RIETI特別セミナー

U.S.-Japan Relations, Japanese-Americans, and Silicon Valley: A personal perspective (議事概要)

イベント概要

  • 日時:2015年4月3日(金)14:00-15:30(受付開始13:30)
  • 会場:RIETI国際セミナー室 (東京都千代田区霞が関1丁目3番1号 経済産業省別館11階1121)

議事概要

歴史の目撃者:日米関係の進化

今日の講演は、学術的なものではなく、日米関係、日系アメリカ人、シリコンバレーについて個人的な見解、一個人の人生の物語についてお話しします。

私は人生の中で、日米関係における最悪な時期と最良の時期を目の当たりにしてきました。私は、歴史上最も破壊的な戦争であった第二次世界大戦のさなかに生まれました。1941-1945年の大戦中、米国と日本は互いを不倶戴天の敵として全面戦争を繰り広げました。真珠湾攻撃を機に米国が参戦し、広島と長崎への原爆投下を経て戦争は終結しました。この間、両国のメディアは人種差別的なプロパガンダで溢れかえっていました。日本人は米国で「ジャップ」と呼ばれていました。米国のプロパガンダにおける人種差別は、この時期に刊行されたマンガの中に見ることができます。日本人は裏切り者で野蛮、残酷な悪の権化として描かれていました。戦争のさなかに行われた世論調査において、調査対象の米国人の13%が、日本人は絶滅して欲しいと答えていました。これは、日本人に対する当時の人種的憎悪の高さを示しています。

しかし現在、両国は最も親密な同盟国となりました。日米同盟は、アジア太平洋地域で歴史上最も建設的な同盟です。日米同盟は半世紀以上もの間続いており、この地域にかつてない平和と繁栄をもたらしてきました。中国を含むアジアのすべての国民国家がその多大な恩恵に浴してきました。日本は戦後、アジア初の先進工業国となりました。成長の波はその後、台湾と韓国、東南アジア、そして最終的には中国とインドに波及しました。この過程において世界で10億人以上の人々が貧困から脱却し、この10億人は世界経済における新たな消費者となりました。

日米の経済関係は巨大で深く、強固なものです。日米の二国間貿易は約2900億ドル、二国間の海外直接投資(FDI)は4420億ドルにのぼります。米国の対日資産運用投資額は1750億ドルにのぼる一方、日本は1兆ドル以上の米国債を保有しています。日本の対外純資産は世界最大の3兆2000億ドルで、ほとんどが米国債などの米国資産です。両国とも、法の支配に基づき自由貿易を推進する開放経済で、欧州とともに戦後の経済システムの基礎を作ってきました。一言でいうと、日米関係は世界経済の安定と成長に絶対不可欠な存在なのです。

私が生きてきた間に、日本と米国は、互いの破壊に躍起になっていた憎み合う敵同士の関係から、きわめて親密で相互依存的な同盟国へと変貌を遂げました。最新の世論調査によると、米国人の80%が日本と日本人に好意的な感情をもっています。現在、米国における一般的な日本人のイメージは信頼できる相手であり、強力な同盟国、信用できる友人と考えられています。

一世代の間に日米関係は完全に立ち直りました。日米関係の変化は間違いなく戦後の歴史の中でも最も素晴らしい章の1つであるといえます。

日系アメリカ人としての人生経験

私は、真珠湾攻撃直後の1942年に生まれました。両親は1937年にキリスト教の牧師としてサンディエゴに上陸し、米国に移民しました。両親が米国に入国できたのは、ひとえに牧師だったからです。1924年施行の「移民法(Immigration Act)」により、日本人は米国への移民を禁止されていました。私はカリフォルニア南部のサンタ・アニータ・レーストラックで生まれましたが、ここには日系人が集められ、全米各地に分散していた強制収容所に送られるまでの一時収容施設の1つでした。

12万人の日系人が戦時強制収容所に収監されましたが、そのうちの3分の2は私のように市民権を持つアメリカ人でした。これは著しい人権侵害でした。国家の転覆や裏切り行為の事例はなく、米国に対する忠誠心に欠けることはありませんでしたが、米国当局は日系人が敵国日本に忠誠を誓っているのではないかとの妄想にとらわれていました。

想像してみてください。兄や姉が体験したように、学校から帰ると家の外にライフルを構えた兵士が待っている。わずかな時間のうちにスーツケースに数枚の服を入れ、トラックに載せられる。私たちの行先はサンタ・アニータ・レーストラックでした。日系人は土地、家、車、家具、仕事道具、貯金、資産のすべてを失いました。私は生後2週間のとき家族とともに片道切符の電車に乗せられ、誰も知らない場所に送られました。長く暑い1日がかりの電車の旅を経て、アリゾナ州ポストンに着きました。電車の窓には板が打ち付けてあり、車内は華氏120度を優に超え、うだるような暑さでした。生後2週間の赤ん坊だった私は熱中症で死にかけていました。母は兵士に少し新鮮な空気を入れてほしいと頼み込み、私は一命を取り留めました。

アリゾナのポストンについて覚えているのは、隔絶され、荒涼とした砂漠だったということです。そこでは突然、周囲が見えなくなるほどの砂塵に見舞われました。冬は凍えるほど寒く、夏はうだるように暑かったのです。遠くでコヨーテが悲しげに吠えていたのを覚えています。その遠吠えを聞いて、有刺鉄線の内側にとらわれている悲惨な身の上と重ねあわせた人もいました。サソリやムカデ、ガラガラヘビがたくさんいました。

このような逆境を経験すると被害者意識と自己憐憫を感じるか、もしくは、どんな困難にも負けない強い意志を持つようになるかのどちらかです。1942年以降、日系人の生活は苦難の連続でした。私たちは強制収容のような人種差別と不公正に対処することに慣れていきました。

1988年、米国政府は強制収容という重大な不当行為について公式に謝罪しました。日系議員主導で働きかけを行った結果、「市民の自由法(Civil Liberties Act of 1988)」が上院・下院を通過し、米国政府は日系人強制収容を公式に不当行為と認め、謝罪しました。米国政府は強制収容を経験したすべての人に賠償金を支払いましたが、これは米国史のみならず、世界の歴史においても異例の出来事でした。自国の犯した重大な不当行為を認め、当事者に謝罪し、賠償を行った政府は世界を見回しても他に聞いたことがありません。私は1988年の市民自由法によって、民主国家アメリカの建国の原則に対する信頼を取り戻すことができました。米国政府は不名誉な過ちを正したのです。

親世代への恩義

私は、米国に移住し、子どもたちのために新しい生活を築いてくれた両親に深い恩義を感じています。両親が日本にとどまり、自分たちが日本で育っていたらどんな生活が待ち受けていたのか、想像もつきません。私が比較的若い頃に両親ともにこの世を去りました。両親の給料は少なかったので遺産はありませんでしたが、返済の必要な借金も残しませんでした。白紙の状態で成人としての生活を始められたことに、私はとても感謝しました。私たちは、1人のアメリカ人として何を成し得るかを考え、自分の人生を歩むよう期待されました。両親は私に、非物質的な価値や人のために行動することの大切さを教えてくれました。

私にしてくれたことに対して十分な感謝を両親に伝えることができなかったので、今になって、ロサンゼルスにある両親のお墓に参るといつも感謝の気持ちを伝え、日米関係の強化に全力を尽くすことを誓います。私が人生で最大の満足感を得ていることは、家族に米国への忠誠心と先祖の国である日本への愛着を伝えられたことです。娘は高校教師として日本経済を授業で教えており、息子は金融サービス会社を立ち上げましたが、クライアントには日本人も数名います。

著名な日系人の影響

現在、米国にいる130万人の日系人は小数派ですが、重要な地位を占めています。日系人社会は米国で最も成功しているコミュニティの1つで、あまり認識されていませんが、日米関係において歴史的な役割を果たしてきました。戦後70年間、日系人は何百万人ものアメリカ人同胞と交流し、ともに学校で学び、遊び、働いてきました。アメリカ人の中には私たちを日本人と見なしている人もいます。アメリカ人の日本と日本人に対する見方は、たぶんに日系人との日々の交流を通じて形成されてきました。日系人が尊敬を集めてきたことにより、アメリカ人の日本と日本人に対する好意的な見方を形成するうえで大いに役立ってきました。このことは、現在、国人の80%が日本と日本人を好意的に見るようになっている理由の1つでもあります。思い起こせば、太平洋戦争中、アメリカの13%が日本人はすべて地球上から消えてしまえと願っていたのです。

著名な日系人には、宇宙飛行士のエリソン・オニヅカ、スタートレック・シリーズで有名な俳優、ジョージ・タケイ、プロ野球選手のトラビス・イシカワとジェレミー・ガスリー、テレビでスーパーマンを演じたディーン・ケイン、米国テレビ界の第一線で活躍するニュースキャスターのアン・カリー、公共テレビ放送で科学コメンテーターとして活躍する物理学者のミチオ・カクなどがいます。政治や法律、教育、科学、医療、工学、エンターテインメントなどあらゆる分野に、尊敬される日系人指導者がいます。日系人が果たしてきた役割は、広範にわたり、その影響は日米関係にも変化をもたらしてきました。130万人の日系人はこれまで、米国と日本の事実上の親善大使としての役割を果たしてきましたし、今でも引き続きその役割を果たしています。

米国の教育制度:チャンスの国へのパスポート

貧しい移民の牧師の息子である私は、人生の活路を米国の教育制度の中に見出しました。米国の教育制度はオープンで実力主義で、移民や二世の子どもたちが米国社会で成功するチャンスを与えてくれます。私は幸運にもプリンストン大学に入学でき、厳しくもやりがいのある学部教育から多くのことを学びました。大学の教育を受けることで私は人生を再構築し、生き残るために必要な教育手段を身につけることができました。

兄はダートマス大学に進んだ後、ハーバード大学の医学部に進学しました。姉は両親から高校を中退し、大学に進んだ男兄弟を支えるよう期待されていましたが、高校卒業を決意していました。彼女は結婚して3人の子どもに恵まれましたが、若くして離婚しました。シングルマザーという困難な状況にもめげず、夜間学校に通い、10年かけて学士号を取得しました。最終的には、ウェルズファーゴ銀行でバイスプレジデントを務めながら、修士号と博士号を取得しました。彼女の学位取得への熱意と覚悟はまったく揺らぐことがありませんでした。

プリンストン大学では、信じられないほど幸運なことに、日本の文学評論家の江藤淳やソ連封じ込め政策の父、ジョージ・F・ケナンなど、多くの気鋭の教授陣から指導を受けることができました。ハーバード大学では、駐日米国大使のエドウィン・O・ライシャワーの下で学びました。プリンストンでのルームメートにも恵まれました。ローズ奨学生でプロバスケットボール選手、後に米国の上院議員、さらに大統領候補にもなったビル・ブラッドリーと、30年近くも米下院議員を務めたジム・リーチです。大学は新進の若手リーダーとの人脈を築くのに絶好の場所でしたが、私は落第を恐れるあまり、ひたすら勉学にいそしんでいました。ルームメートによると、私は「父さん、母さん、期待を裏切ってごめんなさい」と寝言を言っていたそうです。競争の厳しさは並大抵ではなく、私は典型的な「がり勉」でした。

プリンストン、ハーバード、ミシガン大学を卒業した後、私はスタンフォード大学の若手教員の職を得て、それ以来ずっとスタンフォードで教えています。40年以上の間、数千人の学生を指導してきましたが、その中には後にシリコンバレーで一流のイノベーション企業を創設した学生たちがいます。また、香港やシンガポール、韓国、台湾、タイ、ベトナム、インドなど、アジアのエリート層出身の学生にも教える機会を得ました。スタンフォード大学はアジア人学生のメッカであり、起業家精神とイノベーションの発祥の地でもあります。1950年以降、産業を代表する4万社の新企業を生み出してきました。ヒューレット・パッカード、グーグル、ヤフー、リンクトイン(LinkedIn)、ナイキ、テスラモーターズ、オラクル、シスコシステムズなど、世界経済に新しい領域を作り出しました。このうち1万8000社はカリフォルニアを拠点とし、300万人の従業員を雇用し、売り上げは1兆3000億ドルに上っています。どのぐらいの規模かというと、米国の国内総生産(GDP)の8%、日本のGDPの22%に相当します。

移民の息子の私は、オープンで卓越した米国の教育制度を通じて社会の階段を昇ることができたことに心から感謝しています。

移民、多様性とダイナミズム:米国の競争的優位性

米国の優位性の2番目の柱は、移民であり、教育とも関連しています。米国は移民の国で、現在、4000万人以上の移民が暮らしています。そして、この驚異的な人数にもかかわらず、米国は長期にわたって、安定とダイナミズムを維持しています。

1964年、リンドン・ジョンソン米大統領は「偉大な社会」の一環として、「移民国籍法(Immigration and Nationality Act)」を成立しました。同法によって出身国別割当制度が撤廃されたため、アジア、アフリカ、中南米からの移民が米国に大量に押し寄せました。1970年には米国の移民の60%は欧州の出身でしたが、30年後には、その割合は15%未満となりました。

私が子どものころ、米国の人口は2億人以下でしたが、今では3億1200万人に達し、飛躍的に伸びています。2050年には4億3800万人を越える見込みで、うち白人の構成比は50%を割り込み、白人以外の人口が過半数を越えると予想されています。

移民による米国経済への効果は、全体的に見て大きなプラスです。ランド研究所の調査によると、移民によって米国経済は年間100億ドル押し上げられています。シリコンバレーでは、スタートアップ企業全体の50%強が移民または二世によって設立されています。シリコンバレーは最も優秀で能力のある人々のメッカとなり、世界各地から教育や仕事を求め、また自ら会社を起そうと人が流れ込んでいます。博士号をもつ科学者の4人に1人が移民です。

移民は米国の主な競争力の1つです。移民なくして、シリコンバレーの現在の活況は想像すらできません。米国では、高等教育において世界的に優位なことと、付加価値の両端の分野(つまり低付加価値分野と高付加価値分野)に絶え間なく移民が流入していることが互いに作用し合い、熟成し、創造性と高い生産性を生み出す源泉の1つになっています。一方、日本は正反対です。外国人居住者はわずか200万人で、人口の2%以下という状況です。均質な社会として、多くの日本人はよそ者が社会の一体感と安定を損なうのではと恐れています。しかし米国では、移民は(不法移民を含め)、米国生まれのアメリカ人よりも犯罪に手を染める確率が低いのです。また移民は、不法移民でさえも税金を払っています。

シリコンバレーへの参入

今日、シリコンバレーは、コンピュータ、通信、エネルギー、輸送、医療、小売、金融サービス、エンターテインメントなど、世界経済のすべての産業を変容させています。主にシリコンバレー発の技術進歩によって生活全般が変わりつつあります。ビッグデータやクラウド・コンピューティング、幹細胞研究、バイオテクノロジー、モノのインターネット、モバイル端末、電子商取引、スマートホーム、スマートコミュニティ、スマートグリッドは、世界経済の全体像を変えつつあります。製造業や輸送など、日本がこれまで強みをもってきた分野で競争力を維持するためには、技術革新の大波に乗り遅れてはいけません。私たちは「創造的破壊」の時代に生きているのです。

この40年、私は苛立ちと失望を感じながら、日本がシリコンバレーとの関係を構築できないでいる様子を見守ってきました。日本はシリコンバレーの競争には参加していますが、コラボレーションや協力の分野ではほとんど目立っていません。今こそ日本は、シリコンバレーとの関係を広範かつ体系的に構築する時期に来ていると思います。日本がシリコンバレーに参入するうえでの大きな問題の1つは、日本の大企業の文化がシリコンバレーの小規模スタートアップ企業の文化と相容れないことです。シリコンバレーの文化とは、スピード感、適応力、そしてリスクに立ち向かう旺盛な意欲です。一方、日本企業はリスク回避、継続性、安定性を優先しています。一般に日本企業は意思決定が遅く、柔軟な適応を苦手としています。この企業文化の違いが、日本企業のシリコンバレーへの参入を難しくしているのです。

シリコンバレーは人脈社会です。大学のフラタニティ(社交クラブ)やサンフランシスコのボヘミアンクラブのように、多くの点で閉ざされた社会です。日本はこのフラタニティ、すなわちシリコンバレーのエリートたちのネットワークを活用できていません。自力では、日本人のみならずどこの国籍の外国人も、シリコンバレーの奥深くにある聖地に足を踏み入れることはほぼ不可能なのです。

日系人は、日本企業がシリコンバレーのネットワークに参入できるよう、取り計らうことができると思います。なぜなら、コウイチ(コー)・ニシムラのように日系人の中にはネットワークの主要メンバーがいるからです。彼はIBMでキャリアをスタートし、その後、シリコンバレーの歴史において主要な企業の1つ、ソレクトロン社のCEO(最高経営責任者)となりました。ソレクトロンはシリコンバレーのみならず、世界の半導体製造工場になりました。アップルでスティーブ・ジョブズに近い同僚の1人だったキース・ヤマシタは、コンサルティング会社SYPartnersの創業者でもあります。デザイン界の第一人者であるジョン・マエダは、フォーブス誌から世界で最も影響力をもつクリエイティブな思想家の1人に選ばれた人物で、シリコンバレーにおける著名な日系人の1人です。

米日カウンシルの「シリコンバレー・ジャパン・プラットフォーム」

米日カウンシルは、私自身もメンバーを務める日系人の団体で、両国関係の強化に力を尽くし、架け橋としての役割を果たすことに取り組んでいます。米日カウンシルは、シリコンバレーと日本の相互依存関係の深化に向け、複数の強力な柱から成る、いわゆる「シリコンバレー・ジャパン・プラットフォーム(SVJP)」を設置しました。1つは米国側と日本側双方で構成されるシニアアドバイザーグループです。また、一連のインキュベーター計画にも乗り出しており、特に優秀で有望な日本の小規模企業を選び、シリコンバレーに送り込んで現地の指導者やアドバイザー、投資家による最良の指導と研修を実施する予定です。インキュベーターの対象分野はデザイン、輸送、ロボット工学、医療、小売です。今後5年間で日本の中小企業200社を米国に送り込みたいと思います。

スタンフォード大学、特にバイオデザイン・センターとデザインスクールを通じて研究・開発の分野でコラボレーションを行います。2015年のゴールデンウィーク中に安倍首相がシリコンバレーを訪問する予定ですが、ハイレベル訪問を含むコンファランスやセミナー、会議が行われます。日本の首相がシリコンバレーを訪問するのは、四半世紀以上も前の1989年以来のことです。

結び

日系人は日米関係から大きな影響を受けてきました。太平洋戦争中とその直後は逆風にさらされ、戦後の今は追い風が吹いているといえます。多くの日系人は日米関係のさらなる強化に取り組んでおり、実現に向けた1つの方法として、シリコンバレーと日本の経済活性化のニーズを結びつける支援ができればと考えています。ご清聴ありがとうございました。

質疑応答

質問1:

日本の企業が日系人を通じてシリコンバレーとつながるという助言について伺います。最近、日本がアジア系米国人、特に中国系や韓国系米国人とうまく関係を構築できていないことを懸念しています。日本人はアジア系米国人社会全体に対し、どのようなアプローチをとるべきか、助言をお願いします。

オキモト:

私は最近まで、日本は日系アメリカ人との関係構築にほとんど関心がないという印象をもっていました。しかし、現在の安倍政権は前向きなようで、130万人の日系人を巨大な潜在的価値をもつ資産としてみています。戦時中の強制収容の歴史のため、日系人は政治的には確固たる独立路線をとっています。決して日本のためのロビイスト・グループになることはありません。

質問2:

これに関連してですが、日本と関わりたくないという感情は今後も続くのでしょうか、それとも変わるとお考えですか?

オキモト:

変わると思いますが、個人によります。日系人の中でも、慰安婦問題で韓国や中国に共感するマイク・ホンダ議員のような人もいます。しかし、彼は日系人社会を代表しているわけではありません。日系人の強制収容はつらい体験だったため、私たちは、いかなる政府や政治組織の政治的な道具になるつもりはありません。しかし、基本的・非政治的な方法で日米関係を強化したいと考えています。

質問3:

長い間、日本政府と日本人はシリコンバレーとの関係構築に苦慮してきたようです。多くの日本人がシリコンバレーを訪問していますが、具体的な成果はあまりありません。シリコンバレーと有効な人脈を築くためには何が最も重要だとお考えですか?

オキモト:

リスク回避的で保守的な日本の大企業の文化と、機敏さ、スピード、常にリスクをとる姿勢といったシリコンバレーのスタートアップ企業の文化はまったく相容れません。この2つの文化のぶつかり合いは、克服すべき最大のハードルかもしれません。もう1つの問題は、多くの日本人がスタンフォード大学にエンジニアリングを勉強しに来ますが、ほとんどシリコンバレーに残らないことです。卒業後すぐに帰国してしまっては、シリコンバレーの主要なネットワークとつながることは難しいです。

また、日本人はベンチャーキャピタル・ファンドを設立する場合、出資先に多額の資金を投じますが、ファンドマネジャーに日本人を指名します。しかし多くの場合、彼らは起業家としての経験もなく、シリコンバレーに人脈もなく、投資案件の引き合いを得られません。日本人だけの小数集団にしてしまわずに、地元の起業家やファンドマネジャーを雇うべきです。

質問4:

ご著書『通産省とハイテク産業(Between MITI and the Market)』では、事業者団体と審議会などの政策ネットワークに言及され、そのようなネットワークが産業の発展にきわめて有効であることを示されました。ネットワークはまだ存在するとお考えですか? 今でも効果的なのか、もしくはすでに時代遅れなのでしょうか?

オキモト:

拙著の中で、日本は参入が難しい社会と表現しました。しかし、シリコンバレーへの参入はそれ以上に難しいのです。フラタニティのようなもので、インサイダーでなければ、同じ情報や機会を得ることはできません。重工業時代からの日本の人脈的側面は徐々に薄れてきていますが、いまだに一定の影響力があると思います。

質問5:

これまで政治学者としての研さんを積まれてきていらっしゃいますが、シリコンバレーとのつながりもきわめて深い。この分野での知識はどのようにして深められたのでしょうか?

オキモト:

私は父に好奇心をもち、広い視野で人生を見るよう勧められました。学びとは生涯続くものと考えていました。そのため、シリコンバレーでは、技術について学ぶべきだと思いました。手当たりしだいに本を読み、業界で知り合った人から直に学ぼうと努めました。

質問6:

今後20~30年の間に日米間には困難が生じると指摘されました。それはどのようなことでしょうか? また現在、日米間の最大の懸案は何だとお考えですか?

オキモト:

日米関係については基本的に楽観視していますが、今後はこれまでより複雑で困難になると思います。両国の同盟関係がアジアの歴史の中で最長かつ最強となった理由の1つは、これまで一度も試されたことがないからです。日本と近隣諸国の緊張が高まるにつれ、偶発的戦争の危険性も高まります。直接的な衝突がなくても、東アジアの大国として中国が台頭することで国際的なシステムは変化します。現在のような変化の時代は衝突の時代でもあります。私は日米両国が適応できることを願っています。

中国が民主化されれば助かりますが、困難な移行期を経て、経済成長も鈍化するでしょう。経済成長の原動力はもはや設備投資ではなく、消費者主導の需要であり、これに適応するにはあらゆるレベルでの制度変更が必要になります。また、中国は腐敗の問題を抱えており、民主化に伴う言論と表現の自由を求める声の高まりと衝突しています。ガバナンス危機の時代でもあります。

質問7:

多くの日本人は「アイデンティティ」について考えたことがありません。日本人であることを当然と考えており、過去に多くの困難に直面した日系人とは大きく異なっています。日本は多くの変化に直面しています。日系人社会ではどのような変化がおこっているのですか?

オキモト:

少子高齢化や労働市場の変化、世代間のギャップ、デフレの長期化など、日本が直面している問題はすべて解決できると思います。問題の解決には指導力を要しますが、これまでのところ、安倍首相がこれらの問題への取り組みで示した指導力を高く評価しています。

日系人にはチャンスと課題の両方があります。もはや差別の障壁がないということはチャンスです。しかし同時に、常に厳しい課題と苦難は存在しています。やる気と強い人格を養うためには厳しい課題が必要です。日系人社会にとって危険なのは、現状に甘んじることです。とは言え、概して日系人は社会活動に積極的であり、米日カウンシルは日系人が日米関係に貢献するための手段となっています。日系人が今後も日米関係の強化に中核的な役割を果たすだろうときわめて楽観的に考えています。