新春特別コラム:2017年の日本経済を読む

「ニッポン一億総活躍プラン」と企業の役割

河村 徳士
リサーチアソシエイト

成長構想と企業の役割

安倍政権は2016年6月に「ニッポン一億総活躍プラン」を閣議決定した。来年以降もこの方針は堅持され政策の具体化が進むと予想されるが、このような政策課題からわれわれはどのようなことを考えていく必要があるのか述べてみたい。

「ニッポン一億総活躍プラン」は、少子高齢化が、労働力供給を減少させなおかつ将来の経済規模を縮小させる要因ととらえ、子育て支援などの構造的な対策を盛り込みながらも、現状とり得る打開策として労働力人口を増やし内需を拡大させることを念頭においたものと解釈できる(注1)。このことは、成長と分配の好循環の形成として、1)子育て支援、2)介護支援の充実、3)高齢者雇用の促進、4)非正規雇用労働者の待遇改善、5)最低賃金の引き上げを、政策効果を見定めるうえでの重要な指標としていることからもうかがえよう。1)から3)によって子育てに専念する労働力、介護負担に直面する労働力、リタイアした労働力を活用し、4)5)によって所得上昇も支援する構想と考えられるからである(注2)。現代社会の企業は多くの財やサービスを提供し人類の生存を支えていると同時に、雇用の場を提供することによって多くの人々にそれらの購入を可能とし生活の基盤を与えていることを考えれば、こうした構想の重要な1つの要素として企業の役割が想定できるだろう。今回は後者の雇用面に着目しながら企業の役割を考えてみたい。

高い成長の時代における企業と労働者

高度成長期から安定成長期に形成された日本の企業が提供した雇用環境は、長期雇用と年功的な賃金を保証しながら労働者の主体的な参加を求め生産性を上昇させる仕組みであった(注3)。第二次大戦後の強い労働組合の要求に対して、企業側は解雇自由の制限を受け入れ、代わりに労働組合は職務内容に関する発言権を喪失し、自動車産業などの工場では万能工と呼ばれたような企業特殊的な熟練労働力を生んだ(注4)。高度成長期に育まれたこのような労働のあり方は、先進国がオイルショックを受けて低成長に悩む1970-80年代に比較的高い経済成長を果たした日本経済の一要因とも考えられた。経済成長の恩恵は、雇用の保障および賃金の上昇のみならず、さまざまな福利厚生を具体化するゆとりを企業に与え、被雇用者の企業に対する強い帰属意識を育んだ。いわゆるホワイトカラー層にもこのような帰属意識に基づいた主体的な労働力の提供が進んだと考えられる。

もちろん、強い帰属意識に基づいた主体的な労働は、長時間労働や過労死といった社会問題、雇用保障の代わりに転勤を受け入れ家族の離散や地域社会との希薄化などをもたらす問題を抱えていた。もう1つの問題とでも呼べる、大企業の正規社員として入社できない者がこうした仕組みに加われないという課題は、経済成長がさまざまな雇用を生み出しながらカバーしてきたとみることができるが、企業の提供する雇用保障と経済成長とは日本政府が放置してきた社会政策の脆弱性を覆うものでもあった。

低成長時代の企業をとりまく雇用問題

バブル経済崩壊後に企業が直面した課題が、債務の累積に加え、デフレ下にありながら付加価値が伸び悩み、同時に人件費が削減できない「利潤圧縮メカニズム」にあったとすれば(注5)、新規雇用の抑制による雇用調整は招きやすい事態であったろうし、リストラも不可避的であったろう。企業体質を改善させるような構造改革と呼ばれた政策課題が優先された一方、被雇用者をめぐる社会保障改革は遅れ(注6)、格差社会あるいは無縁社会と呼ばれる社会問題が指摘され始めた(注7)。経済分野における重要な政策課題は、企業体質の改善とともに構造改革から経済成長へと推移し、成長の恩恵は格差を解消するはずであったが、成長率の鈍化のみならず企業が人件費抑制的な雇用方針を継続したこともあいまって、それらを果たせない状況が続いた。

重要なことは、ふたたび企業に対して人々の生活基盤の多くを委ねることになるとすれば、その点に我々は注意してもよいのではないかということである。厳しい財政事情の下で社会政策を立案することが容易ではないとすれば、単純な企業を中心とした生活基盤の提供という仕組みへの回帰ではなく、雇用の場を提供するという企業の役割に対する我々の認識を豊かにする必要もあるだろう。多様な働き方は、1人1人が労働者としてだけではなくて、さまざまな他者と社会関係を結び人生をおくることを前提としながら、自由な選択を保証するような幅広い論理を提供するものであることが望ましいだろう。子育てや介護をしながら、あるいはボランティア活動や趣味を充実させながら、それでも人並みに生活できる雇用の場が提供され続ける方法の模索は、脆弱ではあれコストのかかる社会政策を補うという意味では、企業に生活基盤の提供という公的な役割を付与するものでもあるだろう。ただし、その対価として帰属意識に基づいた過剰な労働力の提供や企業以外の社会関係を否定するものであっては、豊かな社会の形成とは必ずしも相いれない。社会政策と企業の役割とをどのように考えるのか議論を積み重ねてゆくことが大切だろう(注8)。

脚注
  1. ^ http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/pdf/plan1.pdf
  2. ^ このような概括が可能だとすれば、労働力人口の増加と内需拡大の形成という論理は、高度成長期の構図を想起させるが、この仕組みが成り立つためには、生産性の上昇および就業人口の増加に結び付くような機械工業を含む第二次産業の設備投資が要であった。サービス産業化とともにこうした論理があてはまるような産業構成ではなくなってきたことについてはすでに指摘があり(武田晴人『脱・成長神話』朝日新書、2014年)、われわれが考えるべきことは、このような産業構成の下で、経済活動からいかなる果実を得てどのように分配するのかといった価値判断を、過去にとらわれずに育むことにあるのかもしれない。
  3. ^ 以下、馬場宏二「現代世界と日本会社主義」東京大学社会科学研究所編『現代日本社会1課題と視覚』東京大学出版会、1991年、橋本寿朗『日本経済論』ミネルヴァ書房、1991年、第4章、武田晴人「企業社会」安田常雄編『変わる社会、変わる人々』岩波書店、2012年など。高度成長期は1955年から1970年代前半ごろまでの時代を呼び、その後1990年代前半のバブル経済崩壊までを安定成長期と想定している。
  4. ^ 自動車産業における品質管理運動およびQCサークル導入については、宇田川勝『日本の自動車産業経営史』文眞堂、2013年など。
  5. ^ 橋本寿朗『デフレの進行をどう読むか』岩波書店、2002年。
  6. ^ 大沢真理「空洞化する社会的セーフティネット」東京大学社会科学研究所編『「失われた10年」を超えてⅡ小泉改革への時代』東京大学出版会、2006年など。
  7. ^ 関連文献は枚挙にいとまがないかもしれないが、さしあたり橘木俊詔『格差社会』岩波新書、2006年など。
  8. ^ 企業の雇用のあり方が問われ始めたという論点は、次のように指摘することもできる。バブル経済崩壊後、2000年ころまで企業体質の改善が経済界のみならず政策課題としても重視された時期は、就業難の要因はもっぱら本人に求められた。非正規雇用に甘んじた若者は、ぬるま湯に浸ったそれまでの生き方の姿勢を問われ、自己ピーアールのための自分探しに翻弄せざるを得なかったが、そもそも少ない働き口を相互に奪い合っただけであった。その後、経済成長、デフレの克服、財政悪化が政策課題とみなされ少子化や内需拡大を抑制するような雇用条件の悪化が社会問題として重視され始めると、若者の雇用問題は「ブラック企業」という形容で企業側に要因が見いだされるようになった。自己責任論などがこのような経済動向と関連して浮上し喪失するようなものだとすれば、われわれは、一過性の価値判断に右往左往しないためにも、社会政策の土台となるような普遍的とでも呼べる価値判断―たとえば生存権など―の模索にもう少し努力を傾注してもよいのかもしれない。

2017年1月6日掲載

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