地方行政改革:現場からの提案

開催日 2001年5月10日
スピーカー 村尾 信尚 (RIETIコンサルティングフェロー/財務省理財局計画官)/ 松尾 隆之 (経済産業省通商政策局欧州中東アフリカ課長)

議事録

村尾氏:

平成7年7月、大蔵省より出向し、総務部長として三重県に赴任しました。20数年以上に及ぶ前職の高野知事にとってかわり、3ヶ月前に北川正恭知事が就任したばかりでした。それまでの県政は供給者、生産者の論理で動いており、戦後の右肩上がりの成長期はうまく機能していましたが、今後は消費者、利用者の論理へと転換が必要だと北川知事は述べていました。知事は部長から係長クラスの職員を集め、とにかく持論を説き続けており、「県政が変わるのでは」という期待をおぼろげながら感じました。

カラ出張が問題化し、平成8年2月に全国市民オンブズマンが三重県に出張名簿開示を求めました。その際、阪神淡路大震災の日に大阪から福岡まで出張した記録が出てきましたが、それに対して県庁側がつじつまの合わない言い訳をし、テレビでとりあげられました。県庁側は財政査定が厳しいので備品購入費用にあてていた、とか官官接待に使ったと言い訳をしていました。わずか2年半の間で11億6千万円の不正出費があり、利息を含めると14億円にも上りました。県庁側も非を認め、700人の管理職員が10年間で返済することになりました。このような事態の中でも北川知事は「ピンチはチャンスである」と前向きな姿勢を打ち出し、職員の意識改革を行う決意を固めました。

その当時、ニュージーランドでは1984年に始まった規制緩和により約6000人だった運輸省の職員を50人にまで削減していました。これに興味を抱いた北川知事の要望で、私は7-8人の県庁職員とともに視察旅行に行きました。百聞は一見に如かずと言いますが、ニュージーランドにおける行政改革の凄まじさ、徹底した情報公開、そして徹底したアウトソーシングを目の当たりにしてそれまでの意識が一変しました。そこで平成9年4月より1年間かけて住民満足度の向上を目指し、「三重県の大改革」を実施することになりました。まさに県庁の行革三昧が始まりました。

改革の3つのキーワードとして以下を徹底することに決めました。
1)分権・自立:住民のニーズに合ったきめ細かなサービスを提供するため、可能な限り住民に近いところでそれぞれ責任を持って、サービスを提供する。
2)公開・参画:税金の使途(県民へのサービスの内容等)を明らかにするとともに、サービス内容に住民の考え等を反映させる。
3)簡素・効率:最小の費用で最大の効果をあげる。行政のスリム化、選択と競争、財政構造改革

市場原理追求を徹底し、県議会、労働組合、市町村、マスコミ、国などに対しNew Public management、(株)三重県になろうという基本論の徹底した周知を心がけました。2000年9月、12月、2001年3月の議会でそれぞれ総論、総論具体案、最終案を提示することができました。

また、イギリス、カナダにも行政視察にでかけ、こちらからも大いに影響を受けました。1991年、メージャー首相が市民憲章(Citizen's Charter)を発表し、具体的な公共サービスの基準を提示しました。例えば病院の手続きで5分以上待たせない、郵便局の速達配達の92%を翌日に配達するなどです。三重県でもこれに見習おうとしましたが、当初、県民は行革といっても機構を変えるだけでないのか、という見方を示していました。情報公開を徹底し、予算の決定過程を明確化することが行政改革の第一歩だという立場に立ち、公共経済学の範疇に入らない275事業を挙げました。そして275事業一つ一つを見直し、そのうち202事業を廃止にしました。霞ヶ関でも情報公開の実施が財政再建への第一歩だと思います。

カナダでは連邦財務省と大蔵省による6項目のテストに合格した事業にしか予算が出されません。1)公共性が高いか、2)公的部門がやるべき事業であるか、NGOや民間部門で請け負える仕事なのではないか、3)公的部門のうち連邦政府、州政府、市町村のどの部門が扱うべきか、4)アウトソーシングしたほうがよいか、5)費用対効果があるのか、6)プライオリティの高さはどうか、という6項目です。これに習い、三重県も事務事業評価制度を導入することになりました。

また、発生主義会計を導入し、バランスシートの健全化に努めることにいたしました。これらすべては欧米でいわれるNew Public Managementであり、民間企業の発想に三重県流のアレンジを加えて実行することを目指しました。

何よりも重要なことは住民の意識改革だと思います。社会に対して受身でなく、何ができるかを考え、権利と義務、権限と責任を積極的に引き受ける人が増えていかなければならならないと思います。このような意識から、Why Not というNPOを立ち上げました。今後は、1)説明責任(Accountability)、2)サービスの選択の自由(Choice)、3)透明性(Transparency)を徹底化することが大切だと思います。ACTを実行する以外の道は考えられません。選挙公約を受身に聞いているだけではなく、住民自らが欲する公共サービスを要求し、オーダーメードの公共サービス実現を目指し、「供給者」に競りをさせる、逆オークションの発想が必要です。

松尾氏:

1997年から2年弱の間、商工労働部長として鹿児島県に出向していました。企業バランスシートが悪化し、Credit Crunchがおこり、いわゆるDebt Disorganization(流動性の罠)に陥っている状態でした。このような状況を打破するには、地域に新しい産業を創出し、新しい需要を作ることが大切だと思いました。従来型の生産性の低い建築土木業をリストラし、公共事業依存型から新しい成長型投資へシフトさせること、加えて自治体の政策決定過程を変革することが重要だと思いました。

そこで注目したのは、よりKnowledge-based investment にシフトすること、また地域の特性を活かせる地域資源活用型産業へ投資することでした。鹿児島県は食、畜産では日本一の県といえます。また、温泉もありますし、「癒し」の資源も豊富です。しかしながらこの豊富な資源がうまく活用されているとはいえませんでした。欧米の街づくりには文化、農業、食などの資源がうまく活用されています。

当時、連鎖倒産がおこっており、キャッシュフローを作れるように企業を変えていく必要があると思いました。これには、ネットワーク度合を考慮する必要があります。つまり、生産性の低い建築土木不動産業者などを整理しても、京セラやソニーなどの下請けをしている優秀な中小企業は守っていく必要がある。このような企業債権の見極めを誰が主導するのか、キャッシュフローの審査を誰が行い、M&Aのマッチングは誰が行うのかが重要な鍵を握ります。しかし、問題はこのような構造改革を牽引する人材が不足していることです。

これまでは従来型公共事業に完全に依存していました。国からの地方交付税が補助金化しており、評価基準が霞ヶ関を念頭においたものになってしまっていました。そこで、たしかにミニマム・インフラは必要ですが、地域の需要を創出できる民活型へ、knowledge-based investment への転換を図り、地域の自立を目指す必要があると思います。私は交付税システム、補助金制度を改め、National Minimumと地域の主体的競争促進メカニズムへのTwo-trackを進めるべきだと思います。

また、広域行政、市町村合併を促し、分権の受け皿となる行政体制の効率化を目指すべきだと思います。問題はどのようにして合併をすすめるインセンティブを作っていくかです。

地域の産業構造転換を目指すにあたっては、労働市場の構造改革も必要です。人材派遣会社のマンパワーを増やすなど、モビリティと柔軟性を高める必要があります。また、日本型ワークシェアリングを目指し、柔軟な職業訓練を実施するなど、失業・雇用のミスマッチに備えるべきです。

次に、地域におけるknowledge-based investmentを進めるためには、産学官連携と大学を中心とした地域innovation clusterの形成が大切だと思います。産学連携センターを大学内に設け、大学が中心となって各大学が競争してビジネスと結びつく必要があります。また、地域の大学・教育が変わっていく必要があります。独立行政法人化し、産学連携の競争が高まればと思いますし、スタンフォード大学のような欧米のResearch Universityに学ぶことは多いと思います。

冒頭申し上げましたが、鹿児島には様々な資源があります。地元資源活用型産業をおこすためには、食、自然、健康関連の資源を直接市場と結びつける必要があります。またそのような地域資源を活かした街づくりを心がけ、「交流人口」の増加を目指すべきです。

質疑応答

質問者A:

質問ではなく意見を述べさせていただきます。以前、東京都に出向しておりました。石原都知事は都のあり方、地方主権、役所の古い体質などをよく理解し、都民とともに改革していく必要を感じていました。石原知事は、大変好奇心の強い人で、個人的なブレーンの影響もかなり受けています。あとは、やはり、職員の意識改革が不可欠だと思いました。

質問者B:

お話を伺っておりますと、処方箋は出揃った、さてあとはどうやって機能させるのかという段階だと思いました。どのようなことが問題点だとお考えですか? また情報公開されたとのことですが、県民のリアクションはどうでしたか?

村尾:

一般市民が情報公開をリクエストする手段を与えなければならないと思いました。市場の失敗は役所のサプライサイドの問題だと思います。また、議会はほとんど自民党議員で占められていました。そして現職と新人の違いは、自民党員と共産党員よりも大きく対立していました。また、地方の人は、産業というと中小企業という認識しかありませんでした。implementation、enforcement の問題だということに同感です。

質問者C:

退職した部長レベル以上の職員の天下り先はどうなっていますか?

村尾:

人事はまったくうまく機能していませんでした。システムとして改革が続かないのは問題です。中央から、カルロス・ゴーンのように、嫌われてもいいから改革を実行する、という人を派遣しなければならないと思います。天下りも相変わらずあります。やはり、先ほど述べたACTを実行するしかないと思います。ゆきつくところは情報公開だと思います。

質問者D:

目的税化についてはどのようにお考えでしょうか?

村尾:

受益と負担を直結すべきだと思います。また、旧大蔵省、自治省の持っている権限を縮小させなければならないと思います。

質問者E:

地方の国に対する働き方はどうですか?

松尾:

地方の役所の人は中央とのパイプという目的で、霞ヶ関からの出向者に期待しているのが現状だと思います。

村尾:

知事会などを通し、知事同士がスクラムを組み、しっかりと地方自治が横につながることが大切だと思います。

質問者F:

どうやって住民の声を吸い上げればよいのでしょうか?

村尾:

やはり情報公開が第一歩です。

青木:

アカデミックな立場から付け加えます。中央政府は貨幣の流通のみに専念し、財政を完全に分権化し、金銭的な援助を行わないというコミットメントを中央が打ち出すということがFiscal federalismです。例えばEUですが、EUは地方を援助しません。地方自治体は証券市場で民間部門と競合しなければなりません。この結果、スペイン、ポルトガルなどは財政的に立ち直ってきたといえます。また1995年以後、中国でインフレが抑えられた一つの理由に、国に徴税機能がないことがあげられると思います。財政主権を握っているのは地方で、そのかわり、国は地方を援助しません。1996年に中国人民銀行法が改正され、Federal reserve制度に移行しました。地方と国が断ち切られた形になりました。これと比較して、日本は地方が国に依存する度合いが一番ひどく、モラル・ハザードの状態です。これを改善するには、やはり地方分権しかなく、国の地方債への保証をやめるべきだと思います。

質問者G:

住民が複雑過ぎる情報公開を理解できないという側面もあると思います。また目的税化でなくても、税金の使途が明確ならばいいのではないかと思います。政策評価を付け加えるなど、付加価値をつけた、住民への説明が必要だと思います。質問ですが、地方間の所得格差をどうするのか、また、過疎地に対しての対策はどうすればよいとお考えですか?

村尾:

過疎地への補助金をなくすことに関しては全く理解を得られませんでした。過疎地が当然の権利として税金をもらい続ける態度を変えなければだめだと思いました。

質問者H:

道州制についてですが、狭い日本を広く繋げ、大きな市町村にすることについてはどのようにお考えでしょうか? 東北道など、一つの大きな自治体を実現すれば解決できるのではないでしょうか?

村尾:

道州制にはあまり興味を持っていません。「一つのサービスに一つの決定」という方針が必要だと思います。公共サービス毎に誰が決定するのか明確にしなければいけないと思います。

松尾:

小さい市町村は早く統合させるべきだと思います。National Minimumの基準を明確にするべきだと思います。例えばゴミ処理などは、広域の市町村で行ったほうがよいサービスに属していると思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。