RIETI-RANDシンポジウム

高齢者パネルデータから学んだものは何か:くらしと健康の向上のために (議事概要)

イベント概要

  • 日時:2011年7月29日(金)10:00-18:05
  • 会場:東海大学校友会館 阿蘇・東海の間 (東京都千代田区霞が関3-2-5 霞が関ビル35階)
  • 議事概要

    高齢化への対応は、世界の多くの国々、とりわけ日本にとって重要かつ喫緊の課題であることについては論を待たない。すでに、世界各国では高齢者を対象とした大規模なパネル調査(追跡調査)が実施され、学術研究に用いられるだけでなく、現実の政策立案の判断材料として活用されている。一方、日本の高齢者の実態を多面的に捉えた統計データは不足していると言わざるを得ない状況であったが、2007年からRIETIを中心として世界標準の大規模高齢者パネル調査(「くらしと健康の調査」Japanese Study of Aging and Retirement, JSTAR)を実施し、これまでに2回の調査を行っている。

    今回のシンポジウムでは、アメリカ、ヨーロッパを初めとして、世界各国で実施されている高齢者パネル調査を設計、指揮する最先端の研究リーダーが集結し、データから見えてくる高齢者の実像と、現実の政策決定への活用状況について紹介が行われるとともに、JSTARから見えてくる、日本の高齢者の実像と、あるべき政策への含意、また多面的パネル調査の重要性について活発な議論が行われた。

    講演「行動・社会的調査のための縦断的高齢化データ」

    John W. R. PHILLIPS (米国国立老化研究所(NIA)行動・社会調査プログラム)

    NIAの使命は、高齢化のプロセス、加齢に伴う疾病、高齢者特有の問題とニーズについて、質の高い調査を実施し、そのデータを社会保障制度、メディケアなどの幅広い主要政策課題に有効活用できるよう関係団体に情報を発信することにより、米国の高齢者の健康と幸福度を改善することにある。また、2007年のNIA戦略計画は、縦断的調査の開発、データ・アーカイブの作成、データの共有化に加えて、国際比較研究を促進するための高齢化に関する社会・行動データの国際的調和の推進を謳っている。

    NIAが採用している研究モデルは、研究コミュニティから膨大な量の情報を収集するものだ。即ち、自らの科学的プログラムの方向性について専門家の助言を受けるのである。「健康と引退に関する調査(HRS)」を進めるための決定も同様であり、定期的なレビューに加え、「1987年のデータ収集の優先順位に関する特別諮問パネル(1987 Ad Hoc Advisory Panel on Data Collection Priorities)」など、多くの学術会議や専門家パネルでの勧告を受けつつ実施された。それら全ての会議から得られた一貫した主題は、学際的、縦断調査を実施し、とりわけバイオマーカー(生体指標)と行政データとの結合に配慮しておくことの重要性だった。

    NIAは、連邦政府、データ収集者、第三者専門家間の相互連携を特徴とするメカニズムを活用することでデータの充実と展開を図るとともに、行政データとの関連性確保ならびに財源調達のために他の連邦政府機関とも連携している。また、研究者のネットワークと配信の仕組みを通じてデータが十分に活用され、調和が図られるようにするための取り組みにも乗り出している。NIAの助成金交付プロセスでは、HRSを充実させるため継続的に第三者専門家によるレビューとモニタリングが実施されている。米社会保障庁、メディケア・メディケイド・サービス・センターなど、他の連邦機関とのパートナーシップは、行政データを用いた独特の研究を行う場を提供している。

    国際比較研究((例)グルーバー/ワイズ(Gruber/Wise))の成果を踏まえ、国際比較研究の拡充を目的に、さまざまな高齢化調査の比較可能性をさらに高めることが求められている。国際的なデータ収集に加え、より調和した尺度の作成を支援し、調査を充実させるため、計画準備助成金が提供されている。ランド研究所は、NIAからの支援により、HRSデータの効果的な配信に関する2件のプログラムを実施している。これらは、利用しやすいRAND HRSデータセットと、国際比較研究の資源としての「ランド・サーベイ・メタデータ・レポジトリ」である。両方ともインターネット上で自由に閲覧できる。

    要約すると、HRSは、NIAが研究コミュニティからの膨大なフィードバックとともに長期的な高齢者調査を求めたことの結果であった。配信戦略は、学術分野のユーザー数の増加という点で成果を上げている。また、複数の学問領域にまたがる多くの主題領域を網羅し、科学面、政策面で大きく貢献している。たとえば、HRSは、処方薬の保険適用に関する拡大メディケア・プログラム、株式と引退に対する金融危機の影響、重症敗血症後の認知機能への影響に関する調査に情報を提供した。HRSは学問のみならず、広く連邦政府の政策立案にも活用されている。この意味で、HRSは革新的な学際的研究を行うための公共財といえる。

    Q&A

    会場: HRSのデータは自治体にどのように貢献できるのか。HRSや他のパネルデータと比較してJSTARの強みは?

    PHILLIPS: HRSのデータが自治体にどのように貢献できるかについては、個別地域ごとにサンプルを分類できるかもしれないが、それほど大きな焦点にはなっていない。JSTARは今後拡大し、今以上に豊富なデータを蓄積するだろうと思う。

    セッション1:パネルデータから分かる世界の高齢化の現状

    プレゼンテーション「日本版くらしと健康の調査(JSTAR)の概要、意義とそれから分かる日本の高齢者の真の姿」

    市村 英彦 (RIETIファカルティフェロー / 東京大学大学院経済学研究科、公共政策大学院教授)

    先進国と途上国の別なく、多くの国で高齢者の増加が共通の課題となっている。残念ながら日本はその先頭を走っており、老年人口指数は35%で、今後も着実に上昇すると予想されている。こうした老年人口指数が高い国では、労働力の供給不足と賦課方式年金制度の収支の悪化が大きな懸念材料となる。すなわち、労働市場に長くとどまる高齢者の増大が望まれるのであり、この点において日本の経験は諸外国にとっての知見として役立つとみられる。

    たとえば、具体的な数字を挙げると、日本の高齢男性の労働力率は、1980年比では低下しているが、他の先進7カ国(G7)との比較では依然として高率になっている。日本人女性(60歳以上)についても、スウェーデンは別にして、G7諸国より高い比率で労働力として長く市場にとどまっている。

    コーホート全体で男性の労働力率は低下しているが、女性は上昇する傾向があり、これが高齢化の緩衝となっている。年金、雇用、健康、介護の政策を検討するため、米国で始まった総合的なデータ収集の取り組みが世界中に広がった。最近になってこの「ファミリー」にJSTARが加わり、現在、ランドが主導して国際比較を行うための調和の取り組みが進んでいる。パネル調査は、米国、インドネシア、メキシコ、欧州、韓国、日本、中国、アイルランド、タイ、インド、ブラジルなど、世界中で行われている。

    米国では、HRSの情報が社会保障制度改革の政策論議に活用されているが、日本でもJSTARがその役割を担うことが期待される。2007年のJSTARの第1回調査では、5つの自治体を対象に層化無作為抽出が行われ、2009年の第2回調査では新たに2つの自治体が加わった。2011年の第3回調査ではさらに3カ所増える予定である。このような自治体ベースのサンプリングには、同一の社会経済環境(都市)に住む多くの住民を網羅するという利点がある。質問の多くは、その環境の中で個人がどのように判断を行うのか、環境が個人の決定にどのように影響するのかに関わるものである。このようなサンプリングでは、環境の影響、および所得水準や教育などの個人間の違いをより柔軟に分離することができる。一方、欠点としては国レベルの代表的なサンプルが簡単に構築できないことである。このため、目標は現在10カ所の自治体数を増やして、「代表性」を確保することである。もう1つの制約要因は人材不足であり、いっそうの資金確保が必要である。

    JSTARは、HRS関連調査と同様、概ね「欧州健康高齢化引退調査(Survey of Health, Aging and Retirement in Europe; SHARE)」を土台としており、8つの質問内容(本人・家族関係、記憶力・認知力、就業、本人および配偶者の健康状態、所得・消費、握力、住宅・資産、医療と介護サービスの利用と支出)から成る。この調査は、国レベルの層化無作為抽出ではないという点で、他国の調査とは異なる。また、JSTARは、日本で評価が確立された質問票を使って食物摂取量を測定している。承諾が得られた人については、本人の医療・介護利用および健康診断の行政記録とこのデータを照合することもできる。もし政府がこのように社会保障データと税務記録をリンクできれば、そのメリットは大きいだろう。

    人は、自己裁量に任されると老後の資金を十分に貯蓄しないという意見もあるが、ショルツ(Scholz)、セシャドリ(Seshadri)、キタトラクン(Khitatrakun)は2006年、HRSのデータを利用して、人は過少貯蓄ではなく過剰貯蓄をすることを示した。その後、JSTARを通じて集められた所得/支出、消費、健康情報を用いてコーホート別の期待生涯純資産を算定すると、期待生涯純資産の平均値を下回る人の比率が年齢(50歳以上)とともに低下することが判明した。こうした知見がなければ、理にかなった年金制度の設計や、より賢明な社会保障制度の設計も不可能である。このためにも、HRSタイプのパネルデータが重要となるのである。

    プレゼンテーション「米国、英国、大陸欧州における福祉の比較調査」

    Arie KAPTEYN (ランド研究所労働・人口研究部門ディレクター)

    うつ状態にある人々を例に、複数国の幸福尺度による比較研究を行った動機は、国民の幸福度を向上させるという政府の政策目標とともに、福祉と健康状態の間には明らかな正の相関があるためで、その目的は、国や人々による違いを究明することである。回答者に気分の落ち込みなどを書いてもらう「うつ病自己評価尺度(Center for Epidemiologic Studies Depression Scale: CES-D)」の複数の項目を用いて、個人のうつ状態の尺度を確認する。選択された項目は、たとえば人口統計学的要素、重大/軽微な健康状態、健康に関わる行動、日常生活動作(ADL)の制約、手段的日常生活動作(IADL)の制約、年齢、誕生年など、比較可能データが得られる項目である。

    複数の調査から得られた結果に対して、うつ状態以外の条件を同じにするような多変量解析を行い、うつ状態のスコアを比較した。HRSによれば、米国では年齢が上がるにしたがって、うつ状態の比率が低下していく。しかし、誕生年を見ると、以前に生まれた人ほどうつ状態になる確率が高い。英国の「英国縦断的高齢化調査(English Longitudinal Study of Aging; ELSA)」の結果も、年齢およびコーホート別で同じ傾向を示しており、相関性は低いものの大陸欧州のSHAREのパターンも同じである。この課題は、うつ状態の調査では年齢以上に、年齢コーホートの影響を考慮しなければならないことを明確に示している。選択性効果、すなわち楽観的な人はより長寿の確率が高いことを調整しても、年齢別のうつ状態における変化の影響は基本的に同じである。うつ状態の確率に影響を与える他の人口統計学的要素には、民族的背景、喫煙、性別、就業、ADL、IADL、配偶者の有無、所得が含まれる。

    これらの変数を調整すると、HRSは興味深い結果を示した。個人の憂うつ感への影響は、健康保険の加入者より非加入者のほうが大きい。引退との関係で就業状態を見ると、影響は米国、英国、欧州の間で異なっている。所得や財産などによる影響は調整されているため、うつ状態に対する就業の重要性の違いは、社会的要因に基づいている可能性がある。

    つまり、各国間の類似のパターンは、年齢とコーホートが異なる役割を果たしていることを実証しており、このことはパネルデータを持つことの重要性を示している。また、動作の低下はうつ状態の深刻化につながる。金銭と結婚はうつ状態を予防する。さらに、女性はうつ状態のリスクが高い。米国では就業がより重要な要因であったり、健康上の深刻な打撃に対する保険の影響などに違いがあったりするため、この分野の政策を検討する際には、こうした違いによって生じる問題を考慮しなければならない。

    Q&A

    市村: うつ状態と自殺行動のつながりを検証する調査があるのか。

    KAPTEYN: JSTARに追加できるが、測定と所見数が複雑になる恐れがある。また、宗教などの精神活動は現在、記述データでは考慮されていない。

    市村: JSTARには雇用状態(非正規、臨時)に関する明確な質問は含まれていないが、無給のボランティア活動は含まれている。JSTARのサンプルがカバーしているのは人口の0.05%前後で、回答者が自治体に登録している限り、日本人も外国人も対象に含まれる。
    さらに、JSTARは、複数の異なる項目で友人数による社会的資本を測定している。回答者の健康状態に関する承諾を得るにあたっては、面接担当者との人間関係の構築がきわめて重要。

    プレゼンテーション「健康と早期引退:国際比較から得る政策上の教訓」

    Axel BÖRSCH-SUPAN (マックスプランク社会法・社会政策研究所ミュンヘン高齢化の経済学センター(MEA)ディレクター)

    公共・社会政策が人間行動に与える影響の違いを比較するためには、マイクロデータの計量経済学的分析による国際的差異を観察することが重要である。国際的な相関分析から得られる典型的な知見には、年金給付による早期引退への負の奨励効果、早期引退と失業率の関係についての誤解、高齢者と若者に振り向けられる国民1人当たり支出の相関性、健康状態に対する医療支出の影響がある。

    因果律の問題を解決するには、しばしば同時決定的関係にある広範なマクロ集計から結論を引き出すのは容易でないため、パネルデータと詳細なマイクロデータが必要となる。政策効果の外生的な影響は、長期的に採取され、かつ政策イベントの時点が含まれるマイクロデータとパネルデータを通じてのみ分析することができる。たとえば、ドイツでの過去の実験は、たとえば引退年齢の低下や失業への影響などの影響を可視化するためには、パネルデータを用いることが重要であることを示している。

    欧州では、SHAREが欧州20カ国から6万世帯のサンプル・データを収集している。これは年金制度と医療制度の影響すべてを測定しており、いわば独特な「生きている実験室」ともなっている。SHAREは、健康、労働市場、制度的データ間の国際的差異を活用するために構築された。さまざまな国のデータを収集する際の課題は、言語、制度、解釈、手法の違いである。これらは、コンピュータ支援技術、客観的尺度、共通の報告様式を用いることで解決している。

    欧州域内で加入状況に大きな差異がある身体障害保険の副次的影響については、類似の比較調査例が実施された。これらの差異の原因を検証し、健康その他の変数と関連づけると、各国とも健康状態が悪い人は身体障害給付を受ける確率がより高いことがわかった。しかし、障害給付の要件が厳しい国では、障害給付受給者の数を抑制しており、その意味で各国の政策の影響はきわめて大きいとみられる。このため、各国では障害給付の促進要因である健康状態に明確な違いが存在するものの、重要な要因となるのは各国の政策である。

    結論としては、国際比較は政策の影響を検知する際に力を発揮するが、誤った結果が出ないようデータを調和させた場合にのみ有効である。このため、パネルデータの確保には資源、資金、先見性、忍耐が必要である。

    プレゼンテーション「インドの高齢者の認知機能の健康:女性の成績不振の個人的、地域的決定要因」

    Jinkook LEE (ランド研究所上席エコノミスト)

    調査対象にインドを選んだのは、広さ、人口の多さのほか、各自治体が異なる政策を進めるなど、地域的な差異が大きいからである。認知機能については、慢性身体疾患との間で相互にリスク要因になることが判明している。インドでは非感染症が急激に増えており、疫学的な過渡期にある。しかし、インドの高齢者の認知機能についてはよくわかっていない。

    先行研究によると、先進諸国では、女性の認知機能は全般に男性に比べて良好である。途上国のデータはかなり限定されるが、おそらく教育面での違いにより、女性の認知機能は男性より見劣りする。ただし、インドについての文献は単一の都市の住民にのみ集中しており、北部諸州では女性の不振がより際立っている。この南北格差は、女性差別と男女間の不平等によるものと考えられる。

    「インドにおける縦断的高齢者調査(Longitudinal Aging Study in India; LASI)」のパイロット調査は、4つの州から任意抽出された1546世帯を対象に2010年に完了した。インドの国勢調査のデータによると、北部では男女の比率に大きな偏りがあるほか、平均寿命は南部諸州で常に女性が男性より長いが、北部諸州はそうではない。LASIは、認知機能テストの結果に基づき、エピソード記憶および全般的認知能力は男女間で違いがあり、女性の成績は男性より悪く、特に北部諸州で男女差が大きいことを明らかにした。

    認知機能の男女差は、男女間の不平等(栄養不良、教育、医療)、社会参加の制限、強い精神的苦痛によって説明しうる。これらの有力な認知機能のリスク要因と考えられるものについて、これらを調整した後も女性の成績不振が続くかどうかを検証するための分析が行われた。たとえば、栄養不良と食料不足の点では女性の不利益は観測されなかったが、北部では学校教育を受けていない女性の比率がはるかに高く、教育と識字能力の点では大きな不利益を被っている。女性の不利な立場は、自己報告の慢性疾患(非感染症)でも観察されている。また、男性の方が社会参加の度合いが高いほか、北部インドの女性は男性よりも抑うつ的傾向があることが判明した。リスク要因を調整すると、教育と精神的苦痛は、認知機能テストにおける女性の不振を説明できることがわかったが、他は該当しなかった。共変を分析すると、北部諸州で観察された女性の相違点への主な影響は、統計的に有意でないことがわかった。

    結論として、インドの45歳以上の女性は認知機能テストの成績が男性より悪く、北部諸州ではその度合いが大きく、教育が認知機能の男女差の40~50%を説明する。このため、女性の教育機会の拡大は、認知機能における男女間の格差縮小に大きく寄与するとみられる。

    Q&A

    LEE: 将来をみるための1つの変数は、幼児期における差別経験の度合いであり、それが地域的な差異を説明できるかもしれない。また、配偶者の有無は、インドでは認知とうつ状態の予防効果はない。

    市村: 年齢と社会の変化を長期的にみることも興味深い。

    会場: 南北の差異を比較するため予測確率を追加してはどうか。

    セッション2:パネルデータから医療政策を考える

    プレゼンテーション「メディケア改革は医療提供者や患者へのインセンティブに照準を合わせるべきか?」

    David WEIR (ミシガン大学調査研究センター教授 / 健康と引退に関する研究(HRS)ディレクター)

    HRSとその国際的ネットワークは特に政策との関連が深く、経済学と政策参加までカバーしているため、健康と高齢化プロセスに関する基本的課題を調査するのに有効である。高齢化は21世紀の世界にとって政策上の重要課題である。高齢化は、現在の就労者からの税収を上回る負担を財政に強いる。米国は相対的にみてそれほど急速に高齢化していないが、債務上限の引き上げをめぐる現在の行き詰まりは基本的に高齢化に関係しており、公共政策にとってどういう意味をもつのかという視点が完全に抜け落ちている。

    米国の高齢化政策は年金制度とメディケア(高齢者向け医療保険制度)を含むが、メディケアへの影響はより予測困難であり、管理も難しい。4100万ドル前後と推定されるメディケアの積立不足は、年金制度の不足額を上回る。これが、メディケアが米国最大の、かつ最も難しい高齢化関連政策となっている理由である。メディケアの支出抑制に向けた最善の政策は、相対的に便益の低い治療への支出に制限を設けることだろう。なぜなら、米国は医療により多くの支出をしているが、平均寿命はより短いからだ。また、ダートマス・アトラスによると、米国内の支出には地域差があるという。ただし、高コスト医療の地域が、低コスト医療の地域より良好な成果を上げているようにはみえない。このため、推進すべき政策の処方箋は、高コスト地域の医療を低コスト地域型に近づけ、健康に害を及ぼさずにコストを節約することである。

    メディケアの費用分布を見ると、差異は存在するが、その影響が誇張されているようにみえる。一部の人々が同じ健康状態の他の人にくらべ、継続的に多額の支出を行っているのかどうかを確認する必要がある。HRSは行政記録とリンクしているため、政策研究にとって価値が高い。地域の医療提供者と個々の支出の差異のどちらに介入の照準を合わせるか、すなわち、どちらがコスト節減の可能性が高いかという問題については、HRSの面接期間中の請求データにおけるメディケア支出を観察し、さまざまな変数について回帰分析をすることから得られるはずである。調査結果によると、提供者の影響は、地域提供者の影響をみるよりも残差分散の多くを説明している。このため、個人に政策の照準を合わせることは、少なくとも提供者に照準を合わせるのと同程度に有効と考えられる。

    プレゼンテーション「健康について学ぶため国際的な国のデータを用いる─英国と米国のケース」

    James P. SMITH (ランド研究所 Distinguished Chair in Labor Markets and Demographic Studies)

    HRSとELSAを比較した背景には、なぜ米国では、55~64歳の年齢層でさまざまな疾病の有病率が英国さえ上回っているのかを究明したいという動機があった。報告のしかたと従来からのリスク要因の違いが理由として検討されたが、なぜ米国人が最も高い有病率を示しているのかは説明できなかった。社会的な統合と支援など(行動的/心理的リスク要因)、より標準的でないリスク要因も該当しなかった。しかし、説明可能な1つの重要なリスク要因は、疾病のリスク尺度としては有効性が低いとみられているボディー・マス・インデックス(BMI、肥満度指数)ではなく、胴回りなどの体型指標だった。

    もう1つの仮説は、小児期の病歴を調査することだった。あらゆる年齢層で、米国人は英国人より小児疾患に罹りやすかった。あらゆる種類の成人疾病についても、米国人は英国人に比べて状況が悪い。年齢、男女、国の違いを調整し、成人疾病と小児疾患の相互作用を測定すると、幼児期の疾病の存在が米国の成人疾病の大きな要因になっているように思われる。また、米国のがん検診が他国と異なっている事の影響も、説明要因の1つになり得るかもしれない。

    データの利用としては他に死亡率と発病率がある。この点からHRSとELSAを比較すると、米国は有病率、発病率がともに高いが、米国人は英国人より長生きであると結論づけることができる。このため、米国の医療制度は非効率だが、死亡率がより低いという点から有効でないという見方は誤りであるといえる。ただし、標準的な健康行動、配偶者の有無、就業などの調整尺度を含めると、両国の死亡率の差は大幅に縮まる。さらに、健康状態を調整すると、両国間の財政状態別の死亡率傾斜は実際には消滅する。また、より長期の比較では、有意な資産効果の証左はほとんど生じない。

    プレゼンテーション「日本の高齢者の医療と健康に関する分析」

    橋本 英樹 (東京大学大学院医学系研究科教授)

    第二次世界大戦後、日本人の平均寿命はOECD(経済協力開発機構)のすべての国を上回る水準まで延びたが、現在、日本人男性の寿命のペースは鈍っているようだ。『ランセット』誌が発表した日本の医療制度に関するデータによると、プライマリケアとライフスタイルの変容が依然、重要であり、日本の強力な公衆衛生の鍵を握るとみられる。

    歴史的な変化に基づく人口統計学的・疫学的分析によれば、日本の高齢男女の寿命が延びてきたのは、特に1980年代以降、75歳以上の高齢者の間で脳卒中と心臓病による死亡率が低下したことが大きいことがわかる。また、死亡率の最大要因(高血圧、タバコ、運動不足その他の生活様式上の要因)はプライマリケア環境の中で治療が可能である。しかし、これらの調査結果は、個人の行動に対する社会的、心理的背景がないため、政策改革に活用されていない。

    OECDヘルスデータによると、日本は、保健医療支出の対GDP(国内総生産)比が約8.5%にとどまっているが、保健医療への公的支出の水準はきわめて高い。また、JSTARのデータを用いると、外来医療サービスについては誰でも平等に受けられる確率は高いが、歯科治療では貧富の差が存在する。家計所得に対する医療費自己負担分を分析すると、60歳代で最も支出金額が多く、下位4分の1の低所得層では所得の約8%を占めている。

    政府は高齢者の自己負担率を引き上げる改革案を協議しており、それが高齢者の利用度と医療の成果にどのような影響を与えるかを慎重に見極める必要がある。この点で、JSTARは大きな貢献ができるかもしれない。たとえば、年1回の健康診断などの予防的サービスの利用状況を調査すると、教育と就業状態によって、また都市の間でも大きな差異が見て取れる。長期的な請求データと突き合わせると、多くの疾病の支出は日本では常に高止まりしている。JSTARはさらに、栄養摂取パターンを調査するため「食物摂取頻度」の質問を初めて導入したが、これによると、たとえば年齢、配偶者の有無、地域によって、さまざまな種類の食品の摂取に大きな違いが生じることがわかる。

    結論として、寿命の動向は現時点では良好だが、プライマリケアに問題があり、生活スタイルの変化(禁煙、健康的な食事)をさらに進めるべきである。また、HRS、SHAREとのパネル比較は、日本の特異な長寿の要因を究明するのに重要である。

    Q&A

    WEIR: 個々の情報提供者は地域の中でも常に変化しているが、HRSは提供者行動の地域クラスターに焦点を置いているため、その変化の度合いを捕捉していない。また、米国の地域的差異はその地域に特定的であり、その差は拡大している可能性がある。

    SMITH: 米国における不平等の度合いが英国との差を生んでいるわけではない。英国では小児疾患の予防的治療が進んでいることが要因かもしれないが、医療制度全体の分析をする必要がある。高齢化に伴う社会や個人の負担の問題について、寿命の伸びは生活の質の拡張でもある。

    WEIR: そのとおり。これまでのところ、負担のほとんどは、身体障害によるものだからである。早期に認知機能の低下が始まるかどうかを継続的に見守ること、各世代の医療負担とそれを国と世帯の間でどのように管理するかを継続的に評価することが重要になる。地域における環境の影響を考慮に入れることについては、将来的に関心がもたれるだろう。

    セッション3:パネルデータで考える高齢者の働き方

    プレゼンテーション「精神的引退:国レベルの政策の差異とHRS、ELSA、SHAREから蓄積されたクロスセクション(横断面)データにより、認知機能に対する早期引退の因果効果を特定する」

    Robert WILLIS (ミシガン大学教授)

    一般に「頭の体操」は認知機能の低下を食い止めると信じられているが、因果関係の方向性が明確でないため、これを実証する経験的証拠はあまりない。本調査はHRS、ELSA、SHAREを活用し、人が心に刺激を受ける家庭環境や職場環境に置かれることにより、高齢でも認知機能の低下を防ぐことができるという考え方を検証する。これらのデータを使った過去の調査により、認知機能の成績と労働力率を示すグラフなどにより、国によって認知能力と引退の間にきわめて強力な負の相関性があることが明らかになっている。本調査は、国レベルの引退政策を操作変数として用い、これが因果効果であるという仮説を補強している。この手法をとった根拠は、引退における国際的差異の多くは公的年金、身体障害、税制政策によって生じる奨励効果の結果であることが示されていること、また、これらの政策が、その国の国民の中で観察された認知機能の年齢パターンに応じて策定されているとは考えにくいからである。このため、政策は、ミクロデータ中の引退行動に対する認知機能の逆の因果関係を取り除くうえで有効な手段となっている。

    この、引退は政策に影響されるという研究基盤に基づき、「メンタル・リタイアメント仮説」は、高齢者の認知状態に対する引退の因果効果を検証している。これには、引退は自ら選択した状態であるため誤解を招きやすく、逆の因果関係につながりうるという識別の問題が関わってくる。理論的認知心理学は、流動性知能、つまり能力の「思考」部分は年齢とともに衰えるが、結晶性知能、すなわち能力の「知識」部分は向上するとしている。コーホートの流動性能力の大幅向上というフリン効果は、人的資本理論の要素によって説明しうる。

    こうしたことから、「メンタル・リタイアメント効果(Mental Retirement Effect)」を説明する2 つの議論は、「ディスエンゲージメント・ライフスタイル(Disengagement Lifestyle)仮説」、すなわち職場環境は家庭より刺激が多いため早期引退は流動性知能を低下させる、または「オン・ザ・ジョブ・リタイアメント仮説(On-the-job Retirement Hypothesis)」、すなわち必要な人的資本投資のインセンティブは人によって異なる、ということになりそうだ。認知機能に対する労働力率を回帰分析すると、負の相関性が明確に見て取れる。多様な変数を用いたモデルの結果からは、早期引退は60代前半の人の認知能力に対し、定量的に重要でありかつ因果関係を持つ大きな負の影響を与えると結論づけることができる。これらの調査結果は、流動性知能が人的資本に影響されることを示す研究とも一致しており、高齢で無職であると認知機能が低下することを示している。米国人については、1世紀に及ぶ早期引退への動きが逆転しており、高齢化が進むこの国の認知能力にとって明るいニュースといえよう。

    プレゼンテーション「日本の高齢者の引退プロセスと社会保障」

    清水谷 諭 (RIETIコンサルティングフェロー / 財団法人世界平和研究所主任研究員)

    すでに述べられているように、日本は、記録的なペースでの高齢化の進展、平均寿命の長期化、引退年齢の高さ、高齢者の労働力率の高さを示している。こうしたマクロの所見に加え、特に政策/制度の影響に着目して引退における個人の意思決定をとらえるなど、ミクロの所見を考慮する必要がある。こうした分析では、人の多様性とインセンティブのメカニズムを念頭に置くことが重要である。社会保障と労働力供給の関係は海外では集中的に研究されてきたが、日本ではJSTARが始動するまで、データがきわめて少なかった。

    引退の調査では以下の3つのポイントを考慮する必要がある。(1)引退は定義によって異なる、(2)引退は段階的に行われることがある、(3)引退は夫婦で相談して決める場合がある。JSTARのデータによると、無職の状態は60代で急増し、女性ではさらに高い。また、引退年齢は60歳に集中しているが、最も多い想定引退年齢は65歳である。公的年金(国民年金や厚生年金)の受給開始の年齢も60歳または65歳に集中している。将来を考慮した給付請求の決断は公的年金政策の設計に重要な政策的意味合いを持つが、この決断を検証するデータ源はJSTARしかないことに留意する必要がある。

    JSTARデータを使った暫定的な分析によると、生存確率と流動性の制約は、請求行動と密接に関わっている。また、クロスセクション・データやパネルデータを使った変化の間には大きな食い違いが存在する。JSTARデータを使って、引退前の雇用状態の移行(会社員対自営、フルタイム対パートタイム)と労働時間の減少を追跡することもできる。回帰分析では、男女とも労働時間や配偶者との別離、生涯資産など、男性については認知機能の低下など、就業の確率に影響を与える要因が明らかになった。

    結論としては、JSTARは、縦断的、学際的、国際的な特性によって引退「プロセス」を検証する優れた機会である。JSTARによるさらなる「プロセス」の検証は、政策評価と新たな科学的知識にとって不可欠である。

    プレゼンテーション「引退の準備をしていたか?:HRSとAHEADのコーホートにおける高年齢者の財政状態」

    David WISE (ハーバード大学ケネディ行政大学院教授)

    家計が保有している資産の水準は、引退準備の事前尺度(引退開始時の資産)ではなく、事後尺度(死亡前1年の資産)として利用できる。また、本調査は、寿命末期までの健康状態と家族の道筋の重要性も浮き彫りにする。

    住宅資産、社会保障、確定給付年金という3種類の金融資産を含むバランスシートを見ると、多くの高齢者単身世帯は基本的に年金で暮らしている。「高齢者の資産と健康に関する動態調査(AHEAD: Asset and Health Dynamics Among the Oldest Old)」は、寿命末期までの3種類の道筋を追跡した。これらは単身世帯、1993年は2人世帯だったが最終観測年に配偶者が死亡していた人、そして2人世帯である。資産の変化という点では、1993年以降最も長く生存した人は、3種類の世帯グループすべてで最も多額の資産を保有していた。健康状態は、特に資産の減少および死亡率、将来の健康現象と深く結びついていた。

    年金所得、年金以外の資産、死亡までの健康状態の検証から得られうる結論は、引退者の相当数が金融資産も住宅資産(非年金資産)もなく、引退生活のほぼすべてを社会保障制度の給付金(年金)に頼っていること、また、最も資産が少ない人は最も健康状態が悪いということである。回答者の60%が引退には「きわめて満足している」と答えていることから、これらの「きわめて満足している」人の比率は、健康および年金、非年金資産の面で最も高いパーセンタイルで大幅に高いといえよう。

    結論としては、2人世帯のままの人は死亡時の財産が最も多く、最も長寿である。1993年時点の資産水準と、その人が1993年以降も生存する年数の間にはきわめて強い相関性がある。また、健康状態と死亡時の財産の間にもきわめて強い関連性がある。最後に、相当数の人が金融資産も住宅資産もなく、年金所得のみのままで死亡する。このため、金融資産(および住宅資産)がより多いほど、引退時の生活への満足度は高まる。

    Q&A

    WILLIS: 研究の政策的意味合いとしては人々が長く職にとどまるよう政策面で働きかけることは、財政収支の改善に加え、こうした人々の心を活発に保つことで生活の満足度を引き上げることになる。
    また、生活の満足度に対する教育の影響については、教育は健康と密接に関連している。家族のサポートは分析に含まなかったが、引退後の生活設計は重要な検討事項になるだろう。なお、3つの家族の道筋のすべてで総資産の減少の傾斜が似通っていることについては、引退開始時をベースに減少幅を推計し、前期の健康状態を調整している。