2014年も、自民党安倍政権の下で経済成長を目標とした政策が展開されるであろう。とはいえ、高い成長率を持続させる政策は簡単なものではないと思われる。そこで、経済史の観点から経済成長をめぐって考えられる諸点を述べておきたい。筆者は以前本コラムで、経済成長の歴史的な性格を論じ、なおかつ雇用の回復・所得の上昇が生産性の向上によって実現されることは自明ではないこと、市場機能の強化だけではなく企業の役割にも注目すべきことなどを指摘した(注1)。今回は、政策課題としての経済成長、およびその手段として規制緩和が重視されてきた経緯を振り返った上で、そうした考え方の限界を指摘しながら企業の役割を考察することの重要性を補足しておきたいと思う。
経済成長という政策課題の浮上と規制緩和論の台頭
経済成長が市場的な競争圧力の下で実現されるという信仰は根強いように感じられる。そもそも市場機能に着目する議論は、行政コストの削減問題や通商摩擦への対応の中から強調されてきたように思われる。1980年代に入るころから、財政の健全化が政策課題となり始め、行政コストの削減を進めて納税者の理解を求めるため、市場を介した資源配分がより効率的でわかりやすい方法であるという判断が育まれていった。市場機能を重視する論理は、日本市場は規制が強く異質であるとみなす通商摩擦への対応という観点からも是認された。さらに、経済界は、経済活動に占める行政の役割が後退することによってビジネスチャンスが拡大するという期待を抱いた(注2)。こうした思惑が複雑にからみ合いながら、市場機能の有効性を認める考え方は、規制緩和の推進という具体策に結実していった。こうした意味では、規制緩和は、経済成長という観点とはやや異なる角度から提起された政策課題に対応した性格を持っていたといえる。
もちろん、高度成長が終焉を迎えた1970年代から、持続的な経済成長を政策課題とみなす認識は生まれ始めていた。そもそも財政悪化は70年代に展開された景気対策の産物であったし、80年の政策ビジョンは、経済運営にあたって「成長制約要因は厳しく、かつ、複雑化してくるが、そのなかで適正な成長を実現していく」ことを政策課題として重視していた(注3)。こうした意味では、ビジネスチャンスの拡大によって新たな資源の組合せが期待できた限りで、規制緩和が経済成長を促すと捉える論理は80年代から潜在していたとも考られる。それでも、こうした論理が広く受け入れられたのは、バブル経済崩壊後、低迷する日本経済を前にして持続的な成長を政策課題とみなす認識が強められてからだった。その要因の考察は簡単ではないが、1つには、成長の鈍化を日本の異質性に求める論理が説得的に受け止められたことが大きく影響したことが考慮できる。異質な日本経済を本来の市場メカニズムに委ねて再生しようというものである。こうして財政健全化や通商摩擦への対応の中から提起された規制緩和という政策手段は、90年代以降、経済成長の妙薬でもあると判断され重視されてきたといえるだろう。
規制緩和に基づく市場の成熟が経済成長にも好影響を及ぼすはずだという論理は、次のように整理できる。すなわち、価格をシグナルとした財の交換を通じて、より生産性の高い財を提供し得る生産組織に需要が集中するという経路が想起される。高い生産性を実現している生産組織が選択され続ければ、年々のGDPも継続的に上昇するというものである。
市場の役割だけではなく、企業の役割にも着目を
だが、こうした考え方には若干の問題があるように思われる。さしあたり、指摘できることは、価格に反映される情報の限界である。価格が示す情報が財の価値や企業の社会的な役割の一部しか反映していないとすれば、生産活動を行う組織を評価する指標としては必ずしも有効ではない可能性が考慮できる。こうした問題は、とりわけ株式市場においてあらわれてきたといえる。資本市場の規制が緩和され、さまざまな金融商品が提供されたとはいえ、マネーゲームが価格変動を利用した利ざや稼ぎを目的の1つにしているとすれば、例えば株価の背後に隠れている設備、それを利用した日々の労働のあり方、生産された財やサービスの社会的な役割といった企業の価値は、株式を売買する当事者にとって大きな意味を持たないかもしれない。そうした市場のあり方は、企業の社会的な価値を正当に評価しているか否か再考する必要がある(注4)。
また、より重要なことは、そもそも市場の役割にのみ着目する考え方が、経済成長の仕組みを解き明かすわけではないという問題である。市場にのみ着目する考え方の限界は、例えば、1600年代のオランダでは市場が成熟しさまざまな財が取引されたが、同じく市場を発展させつつあったイギリスがいち早く産業革命に突入したことをいかに説明するのかという点にあらわれている(注5)。今風の議論にあてはめれば、規制緩和によって市場が成熟したとしても、経済成長に結実する生産活動が展開されるか否かはわからないということになる。
そうだとすれば、一方で大切な見方は、生産性を向上させ経済成長を生み出してきた人間労働の協業の場に着目することである。経済活動の歴史は市場の拡大だけではなく、労働過程の組織化という歴史でもあったことが重要な観点になる。資本主義社会では企業が重要な対象になるだろう(注6)。市場環境は企業行動を左右する重要な要素ではあるが、それをいかに受け止め生産活動に反映させるかは企業の内側における人々の判断にかかっているのであり、そうした企業の役割をいかに捉えてゆくかが重要な考察対象になる(注7)。我々は、もう少し広い視野でもって望ましい社会のあり方を考える課題を抱えているのかもしれないのである。