1つの通貨と多様な経済

桐山 伸夫
コンサルティングフェロー

域内市場統合と通貨統合

欧州統合のメリットを一外国人として最も身近に実感するのは、EU域内を移動するときである。国境を超える際に通常必要とされる税関・入国管理の手続きや通貨の交換が、EU域内であれば多くの場合必要とされず、国内での移動と変わらない。

物や人の移動に関する域内の障壁の撤廃と共通通貨の導入は、いずれもEU域内の単一市場の創設という共通の目標の下で構想された。通貨同盟創設の具体案をまとめた欧州委員会の報告書("One Market, One Money")は、単一市場の利益を十全に享受するためには単一通貨が必要であると主張した。通貨統合によって通貨交換のコストや為替変動リスクの解消といった貿易を円滑化するメリットは、関税や各種規制などの貿易障壁の撤廃のメリットと共通のものである。こうして見ると通貨統合は域内市場統合の延長線上に無理なく位置づけられるように見える。

最適通貨圏の考え方

しかし、貿易障壁の撤廃が経済全体にメリットをもたらすことは一般論として広く受け入れられているのに対し、通貨統合導入の効果はそれだけでは割り切れない(Krugman, 1990)。独自通貨を保有していれば、金利と為替というマクロ経済調整の道具を独自に保有することになるが、通貨統合によりこれらの道具を自由に使えなくなるためである。

共通通貨導入の効果についての評価基準を提供する最適通貨圏の理論では、各国経済の類似性、各国間の財市場・労働市場の一体性、価格調整の柔軟性、各国間の財政移転の可能性が高いほど、各国独自のマクロ経済調整の必要性が低下することから、共通通貨の導入に適していると考える。この理論に照らして、EU全体として共通通貨を導入することの経済効果はマイナスであるとの主張が、ユーロ導入が具体的に動き始めた1990年代に有力になされていた(Krugman, 1990, Feldstein, 1997等)。

共通通貨の下で進んだ経済実態の乖離

こうしたマイナス要因は、仮に域内市場統合や共通通貨の導入によって経済実態の収れんが進めば解消に向かうとの期待もあった。しかし、ユーロ導入後の10年間の動きを見ると、むしろ経済実態の乖離をもたらしてきたように見える。ユーロ圏参加国間で長期的に物価上昇率が乖離して推移してきたことから、実質為替レートは物価上昇率の高い国で高くなり、ユーロ圏内での輸出競争力の格差は拡大し、貿易収支・経常収支不均衡も拡大してきた。名目為替レートの切り下げによる競争力の回復ができないため、不均衡是正のためには物価水準の引き下げによる実質為替レートの調整が必要となるが、生産性が上がらず価格調整が柔軟でない国にとってはそれも思うに任せない(Feldstein, 2012)。

図1:ユーロ圏各国の価格競争力の格差はユーロ導入後拡大
(1999年第1四半期=100)図1:ユーロ圏各国の価格競争力の格差はユーロ導入後拡大
(資料)欧州中央銀行(ECB) "Harmonised competitiveness indicators based on consumer price indices"
図2:ユーロ圏主要国の貿易収支不均衡の拡大
図2:ユーロ圏主要国の貿易収支不均衡の拡大
(資料)EUROSTAT

加えて、域内の労働移動も依然として限定的である。言語の違い以外にも社会保障制度の違い等があり、労働年齢人口のうち本国以外のEU加盟国に居住する割合は2.8%に過ぎない(European Commission, 2012)。ユーロ導入により各国経済の収れんが進むという期待と現実の落差は、あたかも紐がほどけていくように拡散する長期国債の利回りの推移にも見て取れる。

図3:長期国債利回りは収れん後再び分散へ
図3:長期国債利回りは収れん後再び分散へ
(資料)欧州中央銀行("Long-term interest rate for convergence purposes")

域内市場統合、通貨統合が進む中にあっても、EU各国の街の貌は多様性に富んでいる。フランスとベルギーのような地理的・文化的に近い国でも、国境を越えると丘陵の風景も村の趣もやはりどこか変わる。国境の壁が消えていくように見えても、各国の歴史や習慣に根ざした構造的な違いを乗り越えるのは、やはり容易ではない。

2012年7月17日
文献
  • European Commission (2012), Towards a job-rich recovery.
  • Feldstein, Martin (1997), "The Political Economy of the European Economic Monetary Union: Political Sources of an Economic Liability," The Journal of Economic Perspectives, Vol.11, No.4 (Autumn 1997).
  • Feldstein, Martin (2012), "The Failure of the Euro: The Little Currency That Couldn't," Foreign Affairs, Vol. 91, No.1.
  • Krugman, Paul (1990), "Policy Problems of a Monetary Union," reprinted in Currencies and Crises, MIT Press.

2012年7月17日掲載

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