新春特別コラム:2013年の日本経済を読む

これからの経済政策で考えるべきこと

小林 慶一郎
上席研究員

長期継続的なデフレ:理論的に説明がつかない現象

安倍晋三政権が発足し、大胆な金融緩和によるデフレ脱却という経済政策が目指されることになった。物価上昇率目標の設定と大胆な金融緩和によってデフレを脱却すれば、経済成長と雇用の増加がもたらされる、という認識が政策の前提となっているが、この前提は必ずしも無条件に成り立つとは言い切れない。過去10年以上にわたる継続的な物価下落(長期デフレ)という現象について、そもそもその原因もメカニズムも経済学的には理解できていないということを基本的事実として押さえておく必要があるのではないか。政府も日本銀行も、デフレ脱却を目指してきたにもかかわらずデフレから脱出できていない。日銀はマネーサプライの水準を、バブル以前に比べれば格段に増やしているのに物価が上がらない。これは、長期継続的にマネーの流通速度が低下していることを示している。ではなぜマネーの流通速度が低下しているのだろうか? 仮説としては老後や将来への不安などが考えられるが、経済学的に明確な答えは出ていない。もしも老後の不安がデフレの原因ならば、デフレ脱却には金融緩和よりも財政再建と社会保障制度の改革の方が必要だということになるだろう。いずれにせよ、今の段階では、日本の長期デフレは原因不明なのであるから、根本治療の方法を確立することはできないのだ。金融緩和はあくまでも対症療法である、という当たり前の事実を認識し、過度な期待を持たないようにしなければならないだろう。

また、「デフレから脱却すれば経済成長する」という命題も、よく吟味する必要がある。中長期的な経済成長を決めるのは人口増加と生産性の上昇であり、インフレやデフレはほとんど経済成長とは無関係のはずである(貨幣の中立性)。

極端な金融緩和をすれば、もちろん短期的には円安が起きて、株価が上がり、景気浮揚の効果はあるだろう。しかし、長期的な経済成長率が上がったり、財政問題を解決するほどに税収が増えたりすることはないと考えられる。一方で、日本は下記のような深刻な課題を抱えている。

財政収支の穴:消費税率換算で約30%

日本の財政は深刻な危機だといわれながら、いったい消費税率を最終的に何%まで上げなければならないのか、というような包括的なコストの数字はあまり見かけない。また、ほんの数年前までは、政府の債務から金融資産を控除した純債務でみれば、日本の財政はイタリアよりもマシだ、といわれてきた。しかし、日本の財政悪化は加速度的に進んでいるので、数年前の常識は、いまではまったく通用しない。この2年ほどの間に海外の研究者が日本の財政の持続可能性をシミュレーションで検証する研究を行っており、彼らの結果をみると、財政の持続性を回復するために必要な財政収支の改善幅は、消費税率換算で約30%である(Hansen and Imrohoroglu 2012、Braun and Joines 2012)。これを増税、社会保障費等の削減、またはインフレで埋める必要がある。

この課題は、今の日本の政治の現状では解決不可能に思える。たとえば、Braun and Joinesが提案する日本の財政再建計画は、消費税率を最終的に17%にして安定化させる案だが、その計画が終わるまでに150年間もかかる。しかも、今世紀半ばからの数十年間は、消費税率を32%程度に据え置く必要があり、さらに、社会保障費を相当程度削減することも必要だとされる(しかも、2%インフレが実現したと仮定した上での話である)。

データを素直にみると、こういう財政再建策しか出てこないというところに、日本が直面する危機の深刻さがある。多少のインフレでは解決がつかないのである(ちなみに、2%のインフレが実現したとしても、消費税率の上げ幅を5%ほど引き下げる効果があるだけなのである)。こういう数字をまず共通認識としたうえで、経済政策や社会保障政策を論じる必要がある。

つまり、かなり抜本的な社会保障費(年金給付と医療費)の削減を政治の場で議論すべきだし、増税のタイミングを先送りする余裕はないだろう(まず先に増税し、その結果、景気にあまりにも大きな悪影響がでそうなら、増税後に景気対策を打つ、という順番で政策を考えるべきであって、『景気が良くなってから増税する』というのは、いまの日本では順序が逆である)。

【包括的財政再建プランの一例(Braun and Joines 2012より)】
(1)2%インフレ実現、(2)高齢者医療費窓口負担を2割にする、(3)年金代替率3割を許容、(4)政府の経常経費を1%削減、これらとともに、消費税率を下図のとおり変動させる:

図

長期の成長戦略 - 高齢化社会での技術革新

これからの成長戦略を考える際、ヒントとなるのは「方向付けられた技術変化」(Directed Technical Change、誘発的技術革新)の考え方である。このアイデアは1970年代に速水佑次郎が提唱し、1990年代末にダロン・アセモグルが定式化した。市場の環境変化や資源賦存の分布変化に合わせて、収益性の高い技術変化が何になるか決まってくると言う考え方である。過去の技術変化の方向性も、この考え方でかなりの程度説明できる。これからの日本を考えると、市場の資源環境のもっとも大きな変化は「少子高齢化」である。少子高齢化トレンドに合った技術(介護ロボットスーツ、高齢者向けオフィスシステムなど)、すなわちジェロンテクノロジー(高齢者工学)が大きな需要に直面するはずである。高齢化は世界的トレンドなので、海外の需要も大きくなる。ジェロンテクノロジー関連のシステムや機器は、今世紀半ばには主力の輸出産業になっていてもおかしくはない。19世紀末には自動車は金持ちのオモチャだったが、20世紀後半には日本の主力輸出品になったことを想起すべきである。

政策構想の哲学

20世紀の共産主義と福祉国家という大きな社会実験によって、我々は2つ学んだことがある。共産主義の実験から、政府は民間よりも賢明である、というわけではないことが明らかになった。市場よりも国家が効率的に資源配分できるというのは買い被りすぎであった。官僚や政府の能力やモラルが民間とさほど変わらないこと、あるいは、状況によってはもっとひどいモラルハザードを引き起こすことは十分に実証されたといえる。

西側先進諸国の福祉国家の実験から、我々は政府に長期的なコミットメント能力がないことを学びつつあるのではないか。民間と異なり、政府は超長期的な制度維持にコミットできる、という信頼が、社会保障制度の前提となっていた。ところが、日本の年金不祥事など、社会保障制度が老朽化して政府の長期的なコミットメントに疑問符が付いている。欧州の国家債務危機、日本の財政問題も、基本的に社会保障制度の超長期的維持に政府がコミットできるのか、という疑問が市場を動揺させている現象だといってよいだろう。これからの経済政策を考える際には、
(1)政府は民間よりも高い能力やモラルがあるわけではないこと
(2)政府は民間よりも遠い将来まで政策にコミットする能力(約束履行能力)があるわけではないこと
を前提として政策を構想する必要があるのではないだろうか。これからも政権交代が続く可能性がある中で、財政や社会保障制度に対する国民の信頼を取り戻すためには、「政府は遠い将来まで約束できない」という事実を前提にした柔軟な制度設計にするべきだろう。与野党を超えて新しい知恵を出すことが求められる。

2012年12月28日
文献
  • Braun, Richard Anton, and Douglas Joines (2012). "The Implications of a Greying Japan for Public Policy." Mimeo.
  • Gary Hansen and Selahattin Imrohoroglu (2012) "Fiscal Reform and Government Debt in Japan: A Neoclassical Perspective." Mimeo.

2012年12月28日掲載

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