米国のTPP離脱をめぐる法的視座と「TPP11」の可能性

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

皮肉なことに我が国が正式にTPP協定の批准を完了した1月20日、同日米国第45代大統領に就任したドナルド・トランプ氏は、「アメリカ第一主義の外交政策」("America First Foreign Policy")を掲げ、予てから公約のとおりTPP協定および交渉からの「脱退」("withdrawal")を米国通商代表部(USTR)に指示する大統領令に署名した。果たしてUSTRは1月30日付で寄託国のニュージーランド(NZ)に脱退の意思を通告し、ここに米国はTPPの枠組みから正式に脱退した。

米国の「TPP脱退」を法的に考える

筆者はここRIETIのプラットフォームを利用して法的合意としてのTPP協定の意味を探ってきたが(川瀬 2016 b)、この機会にまずこの「脱退」("withdraw")の意味を法的に明らかにしておきたい。TPP協定も条約の体をなした文書として合意された以上、締結から終了まで条約のライフサイクルを定めた条約法に関するウィーン条約(条約法条約)にその答えはある。

TPP協定には交渉参加12カ国が昨年2月4日、NZ・オークランドにおいて条約文(協定の文言)を確定すべく署名したが、一方で発効要件を満たすだけの署名国が批准していないので、未発効のままである。このような状況での「脱退」につき、条約法条約18 条は以下のように定める。

「18条 条約の効力発生前に条約の趣旨及び目的を失わせてはならない義務

いずれの国も、次の場合には、それぞれに定める期間、条約の趣旨及び目的を失わせることとなるような行為を行わないようにする義務がある。

(a) 批准、受諾若しくは承認を条件として条約に署名し又は条約を構成する文書を交換した場合には、その署名又は交換の時から条約の当事国とならない意図を明らかにする時までの間 (以下略)」

タイトル、柱書および(a)を併せ読むと、この条文は要するにある条約に署名して発効するまでの間、これに関わった国はその条約の趣旨・目的を失わせる行為を行ってはならないことを規定するが、(a)からは、後で効力の発生のための批准等が必要な条約については、署名国は署名後・批准前にその条約に当事国にならない意図を表明できることがわかる。したがって、署名済み・未発効のTPP協定からの「脱退」もまた、この18条(a)にある意図の表明と理解できる。

では、この宣言の法的な意味はいかなるものだろうか。1つは署名自体の撤回であろう。一度行った署名を物理的に取り消しても(二重線でも引くか、修正液で消す?)意味はないが、交換公文等の外交文書を通じて当該署名を撤回する意思を条約の寄託国に伝えることによって、その法的効果を無効ならしめることはできる(Aust 2014, p.108)。今回の米国の場合、就任初日の米大統領令には、"...withdraw the United States as a signatory to the Trans-Pacific Partnership (TPP)..."とあるので、このかぎりでは、米国は署名を撤回したと理解できる。

署名の撤回は、TPP協定30.5条にいう「原署名国(original signatories)」の地位を放棄することを意味する。TPP協定の場合、交渉参加全12カ国が署名を行い、この12カ国が「原署名国」である。この30.5条は発効に2年以内の全原署名国の批准、それ以後は2013年現在の全原署名国の総GDPの85%を占める6カ国の批准を求めているが、もし米国が原署名国でなくなれば、全原署名国の批准またはGDP85%基準の要件のベースから米国が省かれることになり、30.5条の改正なしに、米国以外の残り11カ国で同条の要件を満たせば発効する可能性(いわゆる"TPP 12 minus one"、以下「TPP11」)が生まれる。

「脱退」のもう1つの意味は、署名は撤回しないが、将来にわたり当事国とならない(つまり批准・受諾等をしない)ことである。こちらのほうが「条約の当事国とならない意図を明らかにする」とする条約法条約18条の文言に忠実である。この点、米国は脱退に際して寄託国のNZに送付した通告文を参照すると、次のようにある。

"[T]he United States does not intend to become a party to the Trans-Pacific Partnership Agreement. Accordingly, the United States has no legal obligations arising from its signature on February 4, 2016."

特に1文目は原署名国としての地位に触れることなく、米国はTPP協定当事国とならない意思を他の原署名国に宣言している。このかぎりでは、米国は原署名国の地位を保持したまま以後の批准を拒否するものと理解でき、菅官房長官が述べるように「米国がTPP署名国であることには変わりない」(エコノミックニュース2017.2.1)と理解すべきであろう。

このように大統領令と通告文書は必ずしも整合しないが、濱本正太郎京都大学教授が指摘するように、大統領令はあくまで「国内の文書であって、寄託者たるNZ政府あるいは全署名国宛にどのような文言で通知されるか」が国際法上意味を有する。したがって、米国の「脱退」は後者の意味で理解され、その法的帰結として、依然として米国が原署名国でありながら批准を拒否する以上、現行の要件ではTPP協定は未来永劫発効しない。

「TPP11」を目指して

完成形のTPPが頓挫した今、今後の国際通商ルール形成は米国主導の二国間FTA交渉中心となる可能性が高く、マルチ、メガリージョンは停滞を余儀なくされるだろう。しかしその中でも、TPP11を目指す動きが表面化していることは注目される。TPP11については、11月のトランプ氏による離脱表明直後にメキシコのグアハルド経済相やNZのグローサー駐米大使(前貿易相)もその可能性について言及しており(日経新聞2016.11.17朝刊)、日米の識者にもこれを支持する見解があった(田中 2017; Schott 2016)。そして今回離脱の実現を受けて、豪州のチオボー貿易投資相やNZのイングリッシュ首相がこの可能性を追求することを明らかにしている(BBC News, Jan. 24, 2017)。

むろんその実現も容易ではない。上記のように米国が原署名国としての地位を保持したまま批准をしない形での「脱退」を選択した以上、TPP11の実現にはTPP協定30.5条の改正を要する。政治的意思でも11カ国は一枚岩ではなく、米国市場へのアクセスと引き換えにハイレベルな協定による国内規制改革にコミットしたベトナムやマレーシアが難色を示している(時事ドットコム2017.1.21)。

こうした事情もふまえ、TPP11を「楽観的」であると否定する評価があるが(中川 2017)、それでもTPP11に挑む理由もチャンスも十分にある。まず技術的に言えば、発効前のTPP協定文の改正はコンセンサス要件(27.2条1(c)及び27.3条1)にかからないので、11カ国で30.5条を改正できる。米国は大統領令においてUSTRに今後一切のTPP交渉に参加しないよう指示しているので、トランプ政権にも異存はなかろう。また、協定文の改正が難しいとすれば、GATT1947の例に倣い、11カ国間での暫定適用もあり得る(Schott 2016)。

政治的には、米国のTPP脱退表明は国内問題であり、また冒頭の外交政策方針および閣僚人事からも明らかなように、トランプ政権の外交政策上の関心は中東優先でアジアにはない(安井 2017)。このような状況下では、米国に経済的利益およびアジア大洋州の地域的重要性を訴え続けることで事態が打開可能と考える方が、よほど「楽観的」であろう。また、もとよりTPP構想は中国中心のアジア大洋州における経済秩序形成に対抗する地政学的意義が強いものであるなら、TPP11であっても、親米・自由主義的な枠組みが中国主導のRCEPに先行する方が、わが国には望ましい。特に豪州、チリ、NZ、ペルーは中国をTPPに迎え入れる可能性を模索し始めており(ロイター2017.1.25; Inside U.S. Trade (Daily News), Feb. 3, 2017; The New Paper, Jan. 25, 2017; The Guardian, Jan. 23, 2017)、実現すればTPPが実質的に限りなくRCEP代替の枠組みに近づく。こうなれば米国のTPP復帰はいっそう非現実的になる。

また、実利の面からも、自らが当事国ではないTPP11が発効することで相対的に当事国への市場アクセスが不利になることは、米国にとってTPP協定批准のインセンティブとなる。日本にとっても、RCEPや日EU経済連携協定を含めて多面的に通商交渉戦略を展開するにあたり、たとえ11カ国ではあってもTPP協定が先行し相互間の市場アクセスが改善する方が、並行する通商交渉の推進力となろう。更に、トランプ政権が日米二国間FTAを追求するとしても、これもTPP11と矛盾しない。2月10日の日米首脳会談後の共同声明でも、日本が日米二国間の枠組みと並行して「既存のイニシアチブを基礎として地域レベルの進展を引き続き推進」することを確認しており、米国はTPP11の推進を是認していることが窺える。また、TPP協定の条文は今後の日米FTAでもベースになると予想されるので、日米FTAは将来TPP11に米国が加わる道筋になろう。

昨秋安倍政権がトランプ氏の脱退発言を受けてもなお国会承認を強行したのは米国主導によるアジア大洋州地域への秩序形成の強い理念に基づくものであればこそ、不完全であってもTPP協定の実施に全力を尽くすべきである。先の日米首脳会談でも麻生副総理・ペンス副大統領による経済対話の立ち上げにとどまり、ポストTPPに関する具体像は示されなかった。また直前8日の石原TPP担当相・マクレーNZ貿易相の会談でも、TPP11に関する議論はなかった。直近では3月15日にチリのTPP閣僚会議が注目されるが、こうしたフォーラムでの今後の我が国のリーダーシップに期待したい。

文献

2017年2月16日掲載