活発化するNPO活動に対する環境整備について

開催日 2002年1月17日
スピーカー 大武 健一郎 (財務省 主税局長)

議事録

はじめに

日本におけるフィランソロピー観、およびそれが現実社会において実現される様子は世界の他諸国、特に欧米のそれらとは大きく異なっており、寄附に関する税制やNPO等の組織体を取り巻く法整備などの例に見られるように、全体として大変遅れをとっている。今回は、こうした現状とその背景を概観した上で、主税局長としてよりもむしろ大学教員としての立場から、主に税制上の社会政策についてお話したい。

西欧や米国と比べ、いまだタテ社会の日本

そもそも西欧社会においては、いわゆる「noblesse oblige(ノーブレス・オブリージ)」といわれる通り、国による経済政策以外の社会政策の必要性が当然のこととして認識されている。これは社会内に階層間の資産格差がはっきりと存在しており、いわば社会構造および役割上の「住み分け」が明確であることが強く影響していると思われる。徹底した機会の平等を目指す自由競争社会が米国だとすれば、西欧社会は機会ではなく、結果の平等を目指しており、このような社会では自然と喜捨の概念が根付きやすい。資産分配に平等の概念はないが、その格差をフローで補うという考え方である。

米国では、国家形成過程における連邦政府の役割はもとより小さいため、地域社会を重視する傾向にあり、またその地域社会を支えるのはその住民自身であるという認識がはじめから存在している。よって、国全体が地域を中心とする社会であり、積極的な住民自治が行われている。多くの場合、地域社会の中における支え合いとして、金持ちが収入格差に当たる不平等分を負担するのは当たり前と理解されている。しかし稀に、まさにそのような状態を避けるため、固定資産税を高めて貧民の追い出しにかかる地域もあるが、これもまた同じ住民自治による結果である。その方向性はともかく、地域中心社会ではその地域住民の意志決定とその反映が明確になされ、彼等の責任性が高まる。

西欧や米国においては、慣習的に行われる喜捨にみられるように、富の分配の観念が根付いている。その理由として、やはりキリスト教やイスラム教という宗教的背景の存在が挙げられるだろう。残念なことに日本では、機会や結果の平等性が十分に確保されない可能性があるにもかかわらず、喜捨は単純に怠け者のための施しとしてしかみなされないことが多い。

西欧や米国に比べ、日本は今次第に変化しつつあるとはいえ、基本的に企業中心社会、全くのタテ社会である。富は企業に集中し、その相互間で競争が行われる。それでも個人的に見ると、しばしば横並び社会やムラ社会と揶揄されたように、資産や所得には比較的格差がなかった。かつて終身雇用や年功序列といった制度が頻繁に指摘されたが、この平等性はリストラの実施を困難にする要因の1つでもあった。また、世代間の資産分配についても垂直な公平が求められ、相続税は最高で7割にまで及ぶ。多くの人々は50歳代で相続税率の高さに直面して驚く。

また、日本は戦後の50年間、冷戦という緊張関係の中で、外交や国防などさまざまな面での役割が小さくて済んでいた。基本的に国民の「結果の平等」の実現についてのみ、行政が介入すればよかった。上述の通り、もともと格差の小さい社会である日本では、地域での助け合いについて他国ほどの需要はなかったのである。このような時代的背景の影響が少なからずある。戦後の地理的・産業別に見た時の労働人口の分布変化を見てもわかる通り、皆が裸一貫で同じ場所からスタートした時代であった。

高齢化や国際化の進展に伴い、高まる寄附の必要性

しかし、これからの日本が直面するであろう社会的変化や問題について考えた時、寄附の必要性は高まると予想される。高齢化や国際化の進展に伴い、現行制度のままでは国家サービスが追いつかないだろう。かといって、その規模拡大を図ったところで、国民の負担は増し、むしろ公共サービスの役割縮小を叫ぶ国民の声との衝突が起こるはずだ。また、結果の平等を追求し過ぎた結果、労働意欲が減じられたともいわれる。この逆不公平の見直しも期待されるが、現在では、たとえば景気の不安定さの中での財テク成功の如何によって、資産および所得格差が生じつつあるのも事実である。失業者数の増加傾向にも、歯止めがかかるかどうか。長い間、個人格差やその是正の必要性がほとんど存在しなかった日本社会に、今、変化が生じている。

日本の地域社会に朗報がない訳ではない。すべて国の責任に帰す国民意識があることはいまだ否めないが、地域によっては、顔見知り社会再生の芽が出始め、確実に住民自治の土壌が出来ていると聞く。かつての都市計画で盛んに組み込まれたニュータウンにも、今では老齢もしくは熟年社会が出来あがり、人口構成がいびつなものが多いという指摘もあるが、そのような高齢社会の内側だからこそ、住民自治のイニシアティブが生まれているところもある。

NPO法の立法過程についてお話したい。NPOにかかわる法人格取得と税制上の処遇の2点が課題として上がっていた。たとえばアムネスティジャパン会長は、施設購入などのNPOに関わる経済行為を、以前はすべて個人名で行っていたという。もとより各国において、その地に住まう人々の人権の保護と尊重を提唱し、国家介入を好まざるこの団体活動の性質上、国からの補助金などは絶対に受け取らないが、活動するに当たって法人格はぜひ取得したいと願っていたという。

米国統制型を目指す傾向にある日本

NPO設立の形態については、主にイギリス型のチャリティーボードのようなものと、米国型の2種類がある。米国での法人取得は比較的容易である。通常、日本でいえば国税庁にあたる機関であるIRSに申請後、1年ほどの審査期間を経て認定される。日本において、行政改革の観点からすると、米国統制型、つまり米国の提示するグローバルスタンダードを目指す傾向にある。

問題は、税制優遇を認定する際の「公益性」の判断をどこがどのようにやるかだ。米国のIRSと異なり、日本の国税庁にこれを行う知見はない。米国ではNPO設立を専門とする弁護士が多数いて、IRSと相談しながらやっていく土壌ができている。日本は、認定基準ができたばかりでその基準も複雑だが、米国のように認定申請をバックアップする専門家は少ない。また、NPOも種々雑多という意見もあり、暴力団まがいの団体をきちっと見抜くことも不可欠である(このようなところに限って経理がしっかりしているのだ)。

寄付免税を考える際、欧米と日本で決定的に異なるのは宗教性の問題である。欧米ではかつて教会税と呼ばれる自助のための集金のシステムが存在したように、教会活動が公益性を有するものであるという社会的風潮が存在する。一方、日本では、国家宗教というものを禁じているわけで、税制優遇を考える際、宗教性を断ち切ることが大きな課題となっている。最近では、オウム事件に代表されるように、現代社会の抱える種々の問題と宗教のそれが相まったかのような事件が絶えず、あらゆる社会活動に関して宗教色の払拭を望む風潮が高まっている。

法人税法の見直しに関しては、行政改革の観点から公益法人税制を見直すべきという議論があるが、これだけにとどまらない。匿名組合、米国にあるパートナーシップなども含めてどういう課税単位でもって税を把握していくのか、という点が残された課題としてある。しかしその中でも、公益法人をどういう風に整理するかは、やはり大きな問題だ。国がこれまで担ってきた公益部分から徐々に手を引くのであれば、まさにこういうグループに新たに担ってもらうことになるわけで、その際には、これら公益的な活動をするグループを、税体系の中でどう扱っていくのかを考えていかなければならない。

PR不足だった税制における寄付免税の仕組み

勿論、寄付に関して税制上の恩典をつけることには大いに賛成ではあるが、裏を返せば、これは免税部分を誰かが税負担しなければならないことを意味している。寄付免税によって寄付が増加し、それによって公益的な活動が活発になることが不可欠なのである。たとえば、これまで100の寄付しかなかったところ、これを増やすために、新たに5割の寄付免税のインセンティブを付与したとする。しかし、免税後も同じく100の寄付しかなされなかったとすれば、寄付を通じた公益的な活動が増えないことに加え、税の実質負担は50に減ることになるので、税が公共的なことに使われるという前提に立てば、公共サイドからの公益投資も減少することになる。すなわち、全体としてみると公益に投資される資源がかえって減少してしまうことになるわけで、寄付免税の効果はなかったことになってしまう。

したがって、こういう制度は大いにPRして、多くの人に使ってもらいたいと思い、以前、特定公益増進法人一覧(寄付金控除の対象法人について、活動内容、主たる事務所の場所、担当課長などを掲載したもの)を作成して、税務署・商工会議所などに配布するということを始めた。しかし、いまだに寄付控除についてはよく知られておらず、また寄付を受け取る法人側にも、いままでの慣習により、特定のパトロン以外の第3者からの寄付を集めようという気が見られない。法人の活動自体についてはもちろん、税制における寄付免税の仕組みを広く示すという行動行為を十分にしてこなかったことが一番の反省点であると感じている。

日本の寄付金税制においては、指定寄付金、特定公益増進法人への寄付金、一般寄付金があるが、日本では一般寄付金の利用が圧倒的に多い。この項目が存在するのは日本だけである。この背景には、お祭り等の町内会活動、商店街振興会での共同活動、地回りに対する寄付など、日本社会に本来ある経済の活動以外に寄付しなければならない活動、付き合い上支払いが避けられない活動が多数あるということが挙げられる。欧米ではこれらの活動に対するものは、寄付としては認められていない(経費として損金参入できない)。

法人の寄付金実績を見ると、平成11年で4830億円、寄付金の所得に対する割合は1.55%、うち特定公益増進法人向けは12.4%に対し、一般寄付は65%と圧倒的に多い。個人の寄付金を見ると、申告納税者740万人中、寄付金控除の適用者は10.9万人、寄付金総額は324億円で1人当たり29万円となっている。個人ベースで、このように寄付金控除適用者が少ない背景としては、実際上2~3万程度の寄付では、寄付控除を申請するのが面倒くさいという実情があるかもしれない。しかし、これからはタッチパネルという手法で、還付が簡単に受けられるようになるので是非とも活用してもらいたい。これは、税務署に設置されており、将来的には、申告分離課税一本化の中で、証券会社やスーパーマーケットに置くという話もある。

事前チェック型から事後チェック型へーNPOであるための条件は情報公開

これまで、国が旗を揚げて、旗に沿うものだけを優遇するという仕組みで全てが成り立ってきた。経済産業省の租税特別措置も同じで、たとえば、テクノポリスがリゾート法などといったものに該当するものだけ減税するという形であった。しかし、今後21世紀半ばに向けて、国主導の時代から多様な選択を市場に委ねる時代になるなら、むしろ事後チェック型のシステムを目指していく方向に進んでいくだろう。そういう意味では、寄付金制度は、いまだに20世紀型(事前チェック型)の制度であるといえるが、社会の風潮がまだそこまで進みきっていない状況では、税制だけ先走るわけにはいかないというのが実情である。したがって、NPOについても、税の恩典を受ける場合には、かなり厳格な仕組みになっている。

現在NPO法人からの相談件数は、いまだ7件、認定2件、相談件数は昨年の暮れまでで389件というのが実情である。勿論、基準が複雑で申請しにくいというのがあるかもしれないが、経理の適正性を日本のNPOはまだ確保できていないという点も挙げられる。米国のNPOでは、関与する人の所得、役員の経歴などあらゆる法人の情報をHPから見ることができるなど、徹底的な情報公開が行われている。NPOであるための条件は、情報公開であり、そして国民の目によるチェックを受ける(事後チェック型社会)ことだと思う。

税制優遇するということは、その免税部分を誰かが負担するということであるから、その基準は世の中の人が納得するものでなければならないが、我々も、NPOの活動をできるかぎり税制上で考えていきたいと思う。概してNPO法人のもとに集う人々は、経済的な目標とは異なる、自発的に活動する理由をもっており、活動そのものを楽しんでいる。市場の自由意志を尊重するための国の仕組みづくりは必要であるが、常に自発的萌芽が育つ土壌を守るという認識をもって欲しい。厳しい管理という名目のもとに、貴重な芽を潰してしまうようなことのないように願う。

質疑応答

Q:

特定公益増進法人一覧は、主税局のウェブサイトにのっているのか?

A:

確認していないが、載っていなければのせるようにしたい。

Q:

日本では震災以降、兵庫県、神戸市を中心に各地方自治体で、NPO推進室などを設け、熱心にやっているが、環境整備の上で、我々自身としてなすべきことがあれば教えていただきたい。

A:

米国と決定的に違うのは、日本は官主導のNPOが非常に多い点である。当初の段階では、県や市が主導して応援しなければならないと思うが、官が主導するとNPO活動が面白くなくなってしまう。なぜなら官は、事故が起きると責任を追及されるので、ついついこれをしちゃだめ、あれをしちゃだめとなりがちだからだ。これからの社会は自己責任の社会だから、地域の人々が集まって自主的にNPO活動を形作っていく方向に徐々にいって欲しい。また、公共性を誰が判断するかという点も課題。経理でしか見ない国税庁が公益性を判断するのは無理。それゆえ、公益性の判断は各省の裁量に委ねられ、特定公益増進法人が生まれる(社会福祉なら厚生労働省、育英資金なら文部科学省)。そういう意味で、NPO法人の認証を現場の活動を良く知っている都道府県レベルに落としたのはよいことだと思う。いずれにせよ、介護、まちづくりなど、NPOは、地域活性化や再生の鍵となるのは間違いなく、それは安上がりな政府を作っていることと表裏一体であると思う。

Q:

米国のIRSと日本の国税庁は機能が異なり、日本の国税庁は公益性の認定をやらないとのお話であったが、パブリック・サポートテストを設けて非課税の認定をやっているのでは?

A:

日本の国税庁でも公益性のぎりぎりの判断はできるが、ある物差しとしての判断まではできないということ。たとえば、宗教の問題は、米国と決定的に違う点である。米国では教会中心の活動は公益的と認められるが日本では認められない。この辺りまで税務署でやれというのは非常に困難。また前述のように政策的に公益的だと判断する所管省庁がある中で、これを無視して国税庁がその公益性を判断することはできない。

Q:

日本の寄付免税の認定要件は米国と比較しても厳しいのではないか。また、ファンド・レイジングを行うNPOを寄付税制の中で支援していく枠組みが必要だと考えるがこの点はどうか。

A:

資金支援などを行う中間団体への寄付については、まとめて寄付ができる一方で、さまざまなしばりが設けられていたりマージンを求められたりと、寄付側の苦労話をよく聞く。中間的な存在は良い場合ばかりではない気もする。優遇税制を設ける話になると、事後的な問題が起こるリスクを避けるために、結局はその組織の活動をがんじがらめにしてしまう恐れがあり、活動自体を面白くなくしてしまうことになりかねない。NPOは国と関係なく個人が活動する萌芽であるし、その活動のアウトプットは結果的に公益だが、やっている本人達は楽しんでいるわけだから、その喜びを潰してしまわないよう気をつけて欲しい。税の恩典をしないというわけではない。現在の初動の段階では厳しいが徐々に緩めていったら良いと思う。その際には、透明性やガバナンスを確立する中で、事後チェック型にしていくことが重要であると個人的には思う。

Q:

ある財団の者であるが、設立二十数年経つがいまだに特定公益増人法人の認可はいただけていない。特定公益増進法人になるためには、個別規定毎に各所管省庁の公益性判断を受けなければならず非常に大変。一方で、認定NPO法人制度ができたことで財団側としては非常にあせっている。NPO法人とのバランスという観点で、特定公益増進法人に、主管官庁のような枠組みは設けられないのか。

A:

特定公益増進法人については、複数の所管官庁でないと認められないという形で、これまでずっときている。公益性の評価が各省庁の役割となっているのが非常に問題である。この点はまさに法人税制のあり方そのものの問題であり、営利法人、中間法人も含めた課税単位自体について、新しい時代の要請のなかで考え直していかなければならないだろう。

Q:

認定件数2件というのは予想と比べてどうだったのか。また日本版パブリック・サポートテストは、米国の基準と比べると形は似ているが中身はずいぶん違うという批判をよく耳にする。今後の流れの中で変えていくつもりはあるのか。さらに財務省の本音として、本質的には寄付が拡大することを嫌がっているということはないか。

A:

認定件数よりむしろ、相談件数が389件というのがちょっと少ないなと思っている。パブリック・サポートテスト自体については米国も当初は試行錯誤している。ある一定のチェックポイントがクリアできるかどうかであり、認定を支援する専門家が生まれ、成熟していく中で認定件数は増えていくのではないか。勿論、現行基準が全ていいとは思っていない。意見も聞きつつ直すべきところを直していきたいが、他方で制度の悪用という点で不信感を持っている国民の方々も多数いらっしゃるので、これら意見とのバランスもとらざるを得ず、思いだけではなかなかできないという税金の悲しいところを理解してほしい。これからの社会は税をとるだけが全てとは思っていないので、寄付などによって公益が補完できればよいのではと考えている。

Q:

寄付については、所得税の控除がなされても、総務省所管の住民税については、控除対象にならない。これが寄付する気をなくす大きな原因と考えるがどうか。

A:

地方税というのは地方の住民自治の問題だから、国としては政策税制をしないというのが原則としてあるのではないかと思う。租税特別措置でも国税だけ減税になって地方税は連動しないというものがいっぱいある。しかし、NPOが行う事業というのは、本来的に住民税で地方がやっている仕事を代替するという考えを地方はもっているのではないか。そうであれば、こういった点も今後変わっていくのではないか。

特定公益増進法人(特増)の一覧を本日(7月17日)付けで、財務省のホームページにアップされました。ご興味のある方は、下記URLよりご覧下さい。
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/koueki.htm

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。