心の保険

開催日 2001年11月16日
スピーカー 河合 隼雄 (京都文教大学 学術顧問)

議事録

所長挨拶

青木:
河合先生のことを改めてご紹介する必要もないでしょうが、私がまだ京都大学におりました60年代、70年代のいわゆる学生紛争真っ盛りのときのエピソードを一つお話いたします。河合先生は当時、学生部長、共通学部長の役職に就いていらっしゃいまして、団交のために学生とやり合っていました。その当時、先生は生きるか死ぬかという患者さんを抱えていらっしゃいました。学生に数日間缶詰め状態にされていた際も、診断の際は学生が先生を解放し、また先生も診断が終わったら学生の元に帰ってきて、学生との「信頼関係」を築いていらっしゃいました。

先生はまさに万能人間、ルネサンス人間であり、文学者でもいらっしゃいます。最近も米国のパモナカレッジに行かれて交流されていらっしゃったとのことです。他にも政府の行政改革の委員や、故小渕首相の「21世紀構想日本」の座長もされていました。また意外と知られていないのですが、河合先生は音楽家でもいらっしゃいます。先日も千葉でコンサートを開かれ、妻と聴きに参りましたがとても素晴らしい演奏でした。これは皆さんご存知でしょうが、先生は座談の名士でもあり、そのうち吉本興業からひきがあるのではないかと思っています(笑)。また25年前、京都大学におりました頃、通産省の研究会でギリシア哲学の専門家の藤沢令夫先生、佐藤幸治先生らで集まっておりました。4年間くらい通産省がスポンサーをしてくれていたのですが、どうして通産省がギリシア哲学なのか、と思っていました。当時の研究会の中では一番印象に残っていまして、是非そのときのメンバーで同窓会をしたいと思っています。また、省庁再編を話し合う行政改革会議の場で省庁の新名称について話し合っていた際、省庁の名称は2文字がよい、4文字がよい、と喧々諤々、皆で夜通し話し合っていたときのことです。早朝4時頃になって河合先生が「もう4時だからいいじゃないか」とおっしゃったので通産省も「経済産業省」になりました。

豊かな社会には、豊かな心が必要

河合:
私にとって経済は盲点です。本日は「心の保険」という非常に面白い題名をいただいてお話をさせていただきます。私は臨床心理学を専門にしておりまして悩みを抱えた方、ノイローゼの方を診断しています。「世の中がよくなって皆が幸福になったら河合さんの仕事はなくなって失業する」と、いわれたことがあります。私は「逆ですよ、世の中が進歩したら私の仕事は増えます」といっていましたが、そのとおりになりました。医学の発展のお陰で長寿社会になりましたが、高齢者のことで悩んでいる人が増えました。また、交通の便が良くなり、喜んで外国に出かけているが、実は相当なストレスを知らないうちにためている、というケースもあります。私の仕事はいくらやっても時間が足りない程です。簡単にいえば、物質的に栄えるのは結構ですが、心も豊かにしないとつりあわないのです。これまでの考え方では心の方をサボっていたからアンバランスが起こっているのです。社会が豊かになったことで子育ても難しくなってきました。私が子供の頃、欲しい物があって父親に「買って」といっても「そんなもの買えるか」、といわれて買ってもらえませんでしたが、父親には威厳がありました。今から考えるとそれは威厳でも何でもなくて、単に本当にお金がなかったので断っていただけなのでしょう。今は「そんなもの買えるか」といっても本当は買える財力があるので親は昔ほどの威厳をもって断れません。また、私の友人の話ですが、彼は子供の頃、とても本が読みたいと思い、大変苦労して本を探して読んでいました。彼は子供には同じ思いをさせたくないと思い、本をズラリと揃えてやりましたが子供は全然見向きもしない、と嘆いておりました。豊かな時代の子育てには工夫が必要になってきます。例えば本棚に鍵をかけ、自分がその中の本を読んでいる姿を見せ、子供が「何読んでいるの?」と興味を示してきたら、「子供には関係ない、外で遊んできなさい」、などといって隠したりするのです。そうしているうちに子供はとても気になり始めます。たまに鍵をかけ忘れるフリをしていると、そのうち子供が本棚から本を取り出して読んでいた、という具合です。

増加する中年クライシス

中年になってからの危機についてお話します。いまや中年になってからの既存のシステムが段々通用しなくなってきます。35-50歳の中年男性の自殺が急増していまして、年間3万人にも上っております。これは年間の交通事故死亡者の数を上回っており、経済的にも大きな損失です。これまで日本ではこの問題が放置され過ぎてきました。
一つの例をお話します。ある中小企業の重役が抑うつ症(depression)になりました。欠席の電話をかける元気もなくなったのですが、周囲の人は単に怠けているとしか思いません。自殺の原因の多くがこの抑うつ症です。抑うつが非常にひどい人は自殺する元気もないのですが、症状が少しよくなると自殺してしまう場合があります。この点はいつも患者さんの家族にも気をつけるようにいっています。この中小企業の重役さんの場合も、「生きていても仕方ない」と感じるようになり、それまでとても仕事熱心な人だったのに全然仕事をしなくなってしまいました。彼の上司はワンマン社長なのですが、「何年休んでも給料はあげるから心配しないで」とこの重役にいっていました。ところが重役は逆に「申し訳ない」、といって余計気にするようになりました。この人は仕事一途で重役になったのですが「生きていても仕方ない、以前は仕事が面白かったのに今は全然面白くない」と、いっていました。そこで彼の心の中を知るために彼の見る夢について聞いてみました。その夢の中に自分の会社で雇った男が登場します。そしてその男はてきぱき仕事をするのですが使い込みをします。そこでその重役が使い込みをした男を叱ろうとすると、ワンマン社長が出てきて、「何をいっているのか、この男はとても優秀な奴だ!」と反論され、「こんなおかしいことがあるのか」、と思ったところで夢が覚めるというのです。彼は価値判断の違いにショックを受けていたようでした。そこで私がこの夢の「使い込み男」にも何かいいところがあったのではないかと聞くと、それまで「社長に申し訳ない」と大袈裟な敬語を使って話していた重役が突然パッと変わって、「本当は私、社長に反対なのです」、と社長を批判し始めました。よくよく聞いてみると小さい工場としてスタートした彼の会社は、中小企業としては精一杯のところまできていたということで、「社長のワンマンなところはダメだ、これ以上社長の下では働けない、独立した会社を作りたい、私だって本気になれば・・・」と抑うつの重役がいきなり息巻き始めたのです。突然パッと変わって元気になるのが抑うつの人の特徴です。そのうち彼は「自分は社長から独立したいので、先生から社長にいってもらえませんか?」というのです。私は「そこまで思っているのだったら自分でいったらどうですか? 自分でやらないと駄目ですよ」と断りました。下手なカウンセラーはここで手伝ってしまうのです。つまり本人ががんばり、自分で闘うことが重要で、私はといえば何もしないことに全力を挙げました。ある日彼の上司の社長が「悩み事を是非先生に相談したい」といってきました。話を聞くと、「会社はワンマン会社では精一杯の規模に来ている。これ以上拡大するためにはもう1つ別会社を作らないといけない。ワンマンでない会社を作りたい」ということでした。私は助け立てしてはいけないので例の重役の話は言えません。結局、重役は社長の所へ話をしに行き、「それならお前が会社を作れ」、ということになりました。この重役はこれまでずっと社長の下で働いてきて、自分の力で物事をやり遂げる力は青年レベルで止まっていたのです。つまり、現実認識は子供レベルのまま、「万年重役」でここまできたのです。それが今になって問題化してきたのであり、もし彼の心がちゃんと「大人」になっていたら、とうの昔に独立して会社を出て行っていたはずです。私は社長に彼の顔を見たら「50歳のオヤジなのに」、と腹も立つだろうから、彼を青年と思うよう、そして青年を鍛えて独立させてやろうと思うようにいいました。結局この一件は面白いほど上手く解決しました。重役も社長も一皮むけ、抑うつを克服したからこそひと回り成長できたのです。

さまざまな問題が絡み合っている場合、一つ解ければ簡単に他の問題も解決するケースは他にもあります。例えば子供が思春期で悩んでいるとき、親は思秋期で悩んでいることが多く、子供の問題が解決すると親の問題も解決した、という事例を私はいくつも見てきました。

病や不遇を乗り越えてこそ、創造の喜びはやってくる

私はおだてられると殺人以外ならなんでもする人間です。先日もシンポジウムで『源氏物語』について講演いたしました。16歳で『源氏物語』に出会い、すっかり魅せられて実際に祇園の芸者になり、The Geishaという本を出版したライザ・ダルビーさんという外国人も参加していましたが、彼女は『源氏物語』は「紫式部の物語」であるといっていました。私も同感です。つまり、自分のことを書こうとして登場人物を自分の分身にして書いたのです。ダルビーさんがいっていましたが、『紫式部日記』を読んだらどう考えても紫式部は抑うつだったというのです。そして抑うつ症である紫式部がどうしてあんな華やかな物語を書いたのか疑問に思って研究を始め、The Geishaを書いたのだそうです。紫式部は抑うつを乗り越えるために書いていたのでしょう。人間はそれぞれみんな物語を生きています。前述の重役さんは「重役物語」を終えて、新しい「社長物語」を生きるためにもがいていたのです。
ユングなどの心理学者を研究したエレン・ベルガーという学者が『無意識の発見』という本を出していますが、その中で「創造の病」(creative illness)という表現を用いています。つまり病を克服することによって新しい創造が生まれるというのです。フロイトは元々自分のノイローゼを乗り越えようとして研究を始めましたし、ユングはノイローゼというより精神病で幻聴と幻覚に苦しんでいました。彼らは皆、心の病を乗り越えることによって新しい創造を生み出しました。先ほどの重役は抑うつを乗り越えて社長になり、紫式部は抑うつの中から『源氏物語』を書きました。
私はこれを拡大解釈し、体の病、事故、不遇な状況、すべての広義の病を超えて創造が生まれると考えています。例えば夏目漱石は病気で死にそうになりましたが、不思議に持ち直し、その後に書いた作品は作風がガラッと変わりました。途中で病や不遇にあい、乗り越えた後に大変な創造が生まれるのです。個々人は皆、自分の物語を作ろうとしています。そして自分の物語を生きているのです。時代の流行物語というのがあります。例えば今は少し廃れましたが、良い大学に入学し、良い職場に勤め、幸福に暮らすことを目指す、というものです。それで親は子供を良い幼稚園に入れようとします。時代精神に合う人はすんなりいくのですが、うまく合わない人は苦労します。例えば今の時代に織田信長が生きていたら刑務所行きになっていたでしょう。各人は自分の物語を生きていく中でほとんどの人は「創造の病」を経験しています。何の病気も事故も不幸もない"happy happy"というのは本当にhappyにならないのではないかと思います。人生の谷間をどう考え、乗り越えるのかがポイントです。

心の問題にはカウンセラーを上手に利用するべき。また、保険制度などのシステムの考慮を

すべて物事を「健康・不健康」で分けて考える人がいますが、朝から晩までhappyで一生happyという人は周りの人が苦労しているはずです。あまり多くはいませんが中には小学校くらいから「創造の病」を乗り越えている人もいます。クリエイティブな分野で活躍している人に多く見られます。鶴見俊輔さんら、10人を選んで子供時代について聞いてみましたが、みんなどこかで悪いことをしていました。鶴見さんの場合は自殺未遂です。谷川俊太郎は不登校のパイオニアです。何でもパイオニアになる人は大抵すごいものを持っています。子供時代からいろんなマイナス面を抱えていることが後のクリエーションに向かわせる機動力になるのです。残念なのは本当に自殺してしまう人がいることです。不登校の生徒の相談を受けるのですが、不登校の間はゆっくり休みなさい、といっています。しかしいざ学校に出てきたときに「悪い」というレッテルを貼ってしまうと出て行けなくなります。私は「そのうち登校できるのだから、3年位遅れても何でもない」、といっています。「友達が80歳で死ぬなら君は83歳まで生きればいいじゃないか」といっています。よく無理やりに親が引っ張り出したケースで、「親が言った言葉が一生忘れられない」という人がいます。自分の仕事の宣伝ではありませんが、カウンセラーを上手に使ったらいいと思います。
スクールカウンセラーのお陰で助かっている子供が随分たくさんいます。ひとつの例ですが、数年前にスクールカウンセラーがある学校に行くようになりました。ある日先生方が茶髪の子供をカウンセラーのところに連れていきました。そのような子供は往々にして勘がいい子の場合が多いです。その子は開口一番、「先生は何のために人生を生きていますか?」とカウンセラーに問いかけました。カウンセラーが「なかなか難しい質問で一生考えてみないといけないから今答えられない」と答えると、その子は「そしたら話しをしてもいい」、とこのカウンセラーと口を利き始めたということです。その子がいうには、この学校では同級生も先生も誰も彼もが受験とアイドル、スポーツの話しかしないというのです。自分はどのように生きるか考えているということで、他の人とは違うということを意思表示するために対抗して髪を染めていたのです。その後この子は髪の毛を染めることをやめたのでカウンセラーがたずねたところ、「話す相手ができたからもう染めるのを止めた」といったそうです。

米国にはカウンセラーにかかる料金に適用される保険がありますが、私はいいとも悪いとも判断しかねています。たしかに健康保険が「心の保険」をカバーすればいいこともありますが、カウンセラーにかかったことを保険会社に報告しなければならなくなります。「見知らぬ女性と付き合っている」…などのプライバシーが保険会社に漏れてしまいます。これは非常に恐ろしいと思います。私は保険を扱っていません。私の患者は保険ではなく、自分のお金を払って来られる人が来ています。医者や宗教家、ステータスの高い人が来ますが、プライバシーを知られたくないと思っています。また、健康保険だと病気でないと保険が支払われないのでこれも深刻な問題です。例えば夫婦間の問題の場合、病気の診断名がつかないと保険が払えないとなると、「抑うつ」などと病名を書くとします。そうすると烙印を押してしまうことになり、どうやって治すか、ということになると困ってしまいます。私の方法では「何もしない」からうまくいきますが、保険会社側からすると何の処置もせずにお金は払えないので、カウンセラーは何とか保険会社に説明できるように治療しようとします。こういった場合、何もしないで治せるのが一番良いと思っていますが、何かしようとして治そうというカウンセラーが増えています。例えば夫婦を無理やり面と向かわせ話させる、子供をタクシーに乗せて学校にやる、といった方法をとり始めます。彼らは保険会社に嘘ばかりつくので耐えられなくなってきた、現状と違うことばかり報告しているので疲れる、という話を聞きます。日本でも保険適用になればこのような問題がでてくるでしょう。お金を払う人は一番強い立場になりますので、この場合、保険会社が一番強くなってしまいます。欧米でよく見られる問題です。困ったときに保険で払えるというのはもちろん良い制度には間違いありません。日本でも「心の保険」を考えている会社がでてきましたが、実態を知っている私はどちらにしたらいいのか困っています。一番のポイントは心の問題が起こっているのは当たり前と捉え、もう少しシステムとして考えなければならないことだと思います。

質疑応答

質問者A:

人事を担当しているときに、心の病の職員がいて、一人は自殺してしまいました。もう一人は立ち直りました。どうやってカウンセラーの所に行ってもらうかとても悩みました。何かアドバイスはありますでしょうか。

河合:

抑うつはかなりの率で、薬で治ります。まずは医者を紹介すべきでしょう。私「2週間薬を飲んで治らなければまた帰って来なさい」といっています。先ほど話した重役は薬を飲んでもどうしても効かない人でした。このような人は「心の一仕事」が必要になります。精神科では電気ショックなどをされると怖れている人がいますが、そんなことはしません。そのかわり治るまでの2週間、自殺しないようにいいきかせます。薬の投与を繰り返しても治らない場合は心の問題を解決します。精神分裂症の原因はよく分かっていません。今は症状を抑える薬があるので平静にできますが、治す薬はまだよく分かっていません。治療の結果、治る人もいれば治らない人もいるので、とてもわかりにくい病気なのです。21世紀中でも解決しないのではないかと思っています。家族もとても困る病気です。話のついでですが、長野県の伊那という所にある精神病院の先生が友達なので見に行ってきました。自殺できないためのあらゆる工夫が施してある設計で、ふんだんに木が使ってあり、とても病院のように思えない場所でした。

質問者B:

個人単位であることを前提としている欧米流のカウンセリングをやっていらして日本で矛盾を感じることはありますか?

河合:

心理療法、カウンセリングは個人主義の国からきた「個対個」のものです。スイス、アメリカで学んできたことがこのまま日本で通用するか私も悩みました。彼らはアメリカ・インディアンのナバホ族に会いに行ったことがあります。アルコール中毒患者がとても多いことに驚きました。適当にお金があって仕事がない状況で、米政府の責任もあると感じました。米国方式でカウンセラーを送ってもあまり治らなかったそうです。そこでナバホのシャーマンの方法で治すという試みが行われたそうですが、治癒率は高かったそうです。血縁を元にしたクランの関係を使い、一体感でサポートして行う方式でした。実際に参加してきましが、これは治ると思いました。ところがこれを日本で試しても誰も信じないでしょうし、そんな関係は個人主義化している日本では成立しないでしょう。とはいえ、日本の個人主義は欧米の個人主義とは異なっています。人間関係には2種類あります。契約に基づく「個対個」の関係と、日本人に見られる「俺とお前の中じゃないか」、という「場」の関係です。私達日本のカウンセラーは場に頼っており、言語以前の関係を成立させることを大切にしています。米国ではとても難しいことをやっているセラピストだと言語以前のことがわかるようです。話し合いと、「言語以前の何か」、の両輪で進めています。日本人で子供の頃から個を持っていることで、周囲に適応できないというケースがあります。米国で思春期を過ごした人などのケースが挙げられます。例えばニューヨーク帰りの転校生に向かって校長は「期待しているからがんばりなさい」といいました。この転校生はやる気になって授業中に頻繁に手を挙げて発言しようとしました。そのうち担任も他の生徒もその転校生をすごく疎ましく思うようになりました。しかし本人はもっとがんばろうとし、やればやれるほどおかしいことになってしまいました。結果、「米国帰りだと思って威張るな」と、まわりの生徒から殴られることになり、転校生の家族はかんかんに怒ってしまいました。しかし学校側の認識は「変な家庭だな」ということになってしまいます。このようにインテリ家庭で西洋式の「個の確立」を重んじる教育を受けた人は日本の学校で苦労するケースがよく見られます。「忍法自我隠し」ができないと日本ではなかなか適応できません(笑)。そんなことは西洋では全く問題にならない点で、日本のカウンセラーが西洋のカウンセラーよりも苦労している点です。個人としての確立が出来ていいな、と思うような子供は学校でいじめられてしまうのです。こういった場合、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんと話をする中で治る子などが居ます。

質問者C:

社会がIT化されたことによって人と人とのコミュニケーションはどのように変化したのでしょうか。

河合:

ITはコミュニケーションを広めたように見えて実はすごく限定されています。ITの関係とFace to Faceの関係はずいぶん違います。Face to Faceの場合は人間は意識している以上にさまざまなシグナルを送っています。例えば人と話をし、相手のことをとても信頼できる良い印象の人だと思って帰ったとします。ところがその人がすごく変な人だったという夢を見るとします。それはどこかだまされているなと直感で感じていることの現われです。Face to Faceでは言語化、測定化できない部分が伝わります。逆にFace to Face でなく、ITを通じた相談でうまくいったケースもあります。知り合いで北海道在住の人とテレビを通してカウンセリングをしている人がいますが、必ず一回は直接本人に会ってその後、テレビ相談するといっていました。一度は会わないとうまくいかないということです。この分野についてはさらなる研究が必要だと思います。余談ですが知り合いで自分の部下がどのようなメールを書いているか興味を持ち、いけないことですがある日調べてみた人がいます。彼は私用メールの多さに絶句し、社内でのメール使用を廃止してしまいました。また、直接本人にいわないのでメール上の言葉はエスカレートするきらいがあります。表現がどんどん過激になり、そのようなメールを書いているうちその人の人生観が変わっていくことも考えられます。

質問者D:

3カ月前に子供が産まれました。子育てのヒントを教えて下さい。

河合:

昔と違って子育てが大変難しくなりました。外で役職を持って働くのと同じくらいに子育ては大変です。ある中小企業社長の話ですが、彼は200人の社員はあごで使えても自分の息子に「タバコを買ってきて」などとはとてもいえない、というのです。子供とできるだけ多く接することが大切です。子供はいくらがんばって接していても泣くときは泣き、思い通りにならないことがありますが、それが面白いのです。中にはお金をだしさえすればうまくいくと思っている人もいるようです。『心の子育て』という本の中にもこのようなことを書きました。

質問者E:

先ほど子供の引きこもりはしばらく見守るように、とのことでしたが最近大人の引きこもりが増えています。中高年の自殺も増えているとのことですが、大人の引きこもりはこのままでいいのでしょうか。また、帰国子女など、個人の確立している人が日本で生きていくのはかなりしんどいと思います。小澤征爾さんなども外国で活動されていますが、人材の空洞化につながっていると思いますが。

河合:

日本では個の確立といっても難しい問題があります。例えばある小学校には「個性の尊重」と書いた額が飾ってあり、「この学校では教員一丸となって個の確立に取り組んでいます」などと校長がいっていました(笑)。このような国ですから、おっしゃったように能力のある人は外国に行ってしまいます。青木先生のようにたまに帰ってきてくださる方もいますが(笑)。特に女性の場合は難しいと思います。ただせっかく日本人なのですから、西洋人と同じ「個」ではつまらないと思います。日本人だからこそ、という部分を失わない個の確立、キリスト教によらない個の確立が大事だと思います。教師でも個の確立を理解している人とそうでない人ではまったく違います。また引きこもりというのは大体抑うつ症です。ある程度の人数は仕方ないと思います。引きこもり期間を短くするよい方法はなかなかありません。抑うつの人はがんばらせると自殺してしまうこともあります。ついでにいえば産業カウンセラーの需要もこれから増えると思います。昔はおばさんのカウンセラーが「転職しないでがんばりなさい」などと主に高卒者の労働者にアドバイスしているのが一般でしたが、現在は能力のある大卒者の人のカウンセリングもできる人が求められています。

質問者F:

カウンセリングを受けながら職場にでて来ている人がいますが、周りの人間は黙って見ているのがいいのか、組織で対応するのがいいのか、対応方法を教えて下さい。

河合:

本当は顧問弁護士などのように顧問カウンセラーがいるのが理想的だと思います。個々によってさまざまですが、カウンセラーの立場からいえば、職場の人と協力できるとやり易いです。ただ常識と違う場合もあるので難しいです。ほっとかれるのも困るし、関心は持っているが圧力はかけないという態度が良いと思います。もし自分の職場にそのような人がいるのなら、プライバシーにかかわることは聞かず、どのように接したらいいのかカウンセラーに聞いてみるのが理想的だと思います。

質問者G:

日本の大学院に行った事がないので教えていただきたいのですが、日本の大学教員は心の問題をかかえている学生の対処も任されていると聞きました。予算の都合で専門のカウンセラーを雇えないなどの事情もあるようです。大学側の処置はこれでいいのでしょうか。

河合:

いったん抱えたら全部責任を負うというのが日本の特徴です。米国ではそんなことはありません。例えばストーカーはやめられないからストーカー行為をしているのですから、素人ではなかなか対処できません。日本でお勤めになるのでしたら「丸抱えの体制」という風土を知っていなければなりません。また、大学側に何か提案をする場合ですが、人間関係を築いてから意見をいうのが日本でのやり方です。正論であっても、初めからずけずけいっては絶対に理解してもらえません。日本の大学でも学生相談が盛んになってきました。昔は熱心な教授が自主的にやっていましたが、急激に専門家が必要とされてきています。熱心な先生ほどカウンセリングに大失敗してしまったケースもあります。

質問者H:

組織が大幅に変革し、価値基準が変わると、社会的混乱(anomy) が起こってきます。心的流動性が社会的流動性につながる際にどのような要素があるのでしょうか。

河合:

人間はゆっくりとしか変われません。谷間に遭遇した人は苦労します。全体の流れとしては、組織の中で動きがとれない人には個々人で助けるしかありません。制度的に変える場合は知らせてあげるべきでしょう。日本人は「今そういう時代ではない」というのが意外と好きで、そう言われるとハッとなることがあります。学生と団交していたときの殺し文句で、「今はそういう時代ではないのだ」、と学生に言うと急におとなしく従順になっていました。日本人は変わっていかなければならない、という意識が強いようです。組織に残るために熟練工が専門を変えてでも組織に残る、というのを聞いたことがあります。個が確立しているの西洋人にはでこのような変化は理解し難いでしょう。

質問者I:

個の確立と言語化されない日本的な良さは相反すると思います。これについてはどうお考えでしょうか。また先生のご家族は皆個性的でそれぞれご活躍されていらっしゃるのですが、子供の頃のお話をお聞かせいただけないでしょうか。

河合:

矛盾を抱えていかに生きていくかが21世紀の課題です。資本主義も社会主義要素を取り入れてうまくいっている場合があります。矛盾するものを上手に抱え込むことが大切です。矛盾がないのは無機質で、矛盾があるからこそ面白いのです。今後は日本人が言語化しないことをできるだけ言語化したいと思っています。日本人は言語化しない程格好いいと思っている人が多いようです。そこには単純な論理、システムでなく「心のあや」があります。私は日本人の抱える矛盾、その面白さを説明するために外国に講演しに行きます。英語で説明できて初めて本物だと思いますので、今後も言語化の努力を続けたいと思います。
私の両親の偉かった点は、兄弟一人一人違うということを前提としていた点です。勉強ができる方が偉いとはいいませんでした。兄弟同士でお互い何が得意か比較研究していました。これが後に心理学をやる動機になりました。日本の家庭にしては家族で話し合い、言語化することが多かったように思います。そのため、よっぽどうまく話さないと家族に聞いてもらえなかったです(笑)。

質問者J:

日本の社会の競争力はこれから下がると思いますがどう思われますか。

河合:

これまでの追いつけ、追い越せのパターンは変わらざるを得ないでしょう。日本人はそれをよほど意識しないとダメだと思います。欧米を手本にせよとはいっていません。本当に勝ちたいと思っているなら日本的なものをはっきり意識することが必要でしょう。日本はどん底まで落ちると強いので、一度落ちるところまで落ちたほうがうまくいくのかもしれません。

青木:

10年間日本を離れて帰ってきましたが、日本の生活の何がそんなに悪いのかと思うことがあります。「失われた10年」といわれていますが、日本の企業の中では史上最高の利益を記録しているところもあります。外国人の中には日本はとてもひどいと聞いて来日してみると、一体、どこが悪いのかわからない、という印象を持つ人も居ます。物語が変わっているにもかかわらずずっとノスタルジアを抱えている人がいるのでしょう。「昔は良かった」という人の発言力がoverrepresentationされていると思います。政府の審議会にも若い人の意見を組み込んでいかないとITの変革の話なんかできるのだろうか、と思います。

河合:

良い時代を引きずりすぎていると思います。昔はよかったという人がたくさん居ますが、前進して行かなければならないのです。「昔はよかった物語」が強すぎてこれからどうするかがあまり語られていないように思います。教育でもなんでもそうですが、これからの物語を作ることが大切です。昔の父親は強かった、という人がいますが、本当に強かったら戦争を止めることができたと思います。我慢強い、黙っているということはできたのでしょうが、判断を下すことはしていなかったと思います。それを「昔の父親は強かった」というのでおかしいことになっていると思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。