大変革期の流通業の展望と課題

開催日 2001年12月13日
スピーカー 岡田 卓也 (イオン株式会社名誉会長相談役)

議事録

30周年を機に社名も形態も変更

私は、昨年の8月にイオングループのすべての役職、実業界のさまざまな公職を辞任致しました。ちょうど私が小売業を始めてから55年です。私は昨年75歳になりました。CEOといいましても従業員が5人という時代もありました。今グループの従業員は13万人になりました。ずいぶん長い間小売業をやってきたなあというのが実感ですね。世紀が変わる時にCEOを降りたのは、私は20世紀の経営者でしたが21世紀の経営者ではない、次の世代に委ねるべきだと考えたからです。

ジャスコも昨年、創立30周年を迎えました。「企業の寿命は30年」と一般にいわれますので20年経った時になんとかして変えようと思ったのですが、売上が1兆円ほどになっておりまして、日本の構造改革と同じように、なかなか変えられませんでしたがようやくグループ名だけはイオンに改め、またロゴマークも変えました。それまで日本のGMS(総合スーパー)のマークというのは、私どもが白と赤とグリーン、イトーヨーカ堂さんは白と赤とブルー、平和堂さんは赤と白とブルー、それにハトがついているのですが、イトーヨーカ堂さんとハトの向き方が違う(笑)。そんな感じでマークが流行っていたわけです。ところが女子大生などに見せると一言「ダサイ」といわれてしまいます。大体スマートなマークというのはたくさんの色を使わない、などといろいろあったのですが、ようやく変えることができました。これはグループ全体の持ち株会社という性格を、事業持ち株会社へと形態を時代の変化に合わせていくための布石でありました。そして30周年を機に社名も変えました。実際の中身をどう変えていくのかはこれからの経営者の課題であります。

スクラップ&ビルド

私は戦後、焼け野原になった四日市に店舗を作りました。これまで四日市の街は大きく変化を遂げてきました。その間、お客さまの変化に合わせ戦後6、7年の間に3回移転をし、近鉄四日市駅前の店舗は増築を重ねて現在の規模にいたしましたが、来年の2月でスクラップします。店舗のスクラップ&ビルドは家訓の「大黒柱に車をつけよ」に従っているものです。私が社長を務めていた13年の間に実に180店舗をつぶしました。合併はスクラップするにはいい方法です。小売店というのは、私どもが合併した相手先もほとんどそうなのですが、戦後の創業者の人がやっていました。そうすると思い入れや愛着がありなかなかスクラップがしにくいのです。ところが、合併するとしがらみがなくなり、思い切ってスクラップできる。従って私は合併というのは会社の成長のために非常に有効な手段であると考えています。

出店申請の苦労

戦後すぐの頃「百貨店法」という法律がありました。我々が大きな店舗を作ろうとするとそれに抵触する。ところがその頃、量販店というのがどんどん出てきました。そこで、いくつかの企業を作ってそれを積み重ねれば百貨店法に抵触しないということで大型店を作った会社もあります。百貨店法は企業主義でしたから、このような対応もされました。しかし、私どもは「悪法も法なり」といいますから遵守いたしました。その後、「大規模小売店舗法」という店舗主義の法律に変わりました。私は戦後から、百貨店法、大店法、商調協の委員をしてきましたので、いろいろな経験をしました。

その中で私が一番思い出に残っているのは、近鉄百貨店さんと四日市で百貨店の増設申請をしていた時のことです。四日市の商調協の結論では私どもが3、近鉄さんが7と近鉄百貨店の増設の方が有力であるということでした。私がその時に思い出したのは、将棋の木村名人にいわれた「やや不利はやや優勢に通じ、やや優勢はやや不利に通じる、しかし絶対優勢は絶対不利に通じ、絶対不利は絶対優勢に通じる。全ての勝負は最後の一手で決まる」という言葉でした。そこで私は最後の1カ月間、東京に泊り込んで審議会の委員に夜討ち朝駆けをして申請を認めてもらうようお願いしました。その時に審議会の委員であった都民銀行頭取の工藤昭四郎氏に、「岡田屋は個人会社だろう。近鉄百貨店は親会社が上場している。一般大衆がその株を持てるということだ。岡田屋が大きくなって儲けるのは君個人だが、近鉄なら株主に利益がいく。近鉄が大きくなったほうがいいじゃないかね」といわれました。その通りだったので何ら反論も出来ず、一度四日市に戻り、私どもが四日市でやってきたことが掲載されている新聞記事のスクラップなどを持ち込んで再度お会いいただきました。たとえば、四日市の道路に花を植えていることや、交通事故で父親を亡くした高校生のために奨学基金「風樹会」を作って貢献していることなどです。すると、「田舎の小売店でもこういうことをやっているのか」と、とたんに態度が変わり、中央審議会では逆転、近鉄さんが3、私どもが7で勝利しました。木村名人がいわれたとおり、危機にあった時にどう対応すればよいか、最後まであきらめたらいけないと、ずいぶん勉強になりました。帰りの東京から四日市までの列車の中では笑いが止まりませんでした(笑)。

小売業と海外戦略

さて、最近は海外の有力な大手流通企業のトップが日本にもたびたび来日しています。ちょうど4年前、ウォルマート・インターナショナルのCEOが来日した時に私もお目にかかりました。日本に是非進出したいという話だったので、「どういう形で出たいのですか」と尋ねたところ、「買収もジョイント・ベンチャーも100%子会社も形態としては有り」というお返事でした。翌年も来日されてまた会いました。昨年来日された時は私は既に引退しておりましたので社長が会いました。さらに今年も社長が会っておりましてかなり具体的と申しますか、いろいろお話をされたようであります。先方から「マイカルについてイオンとウォルマートの話が日本の新聞紙上をにぎわしているが一緒にやれないか」というお話があり、こちらは笑っていたんですが、さらに「一緒にやろうよ、そのうち日本の流通はみんななくなるから」というのです(笑)。「イオンもイトーヨーカ堂もなくなる」といい、「それで一緒にやろう」と。一緒にやれば給料3倍、ストックオプションもいっぱいつける、という話をずけずけとされたのです。
初めて私がアメリカに行ったとき、-その時はシアーズ・ローバックの売上と日本の国家予算がほぼ同じ4兆円、1ドルが360円でプロペラ機で飛ぶ時代でしたが-ウォルマートはまだこの世にはありませんでした。それが売上20兆円、100万人を雇用する大企業に40年弱で成長した、大したものですね。

今日のウォルマートがあるのはサム・ウォルトンという創業者の哲学があったこと、そしてその後の経営者がITを取り入れて、的確な情報システムを構築したからだといえます。ウォルマート社の本社は非常に不便なところにあるので、もっと便利なところに移したらどうか、という話をしたら、ここが一番いいと。ウォルマート社は今や情報通信で瞬時に世界の店舗とつながっているのでいいのだ、という話なのですね、ウォルマートの情報システムは世界で二番目だといわれました。当然気になるのが「どこが一番か」ということですが、それを尋ねたらペンタゴンだというわけです。この自信には驚きましたが、とにかくこの2つが今日のウォルマートを作っていて、日本の企業が最も遅れているのはITではないかと思います。

イオンの企業戦略

私どもには米国にタルボットという専門店チェーンがあります。私が13年前に米国からタルボットを買収した時には130店のアパレルの小売チェーンでした。アメリカとカナダ、一部英国にもありますが、今年中に800店達成の予定で非常に成績のいい専門店チェーンに成長しています。実はその売上の3割がカタログ販売なのです。それで私は5年前にタルボットの社長にネット販売をやらないかと持ちかけたのですが、彼は3年間はやりませんといったんですね。これは実に立派な彼の方針だと私は思います。いわゆるネット販売がもてはやされ出したとき、私がなぜタルボットに持ちかけたかと申しますと、ネット販売は、カタログ・店舗・物流の三位一体でなければ成功しないと考えていましたので、タルボットは既にカタログ販売で実績をあげており、必要なものはすべて整っていると考えたからです。その後、2年前に会った時に「あれから3年経った。ネット販売はどうするのか」といったら、「やります」といってその年(1999年)のクリスマスからネット販売を始めました。しかし、それだけ要素が整っていてブランド力のあるタルボットという企業でも、ネット販売は全体の売上の2%程度であろうと思います。
1999年の全米小売業大会でのメインテーマは「情報システム」で、ネット販売などについても話がありました。米最大のホームセンター、ホームデポのチェアマンも表彰されてスピーチをしましたが、彼はその時、「自分のところが今日のような4兆円以上の1人勝ち企業になったのは、人に真似のできないサービスをやったからだ」といったのです。
一方amazon.comは非常に勢いがありましたが大赤字でした。そのチェアマンはネット販売では既存の小売業に価格面では勝てる。でも既存のものに価格以外で競争したら競争にならない、といっています。「たとえば、ノードストロームの店にはピアノの演奏があります」と。
 私は日本小売業協会の新年パーティーの時に、「いかにITを取り入れるか、そしてよそに負けないようなサービスをどう構築するかが重要である」ということをいったわけです。ついでに申しますと、その翌年の全米小売業大会で「21世紀に(仏の)カルフールが生き残るために(同国大手の)プロモーデスと合併した」とカルフールの会長がいったのが印象的でした。
そういうことを考えてみますと、おそらく日本の流通業界は今日まで本当の意味での競争にさらされていない世界で唯一残された「黄金の島ジパング」であると思います。そしてその日本の流通業界に大変革が起こるに違いないと考えます。国際競争力としてすばらしいあの自動車産業でさえ、日本の会社として残っているのは2社しかありません。そして我々小売業もこれからは外資を交えての再編成の時代が来るのではないかと思います。

再編成の波

最近、流通の中で活発に変化しているのが家電業界です。私どもがジャスコを作ったころの日本1位は「星電社」。姫路のフタギは全部「星電社」で、大阪のシロは「上新電機」だったんですが、ジャスコになったら両方から入れてほしいといわれまして、面倒くさいから2社に合併してくれといってみたんですが、かなりのところまで話が進んだが結局だめでした。その後、ベスト電器、デオデオなどが出てまいりまして、さらにヤマダ電機、コジマの登場で、大きく再編成の動きが出ている。今のところ5000億円の規模といわれておりますが、これからは1兆円規模の競争になるのではないかと考えております。このようにそれぞれの業界が大きく、また急速に変わるでしょう。

ドラッグの業界におきまして私どもは11社と提携しています。これもそれぞれがみな、元気がよく-といっても、規制があるから元気があるわけですが(笑)-今、全部で4000億円の規模です。これが1兆円規模にならないと競争にならないと思います。私は事業からすべて手をひいておりますが、次の時代に国際競争力でイオンが生き残るためには少なくともグローバル10(世界の小売業で10位以内にはいること)入りを果たすこと、そのためには2010年に7兆円を売上るというのが長期目標でございます。

日本の小売業システム

今まで問屋マーチャンダイジング、物流のシステムについて日本は非常に特殊でした。が、ようやく変化が緒についてきたといえるのではないかと思います。アメリカでもかつては問屋があったわけですが、物流システムがまったく変わりました。ということで日本も変わらざるを得ないところにきていると私は思います。
情報システムの点では私は顧客管理が重要だと考えています。私どもにはイオンクレジットサービスという会社がありますが、このカード使用のシステムから顧客の買い物の動向がわかります。現在では1000万人のカード会員がおりますが、このデータを活用していきます。

ついでにほかのことも少し申し上げますと、ユニクロが出ましたときなどに、「総合の時代は終わった、専門の時代だ」、などといわれましたが、私は専門と総合の戦いは常にあると思います。たとえばマクドナルドとスーパーマーケットは専門と総合の戦いです。それぞれの総合の中身も変革をしていくということではないかと。「トイザらス」が日本に進出しようとしたとき、日本の玩具屋さんがこぞって反対をしました。ところが実は、トイザらスは世界一、紙おむつを販売しているところなんですね。玩具だけではない、子供さんに関する総合である、と。彼らが日本の中で唯一、敵としてみていたのは「赤ちゃん本舗」だけであります。そこで、トイザらスは「赤ちゃん本舗」が会員制をとっていたのは大店法違反でないかといったのです。じゃあ、トイザらスは専門か総合かということになりますが、アメリカでは玩具というのがクリスマスの時に圧倒的に売れるんですね。それでウォルマートはトイザらスに対抗して玩具売り場を徹底的に広げて勝利しました。どちらが専門か総合か。こういう戦いはこれから絶えず繰り返される、と思っております。

暖簾と信頼

私は既に、すべての役職を辞しております。唯一やっておりますのがヤオハンの事業管財人ですが、これも2002年の3月に終わります。
それでは何をやっているのかと申しますと、イオン1%クラブの委員長と、イオン環境財団、-これは11年前に設立されましたが-その理事長、それから20年前に郷里に作った岡田文化財団の理事長、それだけが私の仕事のすべてであります。結局どういうことかといえば、私が最初に事業を始めたときは、空襲で全部焼けてしまって「岡田屋」の暖簾だけが残っていました。戦前から私どもは「岡田屋さん」と呼ばれておりました。そして戦後最初に焼け野原に店を作る前に、電信柱に貼ったビラの内容というのが、「岡田屋」の商品券をお持ちの方は直ちに現金に換えます、というものだったのです。それが私ども戦後のお客さまに対する一番最初のサービスだったわけです。これが私は暖簾と信頼だと思うのです。お客さまからの信頼には税金もかかりませんし、一番大事なことであると。私がイオンという会社に対してできる最大の仕事は、どう暖簾を築いていくのかということであり、それはお客さまへの信頼を築き上げていくということである、と考えた次第です。そこで私の保有するイオン(株)の株式をそれぞれ約1000万株ずつ2つの財団に寄附し、それを基本財産としています。

私はアメリカのタルボットを買収したことにより多くのことを学びました。タルボットを買収するときの為替レートは1ドル128円で、約400億円。最後は「エイヤッ」という感じでしたが、タルボットの中身たるや何もありませんでした。それで何があるんだといったら一番大きなものはgoodwill(暖簾)だ、と。アメリカでは日本のように専門店さんがショッピングセンターに出る時のように保証金もありません。あるのは什器と商品くらいなものでした。カタログ販売の名簿とボストンの郊外に配送センターと本社はありましたが、坪1000円かと思われるほどで、日本人の感覚では何もないに等しい。形のあるものを全部あわせても50億円の価値があるかないかといった程度のものです。その当時、ちょうどバブルの最中で、日本の企業はアメリカで形のある、目に見えるものばかりを手に入れようとしていました。ところが私はその時に目に見えないものの価値というものを教えられたわけです。これから日本は暖簾、小売業であれば顧客からの信頼、ソフト、技術など目に見えないものでの勝負の時代ではないかと思っているわけです。いろんなことを申し上げましたが、あとはご質問その他にお答えします。

質疑応答

質問者A:

2点質問があります。合併がスクラップ&ビルドによい方法だったとおっしゃっていましたが、雇用はどのように考えていらっしゃいますか。また、「下げ」で儲けよということでしたが、今のデフレ経済はチャンスとお考えですか。

岡田:

もちろん合併して企業が成長すれば問題ないわけです。リストラをやるというわけではないですから。スクラップだけでなく、スクラップ&ビルドをやっていたわけで雇用についてはむしろ、どんどん採用人員は増えていった、ということであります。問題は人件費。私は外資が出てくるときにこれは怖いと思った。というのは、百貨店はその頃はもう成熟産業だったわけです。だから40歳代、50歳代の人たちが大勢いた。ところが新しく出てきたところの店長はみんな20歳代ばかりだったんですね。このコストの違いは大きいわけです。百貨店の出店と我々の出店でコストは違いますがそれ以上に従業員の年齢構成の違いが非常に大きかったわけです。外資が出てくるということは新しく出てくるわけで、新しく採用するわけですから、日本の人件費も昔であれば外国人の方が高かったですが、今はさほど変わりません。むしろ、その競争が大変になってくると思っているわけです。
下げはものすごいチャンスだと私は思います。チャンスというのは何かが起こったとき、変化があったときにしかないんですよ。私はヤオハンの管財人をしていますが、先日もヤオハンの社員を集めてこういったわけですね。ヤオハンが一番信頼を得られたのは熱海の火事の時だったと。その時、ヤオハンは商品の値段を上げずにいた、それがヤオハンが成長する原動力になった、それを忘れてはいけない。

質問者B:

お話の中で連邦、連携、合併、という言葉が出てきましたが、基本的には合併ですか、連邦ですか。

岡田:

最初私どもは「連邦制経営」といってきましたが、そもそも日本の流通業のトップは創業者だった。創業者は他人にいろいろといわれてやるのが嫌いなのでその地域で自由にやってもらう、そして世代が変わった時に再編するということですね。緩やかな連帯は業種業態の違うところと一緒にやる場合です。

質問者C:

国の構造改革にからんで質問します。(企業は)合併を通じてスクラップ&ビルドする、信頼が大切、といった話をうかがうと国に置き換えると大変難しいかと思うのですが。国の構造改革にアドバイスはありませんか。

岡田:

企業の寿命は30年と申し上げました。しかも今は大変革期にあります。そのときはよほど大きな変革をしなければならない。我々は社名を変えた時、8月に全従業員を対象に入社式を行い、またアンケートを行ってどう変わればいいのかを聞いて改革をしようとしています。またお客さまに対してもイオンをどう変えればいいかというアンケートをとっています。正に、意識改革です。
しかし国の場合、現実には容易に変わりません。中央集権でやってきた政府の信頼も失われています。政治家、官僚の信頼がなくなった、モラルがなくなった。国を滅ぼすのも一緒で倫理観がまったくなくなってしまいました。経済界も、政界でも、官界でも同様です。この辺が変わらないと。

質問者D:

流通と環境という角度からご高見をいただきたいのですが。ものを作って、使って、捨てていく、という環境への害が指摘されます。ゴミの仕分けが必ずしもされていない、などということを目の当たりにもします。流通の分野からご覧になって日本人の環境に対する感覚は変わっているとお考えですか。

岡田:

私ども小売業の最大の特徴は毎日お店にたくさんのお客さまがいらっしゃって、そのお客さまに何らかの働きかけができる、ということだろうと思います。地域の方に働きかけて一緒に木を植える、などといったことですね。神戸の大震災以来、人々の意識は非常に変わりました。「万里の長城の森再生」や「アフガニスタン難民への支援活動」について店舗で呼びかければそれで反応があります。毎日の顧客に対する働きかけが大きな原動力です。

質問者E:

大変革、2010年7兆円企業、外資の進出などボリューム志向のように見えますが。これから日本で起こりうる事態に対する切り口を教えてください。徹底した価格破壊、消費が伸びない、外資が虎視眈々と日本を狙っている、グローバルレベルでの小売業の大変革、マイカルのスポンサー問題など、どこが主戦場になって変革が行われるとお考えですか。

岡田:

ボリューム志向といわれますが、7兆円は国際的に10位に入れるか入れないかといったレベルです。ウォルマートの食品部門だけで2兆5000億円。再編成が'97年に繰り返されたアメリカのスーパーマーケットは4 ̄5兆円の規模に変わりました。
ドイツでウォルマート社は2社を買収(いずれもあまりうまくいっていないようですが)、英国では業界第3位のアズダを買収、それで仏国ではカルフールとプロモーデスが合併しました。カルフール単独では対抗できないということが理由です。そして25兆円規模のグローバル・ネット・エクスチェンジというグループを作った。そして、英国のテスコ、米国のKマート、私ども等が58兆円規模のワールド・ワイド・リテイル・エクスチェンジというグループを作りました。その結果、3つの流通グループが世界にできたということです。したがって、日本で今までいっていたような規模とはまったく違う非常に大きな動きがグローバルには起こっているのです。
ウォルマート社は40年前にはありませんでした。かつて鉄は国家なりといわれましたが、今ではどんどん産業構造が変わっています。どう転換していくのかが生き残りの鍵で、しかもこれからはグローバルに考えなければならない、国内だけではだめだということです。北欧のスウェーデン、ノルウェーなどで大手小売3社の占める割合は80%以上、独仏英も大手3社で50%以上、アメリカもそういう流れの中にあります。そして日本ではこれから外資を交えて大競争の時代に入っていくものと思います。
商店街が日曜日に閉まっているようでは、お客さんにとってはお店ではない。でもその中でとっても立派なお店があるのです。何のお店だかわかりますか。和菓子屋さんです。和菓子屋さんの商品は全てプライベートブランドで、信頼があり、暖簾があります。私はこれからは和菓子屋さんが海外進出するのではないかと思っております(笑)。

質問者F:

私は、生物の多様性を守るために世界で活動をしています。岡田さんは1%クラブの活動をされていますが、経営戦略の中で社会貢献の価値をどう考えていらっしゃいますか。ビジネス経営と社会貢献の価値の関係についてお聞かせください。もう一点、日本の状況は今、非常に暗いようですが日本の社会貢献は今後、どのような方向にいくのでしょうか。

岡田:

なぜ、社会貢献するのか。わたしは法人にも人格があるので当然の発想だと思います。かつてミネアポリスに行った時に、感銘を受けたことがあります。そこに、デイトン・ハドソンという-今はターゲットと名前を変えています-百貨店があるのですが、昔から「5%クラブ」という活動を行い、利益の5%を社会貢献に充てていました。その会社が他社に買収されそうになったとき、市民が州法を変えてまでも買収を止めたのです。また、別の会社では役員の選考時に個人でどれだけ社会貢献したか、というのを選考の基準にしていると聞いて驚いたことがあります。私どもの1%クラブも税法が変わればもっとやれるのですが、今は1%がやっとです。
そもそも小売業は地域産業です。韓国にEマートというスーパーがあります(新世界デパートの子会社)。そこでお客さまが買い物をしたレシートを、レジの後に設けられた地域でいろんな活動をしている団体名が書かれたボックスに入れると、レシート金額の1%がその団体に寄付されることになっています。私どもは毎月11日をイオンデーにして同様のことを実施しています。
9月11日のテロ事件の時にも警察や消防の方が被害を受けられたのでお客さまの募金も含めて100万ドルを寄付しました。お客さまと一緒になってやれる、そういう意味での社会貢献活動を進めています。
また、私どもはお客さま・日本ユニセフと共同でカンボジアに学校を寄付していますが、今後3年間で70校以上作ります。昨年の8月に既に出来上がったカンボジアの学校を見に行ったのですが、その学校の名前が「米百俵」だと聞いてびっくりしました(笑)。その学校は新潟の長岡高校の卒業生たちがお金を集めて作ったそうです。伝統が受け継がれているのです。学校には5教室ありますが、そのうち1教室は夏休みだったにもかかわらずコンピュータの勉強をしていました。カンボジアに学校ができると米国のアップル社は必ず1台、コンピュータを寄付しているそうで、カンボジアの学校のコンピュータはすべてアップルだそうですよ(笑)。アップル社の企業戦略を見る思いでした。また、その学校で勉強している子供が、7歳から15、16歳なのです。私は「50年後になったら、カンボジアが先進国で、日本が途上国になるのではないか」と思いました。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。