経済成長の歴史性:成長政策に対して考えておくべきこと

河村 徳士
研究員

経済成長の歴史性

筆者は経済史を専攻しているので、経済成長の捉え方や近年の成長政策についてやや歴史的な観点から述べてみたい。経済史の考え方は近年、多様化しているものの、ある対象を分析するにあたって、そのことが持つ歴史性を見逃すわけにはいかない。言い換えれば、ある対象の性格が絶対的なものではなく、時代とともに変わることに留意するということになる。

こうした意味で言えば、我々が常識的に受け入れている経済成長という言葉も人類の歴史とともに古いものではない。経済学の専門的な書物で経済成長という言葉を書名に含むものが登場したのは、1955年前後であった(注1)。官庁エコノミストもいち早くこの言葉に着目した。1956年の経済白書は、戦後復興に依存した経済活動がもはや終了したことを宣言し、副題に「日本経済の成長と近代化」を掲げたように、経済成長を経済活動の実態的な変化を表現する言葉として用い始めていた(注2)。1960年に国民所得倍増計画が公表され、1962年に林周二『流通革命』(中公新書)がベストセラーになった頃には、経済成長という言葉は定着したといわれている。

GNPといった国民経済の活動をあらわす指標が年々いかに膨らんでいったのかによって捉えられる経済成長という概念が定着した背景には、人々の期待がまがりなりにも実現したことがあったためでもあろう(注3)。成長は、労働力人口の増加と1人あたりの生産性向上とによって基本的には実現される。その場合、戦後の日本経済では機械工業化が進展したことと、労働者の所得向上が実現されたことに留意しておくことが重要である(注4)。機械工業は、雇用増加の波及効果が大きいうえに、高い生産性を実現する可能性をもっていた。生産性の上昇は企業と労働者への分配の原資を生み出し、労働者所得の向上を実現しなおかつ働き手の努力を促すような協調的な労資関係の基盤を作り出した。財やサービスは大量に生み出され、それらを消費する基盤も整ったとみてよい。多くの人々にとって豊かさが年々実感できたのである。

だが、経済成長という言葉が定着しながらも、その足下では成長を促す経済の基盤は変化し始めていた(注5)。すなわち、冷蔵庫やテレビといったあまり個性的ではない商品を中心として形成された大衆消費社会から、人々の選択的な欲求をより充足させるような消費社会への転換であった。こうした変化の影響は、たとえば、自動車産業において、多品種少量生産という性格が強まり、コスト上昇の圧力が避けられず、生産性の上昇に限界がみられ始めた点にあらわれていた。もちろん、70年代以降もバブル経済が崩壊するまで、日本経済は比較的高い成長率を安定的に実現したが、高度経済成長期のような年率10%という数字は過去のものとなった。

このようにみてくると、経済成長は、日本人の経済活動にとって、ある時代の産物であったことがわかるだろう。高い成長には機械工業の定着が前提条件になりそうなことがうかがえるものの、需要のあり方によっては、こうした産業構成は常に生産性の向上をもたらすものではない。また、個性的な消費を求める人々の欲求は、他方でさまざまなサービス業を生み出しそのウェイトを高めたが、こうした産業はそもそも生産性の上昇を強く期待できるものではない。それでも、成長を実現している社会が常態であるという認識が広く定着したことによって、バブル経済崩壊後の日本経済は治療すべき異常なものとして捉えられてきたように思われる。

成長政策に対して考えておくべきこと

成長体質とは必ずしもみなし得ない現状の経済状態を冷静に受け止めたうえで、それでも経済成長を指向する必要がさしあたりあるとすれば、いくつか考えるべき点があるように思われる。ここでは2点のみ簡単に指摘しておこう。第1に、人々が経済成長という言葉にこめる期待である。私見では、雇用の機会が増え、給与も増し、ビジネスチャンスも拡大するようなイメージで語られていることが多いように思われるが、雇用や給与に関していえば、たとえ生産性が上昇したとしても、働き手に分配されるか否かは自明なことではない。むしろ雇用政策、社会保障政策をいかに考えるのかという課題なのかもしれない。もちろん、こうした課題への取り組みには成長が前提であるという意見も聞かれるかもしれないが、成長を土台としていかなる社会が望ましいものであるのかを改めて問いかけながら、成長政策を考える必要があるだろう。

第2に、成長は、必ずしも市場の役割が強化されることによってのみ実現されるものではない。成長の源泉が生産性の上昇に多く依存しているとすれば、その役割は組織化された協業の現場からもたらされる。とりわけ企業活動をいかに捉えるのかが重要になる。市場の役割を考えるだけでなく、成長をもたらす企業にいかに資源が配分され、人々の前向きな労働によってどのようにして財やサービスが生み出されてきたのかというプロセスを考察し、企業という生産組織にどのような可能性を見出してゆくのかも、我々にとって大切な課題なのである。そうした意味で、経済成長の鍵を握る生産性の上昇は、市場原理あるいは規制緩和という言葉が示唆する市場機能の強化によって直接実現されるわけではないということに留意しておく必要があるように思われる。

2013年8月6日
脚注
  1. ^ 武田晴人『高度成長』岩波新書、2008年、「はじめに」。
  2. ^ 政策文書において成長率何%という表現が用いられたのは、所得倍増計画の頃からだったという。宮崎勇『証言戦後日本経済―政策形成の現場から―』岩波書店、2005年、109頁。
  3. ^ 経済成長の重要な指標であるGNP統計の原型は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスの経済学者によって作り上げられたという。吉川洋『高度成長』中公文庫、2013年、「おわりに」。こうした意味では、GNPも歴史的な所産である。産業革命の果実が着々とあらわれ始め、さまざまな財やサービスを生み出す経済活動の実態をいかに捉えるかという関心に基づいていたのだろう。
  4. ^ 武田晴人編『日本経済の戦後復興―未完の構造転換―』有斐閣、2007年。
  5. ^ 武田晴人編『高度成長期の日本経済―高成長実現の条件は何か―』有斐閣、2011年。

2013年8月6日掲載

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