大災害に備える:政策評価基準のあり方について

中田 啓之
研究員

近年、我が国を含めた世界各地で、東日本大震災をはじめとした非常に大規模かつ深刻な災害が発生している。このような、ごく稀にしか起きないものの、非常に深刻な被害を及ぼす災害に対して、モノの面(たとえば、耐震補強)、カネの面(たとえば、損害保険)双方について事前に対策を講じることは、重要である(注1)。我が国の場合、モノの面については、事前の対策がかなりの程度、効果を発揮していると考えられる。たとえば、昨年の震災の際、地震規模からすれば、発展途上国や以前の日本だったならば、ずっと多くの犠牲者が生じていただろう。しかしながら、津波、ならびに福島第一原子力発電所での事故については、事前の想定が必ずしも適切ではなかった、という評価も存在する。また、カネの面についていえば、我が国の地震保険への加入率は、以前に比べれば上昇してきてはいるものの、未だに低い水準に止まっている(注2)。

事前基準と自己責任の原則

さて、通常、経済学では、人々が不確実性やリスクを好まないため、事前の対策を十分に講じることを予測する。また、政策の評価に際して、いわゆるパレート効率性という概念がしばしば用いられる。パレート効率性の概念は、おおまかに言えば、誰かを利するためには、他の誰かが犠牲を払わなければならないような状態を指す。しかしながら、正確には、如何なる意味で「利する」のか、あるいは、「犠牲を払う」のだろうか。通常、事前の対策や政策の優劣を比較する際にパレート効率性を用いて議論する場合、各人の意思決定時の基準、すなわち事前の基準を用いる。

このような意味での事前の基準は、いわゆる「自己責任の原則」と密接に関連している。たとえば、保険への加入を見送ったものの、その後被害に遭ってしまった場合、被害に遭う可能性を考慮に入れた上で、自ら加入を見送ったのであるから、本人の自己責任である、と結論づけるのである。しかし、当該状況では、しばしば自身の判断を後悔することもあるのではなかろうか。果たして、このような事後的な後悔を無視することが理にかなっているのだろうか(注3)。

無謬性、多様性と想定外

多くの経済学の理論モデルでは、各人が真の確率を知っていること、また、情報の非対称性が存在する場合でも、どの情報を持ち合わせていないかを正確に知っていることが仮定される(注4)。したがって、各人が誤った意思決定をせず、後悔することもないことを前提にしている。保険の例で言えば、加入せずに被害を受けてしまった場合でも、各人が事後的にもやはり正しい判断であったと考える、と仮定するのである。つまり、事前と事後の自身の判断に対する見方の間で齟齬が生じる余地がなく、各人について非常に強い意味での合理性、あるいは、一定の無謬性を仮定しているといえる。

しかし、ごく稀な大規模な災害などでは、過去の記録上、1度も起きたことがないことがしばしばある。このような場合、真の確率が既知のものであるとは考えられず、過去のデータや経験、あるいは、さまざまな科学的な知見から確率を推定することになるが、確率についてコンセンサスを得ることは、非常に困難であろう。すなわち、(弱い意味で)合理的に災害の確率が1000年に1回とも1万年に1回であるとも言え、そのような多様な見方をすべて客観的に否定することは、不可能である。また、災害が1度でも起きてしまうと、従前よりも遙かに高い確率で起きると主観的に想定してしまいがちであるが、それらの見方を非合理的であると客観的に否定することも困難である(注5)。したがって、自身の判断が誤ったものであったという評価を事後的に下すことも十分に考えられ、事前と事後の見方に齟齬が生じることに、何ら不思議はない。

また、全く事前の想定が不可能な事象が起きてしまうこともあり得よう。この場合、確率を推定すること自体が不可能であるので、事前と事後の見方の間に齟齬が生じるのは、必然である(注6)。

望ましい政策評価基準とは

では、以上のように非常に強い意味での合理性や無謬性を想定できない場合、どのような基準で政策評価をするのが望ましいのであろうか。まず、事前と事後の見方の間に齟齬が生じるのが自然であることを前提にするべきであろう。特に、最悪の場合でも、各人にとって極端に悪い状況になることを防ぐことのできる政策が望ましい。たとえば、地震保険の場合、住宅ローンに強制的に付帯させることで、住宅再建による二重ローンの問題を排除することにつながる。したがって、地震による被害を甘めに見積もっており、自主的には保険に加入しないような人が、事後的に被る損害の程度を抑えることが期待できる。

このように述べると、事後的な公的な支援が望ましい政策のように聞こえるかもしれないが、そうとはいえない。というのは、モラルハザードを引き起こす公算が高いためである。したがって、事後的な公的支援については、民間では扱うことが困難な、事前に想定することが難しい事象を中心に対象にするべきである。むしろ、公的な政策としては、先述の地震保険の強制加入のような、事後的に極端に悪い状況に陥らないように設計された、事前の対策とその促進支援を中心に据えることが望ましいであろう。また、今後の被災地の復興やさまざまな災害対策、より広くは、極端な経済危機を回避させるメカニズムを構築する上でも同様の観点からの議論が求められる。

2012年9月25日
脚注
  1. ^ 各国の大災害に対する事前対策については、OECD (2008)が詳しい。
  2. ^ 2011年度末の全国世帯加入率は、26.0%(出典:損害保険料率算出機構)。
  3. ^ 事前基準と事後基準の齟齬については、古くから議論がある。たとえば、Starr (1973)やHammond (1981)を参照のこと。
  4. ^ ゲーム理論におけるcommon prior assumption、マクロ経済学におけるLucasやSargent的意味での合理的期待。
  5. ^ 保険への需要を、稀な事象に関する確率の推定の不安定性に着目して説明したものに、Nakata, Sawada, and Tanaka (2010)がある。
  6. ^ やや古いが、関連する意思決定論のサーベイ論文としてSamuelson (2004)を参照されたい。
文献
  1. Hammond, P.J. (1981): "Ex-ante and Ex-post Welfare Optimality under Uncertainty," Economica, 48, 235-250.
  2. Nakata, H., Y. Sawada, and M. Tanaka (2010): "Entropy Characterisation of Insurance Demand: Theory and Evidence," RIETI Discussion Paper 10-E-009.
  3. OECD (2008): Financial Management of Large-Scale Catastrophes, OECD Publishing.
  4. Samuelson, L. (2004): "Modeling Knowledge in Economic Analysis," Journal of Economic Literature, 42, 367-402.
  5. Starr, R.M. (1973): "Optimal Production and Allocation under Uncertainty," Quarterly Journal of Economics, 87, 81-95.

2012年9月25日掲載

この著者の記事