人事データ活用の広がりが持つ政策的含意

大湾 秀雄
ファカルティフェロー

なぜ今人事データなのか?

HR Tech、Evidenced based HRM、People Analytics、…人事の分野で多くの横文字が氾濫するようになった。すべて人事データの活用を経営課題の解決手段として用いるアプローチを指す言葉である。人事データというと、かつては、給与情報、人事考課情報、異動履歴情報、勤怠情報(出勤日、労働時間など)、属性情報(性別、誕生日、学歴、婚姻履歴、家族構成など)が主要構成要素で、それ以外の社員情報はほとんど人事管理上も経営課題の解決のためにも使われることはなかった。しかし、近年、上記の情報に加えて、採用情報(適性検査スコア、TOEIC点数、面接評点)、従業員満足度調査、多面評価(部下、同僚による評価)、研修受講履歴、ストレスチェック診断結果など、「人」に関するさまざまな情報を企業が一元的に管理するようになってきた。

1つには、情報通信技術の進展と業務支援ビジネスの拡大の影響が大きい。ストレージ容量の拡大、クラウド技術や情報セキュリティ技術の発達、AI技術の実用化が進む中、基幹業務ソフトウェアやグループウェアを開発・販売する企業が競争して、情報を共有し活用するさまざまな選択肢を提供している。その過程でデータの蓄積が進んでいるのだ。

供給サイドの要因だけではない。日本企業を取り巻く環境にも大きな変化が訪れている。故青木昌彦経済産業研究所初代所長は、その著書の中で「双対原理」と呼ばれる命題を提示していた。「組織が効率的であるためには、情報構造が分権的である組織は集権的な人事システムで、情報構造が集権的である組織は分権的な人事システムで補完することが必要である」(青木1988)。青木は、類型化したアメリカ企業(A-firm)は情報構造が集権的で、日本企業(J-firm)は情報構造が分権的であると分析していた。J-firmは、情報は下層部で共有され、水平的なコーディネーションの下に、分権的に実質的な意思決定がなされる。こうしたJ-firmの仕組みが機能するためには、職能横断的な知識を持った忠誠心あふれるジェネラリストの育成が不可欠であり、彼らを一元的に採用、育成し、長期的な評価に基づき処遇するために、人事部は集権化する必要があるというのが青木理論である。

しかし、集権的人事が効率的となる前提条件が一部崩れつつある。まず、従業員の属性やニーズやキャリアが多様化する中、採用、育成、配置、評価のいずれの面においても、現場の管理職が判断し支援を行う必要性が高まってきている。2つ目に、日本型の意思決定や雇用の仕組みは、海外のそれらと互換性がなく、日本企業がグローバルに統合度を高める上で、大きな障害になっている。「遅い昇進」の制度はその最たるものだ。さらに、利害の多様化やグローバル競争の激化は、効率的な情報構造をより集権化へシフトさせる働きがあることが近年の理論研究から明らかになってきている。それを補完する人事システムはより分権化せざるを得ない。つまり、人事部は権限を現場の管理職に委譲する一方、かれらの意思決定を支援し、組織の健全度をモニターするため、情報の収集により力を入れることになる。

採用におけるデータ活用の意義と危険性

それでは、企業が人事データをより活用することはどのような政策的な含意があるのだろうか? いくつかの例を使って説明してみたい。まず、データ活用が進んでいる分野の1つに採用がある。データ活用は、情報の非対称性の縮小を通じて、採用マッチングを効率化する。つまり、雇い主、被雇用者がお互いを良く知らないまま雇用関係を結ぶと、相性の悪さに気づいて離職する頻度が高まる。企業には採用コスト、研修コストがかかり、労働者には離職に伴い人的資本の棄損が生じるので、そうした間違ったマッチングが減ることは望ましい。

一方で、データの誤った活用は、採用効率を低下させうる。採用について人事担当者が陥りやすい間違いの1つにセレクションバイアスがある。例えば、海外事業向け人材の採用で語学力は重要な要件である。出来るだけ語学の出来る人を採用しようとするから、それ以外の能力が不足していても目をつぶることはある。他方、語学力が足りなくでも、今後の成長が見込め、企画力、行動力、問題解決能力が高いと判断した人間は採用されるかもしれない。このように総合的に判断して採用された社員の語学力と入社後の業績の関係を調べた時、必ずしも語学力と業績の間に正の関係は出ないだろう。セレクションバイアスを補正し、採用結果を正しく評価するためには、採用で用いた情報を出来るだけすべて保存して残すこと、採用されなかった候補者に関する情報も残すことが必要となる。

データ活用を通じて女性活躍推進の「見える化」を

データ活用は、女性活躍を推進する立場からも好ましいことである。女性がキャリアを追求する上での最大の障害は統計的差別である。統計的差別とは、ある属性のグループに関する統計的事実をもとに合理的な行動を行うことが、そのグループへの不利益をもたらす現象を指す。たとえば、育成機会(チャレンジングな仕事への配置や選抜型研修への参加など)が1人分あり、能力が等しい男性、女性の部下が1人ずついた場合、どちらにその機会を与えるかという問題を考えて頂きたい。ほとんどの上司が、女性は男性よりも辞める確率が高いので、辞める確率の低い男性に限られた機会を与えることが会社にとって望ましいと判断するだろう。この時、上司は差別しようと思って差別している訳ではなく、合理的に判断しているだけである。しかし、統計的差別は自己成就的である。上司がそういう行動をとるならば、女性の部下は、この会社にいても自分は十分な育成機会を与えられないと嘆いて実際に辞めてしまうため、結果として、上司の予言は当たってしまう。

こうした統計的差別を阻止するためには、政策的な介入と産業界のリーダーシップが必要となる。政策的手段としては、女性活躍推進の進展度の「見える化」と差別を排除するための企業に対するインセンティブの供与が必要となる。「見える化」により、労働市場・製品市場を通じた差別の是正が働く。どの企業で女性が男性と分け隔てなく機会を与えられているか見えてくれば、優秀な女性がそこで働こうと応募してくるし、消費者はその会社に好感情を持ち会社のブランドイメージは改善する。たとえば、女性活躍推進法が義務づけている女性活躍推進行動計画の中にさまざまな尺度の報告を義務付けると良い。賃金、昇進、評価における男女格差、性別職域分離の程度(ダンカン指数、ジニ係数)、女性管理職比率予想、男性育児休業取得率などが候補として挙げられる。

企業に対しより直接的に働きかけるために、政府が男女賃金格差の計算ツールを提供したり、人事給与管理ソフトウェアの開発会社が男女差の検証機能を商品につけることに補助金を出しても良い。政府調達において、ダイバーシティ/女性活躍推進における評価も判断基準に加えるなど経済的インセンティブが必要な段階に入ってきた。

高齢化で今求められる納得感ある評価制度の確立

データ活用のもう1つ大事な領域は、管理職の評価である。現在、高齢化が進む中、日本企業の特性の1つと見られる「遅い昇進制度」は、若い世代のビジネススキル、リーダーシップスキル修得機会を奪うことで、起業率や競争力の低下を招きつつあることが懸念される。グローバル化でしのぎを削る海外企業との競争に勝ち残るためには、多国籍企業を引率できるリーダーの育成が不可欠である。そのために、遅い昇進から早い選抜、年功主義から実力主義に転換する必要がある。その前提となるのが、納得感のある評価制度、昇進制度の構築である。それでは、管理職の能力や貢献をどう測ったら良いだろうか? 私は次のような分析が有効だと考える。まずは、部下の生産性指標(たとえば営業成績)や部署の業績を利用して、上司の生産性を測ることである。上司の異動、部下の異動が十分にあれば、統計的に上司が部下の生産性や部署の業績に与えた影響を抽出することが出来る。次に、多面評価や従業員満足度調査を用いて、部下や同僚の目に映った上司のどのような行動や方針が上記の上司の生産性と高い相関を持つのかを捉えることである。このようにして特定した「良い上司の条件」を研修で広めると同時に、これをコンピテンシー評価や多面評価に用いることで、継続的な上司の評価が可能となる。

政府に求められる最も重要な役割

最後になるが、こうしたデータ活用が人事分野だけでなく、政策評価など広い範囲で広がる中で最も懸念されるのが、専門技能を持った人材の不足である。日本は人口当たりの博士号取得者が他の主要先進国の半分未満で、特に社会科学分野の博士が少ない。そのためデータサイエンティストの役割を担える人材が極端に少ない。経済学博士号を取れば、大学のみならず政府(連銀、財務省、司法省、FTC)、国際機関(国連、IMFなど)、民間(投資銀行、コンサルティング、IT企業)で豊富な就職機会がある欧米と異なり、日本では博士号取得者の活躍の場が限られていることが大学院進学希望者が少ない最大の理由である。政府がエビデンスに基づく政策立案を進め、民間にもデータ活用を薦めるのであれば、政府がより積極的に博士号取得者を好条件で採用すること、民間企業からの研究・調査・分析の調達条件に博士号取得者の在籍者数を含めることなどを検討すべきではないだろうか。博士号取得者の選択肢が広がれば、大学院卒業者や教員の質が向上し、データ活用を支える人材基盤が着実に強化されるであろう。

文献
  • Aoki, M. (1988). Information, Incentives and Bargaining in the Japanese Economy: a Microtheory of the Japanese Economy. Cambridge University Press.

2017年7月21日掲載

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