新春特別コラム:2012年の日本経済を読む

貿易自由化と所得格差

清田 耕造 ファカルティフェロー

"Of the 1%, by the 1%, for the 1%," - Joseph Stiglitz

"We are the 99%"

所得格差への関心が高まっている。その背景には、先進国における所得格差の拡大がある。米コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は、冒頭の「1%の、1%による、1%のために」という記事で、全米の4分の1の富が人口の1%の人たちに集中していることを指摘した(Stiglitz, 2011)。この記事を発端として、全米各地で所得格差是正を求めるデモが始まり、それが世界の主要都市へと波及することになる。これらのデモで掲げられたスローガンが"We are the 99%"である。

この所得格差拡大の要因の1つとして、貿易自由化が指摘されている。なぜ、貿易自由化なのだろうか?

ストルパー=サミュエルソンの定理

国際貿易理論の定理の1つに「ストルパー=サミュエルソンの定理」と呼ばれるものがある。いま、ある製品が、高い技能を要する労働者(熟練労働者)と単純労働者(非熟練労働者)の2つの生産要素によって生産されているとしよう。そしてその製品の生産には、熟練労働者がより多く必要されるとする。貿易自由化を通じて、先進国でこの製品の価格が上昇する。このとき、熟練労働者の賃金は上昇するが、非熟練労働者の賃金は下落する、というのがストルパー=サミュエルソンの定理である。このため、熟練労働者と非熟練労働者の賃金格差は拡大することになるのである。

日本の現状

2011年の日本は、貿易自由化に向けた動きが加速した年だった。その象徴的な出来事は、2011年11月に、野田佳彦首相が「環太平洋経済連携協定(TPP)への交渉参加に向け、関係国との協議に入る」と表明したことだろう。その一方で、近年、所得格差が拡大しているという指摘がある。たとえば、大竹(2008、100ページ)は、「日本の所得格差が拡大しているか否かは、統計的には明らかである。どの統計でも1990年代半ばからトレンド的に拡大している」と述べている。このような現状は、次のような懸念を生じさせる。

今後、日本が貿易自由化を進めると、所得格差はますます拡大するのではないだろうか?

所得格差を拡大する要因

先にも述べたように、ストルパー=サミュエルソンの定理にもとづけば、先進国の貿易自由化は所得格差の拡大につながることになる。しかし、そもそも、所得格差を生む要因は貿易自由化に限られるのだろうか? 大竹(2010、140-142ページ)は日本の貧困層が拡大している要因として、不況、技術革新、貿易自由化(グローバリゼーション)、人口の高齢化、離婚率の上昇という5つの要因を挙げている。つまり、所得格差を拡大する要因は貿易自由化だけではない。技術革新や高齢化など、複数の要因が考えられるのである。

このように複数の要因が考えられる場合、明らかにすべき問題は「貿易自由化が所得格差の拡大にどの程度寄与しているのか?」ということになる。貿易自由化が他の要因と比べて深刻なものであれば、例え自由化が一国全体にプラスの効果をもたらすとしても、その急速な進展に「まった」をかける意見も出てくるだろう。しかし、他にもっと深刻な要因があるなら、その要因への対策を考える方が重要になってくる。

エビデンス(科学的証拠)

Sakurai (2001)は上記の5つの要因のうち技術革新と貿易に注目し、貿易による効果より、技術革新にもとづく効果の方が重要であることを明らかにした。一方、佐々木・桜(2004)は貿易による効果が技術革新の効果と同じくらい重要だという結果を得た。しかし、これら2つの要因が所得格差に寄与した程度は、合わせても2割に満たないことも明らかにされている。つまり、所得格差の拡大の大部分は、貿易や技術革新以外の要因によって引き起こされている、ということになる。それでは、所得格差を拡大する主因は何だろうか?

大竹(2001)は、1990年代までの所得格差の拡大が、主に高齢化によって引き起こされていた、とする興味深い事実を明らかにしている。一般に、年齢が高いほど、同じ年齢内の所得格差は大きくなる。そして、高齢化は格差の大きい人たちの割合の増加を意味する。その結果、各年齢別で見た場合の所得格差に変化がなくても、日本全体で見た場合には、所得格差が拡大することになるのである1

今後の展望と課題

今後、日本でも、貿易自由化と所得格差への関心が高まってくるかもしれない。確かに、貿易自由化が所得格差を拡大するという可能性は否定できない。しかし、私たちは、所得格差の拡大の背後に、貿易自由化以外のさまざまな要因が働いていることを理解しておく必要がある。そして、「所得格差の拡大の大部分は、貿易自由化以外の要因によって引き起こされている」というエビデンスも認識しておくべきだろう。

一方、研究者は、より足元の経済の動きにも注意しなければならない。具体的には、最新のデータをもとにした分析を積み重ねる必要がある。さらに、貿易だけでなく、オフショアリングなど、より広い意味でのグローバル化の影響を分析していくことも重要だろう。そのためには、実証研究をさらに蓄積していくことが、研究者に与えられた課題である。

また、実証研究の蓄積のためには、地道な統計整備があることは言うまでもない。統計の精度の向上や調査の継続は、日の目を見ない地味な作業だが、精緻な分析を支えるための重要な政策課題の1つである。所得格差の議論をより建設的にするためにも、2012年は、統計の整備、実証研究の蓄積、そしてエビデンスにもとづいた政策形成が一層進むことを期待したい。

2011年12月28日
脚注
  1. ただし、後に大竹(2010、第6章と第7章)は、2000年以降は貧困層が拡大していること。そして、若年層では、同じ年齢内で所得格差が拡大していることを指摘している。また、筆者が知る限り、2000年以降を対象とした貿易と所得に関する実証研究は行われていない。このため、直近では、貿易が所得格差に及ぼす影響は、これまでとは変わっている可能性もある。
参考文献
  • 大竹文雄(2001)『日本の不平等』、日本経済新聞社。
  • 大竹文雄(2008)『格差と希望』、筑摩書房。
  • 大竹文雄(2010)『競争と公平感:市場経済の本当のメリット』、中公新書。
  • 佐々木仁・桜健一(2004)「製造業における熟練労働への需要シフト:スキル偏向的技術進歩とグローバル化の影響」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No. 04-J-17.
  • Sakurai, Kojiro (2001) "Biased Technological Change and Japanese Manufacturing Employment," Journal of the Japanese and International Economies, 15: 298-322.
  • Stiglitz, Joseph E. (2011) "Of the 1%, by the 1%, for the 1%,'' Vanity Fair, May 2011.

2011年12月28日掲載

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