特別コラム:RIETIフェローによるTPP特集

国際経済ルールとしてのTPP

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

TPP締結交渉がついに大筋合意に至った。巨大経済先進国 v. 新興国、農産物輸出国 v. 輸入国、市場主義国 v. 国家資本主義国と、僅か12カ国の中のさまざまな対立軸ゆえに合意までに紆余曲折はあったが、WTOドーハラウンドに希望が見えない中、野心的な貿易自由化の試みの成功は喜ばしい。協定案未公表の現時点では未だに空をつかむ作業だが、各政府が公表している合意概要・解説(注1)を各種報道資料で補足しつつ、新たなルールの概略と「見方」を提供するとともに、その「第一印象」を読者諸賢と共有したい。

1.「21世紀型」FTAとは?

今回の妥結にあたり、甘利大臣をはじめ要人からは「21世紀型」の協定というキーワードが繰り返された。これは、比較生産費説に基づく国際分業を前提とした完成品貿易を超えて、情報通信技術の進歩に伴って生産工程のアンバンドリング(unbundling-切り離し)が進み、国際的なサプライチェーンが形成されたことによる部品・半製品貿易やそれに付随するサービス、データ、人、ノウハウなどの国際移動を容易化する協定、という意味である。ボールドウィンはこうした要素の連鎖を「貿易・投資・サービス・知的財産(IP)結合体("trade-investment-services- intellectual property" nexus)」と称するが(注2)、この形成を容易化する協定こそが「21世紀型」としてのTPPの正体である。

このアンバンドリングに伴う海外市場での事業展開を容易化する規律について、WTOは決定的に弱い。たとえばWTOは海外市場進出に必要な直接・間接投資の自由化・保護、あるいは相手先市場での公正競争の担保、スムースな役員や技術者の派遣を保証できない。サプライチェーン形成に必要なサービス(例:金融、ロジスティックス)の自由化も、 GATSがポジ方式(約束した分野・供給形態のみを自由化)を採用するがゆえに十分ではない。半製品の国際移動や部品の海外調達により、貿易円滑化(通関手続の簡素化・透明化)が今まで以上に重要になるが、これもWTOの弱点であった(注3)。

TPPはこうしたサプライチェーン形成に必要だがWTOには欠けるルール、つまり投資、競争、国有企業(SOE)規制、貿易円滑化、電子商取引、ビジネスマンの移動、規制整合性などに関する規定を擁している。また、知的財産権保護もより高いレベルでの域内平準化を試みている。加えてGATT・GATSの要請にしたがい、域内の実質上のすべての貿易取引を自由化すべく、物品・サービスの市場アクセスについても規律する。

2.「21世紀型」FTAは達成できたか? -米国型FTAの拡張-

では、TPPは果たしてこれで「21世紀型」FTAとなり得たであろうか。いささか厳しい評価だが、合意概要を見るかぎり、筆者は敢えてNOとした上でいくつか注文を付けたい。

まず、サプライチェーン形成支援・促進の視点からは、規制の調整や影響評価に関するベストプラクティス導入を試みた規制整合性章が協力・努力規定止まりで、紛争解決手続の適用からも外れた。競争力・ビジネス円滑化章、中小企業章も同様である。

第2に、合意概要を一瞥したかぎり、TPPの体系や項目は、米国の最近のFTA(特に米豪、米韓、米星)および投資条約を単に12カ国に拡大したに過ぎない印象を受ける。もちろんこれらの協定自体がある程度高水準であり、TPPがそれ以上を達成している部分もあるが、ルールの基本的な枠組みは既存のものである。たとえば投資章では、手続の透明性は向上したが、国際法の最低基準に基づく保護や収用規定など投資自由化・保護の実体的基準は、たとえば特定措置の履行要求禁止の若干の要素(ex. 投資家のライセンス契約に関するロイヤリティ規制の禁止)を除けば、概ね米国2012年モデル投資条約を踏襲している(注4)。また、SOE章でも、商業的考慮に基づく無差別な企業活動の原則は昨今の米国FTAの踏襲であり、米星協定のような国の間接所有も含めた広いSOEの定義を採用せず、また政府所有・関与の漸減義務もない点では、むしろ低水準である。

第3に、主要な章の一部は依然WTO準拠になっている。TBT章・SPS章は手続面ではWTOプラスを含むが、措置の通商障壁化を防ぐ実体的基準は概ねWTO規律の確認に過ぎない。貿易救済章もMFN税率への引き上げ(スナップバック)を規定した標準的な経過的域内セーフガードのほか、たとえば米韓FTAや日印EPAで定めるAD税の調査開始前通報・協議など、拘束力のあるWTOプラス規定は含まれない模様だ(注5)。そもそもオリジナルのTPP(P4協定)締約国である豪・NZ間ではAD税を廃止しており、はるかに及ばない。

もっとも、TPPの「21世紀型」としての意義は、こうした個々の規律の水準や内容よりも、むしろサプライチェーン形成支援・促進型の協定を、日米のような大規模経済を含む広域の12カ国に拡大した点にあると考えるべきであろう。仮に日本が他の11カ国と個別に二国間協定を形成しても、たとえば日豪EPAで関税を免除される自動車は依然米国では課税されるだろうし、自動車部品工場をベトナムに設置する場合とオーストラリアに設置する場合では受けられる保護も変わってくる。これがTPPの締結により、12カ国のどこでどのようなサプライチェーンを組むかの制約は格段に減る。

加えて、別の視点からもTPPには顕著な目新しさがある。労働章では、特にブルネイ、マレーシア、ベトナムについて団結権や団体交渉権の保障、児童労働撲滅などを個別に約束し、特にベトナムの実施は米国の関税撤廃の後倒しにより担保された模様だ(注6)。環境章についても、WTOドーハラウンドの交渉対象だが未だ合意が得られていない漁業補助金規律を限定的に導入した。更に環境章違反についても通常の紛争解決手続への付託が予定されているようで、そのかぎりでは関税譲許停止など通商上の対抗措置で履行を担保できるようになる。こうした過去四半世紀以上にわたり貿易とのリンケージが議論されてきた地球的課題に本格的に取り込んだ協定である点では、やはりTPPは「21世紀型」の容貌を備えた協定といえる。

3.紛争解決手続の重要性 -「21世紀型」協定に「魂」を-

いずれにせよ、総体としてTPPはWTOの規律がない分野を含む高度な協定であることは間違いない。ルールのみならず、特に繊維、自動車、農産物につき、譲許表も国別の低税率枠や品目毎の関税撤廃スケジュールを記載するなど複雑化し、原産地規則も例外や特則を含む複雑なものと報じられている(注7)。

WTOの例を見ればわかるように、高度な通商協定の実効性は紛争解決手続により担保される。しかし、NAFTAを含め、FTAの紛争解決手続はほとんど援用されていない(注8)。このことは、二国間合意ではいきおい協議重視となる、我が国EPAのほとんどが採用するビジネス環境整備のようなADRを利用する、市場アクセス拡大重視ゆえに野心的なWTOプラスルールを備えていないなどの結果であろう。しかし、上記のようにTPPでは従来のFTAの状況とは大きく異なり、それゆえに紛争解決手続の役割も格段に重い。

加えて、今回のTPP締結をめぐる事情は、紛争解決手続がいっそう重要となる可能性を予期させる。まず、"legal scrub"(大筋合意後に用語統一や条文・協定間の齟齬を解消する作業)の期間が僅かひと月半程度しかなく(注9)、文言の不備が危惧される。更に交渉終盤に難航した治験データ保護を通じた生物学的製剤の特許保護期間のように、敢えて曖昧決着を図った争点もある(注10)。これらのことは、正確な合意内容は結局のところ第三者による事後の解釈に委ねざるを得ないことを示唆する。

また、大統領選とTPP批准をめぐる米国の政治状況も後の紛争を予期させる。今回の合意につき、上院財政委員会のハッチ委員長や民主党大統領候補のクリントン前国務長官ほか主要政治家による批判が相次ぎ(注11)、批准の難航が予想される。NAFTAでも、批准を難航させた争点が後の陸運サービス、砂糖市場アクセスの2件のNAFTA紛争に帰結した。今回も同様の事態が懸念されるとすれば、やはり最後は紛争解決手続が協定の成否を握る。

合意概要によれば、TPPの一般的な紛争解決手続は、規制整合性章のような例外はあるにせよ、ほぼ全部の主要な章に適用されるようである。加えてパネリスト指名の拒否により手続進行を止められたNAFTAの反省を踏まえ(上記の砂糖紛争で実際に発生)、TPPでは自動的なパネル構成を確保したようだ。そのほかに投資章には投資家対国家紛争解決手続(ISDS)、また日米・日加の自動車合意特則やSPS章の協力技術協議(CTC)などの分野別代替的手続も整備されている(注12)。

いかに「21世紀型」FTAであっても、紛争解決手続が機能しなければ、正に「仏作って魂入れず」になりかねない。交渉者がTPPの意義を十分に踏まえてこの点を十分に意識した手続を準備できたか否かは、協定案の公表後に改めて精査したい。

2015年10月22日掲載
脚注
  1. ^ 本稿では内閣官房TPP政府対策本部が公表した「環太平洋パートナーシップ協定の概要(暫定版)(仮訳)」および「環太平洋パートナーシップ協定(TPP協定)の概要」に加え、豪州カナダNZ米国の各政府の概要説明サイトを参照した。
  2. ^ Richard Baldwin「21世紀型貿易と21世紀型WTO」(独)経済産業研究所『世界の視点から』No. 14(2012年6月14日)。
  3. ^ ただし、2014年にWTOでも貿易円滑化協定が採択され、現在各加盟国の受諾に付されている。
  4. ^ "TPP Deal Reached: Investment Arbitration Survives," Herbert Smith Freehills LLP (Oct. 5, 2015); Inside U.S. Trade, Oct. 9, 2015, p16.
  5. ^ 内閣官房TPP政府対策本部の説明(前掲注1「概要」p. 16)では、同一産品への経過的セーフガード措置の発動が1度に制限されていることは「WTO協定にはない内容」とされる。しかし、この説明では発動制限は域内の経過的セーフガード措置にのみかかるのか、それともWTO協定上のものも含めてセーフガード措置全般にかかるかが明確ではなく、WTOプラス規定とは判断できない。
  6. ^ Inside U.S. Trade, Oct. 9, 2015, pp. 1, 31.
  7. ^ Inside U.S. Trade, Oct. 9, 2015, p. 1.
  8. ^ 例外的にNAFTA19章パネル手続は利用実績が高いが、これは実質的に貿易救済措置の国内法上の司法審査に代替する制度である。
  9. ^ Inside U.S. Trade, Oct. 16, 2015, p. 1.
  10. ^ Inside U.S. Trade, Oct. 9, 2015, p. 1. 知的財産権章は既にWikileaksに掲載されているが、問題の特許部分については、私訳が公表されている。「【重要】TPP知的財産章の特許部分の日本語訳と日本法への影響(トーマス・カトウ)」TPP交渉差止・違憲訴訟の会(2015年10月15日)。
  11. ^ Wall Street Journal, Oct. 7, 2015, A.1, A.14.
  12. ^ Inside U.S. Trade, Oct. 16, 2015, pp. 1, 3.

2015年10月22日掲載