世界金融危機後のアジア経済における生産性の動向

野村 浩二
ファカルティフェロー

世界金融危機からの回復の遅れが顕著となっている欧州経済(2010-13年の成長率は年平均0.4%に留まる)とは対照的に、米国はその成長率を年率2.0%にまで回復させ、同国の長期的な成長軌道へと戻りつつある。欧米経済からの自立度を高め、金融危機時においては世界経済の安定に寄与したアジア経済は、2010年以降も年平均5.4%の安定的な経済成長を持続している。しかし2000年代後半からの比較でみれば1%ポイントの減速となった。主要因は中国における高度成長の終焉である。本稿ではアジア生産性機構(Asian Productivity Organization)により9月に出版されたAPO Productivity Databook 2015に基づき、アジア全域における近年の生産性の動向について解説をおこなう(注1)。

東アジアにおける減速

中国経済成長における年率10%(2000年代)から7%ほどへの減速は、成長会計分析によればTFP(全要素生産性)上昇率の低迷によるところが大きい(注2)。製造業の拡大を中心とした経済成長モデルによって享受した後発の利益は、2000年代には同国における年率4%を超えるTFP上昇として具現化され、経済成長率のおよそ4割を支える要因であった。現在ではその上昇率は2%ほどへ半減し、代わりに成長のおよそ7割は資本蓄積に依存するものとなっている。高度成長期における高いTFP成長を失い、資本蓄積の役割を増加させながらその投資効率が低下していく傾向は、1960年代から70年代における日本経済の経験と類似している(注3)。

中国経済への依存度を高めていた台湾と韓国においても、近年の生産性の低迷は顕著なものとなった。2000年代後半には、台湾と韓国ではそれぞれ年率2.2%および2.5%と、両国ともに過去40年間の平均値を超えたTFP上昇を実現している。それは両国の労働生産性の成長率を、それぞれ年率3.9%および4.8%まで押し上げた主要なエンジンであった。しかし、2010-13年ではTFP上昇率は両国ともに年平均0.7%と低迷し、また労働生産性の上昇率も1.1%と2.2%へと大きく減退している。とくに韓国では資本収益率の低下が顕著であり、日本の1990年代初めの水準へと接近している。

モンゴルでは2010年以降、世界最大級となる銅鉱山と炭鉱の生産が始まり、資源ブームに沸いている。同国における設備投資比率はGDPの30%(2009年)から、2011年には一気に58%へと駆け上がり、2010-13年の経済成長率は年率12.9%の急加速となった。そのうちの6.1%ポイントは大幅なTFP上昇によると測定されるが、資源開発による一過的なものにすぎない。中国経済の減速は同国には急激なブレーキとなり、昨年11月に発足した新政権のもとで経済の立て直しに取り組んでいる。

こうした動きに対して、日本経済の生産性は回復へと向かっている。TFP成長率では2010-13年において年率1.0%と、日本経済の長期停滞(いわゆる"失われた20年")の中でもっとも高い上昇となった。20年間にわたる労働投入量の減少と資本蓄積の低迷のなかで、成長を実現するほとんど唯一のエンジンとなっている。しかし労働生産性の成長率は、わずかな資本浅化により年率0.8%に留まった(注4)。長期停滞は90年代後半より名目賃金の減少をもたらしたが、それ自体は今後の成長に対する原動力ともなる。アベノミクスによって生産と投資の拡大を実現できるか、現在はその正念場にある。

生産性上昇の重心は東南アジアへ

生産性上昇の重心はASEAN諸国へ移動しつつある。ASEANにおけるTFP成長率は、2000年代後半の年率1.3%から、2010-13年には2.1%にまで改善している(注5)。とくにフィリピンでのTFPは年率3.0%という高い成長率を実現した。資本深化が依然として低水準に留まる同国経済では、TFPの改善が直接に労働生産性の上昇(年率3.7%)を牽引している。同国経済では1990年代初めより、海外からの所得移転(海外での同国労働者からの送金)が拡大を続け、2013年にはGDPの32%にも達している。安定した内需が成長を支えながら、サービス産業を中心に労働生産性の改善が見出される。しかし需要サイドが牽引する生産性改善はその持続性に懸念があり、製造業の拡大を通じた改善へと引き継げるか、投資環境の整備が引き続き重要な課題となっている。

世界金融危機から比較的大きな影響を受けたタイ経済は、2010-13年には着実に回復し、TFPは年率2.3%、労働生産性では年率3.7%の上昇となった。それは同国の長期的な生産性上昇の経験値を上回る水準である。現在から2020年までは、人口ボーナスを享受できるピークの時期を迎えている(注6)。需給両面からの安定的な成長が今後も期待される中、第11次国家経済社会開発計画(2012-16年)でのTFP成長率の目標(3%)の実現に向けて良好な滑り出しである。

ベトナム経済も、TFPおよび労働生産性はそれぞれ1.1%および4.3%の上昇(2010-13年)と改善した。とくにTFPは2000年代半ば以降続いていたマイナス成長からの復活であり、近年では経済成長のおよそ2割を支える要因となっている。同国政府は、2015-20年の経済成長におけるTFP貢献分を35%以上とする目標を設定しており、生産過程や財の品質における改善への取り組みが推進されている。

改善余地の大きい南アジア

生産量としてのGDPでは2008年に日本を追い抜いたインド経済は、2000年代半ば以降、高い労働生産性の上昇(年率6.6%)を継続している。1人あたりGDPでは中国の半分に満たない同国では、平均的な労働生産性の上昇において一定の犠牲があろうとも、雇用の創出もまた重要な政策課題である。長期にわたり製造業の生産は年率6%ほどで拡大しているが、2000年以降では雇用の誘発効果はわずかな純増に留まっている。政府による"メイク・イン・インディア"(インドで生産を)は、より一段の製造業の拡大を目指すものであり、2030-40年代に約束されている人口ボーナスを生かす基盤となることが期待される。

パキスタンにおけるTFP上昇も年率1.9%(2010-13年)となり、長期トレンドへ回復しつつある。課題は資本蓄積の低迷である。インド経済においては資本投入量の拡大は経済成長の6割を支えるが、同国では1割を下回る。しかし5%まで落ち込んでいた資本収益率は、現在10%程度へ回復しつつある。投資環境の改善から資本深化を実現し、同期間1.7%に留まる労働生産性上昇における加速が求められている。

バングラデシュでは、1990年代後半よりTFP成長率はほぼゼロかマイナスであった。同国における製造業のシェアはインド経済を上回るものでありながら、そのおよそ半分は繊維衣服製造であり、生産性がむしろ劣化する状況が長期化していた。しかし、2010年代に入ってからは、TFP成長率が年率0.8%のプラスへと転じ、労働生産性の改善も年率2.8%となっている。それは同国における長期トレンドとしてのスピードのおよそ2倍である。1990年代半ばまでは設備投資のGDPシェアは17%ほどに過ぎなかったが、現在ではインフラ整備を含めて30%近くにまで拡大してきた。同国における現在の投資比率や1人あたりGDP水準は、2000年代半ばのインドと同程度であり、その後のインドと類似した成長軌道を描くことが期待される。

アジア域内でのTFP成長率を2.0%へ

APOは加盟国・経済地域全体の生産性向上の目標値として、2020年までに労働生産性を年平均3.6%改善することを検討している。同地域におけるTFPおよび労働生産性の年平均成長率は、2010-13年にはそれぞれ1.3%および3.0%となった。中国を含むアジア全域では、同期間において年率1.7%のTFP上昇、5.0%の労働生産性上昇である。世界金融危機からの回復期を超えて、アジア地域では年率1.5-2.0%ほどの域内TFPの持続的な改善に向けた取り組みが求められる。

表:アジア諸国における経済成長の要因分解, 1970-2013

2015年10月15日掲載
脚注
  1. ^ APOでは、アジア諸国における国民経済計算に関する調査研究とともに、包括的な生産性統計を構築するプロジェクトを2007年より進めており、著者はプロジェクトマネージャーを務めている。途上国を多く含む同地域では国民経済計算における課題も多く、可能な限りその調和を図りながら、測定における方法論の共通化によって比較可能性を高めている。なおOECD 生産性統計(OECD, 2015)との整合性も高く、生産性比較も可能である。
  2. ^ 労働や資本といった生産要素投入量の拡大からの貢献によっては説明されない、生産量(実質GDP)の上昇分。労働投入における品質変化は現在APOプロジェクトにおいて開発中であるが、APO (2015)ではTFP成長率に含まれている。
  3. ^ しかし中国では政府と民間両部門での過剰投資によるハードランディングへの懸念は大きく、世界経済の抱える不安定要因として、本夏には資本市場でも強く認識されまた実体経済への影響も現れつつある。
  4. ^ 労働投入量あたりの資本投入量が増加することを資本深化、その逆を資本浅化という。APO (2015)では、労働時間あたりの資本投入量(資本サービス量)として測定される。
  5. ^ ミャンマーとラオスを除くASEANの8カ国。
  6. ^ 15-64歳の生産年齢人口がそれ以外(0-14歳および65歳以上)の従属人口の何倍であるかを示した指数において、概ね2倍以上ある状態。
文献

2015年10月15日掲載

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