環太平洋パートナーシップ(TPP)協定を読む
-「Web解説TPP協定」の開設にあたり-

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

「TPP」から「TPP協定」へ

昨年10月5日、徹夜に続く徹夜のマラソン交渉の末、TPP(環太平洋パートナーシップ)交渉は妥結した。その合意内容は膨大な法的文書に集約され、本年2月4日に寄託国・ニュージーランドにおける署名を経て、条文が全て確定した。日本語が公用語ではないので公定訳ではないが、最終的な「仮訳文」が1月下旬に内閣官房TPP政府対策本部ウェブサイトに公表された。もちろんこの後には我が国のみならず各国の批准手続があり、特に選挙イヤーの米国ではその難航が予想される。効力発生にはしばらく時間がかかると見るべきだが、何はともあれこれで条文は確定した。「TPP」は今や「TPP協定」になった。

そうなると気になるのは、その中身だ。大筋合意、そして昨年11月5日の協定暫定版の公表と相前後して、具体的な合意内容に関する報道が格段に増えた。筆者もまた、マスコミはもとより、シンクタンク、実務法曹、この間交渉過程で国論をリードされた著名な経済学者からも、問い合わせや協力要請を頂戴するようになった。当初はそもそも英語、そしていかに翻訳されたとはいえ、数千ページにも及ぶ難解な法的文書を読み解くことは、当該分野を専門としなければ確かに難しい。下地として国際経済法(WTO協定、各種FTA・EPA、投資条約、知的財産権条約等)の学識ないしは実務経験が必要になるからだ。

TPP協定の構成

ではその「中身」とはどのようなものだろうか。TPP協定は、簡単にいえば以下の要素で構成される。

各章:前文に続き、TPP協定は30の各章からなる。これら30章はそれぞれ物品・サービスの貿易、投資の自由化と保護、知的財産権保護など従来のWTOやFTAの中核をなすルールの発展型を中心に、電子商取引、国有企業、規制の整合性、透明性・腐敗防止といった新しいルールを含む。更に環境、労働については、それぞれ関係の多国間条約で決まっている環境保護、労働者の権利保護に関する規律を導入しており、その内容はもはや経済協定の範囲を超えているといってよい。

また、うち17の章には附属書、更にはその一部には付録が含まれている。附属書の最も代表的なものは、物品関税の譲許表(2章附属書2-D)である。これは各締約国がありとあらゆる物品について関税率とその引き下げのスケジュールを一覧にしたもので、我が国のものだけでも1000ページ程度に及ぶ。また、品目別の原産地規則(3章附属書3-A)は、0ないし極めて低い関税率の恩恵に与るためのTPP域内産となるための条件を産品ごとに定めたものである。特にセンシティブな自動車、繊維製品については、特則が定められている(3章附属書3-A付録1、4章附属書4-A)。

附属書I〜IV:こうした各章に添付されるもののほか、各章から独立した4つの附属書が定められている。附属書Ⅰ、IIは投資・サービス貿易ルール(9章、10章、13章)に適合しない措置を国別に留保として登録した表から構成される。Iは現在留保といい、ここに登録された措置には現時点よりも協定違反の程度が悪化する改正は許されない(ラチェット条項、たとえば9.12条1項(c))。IIの包括的留保(将来留保ともいう)は、将来にわたりかかる制約がないより自由な留保である。それぞれIIIは金融サービス章(11章)、そしてⅣは国有企業章(17章)に対する、やはり国別の留保表である。

交換公文(side letter):TPP協定30.1条によれば、各章条文以外の上記の附属書、付録はTPP協定の「不可分の一体」である。こうした協定の本体の他に、今回は100を超す交換公文が特定締約国間で交換されている。これらは国際約束を構成するものとそうでないものに分けられる。我が国も合計17本(国際約束8本・そうでないもの9本)の交換公文を主に米国を中心に交わしている。

図:TPP協定の構成と体系
図:TPP協定の構成と体系

複雑怪奇なTPP協定

このように重層的な文書で構成されるTPP協定だが、これを読む作業はその複雑怪奇な構造ゆえに骨が折れる。その困難さのほんの一例を挙げておきたい。

膨大な文書の山:包括的かつ締約国が多いTPP協定はともかく長い。仮訳の最終頁は「2889」とある。しかしこれで協定本体の全てではない。実は我が国が恩恵を受ける他の11の加盟国による国別の約束(関税譲許表、ビジネス関係者の一時的な入国(12章)や政府調達(15章)の国別約束など)や留保については翻訳が全て省略されており、正文(英、仏、西)では更に数千ページの協定本文がある。もちろん交換公文は別である。これだけ多くの文書を読みこなし、条文、約束、留保の相互関係を読み解く作業は気が遠くなる。

例外はどこに?:どんな条約にも義務に対する例外が定められているが、TPP協定の場合、その所在を探すことは一苦労だ。たとえば内国民待遇・市場アクセス(2章)、投資章(9章)の場合、例外規定は遠く離れた例外章(29章)にある。国有企業章(17章)はもっと複雑だ。上記の例外章の適用があるにもかかわらず、17.13条に別の例外規定がある。更に、その他にも個別条文の中や適用範囲規定など協定の至るところに例外や適用除外が散在している。

各国の留保は?:例外は上記のように特定の義務について全締約国に適用される一般的なものだけではなく、特定国だけに適用される留保、例外あるいは適用除外が多く定められているのもTPP協定の特色である。各国の留保はサービス・投資、国有企業については、附属書I〜IVに掲載されているが、それ以外でも各章の附属書や規定のあちこちに国別の留保などが散らばっている。これも最も複雑なものの1つは国有企業章(17章)である。附属書IVに留保表があるにもかかわらず、17章にシンガポールとマレーシアの留保が別途記載されており(附属書17-E、17-F)、また、地方政府所有企業に関する国別留保も別途定められている(附属書17-D)。しかも、本文脚注にもいくつか国別の留保・例外が規定されている。

二国間の関係は?:上記のように交換公文によって個別締約国間の特別合意を定めているが、二国間関係にのみ適用されるルールはこれだけではない。たとえば我が国の米加自動車輸出に対する関税削減やセーフガードなどの特則については、協定付録で定められている(附属書2-D付録D-1およびD-2)。また、同じく市場アクセス章(2章)の付録(附属書2-D付録A)において、米、小麦、ケーキミックスなどの関税割当について、我が国は豪州、カナダ、米国などの特定締約国に低税率枠を割り振っている。

紛争解決手続は使える?:他の締約国の協定違反は紛争解決手続章(28章)に付託してパネルの判断を仰ぐことができるが、たとえば中小企業章(24章)、規制の整合性章(25章)などいくつかの章は全体が紛争解決手続の適用対象外になっている。更にもっと細かく特定の種類の紛争を対象外とする定めを置く場合もあるし(TBT章8.4条2)、また、協定の脚注(国有企業章17.2条5注)、交換公文で特定国に対する紛争解決手続の不適用を定める場合がある(TPP協定12.4条に関する日米交換公文)。

TPP協定を理解しよう -「Web解説TPP協定」のサイト開設-

こうしてみると、TPP協定はタチの悪い消費者金融かマルチ商法の契約書のようで、とても読むに耐えない。しかし、その内容は貿易・投資にとどまらず、医療、食品安全、自動車の安全・環境基準、保険、ネット上の消費者保護など、市民生活に直接関係のあるイシューにも関わることから、我々はその内容を正しく知る必要がある。

ともかくは中身を知りたい、という各方面の声に応えて、当該分野の専門家として霞が関随一の政策プラットフォームであるRIETIで何かできないか-そうした問題意識から、今回筆者の思いに賛同してくださる大学・研究機関の研究者と日本を代表する大手法律事務所のご参加を得て、官庁関係者、研究者、弁護士等専門職、ビジネス、マスコミに向けて、譲許表・留保表を含む全協定の解説サイト「Web解説TPP協定」の立ち上げを試みた。批准手続および国内法の整備も途上であって、我々専門家にとっても未だ理解も情報も十分ではない。よって、ウェブ媒体ならではの迅速性と柔軟性を生かして、未だ不完全ながらまずは協定の概要と可能な範囲での簡便な解説を提供するとともに、以後適宜事態の進展に合わせて機動的にアップデートし、研究の深化とともに改訂して行く方式を取った。いわば、「Web教科書」あるいは「Webコンメンタール」と理解していただいたらいいと思う。我々執筆陣にとっても全くの新しい試みで試行錯誤を繰り返すことになると思うが、読者諸賢のご批判、ご指導を仰ぎながら、コンテンツの改善を図って行きたい。

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文献

TPPについては、国際法務専門誌上においても既に実務的解説の連載が始まっている。本稿に紹介した「Web解説TPP協定」と併せて参照されたい。

  • 「ルールで読み解くTPPの争点-実像と今後-」『国際商事法務』(国際商事法研究所)
  • 「TPP 研究フォーラム」『JCAジャーナル』(日本商事仲裁協会)
  • 「TPPと政府・企業法務」『NBL』(商事法務研究会)

2016年3月9日掲載