新春特別コラム:2017年の日本経済を読む

2016年チケット高額転売問題を考える

荒木 祥太 研究員

2016年8月23日の読売新聞と朝日新聞に「私たちは音楽の未来を奪うチケットの高額転売に反対します」という意見広告が15段という大きな形で掲載された。4つの音楽関係団体によるこの大きな広告には、116組もの著名アーティストが名を連ねたこともあり大きな注目を集めた。営利目的の転売を目論む者たちがライブ・チケットを購入することで、本当にライブを聴きたいまたは興行主がターゲットとしている消費者は転売市場で高額な費用を支払わない限りライブを聴くことができないという状況を問題視したものだ。筆者も営利目的で転売を行う者はあまり好きではない。先日、筆者もファンである某巨大不明生物災害映画のイベント上映チケットが深夜0時のネット発売から1分も経たずに完売する一方、明け方には定価の何倍もの値段での転売が成立していた。この映画シリーズの往年のファンとして、この事態に憤りを覚えた。販売開始からたった数時間で高額での転売が生じるのは、さすがに営利目的とみなさざるを得ない。そもそもこのチケットは営利目的での転売禁止という但し書きがあった。その但し書きがある以上、映画の内容に興味がないならチケットを買いに来るなという憤りである。

このような転売問題に関し、大竹文雄大阪大教授高橋洋一嘉悦大学教授らが経済学的な考察に基づくコラムを発表している。両教授とも、興行主が設定するチケット定価のもとで販売する一次市場において需要量すなわち元々ライブを聴きたい消費者の規模がチケットの供給量を上回るため高額な価格での支払いを厭わない消費者があぶれてしまっている超過需要の状態こそが高額転売の背景にあることを指摘し、価格調整メカニズムの活用を提案している。最大限支払ってもよいと思う価格で測った消費者の熱意の高い人にチケットが行き渡るように超過需要を調整するというのが狙いである。

しかし、価格による需給調整メカニズムの活用というアイデアには批判も多い。たとえば山本一郎氏による、そもそも興行主は新規ファンの開拓などを目的に若者など高額の支払いを負担できない層にも来てもらえるように安価な価格を設定しているため価格による需給調整ではその意図に反するというものである。このような事情があるためか、価格による需給調整メカニズムよりは、ID提示の徹底などチケット購入者とライブ来場者とを一致させようといった転売対策が行われている。以上のことを踏まえ、本コラムでは今後の見通しを述べた後、経済学の観点から簡単ではあるが別の需要調整メカニズムを考えてみたい。

今後の見通し

まず今後の見通しとして、筆者はこのチケット高額転売問題は2017年以降もしばらく話題になると考えている。それはどんなに興行主が対策を講じ転売業者を減らしたとしても、その成果は見えにくい一方、転売の価格自体は観察しやすいからである。特に厳重な対策にも関わらずそれをすり抜けることができる狡猾な売り手による独占的な転売市場が形成されることが心配される。私たちは既に一次市場では購入できなければ転売市場において高額な金額を支払ってでもチケットを手に入れようとする消費者が存在することを知っている。このような消費者が一次市場でチケットを購入できない限り、狡猾な売り手は高額で転売できるであろう。実際、2015年のFIFA幹部の逮捕劇に一役買ったアンドリュー・ジェニングスによる著書『FIFA 腐敗の全内幕』(文芸春秋)はワールドカップチケットについてFIFA組織が非公認の売り手に対して厳しい態度をとる一方でFIFAの幹部が不正な高額転売によって利益を得ていたという、結果的にはFIFA組織の対策は不正幹部による転売市場の独占を助けていた皮肉な実態を暴いている。もちろん筆者は日本で同様の腐敗が起きているとは全く考えていない。ここで主張するのは、どれだけ対策を講じても、超過需要があれば高額転売の問題は残存しうるということだ。

価格以外での需要調整

そこで、価格調整以外での需給調整メカニズムの活用を考える。これについてはすでに小島寛之帝京大教授が「疑似価格機構」という概念を用いた試論を述べている。小島教授のアイデアは、遠方での開催などという価格以外の要因で消費者がライブに行くための負担を大きくさせることで、需要を調整するというものである。このような負担がかかればかかるほど、消費者が支払ってもよいという価格の上限が低くなるため、安価なチケットでも超過需要が発生しない。

筆者はこの調整手法を用いて、もっと興行主の希望に沿った需給調整が可能であると考える。同等の条件に見えるが、チケットを買って欲しい人への負担は小さく、買って欲しくない人への負担は大きい条件を課すことで需要の規模とその内訳を同時に調整するというものだ。実際、この点に着目したものとして「マキシマム ザ ホルモン」という音楽グループがいる。彼らはチケット購入希望者に対し、選考の材料として、どれほどそのグループが好きかという作文を課したのである。こうすると、グループに興味のない営利目的の購入希望者がファンと同レベルの作文を書けるようになるための負担は、ファンへの負担よりも大きくなる。しかし、チケット購入時に負担をかける手法では、転売業者が相対的に負担の軽い者に雇い入れ、その者にチケットを購入させるという抜け道があるかもしれない。

そこで、実際のライブに行く時点で負担をかける方法が考える。たとえば、すでに働いていることで高額な支払いを負担できる社会人を排除し、そうではない学生をターゲットにするなら、学生の春休みといった長期休暇内の平日の昼に開催することが考えられる。社会人にとっては賃金を稼ぐ機会または限りある有給休暇を犠牲にしなければ参加できないという負担がある。一方学生にも長期休暇の一部を費やすという負担があるが、もともと犠牲になる稼得機会も小さいことを加えて考えるとこれらの負担は社会人に比べて小さいと思われる。極論を言えば、さまざまな中学高校の創立記念日ごとにそこの体育館でライブをするというツアーを組めば、客層の内訳はかなり限られたものになるだろう。

ここで述べた議論はまだ単純なものであり、興行主側および消費者側の事情や便益もまだ十分に考慮できていない。幸い意見広告をきっかけに高額転売問題の構造や消費者にとっての便益とはどのようなものかという議論が経済学の枠を超えて活発になされているので、今後もこの問題に注目していきたい。

2017年1月6日掲載

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