地方からみた人材供給の課題

徳井 丞次
ファカルティフェロー

人材戦略への地方からの視点

グローバル人材をいかにして育てるかといった議論が盛んになっている。このコラムを書いている今日も、同じ日の1つの新聞のなかに、グローバル人材をテーマにした新聞社主催のシンポジウムを報じる記事と、大学や高専の工学系分野でのグルーバル人材育成に向けた教育改革の取り組み例を紹介する記事が掲載されていた。こうした議論の高まりは大学の教育改革にも連動する話で、大学に籍を置く身として筆者にとっても他人ごとではない議論である。ただ、何事もそうであるが人材戦略についてもマスコミに登場するのは大企業の視点からの問題提起に偏りがちであり、地方からの視点、あるいは地方で頑張っている中堅企業の視点に欠けているように思うので、この立場から筆者が昨今気づいたことを幾つか指摘したい。

地域の人材育成力の重要性

筆者らは、「国勢調査」のデータを使って、性別、学歴、年齢、就業している産業といった複数の属性を同時に考慮して都道府県間の人材の質を相対比較する指数を作成し、1970年から最近年までの地域間人材格差の変化とその要因を分析した。その結果、1970年時点では地域の就業者の学歴構成に加えて、地域の産業立地が人材の質格差の重要な要因となっていたが、その後の約40年間で後者の要因は剥落し、就業者の学歴構成が重要な決定要因として残っていたことが分かった。また、都道府県を越えた若年就業者の移動が、こうした地域就業者の質と、質を加味した人材総量にどのような影響を与えているかを評価したところ、若年就業者の移動によって、人材総量の点では首都圏を中心とした人材豊富地域に一層集中が進む傾向がみられるものの、人材の質の面に限ればこうした傾向は観察されないことを確認した。このことから、地域の人材供給の質を決めるのはその地域のなかでの人材育成力にほかならないと結論づけることができる。これが第1の点である。この点について興味を持たれた方は、筆者らのRIETIディスカッションペーパー(以下DP)「地域間の人的資本格差と生産性」とそれに添付したノンテクニカルサマリー(以下NTS)をみていただきたい。

地域の人材供給の現状を正しく認識すること

第1点目でふれたように、やはり人材の総量という点では、若年就業者の移動が地方から都市への人材集中をもたらしているというのが、日本全体を鳥瞰してみた場合の否定できない傾向だが、もちろん例外の地域はある。NTSの書き出しで、筆者が勤務する大学の所在地長野県のことに言及したので、長野県も日本の地方の縮図そのものであると読者に誤解を与えたかもしれないが、データをよく見ると、実は長野県は貴重な例外の1つなのだ。若年者労働移動に伴う人的資本の総量への影響を示す指標(DPの図9)をみると、概ね地方から都市部へ人材が流出している傾向が続いているが、長野県は1970年代後半に20歳を迎えた世代では人材流出であったものの、その後の10年間で人材流入地域に転換している。いまや日本全体で人口減少が始まり、それによって生じる地域社会の疲弊が懸念されるなかで、わずかでも人材を呼び込む吸引力を持っているということはその地域の強みといって過言ではないだろう(ただし、われわれの人材流出入の定義は、その地域の中学卒業直前の人口が進学してそのまま地域に残ったと想定する場合の人材量をベースにして、その20年後の現実の地域の人材量との比較で、前者よりも後者が多い場合を流入、逆の場合を流出といっている。したがって、その地域の人材の絶対数のことを言っているのではないので、注意が必要である)。

というわけで、指摘したい2点目は、人材供給面での地域の特性をよく分析し、その地域の強みを発見してそれを伸ばしていくことの重要性である。ところが、私が「長野県は人材流入県ですよ」と言うと、地元長野県ですらそれを聞いて驚く人が多く、どちらかというとその逆に「長野県は人材流出県」だと認識している人が多いのだ。これは統計分析を行わずに日常感覚だけに頼ると陥りがちな錯覚の1つで、自分の高校の同級生で東京の大学に進学してそのまま東京で就職して働いている人が何人などと、流出側にのみ注目しているとそうなるわけだ(こういう計算をすると、日本全国どこでも人材流出地域になってしまう)。もちろん、流出と流入の両面をカウントして差を求める必要があるのだ。せっかくの地域の強みを認識しそこなうと、その要因を探ってさらに地域特性を生かす方策をたてたり、それを対外的にアピールしてさらに人材を呼び込んだりする芽を自ら摘んでしまうことになりかねない。

地方の中堅企業のグローバル人材戦略

もっとも、一般にそうした自らの地域の人材供給の源泉に対する認識不足があるからといって、地方に拠点を置きながらもグローバルに活躍している企業が手をこまねいているわけではない。小さな工場からスタートして戦後大躍進し上場企業にまで発展した会社の勃興期に活躍された方から、その時期の人材のリクルートには並々ならぬ苦労をされ文字通り全国を飛び回った思い出を聞いたことがある。現在では、たとえ地方に拠点をおく中堅企業であっても、ビジネス環境のグローバル化に果敢に対応している会社は数多くあり、そうした会社では既に海外の人材を積極的に活用し始めている。

先日、日頃何かとお世話になっている長野県経営者協会が企画するシンポジウムの司会を仰せつかり、県内の中堅企業2社の社長さんと上場企業の人事部長さんを交えて人材戦略をテーマに討論させていただいた。中堅企業のうちの1社は産業機器等のメーカー、もう1社はソフトウェアのシステム受託開発の企業と業種は異なるものの、どちらもビジネスと人材リクルートの両面で積極的にグローバル展開を図っている。また、どちらもオーナー社長の会社であるからこそ、そのマイナス面に陥らないためには人材育成がとりわけ重要との認識を持っている点でも共通しており、人材育成に意識して取り組んでいるとのことであった。このことは、バブル崩壊後の日本の大企業が業績の低迷するなかで、ともすれば社内の人材育成に資源を配分する余力をなくしていったようにみえるのと好対照で、心強く感じたものである。

その一方で懸念材料は何かと問うと、グローバル人材戦略のなかで国内人材と海外人材を比較する立場になってみると、両者を比較して国内人材に物足りなさを感じるという点でも異口同音であった。となると、本コラムの冒頭に触れたような、日本の高等教育がグローバル人材戦略の社会の要請に十分に答えられてないのでかないかという最近よく聞く批判と共鳴するようにもみえる。ただ、こうした中堅企業は、社内での人材育成意欲は持ち続けており、国内人材にそれに応えるチャレンジ精神や知的好奇心、あるいは異文化のなかで競い合う柔軟さと芯の強さなどが欠けていることに、物足りなさを感じているようにみえた。こうしたことは教育の根幹部分にかかわることであり、現在各大学等で進められている「即席版の」グローバル人材教育プログラムが、はたしてその期待に応えうるものになるのかしらと筆者は感じた次第だが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。

2013年10月22日

2013年10月22日掲載

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