町工場の世界制覇戦略

開催日 2002年6月18日
スピーカー 岡本 毅 (岡本硝子(株) 代表取締役社長)

議事録

はじめに

岡本硝子は、1928年創業、1947年に株式会社となりました。その時代にあった特殊ガラス製品を製造して、時代を生き抜き、成長してきた会社です。最近では、液晶プロジェクター用リフレクターで、世界の60%以上、デンタルミラーでは同じく世界の80%以上のシェアを持たれ急成長されています。社員300名程度の企業でありますが、このような時代の中で、どのように世界No.1商品を作ることができたのか。その秘密をお話いただきたいと思います。社長は法学部を卒業後、警察庁に入庁され、国家公務員をなさっておられました。その社長が実父のご逝去と共に、実業の世界にはいられたわけです。このように、ユニークな経歴をお持ちの岡本社長に、公務員の目からみた実業の世界についてもお話いただければと思います。

岡本硝子の概要

当社の概要ですが、岡本硝子は、大きく分けて6つの会社から成り立っています。千葉県に本社、大阪に別会社の販社が1社。そして、台湾に2社(1社は独資、1社は合弁)、中国に2社(1社は独資、1社は合弁)です。

当社は、もともと昭和3年に都内で切子(工芸用のカットガラス)を作るところから始まりました。転機になりましたのは1984年(昭和59年)で、私の時代ではないのですが、ガラス表面に薄い膜を付着させるという薄膜(はくまく)の製造を始めました。そして、私は、1995年に社長に就任させていただきました。過去売上実績は、97年が23億円、その後横ばいないし上昇で、2000年は48億円となりました。ただし、2001年、昨年度は7.5%売上が減少していますが、これは、市場の需要に工場の生産が追いつかず出荷量が横ばいに止まったのに、商品の単価が下がったため起きた現象です。

私達は、特殊ガラスを作っている会社です。ガラスという物質は元来樹脂より耐熱性は高いのですが、その中でもより耐熱性の高い硬質ガラスを製造しています。また、ガラスの歴史は約5000年ともいわれていますが、その9割以上はいかに透明なガラスを作るかということに力が注がれてきました。しかし、20世紀半ばからは、如何にコントロールされた色にみえるガラスを作るかも研究されてきています。ここで、みなさんにお伺いしますが、なぜ木の葉が緑か考えたことはありますか? 葉緑素が…というお答えをされる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、植物にとって緑は必要ないものなのです。必要ないため植物に吸収されず、反射された色が、緑であるということで緑に見えるのです。ガラスも同様で、透過する波長、反射する波長によって、見える色が決まり、その波長をコントロールすることが、ガラスの色をコントロールすることにつながるわけです。最近伸びているのが、プロジェクターの中で使用される特殊なランプの反射鏡の部分です。これは通常の耐熱ガラスでは耐熱性に限度があるということで、結晶化ガラスというものも使用します。ガラスとセラミックスのハイブリッド素材といったものです。ここで当社の経営理念について少し、お話させていただきます。私の曽祖父の岩城滝次郎という人物がガラスの下駄を作りましたが、斬新すぎて売れなかったという話があります。その教訓から、あまり世の中の先を行き過ぎてはいけない、半歩先くらいが丁度良いのだということが1つの理念です。もう1つは、経営の柱は多ければ多いほどよいということなので、多くの柱を持つパルテノン経営を目標にしています。

ガラスの将来~ガラスには夢と未来がある

ガラスには、明確な定義がありません。ある人は、結晶化しない無機物質といい、また、ある人は、固体の形をした液体ともいいます。私は、ガラスというものはコンテナ・容器だと思います。中に入れるものは有機、無機、何でもよく、そういう意味でも、結晶化ガラスもガラスの一部であってよいと考えています。

地球の地殻はガラスとほぼ同じ、つまり85%の成分がガラスですので、ガラスの原料はほぼ無限だといってよいほどたくさんあります。また、ガラスというのは、成分が地殻に似ているということで、放っておいても地球に戻ります。つまり、何もしなくても、土に戻るほど、環境にやさしい、グリーンな物質だということです。ガラス屋だからというわけではありませんが、私の父の骨壷はガラスでできています。お墓は湿度が高いので、100年を待たず、骨と共に、ガラスも土に帰っていくことでしょう。

さらに、ガラスは、光に対して大変相性がよい素材です。たとえば、プラスチックで10万メートルの厚さの窓を作ったとして、例えそれが作れたとしても、プラスチックは光を通しにくいので、闇になってしまいます。でも、ガラスならばそんなことはありません。光ファイバーのことを考えていただければお分かりでしょう。私は、20世紀は電気の時代、21世紀は光の時代だとよくいいます。21世紀に入って、情報に係る「伝達」と「蓄積」のテクノロジーは、電気から光に変化してきています。残念ながら、その間にある「処理」の部分は「半導体=電気」で行っていますが、これを光で行うことができれば、半導体で行う場合に比べて、100万倍早い処理動作が確保できるといわれています。私たちは、中小企業なので、こればかりやっているわけにはいきませんし、今世紀中にできるかどうかも分かりませんが、半導体ならぬ、半光体を作ってみたいと思っています。

役人から一変、ガラス屋のオヤジへ

ここで、私がなぜガラスに携わることとなったのかについてお話させていただきます。1995年、今から6年半前の11月13日でした。当時は携帯電話が今程発達していなかったため、ポケベルを持っていました。そのポケベルが鳴るはずがない状況で鳴り、家で大変なことが起きたということで、直ぐに病院に駆けつけたところ、冷たくなった親父がそこにいました。その顔を見た時、「これは、俺がガラス屋をやるしかない」と思いました。要するに、召された職、天職(Vocation)だと思ったのです。そして、役人を辞職し、会社に入りました。先ず最初に、困ったことは、会社の金庫が開かないということです。先代の手帳を見たのですが、故意に番号が変えてあったのですね。半日掛かりでやっと開けることができました。

そんな中での私の最初の目標は、どうやったら、会社を倒産させないですむかということでした。その為に色々な人の話を聞きました。しかし、成功している人の話を聞いても参考にならないということが分かりました。そして、大事なのは、経営者の資質以外の何ものでもないということも分かってきました。1年間、このようにいろいろな人の話を聞いた中で、参考になる3つの教えをいただきました。1つ目は、会社は変えようと思っても変えられない、3年間はじっくり見ろということ。2つ目は、公私混同(特に、お金の面で)するなということ。これは、先代が許されても2代目がしては駄目。3つ目は、先代の土台(物・人)を大切にすること。結局、守ったのは2つめだけでしたね。1つ目は、半年ほどで、このままでいたら会社がつぶれるという危機感を持ち、会社を変えることを決意しました。また、3つ目もやぶり、番頭格の私以外唯一の常勤役員であった人に辞めてもらいました。彼に会社を任せるという意味では、彼がいるほうが楽だったと思います。しかし、何とか会社を変えなくてはいけないという目標がありましたので、彼には退いてもらい、全て手探りで、会社を一から作り直しました。これが手始めでした。

役人の時培ったもので役に立ったのは、極論すれば現場を大事にするという教えと危機管理だけでした。現場重視という教えから、私は、工場を綺麗にしたいと思いました。ガラス工場というのは、3Kの典型といわれるほど酷い状態でした。ですから、現場を回る時、雑巾を持って回りました。私が掃除できる範囲は大したことはありませんでしたが、ガラスは作れないけど、掃除くらいはできるだろうと思い3年ほど続けましたが、その後よりシステマチックに5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)を行う為、コンサルティングをお願いすると同時に、対象を直接部門から間接部門にも拡げました。たとえば、一日のうち5分の1は文房具探し、書類探しをしているというような実情を変えるために、「ワンベスト」と称して、文具類は、決められた位置に、かつ、一つだけ置くというようにしました。また、ファイリングも徹底し、みんなで情報をシェアするために、コピーは原則として作成せず、原本を誰でも探せるように工夫して管理しています。

ガラス屋のオヤジになってから、皆さんに、事情が180度違って大変だね、どっちが大変? どっちが面白い? といわれることが多々ありました。私としては、格好良くいえば、マネージメントということでは、ガラス屋のオヤジも役人でも変わりないと思います。警察の時には、「部長、そういうなら、自分で調べてみろ」といわれないために、何をすればよいかと考えましたし、今は「社長、そんなにいうなら、自分でガラスを作ってみろ」といわれたら終わりなので、それをいわれないように、現場の職人さん、作業員さんが働きやすいように作業環境を整える。これがマネージメントだと思っています。ただ、役人の時代と違うのは時間のサイクルが3時間半早まったということでしょうか。また、時間に対するコスト感覚というのがまったく違います。たとえば、今日の14時に確定注文がはいり、24時には出荷できるようにする。「時は金なり」を正に実感しています。また、最近の若い者はそうでもありませんが、社長が残っていると残業する社員がいます。その場合は、役所と異なり100%の残業代がかかるので、経費がかさむことにもなります。ですから、できる限り早く帰宅するようにしています。

中小企業に中国脅威論は必要ない

中国脅威論が最近話題になっていますが、中国の脅威というのは、日系企業対中国企業ではなく、日系企業同士が競争しているのが実情ではないでしょうか。私は、中小企業はこの脅威論は全く感じる必要は無いと思っています。モジュール化されてかつオープンな物、たとえばパソコン等は中国生産が有利ですが、すり合わせが必要で、かつ、クローズな物、たとえば自動車、飛行機等の分野では、中国には分がないのではないかと思います。私共でいえば、薄膜は中国に移行できるでしょうが、素材であるガラスは、全ての条件が整わないと良いガラスはできないし、その条件が日々変化していくので、インフラということを別にしても、中国で行うのはかなり難しいでしょう。

もう1つ、彼等中国人は、よい機械を導入すれば良い物が作れると思っています。汗をかいて行う、という認識がありません。たとえば、金型の磨きというのはかなりつらい作業ですが、中国人は自分でやりません。タイなどから出稼ぎにきている労働者にやらせる。磨きはつらい作業ですが、これはガラスの成形に非常に重要なもので、それを嫌がるようでは、中国はまだまだだと思います。それに加えて、無償の奉仕の感覚がありません。お客さんの喜ぶ顔がみたいからというのは日本人くらいしかないでしょう。

行政に対する要望

中小企業から行政への要望をお話しさせていただきます。公的扶助の話しですが、たとえば、マラソンをしている人を想像しましょう。もう、頑張るつもりが無いという人に「頑張れ」と水をもってきて無理やり飲ませるようなことが起きているのではないかと思います。だったら、せめて頑張りたいと思っている人の為にだけ、体に吸収がよいスポーツドリンクを、取り易い位置に置いておいて欲しいと思うのです。無論、生死に関わるような場合には、強制補給でもよいのかもしれませんが。

また、公的金融機関についてですが、公的金融機関は1つで良いのではないかという話があります。しかし、公的金融機関にはそれぞれ特徴があり、また、細かいことをいえば担当者との相性といったようなこともあるので、公的金融機関の数は多いほうが良いと思います。公的金融機関を含めた金融機関は、それぞれの分野で1つあればよいというものではなく、私どもも、8行くらい今付き合っていますが、バラエティーに富んだものが是非共必要です。

さらに、投資促進税制の在り方についてですが、1つは、税額控除の場合には、一部を除いて、資本金が3000万円以下という制限のあるものが多く、利用しにくくなっています。もう1つは、特別償却です。かなり利用させていただいているのですが、通常方式の他に、準備金方式、利益処分方式と3種類あります。監査法人にいわせると、通常方式では処理できないということでやらせてもらえないんですね。会計目的が行政目的を曲げているということが起きていると思います。通常方式では、たとえば、1億の機材があり、仮に5年間の均等償却で、残存価額がなく1年に20%の償却だとしますと、通常の20%の償却に加え、初年度30%の特別償却も加わり、初年度で、帳簿価格が一気に、半額の5000万円になります。払う税額は3種方式とも一緒ですが、移り変わりの速い時代ですし、3年後に今の機械がいるかいらないかはわからない時代ですから、特別償却という制度がせっかくあるので、簿価が低減するのが早い通常方式でできればと思います。今の話と関連しますが、現状は、原則として残存価額は現在10%ですが、こちらの見直しも必要だと思います。現在は、逆に処分するのにお金がかかる時代ですから、100%償却でよいのではないかと考えます。

最後になりますが、起業したい、社長になってよかった、と思うような税制をお願いしたいですね。たとえば、交際費の課税範囲が今回少し縮小されましたが、課税の影響で、1万円の飲み会が1万4千円になってしまうということが起きています。会社の金で飲むといったようなことは良くないという意見もあるかもしれませんが、金は回ってこそ経済循環がよくなるのであり、循環させた後で、取るといったような、大らかな税制があっても良いのではないでしょうか。税制による誘導というものが経済の活性化に繋がるのではないでしょうか?

質疑応答

Q:

研究を活発化させる人材の面のリクルート、報酬制度はどのようになっていますか?

A:

研究費は、私が入った時は少なかったですね。ガラスは、原料が10種類以上で、組み合わせが無限大なのでシミュレーションができない、やりにくい分野です。現在は、研究員は20人ですが、少人数でも新しいものが開発できるという歴史があります。リクルートの面では、最初は苦労がありましたが、1人入ってくると次が入ってくるといったような感じでした。中途採用が多いです。社長就任3年目以降は、人集めが仕事でした。ただ、人がいれば良い研究ができるかというとそういうわけではなく、短期、中期、長期目標を持ち、研究開発には納期があるという意識を持たせることが大事だと思います。私は、ニュートンがたまたまりんごの木から万有引力の法則を発見できたのは、24時間彼がそのことを考えていたからだということを話します。このように、いつも自分の研究のことを考えていなさいということです。ニュートンのように24時間は無理だとしても、朝起きてからベットに入り熟睡するまでの1日の3分の2位の時間を割くようにお願いしています。そして、製造現場は巨大なラボであり、そこに入って、自分で見て考えなさいということも話しますね。

Q:

会社概要によれば、岡本社長が社長に就任以降、売上が急増しています。具体的にどこの分野とかが伸びたのかを教えてください。また、経営理念で、先代の経営理念に、経営の柱は沢山あったほうが良いとのことでしたが、これは、今の風潮と異なるような気がします。この経営の柱は、ガラスをコアにして展開するということなのでしょうか?

A:

売上は、私が就任後倍以上になっていますが、反射鏡の分野で、ドイツ、オランダの顧客がとれ、結晶化ガラスの伸びと重なったためです。市場自体も20%ぐらいづつ伸びています。従来、そこそこやっていれば、市場の伸びと共に、そこそこやっていけたのですが、市場自体が好転し、お客さんの数が増加したことと共に、設備投資の面である意味で「博打」を打ち、それがうまく当たったのだと思います。
2つ目の経営の柱につきましては、生業であるガラスにこだわった上で、柱を増やすということであります。

Q:

常務さんを辞めさせたことで、何を変えられたかったのでしょうか? 経営として何をやりたかったということでしょうか? 現在、多くの大企業、中小企業が苦しみ迷っています。経営者の資質が重要とのことですが、社長の目からごらんになって、中堅企業は、何をどう変えていくべきだと思われますか?

A:

常務については、結果論で、常務を切ったから会社を変えられたということかもしれません。彼にいて貰っても、辞めて貰ってもどちらでも結果は同じであったかもしれないのですが、迷っていた時、自分にとってつらい選択をしようという自分の信念があり、辞めてもらいました。彼がいたら、海外のお客さんとのやりとりもできなかったかもしれませんし、博打的な投資はできなかったかもしれません。経営者の資質についてはよく聞かれるのですが、これは飲む、打つ、買うの3つを控えることに尽きますね(笑)。 中小企業は最低限のことをしていれば、景気がどうであっても生き残れると思います。実は、私は民間企業に入ってから、お金に対して厳しくなりました。経営者はどこまでケチになれるのかということかもしれません。ただ、これはやっぱり、基礎的なことで、理念を語る、ロマンを語ることが中小企業のオヤジには大事かもしれません。

Q:

新製品ができたときは、その市場が存在しているから作るのでしょうか?

A:

アプリケーションはあるけれども、より要求に答えられるような製品を作るというのが仕事です。材料開発費は実費です。取引先、特に海外の顧客からは、適正品質と適正価格を求められ、過剰品質は要求されません。

Q:

中国との比較で、日本人は汗をかいて仕事をし、無償のサービスができるということで心強いお話でしたが、若い世代はどうでしょう? 後、税制のお話で、交際費等、大らかにということでしたが、仰ることはわかりますが、そうなると、税負担を他であげなければいけなくなります。これは、税制を広く変えていく必要があるということでしょうか? それとも、政治的にという要求なのでしょうか?

A:

若い世代ですが、非常に一生懸命やっています。一旦、結果を出したりして、のめり込むと凄いですね。どうやってその人材を探すかということになりますが、高卒者に対しては、竹トンボを作ってもらい、大卒者にはテニスボールの絵を描いてもらいます。これは、器用かどうかを見る以上に、物を作ることに対する創造性を見るためです。税負担についてですが、間接税、消費税での負担移行が良いと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。