、必ず成功する。だから、心配しないで、自分のことより、まず人のことを幸せにしてやれ。そうすれば、必ず返ってきて、更に自分が幸せになれるぞ。」

Q:

報道などによると、越さんは秋田の会社の再建にあたって、銀行から4億数千万円の個人保証を求められたそうですが、そのとき、どのように考えて対処されたのですか。

A:

実際のところ、私はサラリーマンを辞めたばかりでした。もし、これまでいくつもの会社の再建に成功したのなら、大きな収入を得ていたかもしれませんが、今のところは、退職金はすべて非上場会社に投資して金融資産もなく、給与も家族がようやく生活できる程度です。もちろん、これから大きな利益を得るつもりですが、現在のところは自宅もありません。ですから、個人保証といっても取られるものがない訳で、私としては「腹をくくればそれまで」という心境でした。
個人保証が外国では禁止されているとか、人格権の侵害であるとか、そういうことを地銀の職員の方々が認識していなかったとしても、非難するわけにもいきません。そこでグローバルスタンダードなどといっても、現実は始まらないのです。
ただ、銀行内部の方や、銀行OBの方の中には、流石に再建に努力しようとして外部から入ってきた私にそのようなやり方を要求するのはよくないと義憤を感じて、色々動いてくれた方が何人かいました。内部告発ではありませんが、私にこっそり個人的なアドバイスをしてくれた人が、銀行の中の上にも下にも真ん中にも外部にもいました。その結果、条件は改善され、結局、現在では、その銀行の分の保証は外されました。しかし、いったん保証するとなると他の銀行も同じことを要求するので、保証が外れていない銀行も残っています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。