政策としての「待機児童ゼロ」の妥当性:投稿意見

宇南山 卓
元ファカルティフェロー / 一橋大学経済研究所准教授

実戦的育児問題の本質

埼玉大学名誉教授 小野 五郎

待機児童ゼロを政策目標とすることの結果としてのイタチゴッコについてまさに指摘のとおり。

ただ、大本の保育園増設には反対である。なぜなら、現実には経済的に働く必要性が薄く、ただ経済負担無しで育児負担を免れるためパートに出る親が増加しているからである。したがって、施設増ではなく本当に必要がある人に絞り込むべきだ。なお、経済的に必要な人の場合は直接支給の方が効率的である。また、絞り込み対象たる保育園利用が真に必要な人の大半は一定の自己負担可能な人たちであるから今より自己負担を増やすことが効果的である。

現実に自分の手で育児をすれば分かることだが、最も親の負担が重いのは乳幼児期ではなく学童期である。それも学童保育で対応できるものではない。それも、初めて外の世界に出たこの時期の子どもにとって親に傍にいて欲しいという面だけではない。

端的に言えば、学校教育がお粗末であり、少人数教育で教員の数を増やすより数は減らしてでも質を向上させるべきということだ。結果として小学校低学年から過大な宿題が課され、物事の基本的な考え方については全く教えられないから、家庭で親が教えるか塾に行かせるほかはない。子どもを塾に行かせるために親がパートに出、待機児童が増えるというのは全く本末転倒だ。

育児というものは、本質的にこうした計量的には掴めない定性的な問題が多くかつ重要なのだとまずは認識して欲しい。

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