コラム:RIETIフェローが見る瀋陽総領事館事件

瀋陽総領事館事件-やりきれない幾つかの想い-

津上 俊哉 客員研究員

繰り返し繰り返し見せられたあのビデオは衝撃的だった。騒ぎが起きてやや経ってから姿を現した副領事が武警の帽子を拾いながらおろおろする有様はぶざまだった。しかし、2年前まで北京の大使館に勤務していた私は別の衝撃も受けた。自分が同じ状況に置かれていたら、咄嗟に正しく対処できただろうか。おろおろする副領事のことが他人事には思えなかった。経歴のせいで、事件に対する私の感想は複雑で、中国の主張にも日本の主張や世論の動向にも思うことがいろいろある。以下はそういう個人の感想として読んでいただきたい。

人権と主権

今回の事件では人権と国家主権という異質な問題がごっちゃになった。女性3名の取り押さえの映像、特に小さな女の子の痛ましい姿を見て、万人が「女子供相手に何と手荒なことを!」という気持ちに襲われたと思う。

しかし、主権侵害について言えば、既に館内に入っていた男性2人を連行したことが問題の核心だ。女性3人を取り押さえるために武警が領事館ゲートの内側に入ったことは映像が示すとおりだが、あの程度でファウルを取られたら、東京で外国公館警備に当たる警視庁だって「辛い」と感ずるだろう。他方、男性2人の連行の方がはるかに深刻な主権の侵害なのに、こちらは映像がない。ゲートでの映像があまりに衝撃的だったために、その非人道的行為の証拠を以て、主権侵害を争うことになってしまった感がある。

繰り返しになるが、主権侵害の核心は武警が既に館内に入っていた男性2人を連行したことだ。その顛末について、中国側は「『2名を連行してよいか』と尋ねたら、副領事は頷き、手招きして『(構内に)入って彼らを連行しても良い』という意味の日本語を話したと主張する。

しかし、領事館側が「連れ出してくれ」といったのなら別だが、男性2人が館内に入ってしまった以上、その処遇は何がどうあれ外交ルートを通じて協議すべきだった。「連行してよいか」と問うた、問わぬの前に、武警が二人を在外公館の敷地から連行しようと考えること自体が行き過ぎだ。ゲートの警備に立つ二十歳になるかならずの若い兵が「自分の不始末に動転して」という話ならこれも別だが、連行は武警の「大隊長」が駆けつけた後に行われた。行き過ぎを正当化する余地はないと思う。

難民の受入れ問題

他方、外務省発表が「館員が同意を与えた事実はない」であったことに対しても、それで状況を過不足なく説明したことになるだろうかという疑いを持つ。上記発表の限りでは正しいかも知れないが、明示の拒絶もしていないだろう。恐らく目前で起きた連行の是非の判断がつきかねたからだ。こういうと「在外公館の主権が侵されたときに、『是非の判断がつかない』とは何事か!」と罵倒されそうだ。しかし、同意なく公館内に入った武警にどっちつかずの対応をしてしまったのは、亡命を求めて駆け込んでくる「難民」が来てもらっては困る客だったからだ。現場が真っ先に指示を仰ごうとした東京の連絡先が外務省の中国課ではなく北朝鮮を担当する北東アジア課だったことは、彼らが何を判断しあぐねていたのかを如実に示すものだ。

「来てもらっては困るという気持ちがそもそもの間違いだ、ゲート内に入った人間は断固保護して、日本の手で亡命させてやるべきだった」という意見もあるだろう。それが今後の方針になるのであれば、どんなに晴れ晴れすることか。明快な指示を得て、在外公館職員が同じ誤りを犯すことは2度となくなるだろう。しかし、国会でもこれを機に難民問題の議論を始めたとたんに、与野党を問わず「人道的見地から難民を受け入れればよいというものではない、特に北朝鮮については」という慎重論が出たと報道されている。

中国国内にいる同様の北朝鮮「難民」は一説に10万人を超えるといわれる。仮に、「日本の公館を訪れた北朝鮮からの難民が亡命を求めれば、これを受け入れ、保護して亡命を斡旋する」ことを日本政府の公然の方針としたとする。そして、中国武警も日本政府の方針を受けて、誰何に対して「そのために来た」と答えれば、彼らは不法侵入者ではないとして進入を阻まない方針を取るとしよう。日本の公館前には、東西ドイツの壁が消えたときを彷彿とさせるような光景が出現するのではないか。

「そういう方針は取りたくても取れない」それが現実ではないのか。人権のチャンピオンを自認する米国でさえ、手紙まで持っていた5人の受け入れを「正規の亡命要請とは考えない」といって拒んだのだ。伝えられる北朝鮮国民の窮状には胸が痛むが、その気持ちを公館での亡命受け入れの次元に反映させるのは無理だ。それは畢竟、北朝鮮問題をどうするかの次元で息長く取り組むしかない。世の中には複雑で重たく、説明しにくい問題がある。非情、冷血といわれようと、選択の帰結を冷徹に計算する理性を保つことも政府の責任だと私は思う。

事件への対応のあり方

男性2人を領事館敷地内から連行された以上、日本が抗議するのは当然だ。中国政府も「行き過ぎ」を認めるべきであり、それを頑として否定する中国の態度は批判すべきだ。しかし、同時に日本がのっけから主権侵害に対する抗議、陳謝要求一辺倒の姿勢をとった(ように見えた)ことが中国にファイティング・ポーズを取らせた憾みはないだろうか。事件後に会った中国の友人達は一様に「日本は今後、武警にどうしろというのだろう? 黙って通せばよいのか?」と私に問うた。「なぜ問題の複雑さ、悩ましさを共有しようとせずに、中国を非難ばかりするのか!?」それが上から下までの中国のホンネだろう。

外務省が詳しい状況を掴めないまま咄嗟に「抗議!」とやったのは、中国に対して強く出ないと、また「弱腰外交」だと非難される、という判断があったからかもしれない。「抗議する一方で、難題に直面した国同士、対策を協議する懐(ふところ)の深さがあったら」と、後でいうのはたやすいが、これまた「自分がその立場だったら」と自問自答するばかりだ。

しかし外務省の判断はある意味で正しかった。映像公開後の世論とメディアは唖然とするほど激しく反応したからだ。女性3人への同情や手荒な武警への反感といった人道的反応ではない。主権侵害への怒りの側面だ。事件直後の新聞報道には、「昔なら宣戦布告もの!」と言わんばかりのものまであった。少し冷静さを取り戻して、「でも、日本は難民の受け入れについて、今後どうしたらよいのか」といった論調が現れたのは随分時間が経ってからだ。昨今、相手が中国となると、どうしてこんなにいきり立った議論になるのだろうか。

今後の日中関係

最近「土下座外交」と批判されてばかりいる外務省中国スクールの人達がこれまでよくいってきたことがある。「日中関係に波風が立つと、中国の外交当局が世論に押されて、国内で崖っぷちに追い詰められているのが分かる。強いから居丈高になるのではない、弱いから日本に対して居丈高な態度を取らざるを得ないのだ。そう感じると、政府首脳や竹下登さんのようなドンに『先方の内情はこうです』と説明して、日本側で丸く収めることが多かった」

この話を想い出して2つのことを感じる。第一は、国内で立場が弱いから相手に対して居丈高に出ざるを得ないという外務省の対応は、これまで外務省中国スクールの人達が中国側に見てきた上述の状況とそっくりだということだ。相手国に対して情緒不安定になりがちな世論とこれに圧される外交当局という中国同様の状態が日本にも生まれている。

第二は、そうなった原因、対中外交のあり方についてだ。

* 日本が中国に対して情緒不安定になることには、もう1つ、中国の経済的台頭およびそれとうらはらな日本経済の長い不振という背景があるが、ここでは触れない。

過去日中関係に波風が立ったとき、中国当局は表向き強硬な態度を取りつつも、水面下では苦しい内部の状況をそれなりに外務省に「内話」してきたと思う。しかし、そういう情報は極秘公電にされ、外務省や政府首脳、日中関係の「ドン」にしか知らされない。「限定配布」の情報を得る少数の人は、それで心理的なバランスを取り、納得して「丸く収め」ようと思うが、世論と国民は心理的なバランスを取る情報を十分与えられないまま、「丸い」結果に付き合わされてきた。これまでは「中国はああいう国情だから仕方ない」という理由で、「密室の決定」が許されたかもしれない。しかし、その結果、日本の国民感情には「割り切れなさ」が澱のように溜まり、今やメディアにも草の根レベルにも中国に対する根強い反感が定着してしまった。外交は国民の理解と支持なしに成り立たない。日本の対中外交は正念場を迎えつつある。

中国当局も国内向けの公式態度と日本当局向けの内話の使い分けが通用しなくなりつつあると認識すべきだ。そういうと、中国当局はきっとこういうだろう。「そうはいっても、たとえば今回の事件、特に日本側の反応を中国国内で公開報道したら、事態は収拾できなくなっただろう」と。確かに、日中間の機微な問題について中国当局がこれまで伏せてきた情報を国内で公開するようになると、対日関係は今より悪化するだろう。日々の外交を司る当局としては、「情報公開はいいことだ」などという気楽な一般論には軽々に乗れないだろう。しかし、中国人の意識の中で静かに進む民主化の動きは、中国でも「知らしむべからず」の手法を崩しつつある。インターネットの発達で、情報の統制がそもそも形骸化しつつあるからだ。そうした動きがナショナリズムの感情と強く結びついているのが中国の特徴だ。中国外交のマヌーバーの余地もどんどん限られたものになりつつある。

いまのような状態が続けば、やがて双方の強硬世論の挟間で日中関係と両国の利益が危殆に瀕するような想いを双方が味わうことになるかもしれない。しかし、経済を中心として、日中両国は、実はますますかけがえのない利害関係を結ぶ国同士になりつつある。両国関係が本当に悪化したとき、損をするのは両国の国民だ。そのとき、国民レベルを含めて、「本当にそうなって良いのか」という正・反・合の弁証法をやらなければならなくなる。その日は遠からず来ると思う。

* 以上は純粋に個人的な見解であり、筆者の所属する部署・組織の立場を代表するものではありません。

2002年7月9日掲載