新春特別コラム:2007年の日本経済を読む

格差問題への処方箋

小林 慶一郎 研究員

賃金の弱さと格差拡大

日本経済は、02年2月から景気回復が続き、ついに戦後最長のいざなぎ景気を超えたといわれる。しかし、いざなぎ景気の年率11%の高い経済成長に比べると、今回の景気回復では、年率2.4%の成長にとどまり、いかにも低空飛行だ。2006年の半ばにはデフレ脱却宣言が出るかと期待されたが、結局、それも07年度以降に先送りされてしまった。

問題は、家計の消費と賃金の回復が弱いことだ。1年前には多くのエコノミストが、06年の半ばごろには賃金が上昇し、消費は力強く回復するだろう、と考えていた。しかし、企業業績の好調が続いているにもかかわらず、予想外に賃金の回復は遅かった。

そこには、コーポレートガバナンスや労使の力関係の構造的な変化が関係していると考えられる。バブル崩壊後の不況が長引く中で、90年代末から非正規雇用ではたらく人々が急増した。派遣労働などの規制緩和が進んだことが背景にあるが、当時は、非正規雇用に転換しなければ、企業業績が悪化していたので、多くの企業が倒産しただろうと思われる。非正規雇用は不況のショックアブソーバーとして機能した。しかし、その結果、労使の力関係は構造的に変化し、労働者の交渉力は弱くなった。

さらに、バブル後の不況と90年代末の金融危機によってメインバンク制が崩壊したことも重要だ。銀行の貸し渋り、貸しはがしに懲りた企業は、いざというときに銀行はあてにならないと考えるようになった。一方で株主の力が強まり、配当要求などが高まっている。こうした変化の結果、企業経営者は、賃金を増やさず、なるべく手元に流動資金を置いて、将来の設備投資や株主への配当にあてようとする傾向が強まったと考えられる。この構造変化のために、通常の景気循環で予想された賃金の上昇が、非常に遅れる結果になったのだと思われる。

昨年、メディアや論壇でクローズアップされた格差問題は、こうした背景から出てきたといえる。格差の現実については、データ上の論争もあるが、日本社会全体に格差感が広がっているのはあきらかだ。この格差感の高まりが、市場主義的な構造改革への大きな反発を生んだ。

市場競争が激しくなったから格差が生まれたとする見方は、政府に積極的な格差是正の役割を求める。財政資金の再配分による格差是正という考え方だ。おりしも財政再建のために様々な分野で社会保障関係費が削減されつつある。その結果、医療や生活保護などの現場で、悲惨な状況に陥った弱者の実例が生み出され、格差への怒りを増幅している。

政府による格差是正を求める議論は、具体的には、政府の歳出増を求めることになる。保守系の政治家などは、公共事業の拡大を志向する。公共事業で地方の建設業者を潤し、経済格差を緩和しよう、というバラマキ政治への回帰だ。

革新系の論者は、医療、福祉、失業対策などの弱者救済のための資金的手当てを手厚くするように求める。いずれの処方箋も、もし再配分の対象を真の弱者に限定するのでなければ、政府の支出拡大が必至だ。多くの論者は議論を避けているが、その場合、大きな増税が必要になる。

市場ルール整備の必要性

また、金融市場にも影響を与えたライブドア事件、村上ファンド事件や、耐震強度偽装事件など、さまざまな経済事件も近年多発している。これらの事件は、市場競争の大前提となるルール遵守を確保する仕組みに大きな問題があることを示唆している。不正なやり方がまかり通るから市場競争への反発が強まるのであり、公正な競争で利益を上げたなら誰も文句は言わない。したがって、政府の役割は公正な市場環境を作ることだ、という考え方もある。市場のルールを整備し、ルールをしっかり遵守させる事後チェック機能が重要だ。

格差問題の象徴でもある正社員と非正規雇用社員との雇用格差についても、これは市場ルールの問題、と考えることもできる。労働者全体をマクロの数字で見れば、必ずしも日本の労働者の取り分が少なすぎる、というわけではないからだ。日本の労働分配率(国民所得を資本家と労働者に分配したときの、労働者の取り分)は、最近低下する傾向があるとはいえ、欧米諸国と比べて格段に低すぎるわけではない。

バブル崩壊後の90年代前半は、労働分配率はむしろ上昇し続けた。日本の労働者はそのツケを今支払わされているともいえる。企業の取り分を減らして労働者の取り分を増やせ、と単純にはいかないのである。

むしろ、労働者の中で、優遇されている者と不当に低い境遇に置かれている非正規労働者の格差が大きいことが、消費の弱さなどの弊害を生んでいるのではないか。労働者全体の取り分が少ないという問題ではないわけだ。雇用格差の問題を解決するためには、同一労働同一賃金などの公正な原則を日本の労働市場に貫徹させることが重要となる。この問題について必要な政策は、政府による再配分というより、労働市場のルール作りといえる。

誰が共同体の機能を担うのか

セーフティネットの削減は、財政再建だけでなく、広く構造改革への反発に転化する。改革や財政再建を長期的に進めるなら、貧困対策や医療弱者の救済への財政支出は、なるべく手厚くし、国民の支持を失わない工夫をすべきだ。また、このような、改革への政治的支持をつなぎとめる観点からは、公正な市場ルール作りと事後チェック機能の拡充も重要だ。必要なセーフティネットは維持したメリハリのある財政再建と、公正な市場だと信頼できる制度環境を作ることが重要といえる。

今年の論壇に広がり見せた格差批判には、もう1つ、隠された論点がある。
それは、日本企業が担ってきた「会社共同体」の機能が喪われたことだ。
戦後の日本社会では、伝統的な家族や農村の共同体が縮小する中で、人々の心のよりどころとしての共同体の役割を担ったのは、企業だった。

日本の企業は、(現実はどうであれ、)終身雇用制や企業福祉に支えられた労働者の共同体というイメージを強く持っていた。日本社会で、企業が労働者を解雇することに非常に強い抵抗があったのも、企業を共同体としてとらえる一般的通念があったからだろう。90年代前半に、不況が深刻化しても、企業が雇用を維持し、労働分配率を上げてきたのは、そういう社会的責任を認識していたからという面もあった。しかし、長引く不況が企業経営を圧迫した結果、90年代末を境に、企業は共同体としての社会的役割を放棄しはじめた。終身雇用制は壊れ始め、大規模なリストラや非正規雇用の利用が増えた。

これまで、共同体として従業員の心を支える役割が期待されていた企業が、その期待を裏切って利潤追求に走っている。このことへの怒りが、格差論争の裏側にある。そして、共同体の再生を希求する思いがある。

問題は、単に金銭的な格差をどうするかだけではないのだ。
この問題への1つの回答を、安倍政権の路線に見てとることができる。それは、強い国家が共同体の機能を担って人々の心のよりどころとなる一方で、経済面では自由主義を原則とする方向だ。これは首尾一貫しているが、復古的な国家主義に陥る懸念もある。

一方、革新系の論者も、政府による再配分の重要性を強調する人が多い。しかし、会社共同体の崩壊で高まった国民の不安と不満がこの議論と化合すると、昨今の国家主義的な傾向をむしろ強める作用を持つだろう。革新系の論者はこの点にもっと注意深くあるべきではないか。

やはり自然なのは、国家が共同体をお膳立てするのではなく、民間の中から、あるいは市場の中から、自生的に共同体が再生されることだろう。社会経済学者の間宮陽介氏は、共同体的組織が破壊され、市場の中に原子的な個人しかいないような社会になると、市場社会はファシズムに近接する、と警鐘を鳴らしている(『ケインズとハイエク』)。間宮氏は、国家と原子的な個人との中間にある「中間団体」(市民団体、大学、文化団体、同業者組合など)を強化することが、市場経済にバランスを取り戻す道だと主張する。

たしかに、現状では、NPOなどの市民団体や、企業福祉の再生に期待するしかないのかもしれない。寄付金税制の充実や、企業の育児支援の促進などの政策によって、民間から共同体が再生することを期待したい。これからの日本経済にとって、大きな課題といえる。

2007年1月5日

2007年1月5日掲載

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