1. 先行者利益と企業の業績
「AIを経営に取り込みたい」多くの企業がそう考えている。どのような企業がイノベーションを取り込んで新しい市場を獲得し、どのような企業は逆に市場を獲得できないのか、というイノベーションの取り込みと企業の業績の関係は、20世紀後半から繰り返し学術的関心を集めてきた。産業の進化やベンチャー企業の行動を経済学的に理論づける大きな功績を遺したスティーブン・クレパーは、早くイノベーションを取り込んだ企業が遅い企業よりその後生き残れる確率が高いことを実証した(Klepper&Simons, 2005)。これは早く取り込むことで得た先行者利益を、さらに次のイノベーションの取り込みに回すことができるからである。
海外の実証研究では、ビッグデータ解析をバリューチェーンに組み込んでいる企業はそうでない企業と比較して5-6%生産性が高い(McAfee, Brynjolfsson, Davenport, Patil, & Barton, 2012)、あるいは生産性の成長率が3%高いことが分かっている(Tambe, 2014)。
多くの日本企業はこのようなAIのイノベーションとしての価値に気付き、経営に早く取り込みたいと興味を持っているにも関わらず、実現に至っていない。森川(2016)の日本企業約3000社に対するアンケートによれば、28%の企業がAIの活用は経営に対してプラスだと考えているにも関わらず、ビッグデータを「既に経営に利用している」のは全体の3%に過ぎず、40%は活用方法が「よく分からない」と回答している(注1)。
このように多くの企業が同じようにAIを取り込みたいと考えているとすれば、早く実現する企業としない企業で何が違うのだろうか。本稿(注2)では、AIというイノベーションを早く取り込む企業組織とはどのような組織かという組織の異質性について考える。
2. AIの取り込みと企業組織
AIは問題構造の複雑性や不確実性が高いがために、その問題の解法には、ヒューリスティックな推論論理の導入が不可欠である(野城智也, 2016)。たとえばAIの推論モデルをあてはめる場合に、良い初期値を仮定できる工学的直観力が必要で、この推論プロセスを実行できる柔軟性・適応性が組織に求められる。
世界最大級のビジネス特化型ソーシャルネットワークサービスであるLinkedInをケースとして取り上げた研究では、データサイエンティストは自由にデータで実験できる環境が提供されるべきだと指摘されている(Davenport & Patil, 2012)。実験的環境では、演繹的でなく帰納的な仮説検証をデータを用いて繰り返せることが重要である(Constantiou & Kallinikos, 2015)。なぜなら必要なコードを時間をかけて書けば出来上がるという従来のIT製品の生産プロセスではなく、AIは実験と検証を繰り返す研究的性質の強いプロセスから生まれるからである(Provost & Fawcett, 2013)。このような実験が許される組織であることは、優秀で好奇心旺盛なサイエンティストを引き付けるという点でも意味がある。
さらに企業はAIを取り入れるため、意思決定の方法を変革することになるかもしれない(Bresnahan, Brynjolfsson, & Hitt, 2002)(Somers & Nelson, 2001)。AIから導き出される「正しい結論」は、これまで多くの企業内で尊重されてきた企業の幹部による「直感的結論」と異なる場合がある。このような場合に前者を優先することが原則で、「直感的結論」を支えるためにAIを用いるようなことをすれば、AIを取り入れることには失敗する(McAfee et al., 2012)。
これまで述べたようなAIを扱うサイエンティストが活躍しやすい環境を作ると共に、それらの人材以外の社員がAIを受け入れて働くことができるかどうかも企業にとって重要である。Lee, Kusbit, Metsky, & Dabbish, 2015はUber(注3)とLyft(注4)の従業員インタビューから、AIによる解析に基づいた価格や配車提案に対する運転手の反応を分析した。結果は、提案内容の説明性が確保され、運転手の感情にも合わせた提案が望ましいことが分かった。長年の勘を頼りにする経験豊かな運転手は、AIによる提案を受け入れがたいと感じていた。このような問題を放置すれば、企業によるAIの取り入れは滞る。
3. "Those who can imagine anything, can create the impossible"
現在のコンピュータ科学の原点であるチューリングマシンを開発したアラン・チューリングは、"Those who can imagine anything, can create the impossible"と述べた。
本稿でまとめたように、他の企業に先駆けて実験の繰り返しを許す柔軟性を持ち、AIから得られる情報を上手に消化できる組織が、AIを他の企業より早く取り込むことができる。アラン・チューリングの言う「何でも想像すること」が、このような組織づくりの最初の一歩になるだろう。