中国のハイテク産業の発展

開催日 2002年1月29日
スピーカー 柳卸林 (国家科学技術部中国科学技術促進発展研究センター副主任)/ 張風桐 (清華大学科学技術開発部TLO副主任)/ 王建華 (中国民営科技促進会副理事長・秘書長)
モデレータ 関志雄 (RIETI上席研究員)

議事録

柳卸林:これまで、中国の経済は速いスピードで成長してきました。この中で、最も注目されているのはハイテク企業の発展です。

ハイテク企業の政策を制定する背景について

20世紀80年代の頃、中国のハイテク産業は基本的に生産型で、研究開発と流通に関する役割が果たせませんでした。当時大手企業の技術は、主に技術導入に頼っていました。80年代後半から、政府はようやく技術の社会進歩を促進する役割を意識し始めました。このように、80年代におけるハイテクの発展を促進するために、以下のような政策が制定されました。すなわち、国立研究院、大学に所属する研究所に対する支持を減少させ、いわゆる「鉄飯碗」を破ること。ハイテク開発区を設立すること。国家科技計画を制定すること。外国の資金を有効に利用すること。地方政府の行政機能を発揮させることです。

中国のハイテク産業の発展の経緯をまとめてみますと、80年代以後、科学技術者達の間で、市場に向けての自己創業の意識が次第に高くなってきました。そこで、ハイテクパークのシステムを活かすようにし、政府の一貫とした管理体制も変わりました。さらに中央政府も、政策の制定を重視するようになり、地方政府と連携してそれらの政策を推進しました。

これまでの20年間にわたる中国の市場経済の発展により、ハイテク産業の発展にもたらされた影響は大きいと思われます。イノベーションについて、国家がハイテクパークに投入した資金は多くはありませんが、多くの優遇政策を通じて、企業、科学技術者の創業への積極性を向上させました。ハイテクパークはまさに科学技術者の創業楽園となったのです。中国科学院の「一院二制」の制度も高く評価されています。また、伝統的な官僚制を変えるために、区域ごとの産業政策を制定し、地方政府の積極性を引き出しました。技術の領域においては、研究開発の市場指向に一層力を入れ、技術の出処が多くなっただけでなく、技術の移転も速くなり、技術の環境がさらによくなりました。技術への投資による経済的な効果がさらに良くなったため、海外からの投資も増えました。

最新の政策として、「技術移転の重視」、「地方のハイテクパークの一層の専門化」、「国家の経貿委(国家経済貿易委員会)や計委(国家発展計画委員会)などの部門からのハイテクへの投資」、「多国籍企業の研究開発資源の利用」、「中国で設立された海外のR&Dセンターに対して、国内のR&Dセンターと同じような政策を適用する」、「ベンチャーキャピタル、証券市場の二板市場の設立」、「留学生の創業に支援策を打ち出す」、などがあります。

張風桐:清華大学は、規模としては全国で一番大きな大学ではありませんが、その実力としては最も高いものといえるでしょう。

産学合作の成果

産学合作とは、清華大学と国家経済貿易委員会との協力のことです。国家経済貿易委員会と協力関係を持つ大学は全国で6校だけで、それらの中で清華大学の技術移転センターは最も規模が大きいものです。大学の教育研究については、大学生の数が約1万2000人、大学院生の数は全国の大学の中で最も多く約1万人、研究者は3000人ぐらいいます。研究拠点の数も100程度あります。2000年、イギリスとの共同研究で人工衛星を開発しました。その人工衛星は今も空高く飛んでいます。清華大学は、政府からの研究基金が中国の大学の中で最も多く、毎年の成果も150ほどを数えます。知的所有権は重視されており、特許の申請も毎年増えています。昨年は411項ありました。清華大学は全国22の省と、さらに54の市との協力関係を持っています。そして、このような状況のもとに企業合作委員会を設立しました。その目的とするところは、大学と企業との連絡です。昨年までに126社と協力関係を持ちました。海外の企業との間で協力関係があるのは30社で(GM、Motorola、Siemens、IBM、MS、Samsungなど)、その中に日本の会社は11社あり(東芝、日立、NECなど)、情報、エネルギー、化学、機械、航空、環境、食品、石油、冶金など主な産業分野をカバーしています。

昨年、国際技術移転センターが設立されました。これはロシアの技術を導入したもので、この国家技術移転センターには3つの部門があります。科技開発部は学長によって管理されています。大学の教師が地方と契約する場合、この部門から地方と契約をします。また、中国の各地方に技術発表会などがある時は、この部門が清華大学を代表して大会に出席します。また中国大学サイトも作りました。目的は、全国に向けて技術に関する情報を発信することです。また、開発部は大学間の窓口でもあります。1991年-2000年までの契約金額は、全国の大学の中で最も多いものでした。

協力方式について

地方政府と企業が協力して、北京清華産業発展研究所、清華深セン研究所、GM清華自動化研究所、清華ベル実験室、SAIC清華自動車安全R&Dセンターなどを設立しました。地方政府との協力により、地方政府の科学委員会、計画委員会を通じて、企業に関する情報を提供してもらいます。たとえば深セン市は、清華大学と清華大学大学院深セン分校を設立しました。その他に温州などと共同研究機関を設立しました。中国大学技術協力ネットワークはおよそ100の大学に情報を提供しています。

清華大学と企業委員会の組織について

組織のトップには合作委員会があり、そしてその下で主任を担当するのが学長、副主任が学校や学部のリーダーとなり、次のような各部門が設けられています。すなわち、総工程師事務室、海外部、商情センター、培養部、契約事務室、対外事務室、インターネットセンター(電子政務、エネルギー環境保護など)です。

昨年設立された国際技術移転センターの技術移転の担当は、2名のポスドクと修士の研究者があたります。技術移転センターの目的は、海外と国内との両方の技術移転を促進することです。これまでは海外からのものが多く、おもにロシア、ドイツ、フランスなどです。これまで、国際協力のプロジェクトは122項あり、5000万元の実績を持っています。

清華大学の企業について、清華大学企業集団を設立しました。しかし、学生と教師の創業は未だ少ないものです。

王建華:民営科技企業は、中国科技体制と経済体制改革の成果といえるものでしょう。中国は改革開放以来の20年間、民営科技企業の発展が社会各界からますます注目されるようになりました。特に中国のWTO加盟により、民営科技企業の発展は新しいスタートといえます。

民営科技企業の背景と特徴、発展について

1980年10月に初の先進技術発展サービス部を創建する時、創立者達はこの呼び方を明確にしていませんでした。当時の科学研究機関は全て国立でした。そこで、これに対して「民営科技」と呼び始めたのです。1983年から国家の投資、国家の人員枠がなくなりました。自らリスクを負い、すべて自己責任、自主経営という運営原則です。いわゆる「二不三自」、そして「二不四自」と呼ばれるものです。さらに、1988年に「二不六自」にまとめました。政府の文件では、それまで集体(団体)、個人による科技機関であると呼んでいました。1984年4月、北京市科学委員会が北京民営科技機関会議を開き、5月14日「科技工作」という雑誌で「北京の民営科技機関の盛んな発展」という文章を発表しました。1985年、中共中央が、体制改革に関する決定の中で、「個人、集体による新しい科学研究または技術サービス機関を設立することを許可する」と定めました。その後、国家、集体、個人が1つになって科技企業を興してきました。

1987年、中国科学技術協会が国務委員の宋健氏の委託で、全国民営科技実業家座談会を開きました。党と国家の指導者が中南海懐仁堂で公式に会見したのです。ここで国家レベルの指導者は、正式に「民営科技実業」の呼び方を使用しました。やがて、北京に全国民営科技実業家協会を設立して、民政局に登録しました。1993年6月「民営科技型企業の発展に関する若干問題の決定」が公布され、その中で、民営科技企業は科学技術者によって創立され、集団的な経済・協力経済・株式経済と個人経済・自営経済の民弁科技機関だけではなく、国立の科学技術研究所、大学、大手企業などが設立する国有民営の科技型企業も含まれる、と指摘されています。

民営科技企業の理論的突破の経緯

1980-1991年は創業と初期発展段階で、中関村一条街はもっとも早いところでした。
1992-現代。1992年のトウ小平南巡講話と15回全国人民代表大会で、「公有制を主として、各種の所有制経済と共同的に発展させることは、我が国の社会主義初級段階における基本的な経済制度である」と宣言されました。2001年江澤民の「七一」談話では、「改革開放以来、わが国の社会階層に新しい変化が起きた。民営科技企業の創業者と技術者、外資企業に雇われる管理者や自営業者、自由職業者などの社会階層が現れた。彼らも中国的特徴のある社会主義事業の建設者である」と指摘しました。

中国民営科技企業の発展状況

2000年までの、8万6100社の民営科技企業に対する調査、統計によると、国有企業は6288社で、民営科技企業総数の7.3%を占めます。集体企業は1万3721社で、これは民営科技企業総数の15.94%を占めます。私営と個体企業は2万0795社、総数の24.15%を占めます。株式会社は3万7415社で総数の43.45%、外資系は4803社で総数の5.58%、その他の種類の企業は3078社で3.57%を占めます。

長期の従業員は560万人。その中で科学者と技術者は88.84万人、15.89%を占めます。総収入は1兆5000億元で、利潤は1005億元。納税額は780億元。輸出260億ドル、R&D経費430億元、総資産1兆9865.73億元となり、その中に資産総額が1億元以上の企業は2808社、企業総数の3.26%を占めます。

民営科技企業の役割について

1995年中共中央国務院は「科学技術の進歩の加速に関する決定」の中で、再び民営科技企業の歴史的な地位と役割を明らかにしました。さらに、民営科技企業はわが国のハイテク産業を発展させる有力な力であるとも指摘しました。また、民営科技企業はわが国の地域経済発展における最も重要な役割を果たしており、地方経済の新しい成長点でもあります。たとえば、浙江省上虞市は年間売上が1億元に達する民営企業が100社程あり、地域の主要な経済力となっています。わが国の東部沿海地域においては、民営科技企業の起業が早くから行われ、産業連鎖効果の形成にも影響しました。逆に、中部地域、西部地域の発展が最も遅くなっています。

民営企業は全国ハイテク企業総数の75%を占めています。民営企業には多くの海外からの留学帰国者、国内の博士、修士など優秀な人材が集まっています。全国民営科技企業の製品の68%は企業自ら研究開発したものです。また、20%は大学、研究所、大中企業と共同開発されたものです。

技術イノベーションモデルは主に次の通りで、産学研連携、企業自主的なイノベーション、資金と技術の結合、優良企業の連合などであります。

民営科技企業の創業環境について

1999年「科技部と国家経貿委―民営科技企業の発展の促進に関する若干意見」
1999年「科技成果の転換の促進に関する若干規定」
1999年「科技型中小企業技術創新基金の暫定規定」、「わが国のベンチャーキャピタルの設立に関する若干意見」、「四技」活動に対する営業税の免除、ソフト製品の増値税の減免など。

民営科技企業の問題と発展について

東西部における民営科技企業の発展が不均衡であること。現代企業制度の建設が未だ確立していないこと。大部分の民営科技企業のイノベーシションに対して、資金の投入が未だ不足であること。大規模な企業が少ない、産業群が未だ形成されていないこと。従業員の素質を向上すること。

民営化、株式化、国際化は、これからのわが国企業の発展の方向であります。そして、産業資本と金融資本を結合しなければなりません。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。