企業マインド改善の条件としてのストック調整

後藤 康雄
上席研究員

日銀が2013年4月に導入した「量的・質的緩和」や、国費10兆円規模の政府の経済対策などを受けて、日本経済は昨年来、回復基調をたどってきた。しかし、今年の半ばくらいからは足取りの鈍さが目立ってきている。直接的な原因は消費税率の引き上げによる国民負担の増加だが、それを考慮してもなお下ぶれ感がある。こうしたなか、日銀はさらなる金融緩和に踏み切った(2014年10月31日)。

凍てついた企業マインド

景気が下ぶれている要因としては、金融緩和の効果が一巡して株高による消費刺激効果が弱まっていること、企業の海外シフトが進んだため円安にもかかわらず輸出の伸びが鈍いことなどが挙げられている。確かにこれらも無視できない要因であることは間違いない。しかし、過去最高益の収益を達成する企業が多いにもかかわらず、設備投資や賃金引き上げに慎重姿勢を崩していない企業が多いことも大きな要因の1つである。

株高によって刺激された個人消費を第1のエンジンとすると、企業経営という第2のエンジンがなかなか本格的に着火していない。一言でいえば、企業のマインド(気持ち)が凍り付いたまま、ということになろう。

企業が明るい気持ちになりにくいので経営が慎重になりがちで、そのために経済全体も勢いを欠くという悪循環にある。しかし、企業マインドの悪化にはそれなりの背景があるため、悪循環を断ち切るのは簡単ではない。国内をみると、少子高齢化により今後市場規模の大きな拡大は難しそうである。その一方で海外は新興国を中心に成長が見込まれるため、生産拠点を海外シフトする動きが活発化している。こうした拠点のシフトは国内の雇用機会などを減少させ、さらに日本経済の成長力を抑える。

投資不足を続けてきた企業部門

本稿では企業マインドを慎重にさせてきたもう1つの大きな背景として、バブル期に形成された企業の過剰体質に焦点を当てる。そのためのキー・コンセプトとして「貯蓄投資バランス(通称、ISバランス)」を考える。企業や家計などがどれだけ活発に投資活動を行ったかをみる指標として、ISバランスという概念がある。これは貯蓄と投資の差し引きを意味し、最終的な資金需要を表す。いわば、金融(カネ)と実体経済(モノ)をつなぐ重要な“結節点”である。

わが国の部門別のISバランスの変遷をみたのが図1である。家計部門は、投資より貯蓄が多い貯蓄超過の状態を維持してきたが、近年その幅は縮小してきている。その最大の背景は少子高齢化である。これに対し、90年代以降、貯蓄不足の度合いを急激に高めたのが政府部門である。政府は、バブル崩壊後の日本経済を支えるため、国債の発行等により金融システム安定化のための公的資金や公共投資の資金を調達してきた。こうしたなかで企業部門は特徴的な動きをみせている。90年代半ばまで貯蓄不足にあった企業部門は、その後急速に貯蓄超過の方向に向かった。変化という視点でまとめれば、政府と家計はわが国の貯蓄を減らす方向に働き、貯蓄を増やしたのはもっぱら企業であった。

図1:わが国のISバランスの推移(SNAベース)
図1:わが国のISバランスの推移(SNAベース)
出所:内閣府「国民経済計算確報」より作成

ISバランスが貯蓄不足から超過に転じたということは、(i) 貯蓄が増えたか、(ii) 投資が減ったか、(iii) 両者が同時に進んだか、のいずれかである。企業部門の動向を振り返って統計的に整理すると、(iii)であったことが分かる。90年代以降、投資の減退と貯蓄の増加が同時に進行し、ともにISバランスを貯蓄超過の方向にシフトさせるよう働いていた。

このうち、投資の減退は容易に状況が理解できるだろう。バブル期に過剰な投資を行った企業は過剰設備をいかに減らしていくかに腐心し、新規の設備投資をするどころではなかった。これに対し、貯蓄の増加は必ずしも直感的に理解できることではない。なぜ企業の貯蓄は増えてきたのか。結論をいえば、過剰に負ってしまった債務の返済の原資にあてるためである。貯蓄が増えても、それがそのまま投資に充てられれば(すなわち投資が増えれば)ISバランスは変化しないが、投資ではなく負債の削減に充てられてきたのである。

バブル崩壊以降、過剰設備、過剰債務といったいわゆる「ストック調整」という重石がかかり続けてきた企業部門は、少々マクロ経済環境が好転したからといって前向きな経営計画を立てにくかったといえる。

企業の新陳代謝とストック調整の停滞

企業部門のISバランスをさらに詳しくみていこう。ここでは、企業規模別、産業別のISバランスを財務省「法人企業統計」から算出したものを用いる。企業規模別に、特に2000年代以降のISバランスをみると、貯蓄超過を生んでいたのは主として中小企業部門であったことがわかる(図2)。2000年代以降、大企業はいくぶん貯蓄不足となっているが、中小企業は引き続き大幅な貯蓄超過を続けてきた。

図2:企業規模別にみたISバランス
図2:企業規模別にみたISバランス
出所:財務省「法人企業統計」より作成

ここで、どの業種が貯蓄超過に寄与していたのかを企業規模別にみたのが図3である。黒い棒グラフが中小企業だが、とりわけサービス業、卸・小売、不動産の寄与が大きい。24業種を3つに規模区分した全72セグメントの上位3つを中小企業が占めている。卸・小売と不動産はバブルで痛手を負った業種だが、大企業ではすでに貯蓄超過幅が相当程度縮小しており、同じ業種のなかでも企業規模ごとの違いが非常に大きくなっている。

図3:業種別、企業規模別に細分化した2000年代のISバランス
図3:業種別、企業規模別に細分化した2000年代のISバランス
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注:2000~2009年度の平均。プラスは貯蓄超過。
出所:財務省「法人企業統計」より作成

上位を占める3つのなかでも、中小サービス業の貯蓄超過幅は他を圧倒している。こうしたサービス業の状況については、その背景をすぐに思い浮かべることは難しいが、中小サービス業をさらに細かい業種別、規模別に細分化すると、特に規模が小さいセクターの貯蓄超過が大方を占めている(詳細は拙著『中小企業のマクロ・パフォーマンス』を参照されたい)。

バブル期には程度の差こそあれ、企業規模、業種を問わず過剰体質が形成された。しかし、大企業部門は内部資金による債務の返済や債権放棄により早期に財務リストラを終えられた。しかし、中小部門はそうした調整が進みにくく、さらに政府による相次ぐ資金繰り支援策がそうした体質を温存することになった。市場からの退出が当事者の大きな痛みを伴うものであることは間違いないが、それは一面で強制的な債務調整を意味する。資金繰り支援による中小企業の温存は、マクロ的にみた債務調整プロセスを先延ばしするように作用した面がある。

これは必ずしも“バブル関連業種”だけでなく、「その他サービス業」のように種々の業種から構成され、全国津々浦々で業務を営む、顔の見えにくい幅広い中小企業において生じたことである。中小企業への支援は、広く薄く、しかし日本全体でみれば大きな影響を、企業部門のストック調整に対して与えてきた可能性が高い。

企業部門の大幅な資金余剰は、日本経済の活力の停滞を象徴する1つの重要な側面であり、政府・日銀の大胆な政策にもかかわらず企業が慎重な姿勢を続けてきた大きな背景になってきたと考えられる。しかし、状況は変化している。大企業はストック調整を終え、中小企業部門も調整が相当進捗していると評価される。少子高齢化や新興国の成長といった要因はいかんともしがたいが、少なくともこれまで企業部門のマインドを抑えてきた大きな要因の1つは中小企業を含め解消しつつあり、従来に比べれば企業が前向きな経営計画を立てやすくなっているといえるだろう。

2014年11月11日

2014年11月11日掲載

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