日本シンクロ活躍の道程

開催日 2001年6月26日
スピーカー 金子 正子 (日本水泳連盟)

議事録

30周年を機に社名も形態も変更

ロシア行きの飛行機の中で田中さん(編集部注:経済産業研究所副所長 田中伸男)と隣り合わせの座席で座っておりました。外国人の方とばかり思っておりまして、お声をおかけしたことがきっかけでいろいろお話させていただきました。そのご縁で本日はこちらに伺いました。

日本にシンクロナイズドスイミング(以下シンクロ)が入ってきたのは、昭和29 年のことです。私は第二世代の選手で、当時はまだはしりの時代でした。そしてその後、30 数年間、指導してきましたが、まだ当時はマイナーなスポーツでした。シンクロを普及させたいとの思いで指導を始めました。子供を教えていて、彼らが目を輝かせる姿を見て、とてもやる気を感じました。そして、子供達の夢を大きく育てたいという気持ちが芽生えてきました。97 年以降、委員長をしておりますが、その前までモントリオール、ロサンジェルス、ソウル、アトランタのオリンピックは監督やヘッドコーチとして最前線で戦ってきました。

これまでの強化委員会方式では日本がオリンピックメダルの数を増やすことはできないと思います。オリンピックの情報戦略強化リーダー5 人の一員としてスポーツ振興に携わっています。一つの競技だけで強化を目指しても駄目で、競技間連携を模索しております。

シンクロは採点種目です。強さと戦略だけではなく、様々な要因が絡んできます。生活様式も異なる外国で勝負し、高得点を得るためには心・技・体すべて揃わないと駄目です。指導者として難しいと感じるのは、子供を長年、一つのことに我慢させなければならないことです。一流になるまでに12~15 年かかります。子供たちはその間には進学、家庭、友達のことなど、様々な問題に直面します。やる気を起こさせて継続力を発揮させるのがポイントですが、「報われる努力」であることを早く分からせることが必要です。つまり、子供達に努力の価値を分からせることが大切です。このためには、目標を持たせる必要があります。大目標、中目標、目先の目標の3 段階を立てます。つまり3 年後の目標が決めると日々の目標まではっきりしますので、その都度、達成度を把握することができます。

小谷実可子は私が育てた選手の一人です。彼女は小2 のときにコマネチ選手がオリンピックで満点を取るのをテレビで見て、シンクロを始めました。彼女は体操と水泳の両方の競技をやっていたのですが、水泳の方が痛くないだろうと思って選んだらしいです。

目標は立てるだけでは意味がありません。またコーチと選手の間の信頼関係がないと練習は辛いだけです。立てた目標は必ずクリアさせること、逆にコーチとしてはクリアできる目標を設定することが腕の見せ所です。「やった」という選手の気持ちを如何に引き出していくか、報われる価値観をわからせることが大切です。あとは自然に強くなっていくものです。ある時、小谷は、「ゆとりがあり過ぎて心配」と言ってきたが、逆に自信を持ちなさい、と教えました。選手にとって苦しいときは進歩している証があるからです。やはり、コーチと選手の間の絆もとても大切だと思います。

また、女性のコーチの場合、一言多くなってしまったり、ヒステリーになることも多いようです。しかし、「叱る」のと「怒る」のは違います。ヒステリーをおこしては負けです。指導スタイルを確立し、信念を前面に出すことが大切です。一体このコーチは何をしようとしているのかわからないというのは最悪のパターンです。

また、選手には危機感が必要です。近頃の子供は大切にされ過ぎているので、ハングリー精神を持たせるのは難しいです。何か苦しいことに巻き込まれたときに打破していく力があまり見られません。なんとなく頑張るのと、危機感を持って頑張るのとはまったく異なります。「心」の面では、「ありがたい」という気持ちを理解することが大切です。周囲のサポートや物質のありがたさ、水のありがたさを理解することが大切です。心を鍛えるには、自分の意志をはっきり伝えられるようになることが大切です。このためには、場面を与える必要があります。

練習施設がないので、朝5時から公営プールを借りて練習をしています。選手自らがプール掃除をしてから練習を始めます。ソウル・オリンピックの直前も同じように掃除をさせていましたが、「選手に掃除をさせるのはかわいそうだ」、と朝日新聞の記事に掲載されました。選手達は練習場に張り出されたこの記事を見て、「先生、この記事はとてもありがたいけど、スポーツのありがたさを理解していないね」、と選手達が言いました。選手が感謝の気持ちを持つようになってきたことをとても嬉しく思いました。掃除は後輩にさせずに、自分達でやらせていますが、これは身体を温める効果もあります。また、掃除中にライバルの動きを見て、気持ちを高める効果もあります。オリンピックのほかの競技の方から、「シンクロの子は元気がいい」と言われましたが、これは普段の行動から出ているもので、こういう良い側面もあるのかと思い、嬉しく思いました。またこれはすべてパフォーマンスのためにもなるのです。

専用の練習場が無かった時代に、大阪のライバル・チームが専用練習場を持ったというニュースが伝わってきました。それを聞いて、選手は非常に動揺して、「もう勝てない」と言っておりました。指導者は絶対おたおたしてはいけませんので、こう言いました。「向こうは毎日いつでも練習できるけど、みんな毎日いつでも練習できると思ったら、気が緩むでしょう。私たちは2時間しか練習できないけど、その練習に集中しているでしょう。どっちが強いと思う?」そうしたらみんな、「頑張ろう!」という機運が生まれました。子供をおだててやる気を出させていました。25メートルプールしかないので、壁についたら、すぐプールサイドに飛び上がるようにさせました。このお陰で、腕の力がとても強くなりました。物が無ければ無いなりに工夫して何とかしていた、恵まれない時代の方が活き活きしていました。

練習に怪我はつき物です。疲労骨折、中耳炎、脱臼、腰痛などは日常茶飯事です。トラブルはコーチにとっても試練ですが、怪我の度にこの試練のお陰で選手が倍強くなると、執念のように思うようにしていました。井村雅代コーチと過去25年間組んできましたが、彼女も同じ考えをもっています。アクシデントを乗り越える執着心と執念が人一倍です。私には特別な才能はありません。でも、勝機を探そうという執着心は強いと思います。どんなチームにも必ず勝機がありますが、これを物にできるか逃すのかは大きな差になります。

指導者にはポーカーフェースも必要で、悠然としていることが大切です。そして絶対勝てると執念を燃やすことが大切です。小谷はソウル・オリンピック後、マスコミに追われていました。彼女はとても気の弱い選手なのでマスコミに追われていることを心配しましたが、ある時彼女は吹っ切れたように言いました。「このコーチは私を絶対勝たせるのだ、と思うと他の高い場所から別の自分が自分とコーチの姿を見ていて、そう思うと可笑しくなった」と言っていました。また、当時大学4年生だったのでシンクロを辞めるのかと思っていたら、「初めてスポーツの面白さが分かった」と言っていました。小出監督と高橋尚子選手も同じだったと思います。この監督は絶対私にメダルを取らせる、と選手に思わせ、選手を乗せていくタイプです。「金子先生、私は高橋尚子の世界一のファンなのですよ」、と恥ずかしげも無くおっしゃっていました。お二人の絆の強さを実感しました。

小谷はとても神経質で、あるとき私に、「先生は私達選手3人の中で誰が一番かわいい?」と聞いてきました。みんな同じだと答えると、「コーチの呼び方が3人でそれぞれ違う」といって気にしていました。他の選手との接し方の違いに疑心暗鬼になっていたようですが、これは私自身もとても勉強になりました。また小谷はこんなことも言いました。「9月20日は忘れません。コーチと一緒にオリンピックに行っていることがわかって、一人じゃないという気になったからです。」実は、ソウル出発直前に人からあれこれ言われ、フォームが崩れてしまったことがありました。それを直そうと、私はスーツ姿で水に入り、教えました。先生のバタバタする姿がおかしいといって彼女は笑いました。誠心誠意やっていると気持ちが伝わり、人を動かせるということを思い知らされました。私はスパルタにはなりきれませんが、怒ったら怖いと選手に言われました。怒りながら涙がでてきたことがあり、涙腺の弱いのを恨みに思っていましたが、真剣な気持ちはちゃんと選手に伝わっていたことがわかりました。

シンクロが強くなった理由をお話します。昭和29年にアメリカのシンクロチャンピオンチームが慰問にきまして、シンクロが日本に伝わりました。32年から水泳連盟の種目に加わりましたが、当時はアメリカのハンドブックを見るか、アメリカチームのまねをする以外すべがありませんでした。それこそ日本のチームと比較すると大人と子供ほどのレベルの違いがありました。アメリカチームの選手の身体が立派なのと比べて日本人のチームの選手はガリガリに痩せていました。どうすれば欧米の選手に追いつけるのだろうかと思い、東大の医科学の先生にお願いして選手がどの程度のスポーツに耐え得るのか調査していただきました。

その結果、アメリカやカナダの選手と比較して日本の選手は極端に脂肪が少ないことがわかりました。良い脂肪をつけてそれを筋力として活かす必要があります。また、シンクロに必要な身体組成の調査をしていただきました結果、様々なことがわかりました。シンクロを1セット泳ぐと、1500メートル競泳をするのと同じくらいの負担がかかります。しかし心臓がバクバクして飛び出そうかというと、そうではありません。水中では心拍数が低下し、40くらいまで下がり、心停止状態に近くなります。そして急激に上昇すると160~180まで心拍数があがり、心肺機能への負担がとても大きく、様々なトレーニングが必要であることがわかりました。毎日7時間以上も泳いでいますと怪我が完治することがありません。84年頃から凄まじいほどのトレーニングを開始しました。水圧をはねのけるにはこれしかない、と思いました。また、専属の栄養士をつけ、必要に応じた栄養摂取を心がけました。このような努力の甲斐があって、パワフルなシンクロの選手が増えてきました。

シンクロがオリンピック種目になってから、高く、早く、スピードが要求されるようになりました。それ以前は芸術性が重視されていました。小谷はとても芸術性の高い選手でした。ソウル・オリンピックでの出し物を決めるとき、日本的なものにするようにいろんな人に言われました。私は強化部長でしたが、アジアの中で日本的なものを見せても欧米人には区別がつかない、欧米に通用するもので勝負したいと思っていました。真っ向から反対され、狂っているとまで言われました。他のアジアと違うものを是非やりたちと思い、「マダムバタフライ」にいたしました。それまで曲目に歌声が使われたことはありませんでした。天井から降り注ぐような音楽を流そうと思い、イタリア人の歌手の歌を使いました。ここでも日本人歌手を使えという意見もあり、またマリア・カラスなども検討しましたが、結局あまり有名ではありませんが声の高いイタリア人歌手を採用しました。

プレ・オリンピックでマダムバタフライを使おうとしましたら周囲は「手の内を敵に見せるのは馬鹿だ」と言われました。当時日本は4位で、フランスに負けていました。私はオリンピックに向けてフランスを越える勢いを見せるべきだと思っておりました。オリンピックの前に3位になって本番を迎えたいと考えていました。水色の水着はタブーでしたが、水色の水着に森英恵さんにデザインしていただいた金色の蝶をあしらった水着を使いました。水中で蝶だけが浮き上がり、「蝶」の印象を強く残すことができました。私と同年代が多かった審判員も大変喜び、イタリア人もとても喜んでくれました。

シンクロはオリンピック最終日でしたから、シンクロの選手は第3次便で一番最後にソウル入りすることになっていました。私はこれに断固反対し、第一便に小谷をのせ、最初からソウルに行かせ、心の準備をさせようと思いました。ソウルは朝晩寒く、昼は暑くなります。風邪を引いてもドーピングになってしまうので薬は飲めません。実際に、小谷は風を引いてしまいました。そこで、日本選手には3日づつバケーションをとらせ、皆元気になって登場しました。その後、フランスなどの選手がソウル入りし、やはり風邪を引きだしました。小谷達は3週間もソウルに住んでいたのですっかり生活にも慣れ、良い状態で当日を迎えることができました。

バルセロナ・オリンピックで小谷を起用しなかったことでマスコミに騒がれました。ソウルでは「芸術の日本」で戦いましたが、4年後はパワー、早さ、スピードの時代だと思い、奥野史子を起用しようと思っていました。奥野はジャンプ力、運動力、足の早さを備えたパワフルな選手でした。音楽はViva Barcelona にし、バラの水着を選びました。カタルニア人の好みも調べました。アメリカに0.01差で2位につけていましたが、カナダは数年前に引退していた双子姉妹、ビラゴス選手を起用し、2位に浮上しました。ジャッジの採点がおかしいとサマランチ会長に抗議するよう促され、日本は抗議しました。結局日本は規定ルーチンとフリー、ともに3位になりました。その後、不透明性が問題になり、すべての競技を観客の前で演技することになりました。

次のアトランタ・オリンピックですが、当時現地では忍者が流行っていました。アメリカ人が作曲した音楽に効果音をいれて編曲したものを使い、祭りをテーマにしました。衣装もベルサーチ風の派手な忍者にしました。「忍」の字を大きくあしらったデザインの水着です。アメリカ、カナダ、日本、ロシアが4強でしたが、当時ロシアがとても強いと周囲の方に言われました。選手もプロなのでロシアの演技を見て心配し始めました。そこで指導者が怯んではいけないと思い、選手を帰して井村コーチと二人でロシアのパフォーマンスを穴のあくほど見ました。見ていて、勝てると思いました。ロシアチームの足はバレエ風で細く、弱々しい。日本チームの太い足もきちっと上げると力強さがでます。スピードと倒立の高さ、スピンをするスポーツ能力の高さを出せれば絶対勝てると思いました。選手には、「ロシアの次に演技したらみんなの力強さで圧倒して勝てるわ」と励ました。問題はロシアの前に順番が回ってきたら前提が狂ってしまうということでした。運も味方して、結局くじ引きで8チーム中8番目となり、ロシアに勝つことができました。

シドニー・オリンピック前は大変で、5位になってもおかしくない状況でした。分析の結果、アメリカではなく、ロシアが先端ということがわかりました。仮にロシアを真似しようとしても、バレエや柔軟性ではロシアには勝てません。そこで出した結果が、「シンプル・イズ・ベスト」で、日本はバレエではない、スポーツ・シンクロの方向で行くということでした。

同時に政治的に強くなる必要性も感じました。バルセロナで2位になり損ねたことの教訓です。そこで、世界からシンクロの盛んな国を10カ国ほど招待する競技会を開催しました。審判の力も高める必要がありましたが、これにはなんといっても世界のトップレベルを見せる必要があります。また水泳連盟の人にも我々がやろうとしていることを見せなければいけないと思いました。何十社という協賛会社から2000万円程度を集めましたが、資金集めは大変でした。デュエットのトップ選手2人、トップコーチ、A級ジャッジの4名を各国から招待しました。また、この機会に「世界のシンクロをつよくするには」というテーマでセミナーを開催しました。通訳をつけて、日本発の改善案を何10項目も提出しました。外国だとどうしても言葉の壁があって言いたいことが言えないので、ホストすることでこれを解消しました。ここで「シンクロはスポーツである」と言い続けた甲斐もあり、「スポーツ・シンクロ」ということが当たり前のようになってきました。お陰様でシドニー・オリンピックを2位で飾ることができました。

スポーツ能力に危機感を持ち、スケートの清水宏保選手のコーチであった筑波大学の白木先生にお願いしました。水泳の常識のないトレーナーに教えて欲しいと思いました。白木先生は巨人の工藤投手のトレーニングもされている先生で、シンクロを見ていただいたら、「これだけ肩を動かすなら、工藤並みのトレーニングが必要だ」と言われました。身体の中心軸が定まらないことがそれまで悩みでした。様々な動きをする以外に内性筋が育つ方法はありません。スカッシュなどもとりいれました。3年間白木先生についていただきましたが、腹筋も200回程度では意味がなく、2000回の腹筋をとりいれました。さらに、側筋も1000~1500回しました。陸上トレーニング、水中トレーニングを半々でやりました。さらに空手も半年させました。この結果、日本は世界一磨きのかかった身体のチームになりました。これこそまさにスポーツ・シンクロです。

アテネは3年後ですが、強化期間は2年しかありません。来月7月にアジア世界選手権が福岡で行われますが、各国ともこのタイミングでチームを刷新します。日本も昨年10月に選考し、国内で強化しています。また、心を鍛えるために外国にも行かせて強化を図っています。世界がどのように見ているのか、日本でアジア選手権というのは地の利もありますが、危機感を持ち続けることが次に強くなることだと思い、そのような作戦、戦略を練ってやっています。

スポーツ団体は縦割りが多く、目先のことしか見えなくなっています。無駄が多く、先輩を見習っても新しいことをやろうとすると反発に会います。自分の競技団体だけでは目先、足元しか見えなくなるので、球技が技術委員会をつくりました。格闘技、芸術系なども委員会を作り、競技を超えて情報を共有、またサポートし合っています。これまでの日本ではなかった日本科学スポーツセンターも発足しました。

質疑応答

質問者A:

バレーボールが弱くなったのはどうしてでしょうか?

金子:

バレーボールは技術をすべて輸出しました。輸出するのはいいが、自ら進歩的なものを持たず、新しい戦略がない状態です。コーチも大勢外国に出て行ってしまいました。競技団体で横の連携が必要だと思います。ある指導者によってチームが強化されても一代で終わってしまいます。松平コーチまでは戦略があったと思います。幼児スポーツを見にロシアに行きました。テニスは5歳、シンクロは4歳など、とても早期に始めます。子供達は専門の先生について楽しそうにやっていました。最近の日本の子供達は基礎体力がありません。昔は外でケンケン、石蹴り、大縄跳び、鬼ごっこをして自然に鍛えられていましたが、今は基礎体力なしに専門スポーツを始めている状態です。

質問者B:

お話はスタートアップ・ベンチャーの育成にも通じると思いますが、メンタリングやコーチングの手法はどのようにして学ばれたのですか?共通する手法があればお教えください。

金子:

やはり選手から学ぶことがとても多いです。方法論では専門スタッフを導入していくことが大事だと思います。日本のスポーツはとかく根性論、経験でやろうとしがちですが、それでは駄目です。独りよがりではなく、専門家の指導の下で理論にのっとった方法でトレーニングすべきです。

質問者C:

金子さんのお話に非常に関心いたしました。シンクロだけでなく、スポーツ界全体、日本全体の改革に力を注いでいただきたいと思いました。特に、これまであったものを捨てて、新しいものを取り入れるスタンスに感銘を受けました。

金子:

記者の方にいつも女だてらに強気だと言われますが、やはりスポーツの楽しさは勝つことにあると思います。それに、計算し尽くせば、計算どおりの結果を望むことは可能だと思っております。最近はスポーツを楽しむことの重要性が強調される向きもありますが、そのスポーツの先頭グループが勝ってこそ、競技全体のレベルを向上できると思います。競技間連携をやろうとしていますが、競技間同士がもっと寛容になり、目標を共有しなければならないと思います。大学の先生など、様々な方に支えていただいています。日本全体の改革まではとうてい力は及びませんが、自分なりにあちこちで講演などを行っています。

質問者D:

スポーツのフェア性についてお伺いします。ジャンプ・スキーの板の長さ、背泳のバサロ泳法など、日本人が勝利するとすぐにルール改正になっているように思いますが、シンクロでもスタンダードでもめるような種はありますか?こういう点にはどのような対応をされていらっしゃいますか?

金子:

まずシンクロはジャッジと不可分にあるスポーツなのは大前提です。しかしジャッジにも公平な仕組みがあります。まずジャッジになるためには勉強量も多く、大変です。点数規定もとても細かく決められています。0.1点にもそれなりの意味があります。A, B, C,ジェネラルと4段階あり、Aランクのジャッジのみが国際試合のジャッジを行うことができます。採点の記録は常にコンピュータに入力され、バイアスがデータとして残ります。極端に不公平なことをすると2年間降格されたりします。他方でジャッジを味方にするのも宿命なジャッジスポーツであることも確かです。日本人は語学力や政治力の弱さから、なかなか交際会議で先頭に立つことができません。このことは、日本人がルール改正で発言力が小さかったことにもつながっていました。世界のトップ・マネジメントができないと、陰でルールを決められてしまうこともあります。このために、国際的にマネジメントのできる人間の育成を目指しています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。