新春特別コラム:2013年の日本経済を読む

景気回復に向けた心理学的処方箋

関沢 洋一
上席研究員

2013年の日本にとって景気回復は最重要課題の1つであり、日本経済を成長軌道に乗せるための効果的な対策を打ち出すことが求められている。この重要な課題の解決に貢献することを目指して、以下では、不況の心理学的モデルと、不況脱却への心理学的処方箋を示したい。

不況の心理学的モデル

以下の図では、不況の心理学的モデルが示されている。このモデルのキーワードは、感情と思考(心のつぶやき)である。この図の左上にある青い線で囲まれた部分では、感情と意思決定の関係についての心理学の研究に基づき、不安感や憂うつといった感情が悲観的な思考を誘発することが示されている。たとえば、心配性の人々や、たまたま不安感を抱いている人々や、憂うつな気分になっている人々は、そうでない人々に比べて、ネガティブな出来事が生じるリスクを高く見積もり、悲観的な思考をする傾向があることが多くの研究によって明らかにされている(矢印の①)(注1)。この図の例だと、不安感や憂うつが「私は失業する。お金をたくさん貯めないと大変なことになる」という思考を誘発したことが示されている。

図:不況の心理学的モデル
図:不況の心理学的モデル

この図の左下にある緑の線で囲まれた部分は、代表的な心理療法の1つである認知行動療法の基本的な枠組みである「認知モデル」を示している。認知モデルによれば、人間は「認知の歪み」と呼ばれる歪みを伴った思考をしばしば抱き、その思考を信じることによって、ネガティブな感情を抱くとともに、不適切な行動をする(注2)。図の例では「私は失業する。お金をたくさん貯めないと大変なことになる」という悲観的な思考を信じた人が不安感などを抱き(矢印の②)、リスク回避行動として消費を減らすこと(矢印の③)が示されている。ここでは、左上の青い線で囲んだ部分とは反対に、思考が感情を誘発する面が描かれている。

ここから先は経済学でおなじみの話である。人々が不安や憂うつに駆られて消費を減らすと需要不足が起きる。生産力が十分に存在する中で需要不足が起きると不況になる(矢印の④)(注3)。不況になると、今度はその不況に反応して人々が不安や憂うつになったり、悲観的な思考を抱いたりするようになる(矢印の⑤と⑥)。このようにして悪循環に陥って不況が長期化する。

不況脱却への心理学的処方箋

それでは、不況脱却に向けた心理学的処方箋はどのようなものになるだろうか。上記の図を踏まえると、何らかの手法で憂うつと不安を減らすことによって、悲観的な思考を減少させることが考えられ(矢印の①に歯止めをかける)、また、悲観的な思考を減少させることによって、こうした思考に誘発された消費意欲の減退に歯止めをかけることも考えられる(矢印の③に歯止めをかける)。

改善の余地はあるが、臨床心理学や精神医学の進歩によって、薬を使うことなく憂うつや不安などの感情を緩和したり、悲観的な思考を減らしたりすることが可能になっている。たとえば、認知行動療法では、ネガティブな感情の背後にある思考を見直して合理的な思考に修正することによって、ネガティブな感情を軽減したり行動を適正化したりする。認知行動療法の技法を活用することによって、「私は失業する」といった悲観的な思考を信じる程度を減らせれば、憂うつや不安を減らすことができ、消費意欲の減退に歯止めをかけられるかもしれない(注4)。

認知行動療法は、企業研修などで集団的に教えたりインターネットを活用して教えたりすることができ、現在心の病気になっていない人でも、心の病気を予防するための健康法として活用できる。このことは、心の病気を予防する取り組みに、不況からの脱却という副次的な効果が生じる可能性があることを示す。認知行動療法以外にも、悲観的な思考を信じる程度を低下させたりネガティブな感情を緩和したりする手法として、紙とペンさえあれば1人で簡単に取り組むことができる筆記療法(注5)や、パソコンを使って不安や憂うつを軽減する認知バイアス調整(CBM, Cognitive Bias Modification)アプローチ(注6)など、さまざまな手法について研究が進められている。

経済学と心理学の共同研究の重要性

不況の心理学的モデルがどこまで正しいかはまだよくわからない。2008年のリーマンブラザーズの破綻のような衝撃的な出来事が人々の不安感とリスク評価の高まりを通じて景気を悪化させることは、最近の研究からある程度言えそうである(注7)。その一方で、日本経済の長期低迷のような慢性的な不況の場合には、人々は、感情に振り回されることなく、合理的な意思決定として消費よりも節約を選んでいるのかもしれない。こうしたまだわからない点について真実に近づくためには、経済学者と心理学者が手を携えて、実験やデータ解析を通じた科学的な検証を行うことが重要になる。

RIETIでは、2012年7月に「人的資本という観点から見たメンタルヘルスについての研究」という小さなプロジェクトを立ち上げ、経済学と心理学の縁結びになりそうなテーマについても取り上げようとしている。この小さなプロジェクトに多くの方々が関心を持っていただくことを願っている。

2012年12月28日
脚注
  1. ^ 先行研究のサーベイは以下を参照。関沢洋一・桑原進「感情が消費者態度に及ぼす影響についての予備的研究」RIETI Discussion Paper Series 12-J-027(独立行政法人経済産業研究所、2012年)。
  2. ^ 認知行動療法のわかりやすい解説として以下を参照。デビッド・バーンズ『いやな気分よ、さようなら-自分で学ぶ「抑うつ」克服法』(星和書店、1990年)、清水栄司『自分でできる認知行動療法-うつと不安の克服法』(星和書店、2010年)。
  3. ^ 小野善康『成熟社会の経済学-長期不況をどう克服するか』(岩波書店、2012年)。
  4. ^ 関沢洋一・清水栄司「恐慌と鬱の経済学-人間心理から見た経済の病」『日経ビジネス』2009年1月26日号。
  5. ^ ステファン・J. レポーレ、ジョシュア・M. スミス編『筆記療法―トラウマやストレスの筆記による心身健康の増進』(北大路書房、2004年)。
  6. ^ 袴田優子・田ヶ谷浩邦「不安・抑うつにおける認知バイアス-認知バイアス調整アプローチの誕生-」『日本生物学的精神医学会誌』22巻4号(2011年)277-295頁。
  7. ^ William J. Burns, Ellen Peters, and Paul Slovic, "Risk Perception and the Economic Crisis: A Longitudinal Study of the Trajectory of Perceived Risk," Risk Analysis, Vol.32, No.4 (2012). より一般的に、人々の心理が楽観主義と悲観主義の間を動くことによって景気が変動することを主張する先行研究は、関沢・桑原前掲(注1)11頁で紹介されている。

2012年12月28日掲載

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