人民元のSDR通貨加入と人民元の国際化の将来を占う

伊藤 宏之
客員研究員

SDRの構成通貨の仲間入りを果たした人民元

2015年11月、国際金融基金(IMF)が中国の人民元を特別引き出し権(SDR)の構成通貨の1つにすると決定した。大まかにいえば、人民元が国際通貨の1つとして公式的にIMFに認められたということである。細かくいえば、IMFが金融危機に直面した国に緊急支援をする際に使用する「SDR」という人工的貨幣があり、その構成通貨に人民元が仲間入りすることになったということである。支援要請国はまずSDRで緊急融資を受け、SDRバスケットに属する構成通貨(現行はドル、ユーロ、円、英ポンド)に変換させて融資を使うので、人民元が2016年以降SDRの構成通貨になるということは、人民元が主要国際通貨の1つになるということである。

中国経済が世界第2位の規模をもつことを考えると今回の決定は当然と思われるかもしれないが、なかなかそう簡単にはいかない。IMFはSDRの構成通貨になる要件として「輸出額が世界的な規模である」「当該通貨が市場で自由に取引できる」ことを挙げている。中国が世界第一の貿易大国であることを考えると第1の要件をクリアしていることは明白である。しかし、人民元が「市場で自由に取引できる」通貨か否かとなると、今のところ答えはNoである。では、自由に取引できない通貨がSDR構成通貨になると何が問題なのか?

緊急融資を受ける側からすれば、SDRで受けた融資を構成通貨に変換するわけであり、今回決定したSDR構成比率はドル41.73%(2015年現在41.9%)、ユーロ30.93%(同37.4%)、円8.33%(同9.4%)、ポンド8.09%(同11.3%)、そして人民元が10.92%であるため、仮に人民元が中国国外で他の通貨に変換することが中国政府の規制などにより全く不可能であったとすると緊急融資のうち約11%が使えなくなる。もちろん、人民元を他の通貨に交換することは完全に不可能ではないが、現在のところ、中国本土・香港以外での人民元取引はなかなか自由に行えるというレベルには達していない。現在ロンドンやシンガポールをはじめとして人民元を中国国外で取引できるようになり、他の市場にも広がる動きはあるが、中国の金融市場の対外的な取引の自由度は、ドル、ユーロ、円、ポンドといった従来の国際通貨のレベルには及ばず、たとえば人民元の取引の利便性が円のそれに達するには20年あるいは30年かかると考える研究者も少なくない。

さらに、最近中国経済や金融市場の雲行きが怪しくなるにつれ、政府当局が頻繁に金融市場に介入し、為替や株式などの金融資産の価格操作を行い、国内外の投資家に対する規制もなかなか撤廃しようとしない現状を考えると、今後自由化が進み人民元が国際通貨として認識され、どれだけ広範に利用されるかは未知数であると言わざるを得ない。

なぜ中国は人民元を国際通貨にすることにこだわるのか?

なぜ、中国は人民元をIMF体制の公式的な国際通貨とすることにこだわるのか。1つは、もちろん経済大国としてのメンツである。しかしもっと現実的な理由として、アジアインフラ投資銀行(AIIB)やBRICS銀行の設立などにみられるように、近年中国は明らかにドル中心の国際金融システムから脱却し、米国の金融政策に従属するのではなく主体性を持って自国中心の経済圏(人民元圏)を構築したい、と考えているふしがある。大国としては当然の願望である。

第2の理由として、中国は人民元をSDR構成通貨の一員にすることで、2001年の世界貿易機構(WTO)への加盟時のように国内の経済改革を進めるレバレッジ(てこ)を得たいという思惑も考えられる。1990年代半ばから始まった大規模な国有企業民営化・縮小整理などの抜本的な経済改革は、かなりの成果を上げたものの90年代末までには行き詰まり始めていた。そこでWTO加盟は市場自由化や国際基準の導入を条件としているので、既得権益にしがみつく国営企業や管轄政府官僚や共産党員などを排除し自由化をさらに進めるには効果的な大義名分であった。人民元をSDR通貨にすることで中国当局は国際社会に金融市場の自由化にコミットしているというメッセージを送れるとともに、既得権益にしがみつき自由化を阻止しようとする国営金融機関に対し外圧というレバレッジを持つことができ、それを使って抜本的な改革が進められる上、何か問題があれば批判の矛先を外国、アメリカといったスケープゴートに向けることができるのである。

人民元の今後を展望する

では、果たして人民元は金融の自由化をとおしてドルやユーロといった国際通貨に並ぶ、あるいはそれを超える存在になるのか、はたまた日本円のように国際化を標榜し金融の自由化を行いながらもそれを達成できずに終わるのか。

未来を予測することができなくとも、過去の主要通貨の経験をもとに人民元の将来を展望することはできる。筆者は河合正弘東京大学教授との共同研究で、1970年代から1990年代のドル、円、マルクの貿易インボイス通貨として役割に注目し、これらの通貨の利用シェアの動向、そしてそれを決定づける要因を分析した。通貨がどれだけ貿易のインボイスや決済に利用されるかは国際通貨になるための第一歩といわれており、中国が人民元の国際化を推進し始めた2009年にまず人民元による貿易決済を自由化したことから始めたことからもインボイス・決済通貨としての通貨の役割がその通貨の国際化にとってとても重要であることが分かる。

分析の結果、ある国がドル、円、マルクなどの主要通貨を貿易インボイス通貨として利用する際の決定要因の1つとして、その国がまずどの通貨圏に属するか、つまりどの主要通貨がその国の為替を安定させる対象通貨になるのかが重要であることが分かった。すなわち、ドル(マルク)圏に属する国ほど、ドル(マルク)建て貿易の傾向が高くなり、またドル(マルク)圏に属する国との貿易量が多いほどドル(マルク)建て貿易の傾向が高いということである。よって、ユーロを始める1999年以前にマルクがヨーロッパの地域通貨として定着したのも多くのヨーロッパ諸国がマルク圏に属し、かつそれらの国同士のマルクを使った貿易が盛んだったからであり、逆に、日本はその近隣諸国のほとんどがドル圏に属しているために、なかなか円建て貿易のシェアが上がらなかったのである。現在においても、日本の輸出の円建て比率は40%以下、ドル建て比率は50%以上で輸入においてはそれぞれ20%、75%と先進主要国としては自国通貨のインボイス比率がとても低くドルの依存度が高く、日本国外となると円の利用率はさらに低い。また主要通貨発行国の間では、自国の金融市場が発達し、対外的にも開放的な金融市場を持った国ほど自国通貨を貿易インボイスに利用する傾向が高いということがわかった。繰り返しになるが、自国の通貨を国際化するには金融市場の発達・自由化はとても重要なのである。

これらの分析結果は人民元の国際化について重要なことを示唆している。今後中国の所得レベルが向上し、主要貿易国であり続けることを考えると人民元の国際化は進むものと予想される。しかし前述のように、最近の中国金融当局による過度な市場介入や為替操作などを考えると金融の自由化が今後スムーズに進むかはわからない。さらに、中国は日本同様ドル圏に属する国々に囲まれており、それも人民元にとってはかなり高いハードルとなる。アジア近隣諸国がドル圏を脱し、どれだけ人民元を貿易や金融において利用するかが重要な鍵となってくる。まさにドルと人民元の覇権争いがアジアで行われるといっても過言ではない。

2016年1月19日掲載
参考文献

2016年1月19日掲載

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